ここは退屈迎えに来てのレビュー・感想・評価
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地方出身者には覚えがあり過ぎる"あの焦燥感"を見事に表現したタイトル
地方出身者には覚えがあり過ぎる"あの焦燥感"を見事に表現したタイトルに射抜かれた。
山内マリコの連作小説集を橋本愛、門脇麦、成田凌の共演で映画化。渡辺大知、岸井ゆきの、瀧内公美ら、近年の日本映画には欠かせない存在となった顔ぶれも嬉しい。高校時代の皆の憧れの存在・椎名を軸に、東京で10年過ごしたのち、地方に戻ってきた「私」と、元彼である「椎名」を忘れられず冴えない日々を送る「あたし」の日常が交錯する。
誰もが、ここではないどこかを求めてしまうもの。地方に残った者は東京を思い、「あたし」は失ってしまった椎名を思い……登場人物たちの諦念や思慕がヒリヒリと焦げつく。しかし、憧れを胸に旅立った東京では何も見つけられず、ノスタルジーにのせ椎名と会うも名前を忘れられていた「私」はすべてを潜り抜け、爽やかな表情を浮かべている。人間は、手の中にあるだけのカードで日々をやり過ごすしかない。何もかもが可能に思えたあの頃の記憶と、人生のほろ苦さを捨て去るのではなく、ひっそりと握りしめながら。
気持ちがよくわかる
このレビュー欄で退屈なのは本人しだいとか地方都市と東京は今やそんなに変わりないとか等の意見が多々ありますが自分はそう思いません。自分は高校、大学時代は都民でしたがその後横浜に引っ越しました。横浜もいい所ですし、別に東京が最高とは思いませんがやはり退屈でした。学校帰りにライブハウスに行ける、お気に入りのライブがなかったり時間が合わなかったら電車移動ですぐに別のライブに行ける。音楽ライブにあきたら、お笑いでも演劇でも映画でも選択肢はいくらでもある。金をかけずにただ散歩するだけでも面白い所、遊べる場所が無限にあるそれが東京だと思います。この映画は主人公を一人に絞らず、時系列にせずいろんな男女のいろんな時代?を切り取っていて見ごたえがありました。(その分わかりにくい面もありましたが)どうやら富山が舞台らしいが方言をあえて使ってないのか、今はそんな感じなのか富山に住んだことがないのでわかりませんが高校生にあまり地方感がないのが気になりました。高校のスターだった人間とイジメられっ子だった人間が結局、地元にとどまってさえない人生を送ってる、東京に出てった人間もパッとしないという所もわざとらしくならずよかったと思います。見ごたえのあるよい映画でした。
キラキラしていないが大事なことを伝えようとしている映画。
人は「幻想=イリュージョン」の中に生きていると思いますが、この映画で、椎名くんはみんなのイリュージョンです。イリュージョンは自分だけでなく、相手も皆一人一人が持っている。他人のイリュージョンを「想像=イマジネーション」すること。それが、人同士が繋がっていく始めの一歩になる。
想像が実際と合っているのか、それはやはり本人や本物と実際話したり、一歩踏み込んでみないとわかりません。
関わってみると、色々気付く。自分のイマジネーションがいかにズレていたか。実は自分の願望で、考えていたんだと知る。つまり、イリュージョンだったと。人は無意識のうちに、自分が見たいようにバイアスをかけてしまう。
実際とイリュージョンの間の、溝。
リアルと願望の大きな溝と言ってもいい。
溝を知り、打ちのめされ、傷つく。
そしてそこを渡るのは、容易でないのもわかる。
でも、辛くてもはっきり見た方がいい。
その溝が見えていなくて、というか溝と向き合うのを避けて、でも避けてるのがバレないよう生きている人は、多いですよ。
年取るとそれが顕在化してくる。
劇中のマキタスポーツさんを観て、何かを感じて欲しい。仕方がない。批判する気はない。
でも映画の登場人物はみんな若い、まだ間に合う。
