夜の浜辺でひとりのレビュー・感想・評価
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現実は虚構で回復する
ホン・サンス監督作品。
またしてもホン・サンス監督自身の私生活を反映しているだろう物語。
『クレアのカメラ』では、ショットを連続させることで意味の創造を行っているが、本作では現実/虚構の攪乱を意図しているように思える。
物語世界における現実でヨンヒが被った傷が、夢という虚構での出来事によって回復されるのが面白い。そしてこの現実と虚構を同じ強度で映すことができるのが映画ならではである。だから夢オチであることが明かされるまで、鑑賞者には現実/虚構の区別がし難いのである。
私たちの生きる世界を現実とするならば、映画で映し出せれる物語世界は虚構である。私たちは虚構によって勇気をもらったり、肯定されたり、新たな視座や考え方を得たりする。このように虚構から得たものを現実へ反映させる。そして逆に、〈私〉が考えたことや現実で起こったことをカメラに収める。また現実に生きる人々の制作によって虚構が創造される。
このような現実/虚構の区分しがたい相互作用と虚構のもつ力を描いているようにも思えるのである。
波打つ音に耳を澄ませ、幻想と現実の狭間をするりと抜ける歓び
幻想と現実の狭間をくぐり抜ける飄々とした幻想譚とでもいうべきか。奇才の持ち味を最良の形でアップデートさせた本作は、多くのファンにとって実に嬉しいプレゼントとなった。もはやホン・サンスにとって国境は何ら意味もなさない。いや、むしろそこで巻き起こるギャップこそが表現の糧とでもいうかのように、その一部始終が面白く、微笑ましく、かと思えば公園内で急に地面に膝をついてしまうようなシーンに意表をつかれ、胸を鷲掴みにされたりもする。
ところでホン・サンス作品に時々登場する得体の知れない人は何者だろうか。浜辺でヒロインを抱え上げ、事あるごとに時間を尋ね、バルコニーでは窓拭きに従事している顔の映らない人々。もしや、彼女を見守る天使?様々な予測が巡りながらも、謎を謎のままに、明確な答えを知りたくない自分がいる。そんなことを知らずとも、この何も起こらぬ映画を彩るすべての瞬間は、本当にユーモラスで愛おしいのだ。
よくこのテーマで撮ったな
2024年10月14日
映画 #夜の浜辺でひとり (2017年)鑑賞
既婚男性との不倫が暴かれ逃げるようにハンブルクにやって来た女優ヨンヒ
帰国し、昔なじみと再会して旧交を温め、女優への復帰も考え始めたところ
#キム・ミニ はベルリン映画祭で主演女優賞(銀熊賞)を受賞するなど名演でした
シューベルトのAdagioが、目の前をグレースケールにする。
見てるときのちょい🤮とEDロール中の物凄い鳥肌で、自分の感情を理解できない。
エゲツなく感動した訳でもないのに、心の透明な丸いガラスみたいな満たされ感が心地いい。
面白かったでも、つまらないでもない。ただ画が過ぎ去った。(褒めてないな)
タイトルに偽りはないがナニコレ
あまり女優感のないキムミニ
ハンブルグは喫煙ルールがゆるいのか
どんよりした天気、冬?
正直
女の先輩とただたわいもない話をずっとしてウロウロしている
ん?海に 向かってて消えたと思ったらなんか連れて去っていったよ
2
映画館?韓国カンヌン
映画監督と不倫?
煙草
今度は男の先輩とたわいない話始めた
飲み会
喫煙は外で
ホテルでまた飲み会
偶然会った映画のスタッフとまだ飲み会
ん?夢??
砂浜を去る
何なんコレ??
☆☆☆★★ 観ていて何だか、《好きか?嫌いか?》そんな単純な物差し...
☆☆☆★★
観ていて何だか、《好きか?嫌いか?》そんな単純な物差しで判断してはいけないのではないか?…と考えさせられた。
そう思わされた要因の多くは。主演女優の喜怒哀楽入り混じった演技の振り幅に、心底圧倒されてしまった事が大きいかも知れない。
反面では『それから』同様に、長廻しに固執し。カメラが必要以上に存在を主張するのは、どうしても気にはなるところ。
一体どこからが現実で、どこからが夢・または妄想なのか…が、はっきりとは分からない。
1と2で区切りがなされているのか…も分からない。何故、そこで区切りを付けているのか?…も分からない。
全ては観た観客に委ねている様に感じられる。
だからこの感想すらも怪しく、極めて捉えどころの難しい作品と言える。
だからと言って嫌いにもなれないところも、本当に捉えどころがない(。-_-。)
2018年6月27日 ヒューマントラストシネマ有楽町/シアター2
身体は遠く離れていても心は離れられないふたり
面白かったなぁ
これは、ホン・サンス監督がキム・ミニと別れない理由なのか、それとも言い訳なのか…と、いろいろ勘ぐりながら観た
監督との不倫が明らかになり、世間を騒がせた女優が韓国を出て海外へ
彼女のことを知る人がいない外国で、彼女はのびのびと暮らし始めるが…
映画監督と不倫中の女優が、ある日突然、監督の元を離れて海外へ行ってしまったら
という設定の中で、彼女の心の変化を追い続ける
彼女は、監督と離れる決心をしながらも
寂しさからは逃れられず、いつしか、消えてしまいと思うようになり、ただぼんやりと海を見つめる
たとえ物理的な距離は離れたとしても、心の片隅には、いつも監督がいて
砂浜にいても、いつのまにか監督の似顔絵を描いてしまうほどなのだ
そして人の噂で「監督はあれ以来、抜け殻のようだよ」と言われると、なんだかホッとする
そのうち、いつか偶然に再会して、また痴話喧嘩することを願うようになる
これはどう観ても、ホン・サンス監督と、キム・ミニが
「もしも別れたら」
という仮定の話を描いたものじゃないかと思ってしまう
そう思いながら観ていると
「私的な回想を描いた映画なんて退屈でしかない」
なんていうセリフが出てきて仰け反ってしまう
つまり、これはホン・サンス監督にとっては、とても私的な作品であり、
観客はそれを退屈に思うかもしれないけど、監督が撮りたいから撮ってるんだ
という、確信犯な作品である
そして
「もしも、二人が別れることになったら、お互いに抜け殻になるに違いない」
という、ホン・サンス監督の願望と想いが、もろに反映されているのである
しかし、それも波の音にかき消される程度の白昼夢でしかない
そもそも、愛なんてものは、ただの虚構でしかないと、監督は言いたいのだ
その割に、いつまで経っても煮え切らず、ハッキリしない監督に対し、周りの目も気にせず怒鳴りつけるキム・ミニを見ていると、きっと日頃の2人は、こんな感じなんだろうな…
と思えてくる
そして、イキイキと輝くキム・ミニを観て、これこそ、監督がキム・ミニを愛する理由であり、彼女から離れられない言い訳なんだと思った
監督は、彼女がいなければ抜け殻になってしまうし、煮え切らない監督を時には厳しく叱ってくれる彼女が必要なのだ
他人にとっては、そんなどうでもいいようなことも、彼らにとっては映画にして残しておきたい美しい思いなのだ
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