「"保育とはなにか"という命題にも迫る戦争映画」あの日のオルガン Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
"保育とはなにか"という命題にも迫る戦争映画
第2次世界大戦の日本本土の状況を、女性庶民目線で描いた映画といえば、ロングランヒットを記録したアニメ「この世界の片隅に」(2016)が記憶に新しい。
この映画も、そんな弱者視点の戦争映画。「この世界の片隅に」に共感した人なら、間違いなく泣ける。
個人的には各国の戦争映画を観るにつけ、あえて敗戦国(日本)においてその責任の所在を、"さておく"わけにはいかない。日本人には、"悪いことは水に流す"文化がある。
"水に流す"のは美学でもあるのだが、日本製の戦争ドラマでは、"大変だった"、"悲惨だった"という被害者意識だけが強く、それが他国から反省が足りないと言われる、ゆえんだと思う(謝ったじゃないかと思うのは、日本人だけ)。
しかし、やはり戦争は、いちばん立場の弱い人にしわ寄せがくる。今なおナチスを断罪し続けるドイツ映画においても、紛れもなく国民もその被害者だった事実が描かれる。
本作は、ノンフィクション「あの日のオルガン 疎開保育園物語」(久保つぎこ)を原作とする、"疎開"の話である。
"疎開"といえば、ほぼ"学童疎開"の話である。日本アカデミー賞を受賞した「少年時代」(1990)など、映画やドラマでもよく描かれる。しかし"学童疎開"は、大都市の国民学校初等科(小学生)が対象である。
では、乳幼児などの未就学児はどうなっていたのか。本作は、東京・品川に実在した戸越保育所の保育士たちが幼児を預かり、太平洋戦争の空襲を避けて、自主的に南埼玉の無人寺に集団疎開を実行した史実を描いている。
戦争を認識できない幼児にがまんを強要はできない。泣き出す子供、お腹が減ったという子供、毎朝のようにオネショをしても、替えの寝具や衣服があるわけでもない。もちろん自主疎開なので、食料を差し出す地域住民も少ない。
それでも我が子ではない子供たちを守り、過酷な環境下で、"文化的な保育"を志そうとする保育士たち。
戸田恵梨香がリーダーとなる主人公の保育士長役を演じ、新米保育士役に大原櫻子。ほかの保育士役の女優陣も迫真の演技だ。
大原櫻子は、「カノジョは嘘を愛しすぎてる」(2013)で、天才歌手役として主演デビューした女優・ミュージシャンである。タイトルになっている"オルガン"を弾いて唄う天真爛漫な保育士役は、好キャスティング。
平松恵美子監督は、助監督として参加した山田洋次監督作品で共同脚本にも名を連ねてきた。
印象的なのは、東京大空襲で家族を失ってしまったことを、何も知らない幼児にどう伝えたらいいのか悩む、保育士のエピソード。
"子供たちを守り育てる"、"保育とはなにか"という命題にも迫る歴史的な記録を、見事に再現している。
(2019/3/3/ユナイテッドシネマ アクアシティお台場/シネスコ)