映画では「退屈なここ」と「憧れのどこか」。「地方」と「東京」。「自分」と「椎名くん」。こっちとあっちをわかりやすく描きつつ、登場人物は皆それぞれ見えない溝にどんよりしている。
溝をどうしたらいいかわからず自信喪失する人。
溝の手前まで行ったが、引き返してきた人。
溝は渡らずこっちで楽しく過ごそうと決めた人。
他人を利用して溝を渡ろうとする人。
自分で渡ろうとあれこれ試みる人。
背負って渡ってくれる迎えを待つ人。
溝との向き合い方が、その人を表す。
素敵な登場人物が少ないけれど、それでいい。またリアルだと思いました。
なぜか、野球のイチローを思い出しました。
もちろん「迎えに来て」のスタンスではない。
でも先日日本で小学生向けにしていた挨拶で、こんなことを話してました。
「僕が生徒だった頃は先生や指導者の方など、確かに、導いてくれる人達がそばにいてくれた。
でももういまはそういう時代じゃなくなったと感じます。
今は自分で、自分を、教育していかなければならなくなった。君達はそれを覚えていて欲しい。」
昔は居たんだと思います。
溝を渡る時に、手を貸してくれる人が。
渡り方を教えてくれる人が。
「ここは退屈迎えに来て」でOKだった。
私をスキーに連れてって、という映画に当時多くの男性がメロメロになりました。
就職も結婚も、親や教授や上司が決めてくれていた人が普通にたくさんいました。
新保くんが椎名くんを手助けしようとしますね。
「私」さんに惚れてんじゃ?
こういう愛の形もあるからね。新保くん、いいヤツ。
え、椎名くんに惚れてる?どっちだろ。
いずれにせよ、先導してくれる人がいないなら、自分が誰かの先導者になってやる、くらいの気概で、泣きながら原チャリぶっ飛ばす新保くん。
ぶざまですか?
いいえ、こういうのをカッコいいというんだよ。
この映画の救われどころ。
傷つくのを前提で、好きになった誰かと関わる。
自分のイリュージョンがぶち壊され、
自分のイマジネーションの限界を知り、
そこで初めて自分の無意識の願望に向き合える。
が、そういう態度で生きている人は、実社会でも今は少ないのかなあ。
でもそれが自分探しであり、その繰り返しで自分を理解していく。相手や世界を深く知っていく。
楽しいじゃないか。
果てしない旅。
死ぬまで続くよ、どこまでも。
こんな自分もいた、と知る時、
嬉しい時もあれば、
反吐が出るほど汚く、受け入れられない時もあるだろう。他人に否定されて、生きる価値無しと感じることも、今の時代は多い。
でも、自分を育てるのは、自分しかいない。
自分の好きになれる自分を作っていこうと思いました。あんまり肩肘張らずに。
椎名の魅力がわからない
『桐島、部活やめるってよ』にも同じ突っ込みを入れてしまうのだが、2000年代以降の日本の高校に、ほとんどみんなを惹きつけてしまう求心力のあるアイドル的男子生徒が存在するという事にリアリティはあるのだろうか?俺は出会った事ないなぁ。
まーここを突っ込んでしまうとちゃぶ台もなにもあったものではないのは分かった上で。
成田凌という俳優はそういう役の存在感ではないように思うし、そもそも原作がフィクションを成立させるためにそういう存在を話の真ん中に作り出している事、その手法は自分は好きではない。
そんなフィクションが成立しないくらいにみんながみんなバラバラなのがこの時代だろうと思う。
ここまでは文句なのだけども、そこに目を瞑るとなかなか面白い映画だと思う。目を瞑る価値は十分ある。
山内マリコ原作の映画なら『アズミハルコは行方不明』なんかよりは全然こちらが面白い。
どこがかと言うと、田舎の生活の退屈さを具体的なエピソードではなく、登場人物のセリフと芝居で語らせている所が面白かった。つまり、役者たちの芝居が良かったのだ。
正直言って、東京と地方の二項対立という図式は古いのだけれど、それぞれのキャラクターが放つセリフ(特に柳ゆり菜、岸井ゆきののセリフが良い)には、その人独自の劣等感やコンプレックスが表出されていて、キャラクターの頭の中が垣間見える楽しさがある。口から発せられる言葉が生き生きしている。
