「なかなか難しい作品」来る R41さんの映画レビュー(感想・評価)
なかなか難しい作品
主人公が変わってしまう妙な作品。
基本的にはホラーだが、強いメッセージ性を主張している点はスティーブンキング監督のようだ。
途中まで主人公だった妻夫木くん演じるヒデキが死に、主人公は黒木さん演じるカナだったのかなと思わせておきながら彼女も死ぬというのは、物語においては禁じ手だ。
この作品のテーマは「親」 親という存在は子供にとっての最大の守り主であるということ。万が一の時には、命を懸けて子供を守る覚悟はありますか? という問いかけだ。
チサちゃんの両親が死んだことでこの「親」という存在意義の問いかけが薄れてしまっているのが残念な点だ。
ライターの野崎には元カノの妊娠と人工中絶という過去があるが、それは持たないことで失う恐怖から逃れたいという彼の考え方があるからだ。
一方マコトは、チサちゃんの心を見て、自分と同じ満たされない感覚を見つけたのだろう。絶対的な姉の言葉に抵抗するほどチサちゃんの中に過去の自分自身を見つけたのだ。
そして同時に野崎は、過去の清算と何が正しいのかを自分自身で考えて行動に移した。
野崎の最後の言動のどこに共感を持てるのか考えていたが、親として命を懸けて子供を守ることこそ彼がすべきことなのだと思った。
それは確かに「他人の子」だ。姉のセリフにもその言葉が登場し、子供を異形の世界に引き渡せと何度も言う。「この子のためにいったい何人が犠牲になった?」 この手の除霊の常套手段なのだろう。
この姉の言葉から野崎の言動までを活かすために大きな伏線が仕込んであった。
それはヒデキが姉から携帯で除霊対策の指示をもらっていると、電話からも姉の指示がきて、どっちを信じたらいいのかわからなくなったシーンだ。
そして柴田理恵さん演じる霊媒師が、野崎に対しこちらの世界では痛みを感じるから痛みを信じろと話したシーンだ。
巨悪な霊という得体の知れないものの対処方法などわからない。痛みとは何? 腹に刺さったナイフか? おそらく野崎は過去の清算の答えとは「どっちが後悔するか」という言葉に置き換えたのではないだろうか? チサちゃんを異形の世界へ引き渡せば何もかも済むが、そうすればまた同じ後悔をする。だから最後は自分自身の心を信じたのだろう。
そして百戦錬磨の姉コトコには、また別の手があったのだ。
しかし、彼女こそ何者だろうか。世の中には人間では対処しようのない異形世界との接点があるのかもしれない。警察も国も、おそらく天皇家さえも、設定上は彼女に頼っているのだろう。彼女が取り出したのは「八咫鏡」ではないか。すごい設定だ。
「どんな凶悪な霊であっても、神様と同じようにお迎えするのだ」
あの壮大なスケールの祭りごとを行う発想はすごいと思った。このような概念は日本以外は持たないだろう。
エクソシストの悪魔祓いとは概念が違いすぎる。そこがとても素晴らしい。
善と悪という概念は人間しか持たない。この真理を知っていれば、仮に悪魔がいてもその対処方法には歴然とした差があり、結果も全く違うだろう。
深読みして妄想枠を広げないとなかなか理解しにくく難しい作品だったが、面白かった。