生きてるだけで、愛。のレビュー・感想・評価
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わかりあいたい、という叫び
最初は、気持ちや言動が理解できず、引いてしまうような時もあった。けれど、よかった。
過眠で朝が起きられなかったり、今日こそは彼に美味しい料理を、と思ったのに何もかも上手くいかず、結局なにもできなくて。程度の差はあれど、これらの気持ちはよくわかった。決して怠けているわけではなく、でも上手くいかない自分に苛立つ気持ちの辛さ。そして、わたしはわたしと別れられないということ。
わたしはいろんなことに折り合いをつけていて、つけすぎてしまっていて、本当の自分の気持ちがよくわからなくなっているな、と思っていたところだったので、彼女の痛すぎるほどのストレートさは少し羨ましくもあり。津奈木もきっと、そんなところに惹かれているんじゃないかな。でも、あの職場での食事のシーンは辛かったなぁ。打ち解けられた、この場所で、と思った矢先のズレ。そして、トイレの外から聞こえる声は彼女の幻聴かもしれないし、本当の声かもしれない。なかなかわかりあえないもどかしさ。自分のこともよくわからないし、他者と本当にわかりあうなんて奇跡のよう。でもその一瞬のために。痛々しくて、でも美しい映画でした。最後の舞うシーン、よかったなあ。
いい意味で疲れる映画
少しでも人生に疲れた人は共感できる作品なんじゃないかって思う。共感というよりは勝手に主人公と重ねて勝手に疲れて勝手に悲しくなったり嬉しくなったりできるそんな映画だと感じた。正直訳のわからない部分もあるが、それも含めてこの映画の醍醐味なんだろうなと。その理由はきっと雰囲気と劇中に使われる音楽がピッタリ当てはまっていたからだろうと思う。
最初は主人公だけが依存していたかのように見えたこの映画であるが、最終的にはどうしても自分の胸の中に置いておきたい菅田将暉演じる津奈木が静かに垣間見えたシーンにはドキドキしたり怖くなったりした。それに加えて一番津奈木の人間味に溢れていたシーンでもあったのだろうなと自分の中で興奮したのを覚えてる。
今まで見てきた映画の中で、一番身近で不器用な愛情に包まれた映画ととても感動した。
なんか凄い作品に出会ってしまった感じ。
予告編を観てから鑑賞意欲が湧いたのと、本谷有希子さんの作品は未鑑賞だったので興味もあって鑑賞しましたがなかなか観るまでが腰の重い作品w
感想はと言うと、なんか凄い作品。好みはハッキリと分かれると思いますが、個人的には凄い作品に出会った感じ。
無職・寝てばっかのメンヘラな彼女が同姓相手の彼氏に依存しているが、ある日彼氏の元カノが訪ねてきて、その元カノが彼女以上にメンヘラで、その彼女の復縁をするために嫌々ながらも社会復帰を試みると言うのがストーリーを簡単に説明するとそういう事なんだけど、そんな簡単な話では無い。
とにかく全編に漂う虚無感と言うか、人間の他人には見せてはいけない、面倒くさい部分が漂っていて、なかなか重い。だけど、人が多かれ少なかれ抱える部分でそこが切なくも共鳴出来ます。
一番そこがポイントで、ここに乗り切れないと多分途中から単に面倒くさいだけの映画になるかとw
でも、何処かで鑑賞中に腑に落ちると引き込まれて行く感じ。
趣里さん演じる寧子がかなり痛いが、途中から出で来る仲里依紗さん演じる安堂がもっと痛い。
毒には毒を制するみたいな感じで寧子が徐々に社会復帰していくのがギャグではあるが、自分が抱えるちょっとした引っ掛かる部分が他人には分からない事のジレンマに悩むが、周りの人が良い人なので余計に苦しむ。
単純に他人との価値観の違いとは言えない所が切ないです。
とにかく寧子役の趣里さんの演技が圧巻。彼女の漂わす雰囲気に翻弄されます。
凄く面倒くさいので同姓相手には御免被るんですが、元カノの安堂はもっと面倒くさいw
彼氏の津奈木役の菅田将暉さんが実は広い心で寧子を受け止めている様で実は一番痛いのではw
駄目な彼女が好きだったのに、頑張る彼女に居心地の悪さを感じてきて、ストレスを溜めていきます。
同じバイト先の先輩の莉奈がなかなかナイスですが、結局一度も顔を出さなかったお姉ちゃんが良いアクセントになってます。
ラストの全てをさらけ出した寧子がまさしく全裸でさらけ出すのは演劇的な感じですが、逆にストレートで良い。
“こんな面倒くさい女と何故付き合ってる?分かれる事も出来るのに?でも津奈木は良いなぁ。私と別れられて。私は私と別れられない。”と言う台詞はキリキリと心に突き刺さります。
自分自身で変えたいと思う気持ちがあっても、そんな嫌な部分も含めて自分自身で、そんな部分を否定も変える事も出来ないし逃げる事も出来ない。そんなに真正面から自分自身と向き合う事がないからそこまで考えた事はなくても、理想とする自分に向かっていくのではなく、自分の嫌な部分と向き合っていきながらも他人との不快感に悩む葛藤がいとおしい。