20代後半にして閉塞感の繭に閉じこもった彼らの日常は当然ながら激しい関係や対立を生まない。だから、映画はラストを導くためにあざとすぎるプールでの大円団の回想シーンや、成田凌が橋本愛の名前を覚えていなかったというショボいオチを用意するしかない。まーでもそれはそれで、この映画を作る意味というか、気分として悪くないかという気もした。
また、地方都市を10年以上に渡る回想で見せていく時に、いつの時代もそこは退屈な場所でしかない。そこはリアルだと思った。
それにしても、フジファブリックの曲をみんながそれぞれ歌うというのはさすがに嘘を感じさせるし、嘘といえばこの話をどうして標準語で表現するのかが分からない。方言なだけで二倍増しに見える話だと思うのだが。方言指導に時間を割く余裕のない日本のエンターテインメントが憂慮されるし、方言じゃ客が入らないという忖度が働いてるのだとしたらなんとも寂しい気持ちがする。
主役、門脇さんよりより柳ゆり菜が光る
原作未読。本読んだ人がみるべきか、田舎でくすぶって東京に憧れてる人がみたほうが響くのか。女性向きかも。
橋本愛のナレーション棒読み。
旧車洒落てる
麺屋丸超ということは富山?
友達は妊婦⁉
一度東京に行って10年、震災をきっかけに地元に帰って来た。
田舎はちゃんとしろー、みっともないーて言われて流れて生きていけない。
JKは一人で行けないが大人になると一人が楽しい
ぶんえんどう書店
あら2008年に戻って、麦ちゃんパートに。タバコ吸ってテンション低い、音楽ポップなのに。モーテルへ
ファミレスでまた違う女2人がヤリマン論
これは2010年
また戻った。ん?妊婦じゃないのか、タバコ
なんとかチェルシー出てきた。ダサいが東京にいるとか。高校の同級生。
神様に甘やかされてた椎名君
ゆうこになっちゃったんだ!
おい、横顔から2004年の高校時代に戻った。あだ名チンポ
あ、成田凌か椎名君は。
jkな橋本愛とグラビアアイドル
また違うパートに変わった。車でオヤジとjk。見た事あるコ
また家庭教師?のパートに。そういうの好きなら東京行ったら?親に猛反対されて、後悔はしてる、夢に見るくらい。
jkは絶対田舎に収まりたくない!
また椎名君パート、妹いるのか。てかここに繋がって麦ちゃんもここに。
あっさり下着姿。円光でも金は要らん。
ファミレスパートが繋がらん。
時代は進んでるみたい。
保険屋さん絶倫やな。
憧れの存在か、やっと繋がった。
ポップな音楽流れるけど全然わからない。
ビリヤードナンパ懐かしい
何者かになりたい愛ちゃん
ピーターパンな椎名君
高校で待ち合わせなの?
うっとおしいOG
また2004年夏
また円光に、忙しいな、47歳て!
2008年
丸ベッドに麦。おわってすぐタバコ
pizとコーラ
2005年椎名君と麦、車。一瞬
鼻ちょうちんは無理
朝方絶叫、外人におかしい言われるわ
麦ちゃん短パンにブーツ姿多くない?
ファミレスバージョン、結婚したんか。
2013年
。みなみが椎名君と結婚とはね、つまんない男
そして待ち合わせ、ここも2013年か。
教習所で待ち合わせか。
チンポくんはなりたいものいっぱいある。
プールダイブ遊び楽しげ、透けないのね。
涙流すしーんだけ良かった
名前ど忘れ
スクーターで歌うためのチェルシーか!
オネエキャラ崩壊してるけど
グラビアアイドルの歌い声よし
椎名君歌ったらあかんな
愛ちゃんは普通ちょっとかわいい
ティファニーで朝食を、を見ていないと。
jk東京きたー
スカイツリー見える屋上きれい
でタイトル
「ちょうたのしい」
永野 芽郁かと思ったけど片山友希て子やった。
村上淳か、やっぱりちょっと自信無し
フジファブリック
魚津市
入善町立桃李小学校
あっぷるアイビー
ホテルブルームーン
高岡自動車学校
エンドロールの夕闇の国道の映像良かったけど
成田凌 椎名 つまらない男と妻に評される(妻は高校時代の彼を知らな...
成田凌 椎名
つまらない男と妻に評される(妻は高校時代の彼を知らない)
橋本愛(私)
何者かになりたいと高校時代から言っていた。10年後になっても何者にもなれてないと思っている。高校時代の憧れの存在である椎名に再開するも名前を忘れられていた。その事実を知りすごく動揺していた。新保君に椎名の彼女なの?と聞かれて、新保君の中では椎名の彼女として存在していることに喜びを感じているように見えた。→茜色の夕日
・「私」と「あたし」で比較する意味がいまいちわからなかった。
・内田理央、岸井ゆきの、援交の子、マキタスポーツはどう本筋に絡んでくるのか?役割はなんなのか?
・何を伝えたいのかがいまいちわからなかった。
・原作が気になる。
・見終わった後は何も残らなかったがとても面白かった。
・ここは退屈迎えに来ての意味とは?
・最後の椎名妹のめっちゃ楽しいの真意は?
・最後のシーンで椎名からの電話をなぜ妹は取らなかった?
・椎名妹は東京での生活を楽しいと言っているが、新保も橋本も結局地元に戻ってきた。その違いは?
・結局みんな過去の思い出に囚われてる?前の進めてない?
・新保はおそらく同性愛者。椎名との関係性が気になる。新保は椎名の事が好きだったが打ち明けられていない?→原付に乗り、泣きながら茜色の夕日を歌う。
・なぜ新保は橋本に椎名と付き合っているのか聞いたのか。橋本のことが好きだったのではなく椎名ことが好きだったから気になっていた。
・金髪の女はなぜ最後茜色の夕日を歌ったのか。何に落胆した?椎名と橋本が会話してるのを見た後?
・椎名は現状に満足していない?茜色の夕日を歌っていた。結婚はしていて一般的な幸せな暮らしは送れているけど結局高校生の頃のキラキラした自分に戻りたがっているように見える。
・新保は自分の内面と外面が違うことに苦しみ続けている。
・そうなるとだーりお、マキタ、援交の存在意義が余計わからない。
・だーりおとマキタは結婚した。だーりおは昔アイドルでマキタは稼いでいて若い子と援交していた。
・門脇は椎名の元カノで別れた後もまだ彼のことを忘れられないでいる。彼女にとって椎名は彼さえいれば何も要らないと言える程の存在であったが椎名にとってはそうじゃなかった。おそらく彼と別れた後は浮ついた生活を送っていて遠藤と関係を持つことからもう一度前を向くようになる。茜色の夕日→車の免許
・実際でも椎名は他の女性と結婚したわけで門脇がその後どうなったのか気になる。
この映画で思ったことは思い出は思い出のまましまっておくのがいいってこと。過去の栄光に縋っていたら成長できない。
時間軸は飛ぶし、登場人物もバラバラで、最後のほうまでわけがわからず...
時間軸は飛ぶし、登場人物もバラバラで、最後のほうまでわけがわからず、つまらなかったんだけど、見終わってからじわじわと来た。なんとなく、たまらーんって感じ。
それぞれの話が最後につながり、おもしろい。
今でも憧れの存在の椎名くん。椎名くんのことが忘れられない元カノ。
でも、結局は「つまらない男」とバッサリ言い放つ、一番冴えない女が椎名くんをモノにする。
この人生の皮肉さがたまらんな〜て感じ。
高校卒業後、それぞれどんな人生を送ってきて、今にたどりついたんだろう、、、って想像したらなんだかワクワクする。
門脇麦って、どの作品も、登場時間少なくてもちゃんと存在感を発揮していて、ほんと良い女優さんだなぁ。
最後のシーンが何ともいたたまれない気持ちに
最後橋本愛さんが名前をたずねられるシーン、何故か私がいたたまれなかった…あれは辛すぎる。私の思い出を返してくれ!!ってなるな。意外と学生の頃の人気者が平凡な生活を田舎でおくっていて学生の頃地味で目立たなかった人が誰もが羨む様な成功をしてたりもする。ああ、もっと仲良くしておけば良かった…
文字で表現する作品を映像化しなくても
橋本愛と村上淳が出てきて「お」と思ってると柳ゆり菜が出てきて、門脇麦がきて内田理央がきて岸井ゆきのが出てくるって凄いよね。
でも話はぼやーんとしてるの。東京に憧れるしかない何にもない田舎で、高校のときは輝いてた椎名くんはどうなったかな?っていうところなんだけど、そりゃ、どうにもなんないよね。
椎名くんが輝いてたのは物凄く小さな世界で、椎名くんは色々と取り繕ってその世界に留まるように頑張ってただけなんだから。年齢を重ねて世界が広がっていったら、もう椎名くんの居場所はない。
だから最後は「つまらない男だよ」って言われちゃうんだけど、椎名くんに対して、そういう風に思う人が、椎名くんを手に入れる。憧れてる人は、手に入れることはできないの。
登場人物はみんな色々思ってるんだろうなって思うけど、これ、映像にする必要あるかな。原作読んだら十分なんじゃない。ここまでキャストを集めて映像化する意味ってなんだろう。
そして椎名くんを演じる成田凌は、ここから数ヶ月ありとあらゆる映画に出るよね。「事務所がんばって売り出してんなあ」って思ったけど、そうまでして売り出さないと目立ってこない俳優は、やっぱりその程度なのかなって気がした。
退屈なのは、私自身。
歳を重ねていくにつれ、青春映画を観たくなるのはなぜなのか。観ている間はあの頃の自分を思い出し、
懐かしさと同時にどこかに落としてきてしまった大事な何かを気付かせてくれる。
それが何かは分からないけど。
終始緊張感のカケラもない日常が延々と続くようなこのけだるい空気感は、あの頃の悶々とした毎日と、
今の自分達の状況そのものを表現しているのかもしれない。
結局みんな椎名君のことが大好きだったんだね。今でも。
あの時好きな気持ちをなんとなく伝えていれば、今だにこんなにも想いを募らせることはなかったのに。
思い出なんて自分に都合のいい妄想に変わっていくもの。
劇中歌の「茜色の夕日」
まさかあのタイミングでこの歌が聴けるなんて。軽い鳥肌が。
「あたし」が唄うこんなにも可愛くて切ない「茜色の夕日」を今まで聴いたことがないよ…
原チャリを飛ばしてグシャグシャの顔して泣きながら唄う新保君。もう最高に情けなくてカッコ悪くて。
観ててもらい泣きしそうになった。一体どこに向かって走ってんだよ新保君…
この二人の悔しい気持ちを振り絞った叫びの歌は
迂闊にも頼りない私の心の奥底に沈んでいた何かに響いてしまったのです。
「高校生のままだよね」
「私」が言ったこの言葉は椎名君のことではなく、何も変わってない今の自分達に対して嘆いた本音だろう。
憧れの東京と憧れの椎名君。
憧れの対象はとっくに自分を追い越して先に進んでいるんだよ。
退屈と思うのは何も変わらない自分のせい。
いつまでも引きずってちゃダメなんだ。
最後の場面
屋上から見える夕暮れの東京の景色がとても綺麗 。画面いっぱいに広がる憧れの東京。
そしてタイトルの後のあのオチ。最高。
どこにでもある街に生きるどこにでもいる若者たちの素敵な群像劇でした。
麦ちゃんをもっと出せ!
まるで故郷のようなウラ日本の風景。
田圃のなかをバイパスが通って、スカスカの大型駐車場を湛えた大型店のネオン。東京と同じフランチャイズ店だがなにかが違う。
歩くひとは見あたらず、車のなかで会話が進む。
ロケ地をアピールしていた富山としては心外かもしれないが、田舎はどこも変わらないなあ。
田舎のゆっくりとしたペースを醸し出していたせいか、エピソードが多い割に話の展開が遅くて「退屈」してしまいそう。それでいて回想シーンが行ったり来たりでやや混乱。
門脇麦のファンなので劇場に赴いたのだがはっきり言ってチョイ役。免許を取りに行ってもう一絡みあると思ったが、なにもなし。ポスターの一角を担っているほどの出演はない。誇大広告だ。
そしてフラれてやさぐれる、またもや不幸な役。だれか麦ちゃんに幸せを。
最後はみんな歌い出してミュージカルになったらどうしよう、とハラハラしました。
たくさんのひとが地方から東京にやってくるのだけれど、その時に起こる自分や周囲の葛藤というのはこの映画に典型されるように、本当に変わり栄えしないものなんだとつくづく感じた。そして友情も恋愛も最後に地元で過ごした高校時代を引きずっている。この映画のほかにも、最近の邦画で恋愛ものというと高校時代の青春映画がごっそり。
こんなおもちゃ箱のような東京で、同世代がたくさんいる中でも、地方での高校時代を超えるドラマや恋愛を描けないでいるのだな、と悲しくなった。日本はなんと貧しい国なんだろう。
廣木隆一に撮らせたらダメ。
一言では語れない映画ではあるが、先ず廣木隆一には原作が言いたいことをわかってない気がした。役者が吐き出すセリフが真実味がなく、ただ発しているだけで薄ら寒くなっていく。
つまり、1番大事な事を演出していないと思えた。全て雰囲気でやっちゃってる事に映画ってこんな残念なもんかと。
そして強引にみんなに同じ歌を歌わしたり、カメラワークに乗せて音楽を多用したり、全く演技を信じてないんじゃないか?退屈な瞬間を、無駄に音楽を多用するなとこのバカ監督に言ってやりたい、マジでウザい。
カメラワークや、音楽で強引に観客の感情を持っていくのは余りにも雑な発想であり、役者さんが演じる呼吸が全く聞こえてこない。PVにもなってない出来。
車から流れる音楽なんかが正にソレです、適当すぎる演出に吐き気が催しました。マジでバカか?と思い、一瞬怒りすら感じました。
廣木隆一よ、もう映画撮るな。もしくは引退しろ。
椎名、教官やってるってよ?
どこかにいきたい私と、行きたいと言いながらどこにも行かなかった私と、ずっとここに居たかった私、の話だと思いました。
そういう思春期や10代に苦しんだなら、少しは共感できるのかも。
あと、、、演出なのかもしれないけど、ところどころ微妙なカメラの手ブレが気持ち悪かったかな。
椎名くんちゃんと出てきて、ほんとよかった。
そもそもそんな奴いなかったのかもな
映画の作り自体はとても好きでした。
時系列や目線をバンバン変えていきながら、登場人物たちのぐちゃっとした心を描く感じ。だんだん全ての点が繋がって、またそれの中心には基本的に椎名くんがいる。ワクワクドキドキするような展開もないけれど、だからこそ普通で退屈で感情移入しやすかったです。
門脇麦ちゃんが茜色の夕日を歌うシーン、刺さりました。私も免許取りに行かなきゃな、と。
この物語で、過去に囚われていたみんなの何かが解決したわけでも、明るい方向に向かったわけではないけれど、必要な時間なんだな、と思いました。そしてそれらに反するように未来に希望を見出す妹。
でもちょっと長かったです。途中で飽きそうになりました、、
みんなのアイドル椎名くんはいなくなっちゃったんじゃなくて、元からいなかったのかもしれません
浮ついていても許されるのが東京
約10年くらい前、ラジオばかり聴いていた。勿論FMなどではなく、専らAMで喋り中心の番組だ。そんな中で数少ない曲掛けで、“フジファブリック”がよく流れていた。三十路後半だったから、もう音楽もあまり聴かなくなり、興味が無くなり掛けていたから流行りの十把一絡げの内の一つなんだろうなと、その時は気にも留めなかった。暫くして、そのボーカルである人物が亡くなったことがニュースになった。他人事だと思い、このグループは終わるんだろうなぁと気の毒に思った。しかし、フジファブリックは驚くことにメンバーを替え、再出発するというニュースがアナウンスされる。例えが悪いが、ミスターチルドレンで桜井和寿があのまま病気で歌えなくなったら、サザンの桑田佳祐がガンの進行を食い止められなかったら、多分、両方のグループは自然消滅して、それぞれのファンの心の中で音楽を奏でることになるだろうと思う。それ程バンドの中心が居なくなれば、そのバンドは寿命なのだ。しかし彼らはそのまま同じグループ名で活動を続け、引き続き今の音楽シーンを引っ張る牽引車の一つに成長している。カリスマ、神、天才と呼ばれた前任者の夭折において、フジファブリックに対するイメージの厚みが他のバンドにはないものとなっているのである。
長々と書いてしまったが、そのグループが劇伴及び主題歌を提供しているのが今作であり、初期メンバーの代表曲『茜色の夕日』を登場人物がリレー式にアカペラで謳うことで、作風に大きく影響されていることも特徴なのである。
勿論、小説が原作で未読なのだが、ネットで読書感想を追ってみると概ね映像は則しているらしく、制作陣のオリジナルは少ないようである。そしてプロットは、明らかに『桐島部活やめるってよ』のテイスト。スクールカーストの中でのリーダーを巡る周りの人物がどのような思いを抱いていたのか、10年後大人になったそれぞれが過去を振り返りながら、あの頃の気持と、現在のリアリティとのギャップ、その心のヒダを丁寧に拡げながらストーリー展開していく。『桐島』と圧倒的な相違点はそのリーダー自ら登場することで、よりリアリティをもたらし、かなりの現実感を演出していることである。それがもたらすものは、夢や希望といった正のベクトルの真逆、厳しく辛い社会の洗礼を、たとえ中心人物だったリーダーまでも浴びることを免れることなくきちんと描いたかなりのビターな作品としての仕上がりなのだ。
原作では短編型式になっているストーリーを群像劇として編集しており、ストーリー当初はその相関図が全く不明で理解しずらく、中々入り込めない。場面転換で年代がクレジットされるのだが、そもそも繋がりが分らないから戸惑ってしまう。ただ、後半になるにつれ、段々とその細かいストーリーが繋がりだしてくればストレスは解消していくことはそれでよい。問題は、今作の俳優陣の実力揃いの豪華さは、却って作品に過剰な画力を及ぼしているのではないだろうかという危惧である。色々な映画やテレビ作品で、キーマンとなるような高レベルの演技力を誇るしかも若い俳優をここまで贅沢に披露して、但し、ストーリーそのものはかなり内向きなネタなのだから、そのバランスの悪さが際立っているのがスクリーンに漏れてしまっているのだ。ま、端的に言うと、高校生役はあまりにも他のエキストラの中で浮いてしまっているのである。高校生にはまるで見えない配役は、シーンそのものが、まるでコントのように見えてくる。話のシリアスさとのギャップが悪いように出てしまっていてかなりの違和感である。
ストーリーそのものは、結局ラストの、元リーダー格だった男が、その男を憧れていた女の名前を覚えておらず、改めて名前を訊くというオチで、自分の今までの膨らませ過ぎた想い出補正を無残に割られてしまうということで、それはそれで着地点は面白い。
幾つかの支流である、リーダーの妹の話、同じクラスメートの、歳が離れているオヤジと付合っている女の子の話、そして、内田理央と岸井ゆきのの話は、大胆に削ってもよいのではと思ったのだが。岸井が最期に結婚していて、相手がそのリーダーだったというオチは、まるでビアンの匂いをさせておいての、実は高慢ちきな友達を泳がせていて、最期に逆転するという展開をミスリードの演出で語られているのは面白かったけど。それと、門脇麦の話はもっと掘っても良かったのではないだろうかと少々、残念である。あの話はもっとアイロニーが演出出来ると思うのだが・・・。
多分、今作は明確なターゲットの年齢層がいて、それ以外はあまり響かないのではないだろうかというのが総括である。
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