「ウォシュレットの怖さが何故他人には分からないのか?」なんて分かる訳がないのも分かっているのにそこに誰も引っ掛からない事に自問自答→爆発→暴走していくのも分かる様で分からないけど、切なくもいとおしくて、鬱陶しいw
劇作家の本谷有希子さんの他の作品もこんな感じか分かりませんがかなり演劇チックです。
言葉の選び方は内面の弱い部分を曝け出しながらもそこに嫌悪するけどそれもこれも自分。
正直大作では無いし、万人受けはしませんが、劇場で観るか、DVDでこっそりと一人で観る作品かとw
今年の最初に「勝手に震えてろ」を鑑賞しましたが、そんなに期待してなかっただけに同じくらいに当たりを引いた感じ。
こういうのがあるから、少しでも興味が沸けば映画館に足を運びたくなるんですよね。
腑に落ちるポイントはそれぞれで乗り切れない人もいるかと思いますが、個人的になんか凄い作品を観れた事に重い腰を上げて観て良かったなぁ♪と思えた作品です
1/5000秒のための109分の前奏曲
予告編を観た瞬間、この映画は絶対にスクリーンで観たいと思った。
映像の質感、宵闇に揺れる赤と青、気だるく溶け合う音楽、主演の二人の佇まい…
身体にじんわりと残る印象が強く、公開を心待ちにしていた。
結論を申し上げますと、思ったよりヘビーだったけれどもだからこそ、素晴らしい余韻を残す作品でした。
まず主演のおふたり。
まつげが長くて、まるで眠り姫のような寝顔の趣里さん。舞台や映像で沢山お見かけしてますが、今回本当にバチッとハマる役だったのではないかと。
真っ暗な部屋で妖艶な笑みを浮かべて踊るラストシーンや、夜の街の中を疾走する生命力に漲った一瞬の美しさ、彼女でなければ表せなかったと思う。
また、菅田将暉さんはもう売れっ子中の売れっ子だけど、会社の屋上で佇む姿、そこからカメラをふっと見つめるその瞬間がまさに「映画的」すぎて、もうこの人はスクリーンの中で生きるために生まれてきたような人だと思う。
そして、音楽の世武裕子さん。元々シンガーとして好きだけど、映画音楽家としても素晴らしい。今回はジャズ要素が強い印象だったけれど、スクリーンから音が滲み出し、映画館をひたひたと浸食して満たすよう。
さて、劇中の内容に関しては、兎にも角にも寧子の姿はかなり見ていてしんどい。
ただ、それだけリアリティを持ってちゃんと彼女の生き様を描いていて、私も所々思い当たる節があり、自分と重ねてとても心がキュッとなりながら見守っていた。
「生きているだけで疲れる」
「自分自身とは別れたくても一生別れられない」
という考え方は、私もずっと抱えてきて、いつも押し潰されそうになるから、彼女がギリギリのとこで踏ん張って生きてる感じは私そのものだし、
「同じようにエネルギー使って疲れて欲しい」っていう望みもすごく贅沢ではあるけれど、実際それくらいの人じゃないと寧子とは一緒に居られないんだろうなと想像した。
また、ウォシュレットの件。詳細は違えど、あれすごいわかると思った。
これは譲れないんだけど、とか、あっこれこの人とは絶対分かり合えないんだ、とか、圧倒的で絶望的な断絶って日常の中のほんとに些細な事柄や細やかな瞬間に見つけたりしませんか、私はすごく怖かった。
それから、うんとかごめんとか、ぼんやりした応答を繰り返す津奈木も、自分の理想とは違う仕事・社会の中で精神をすり減らし、寧子に対しておざなりな態度しか取れなくなっていくのもわかる。
彼は感情を抑え込み、一人で爆弾抱えるタイプなので一見寧子とは反対に見えるけれど、実は自分自身の感情に振り回されたり、現実と理想との距離感や自分自身の不甲斐なさに絶望したりしながら、かなりギリギリで生きてるし、結構2人は似た者同士なのではないかと。
ラストシーンで、なぜ三年も一緒に居られたのか?と寧子に聞かれた津奈木は、最初に会った時のことを話し出し、「意味がわからないけど美しいもの」をまた見られるのではないかと思った、というようなことを話す。
頭から血を流して疾走する女のスカートの青さや、落下するパソコンとガラスの破片。
何かが壊れゆく一瞬や危うさを孕んだ存在は、何故こんなにも刹那的で人を惹きつけるのだろう。
時に人は、理由や理屈もなく、どうしようもなく何かに駆り立てられたり、感情が溢れ出したりする。
その疎ましさも厄介さも、その素晴らしさも儚さも、きっとこの二人は嫌でも解ってしまうんだろう。そういう意味でやっぱり似てる。
エンドロールで流れる世武裕子さんの「1/5000」が本当に大好きで、先日発売されたアルバムを聴きこんでいる。
ただ、このタイトルの意味がわからなくて映画を観た後に検索して、この点に関しては劇中で全く触れられていないのだけが残念。
原作では、葛飾北斎の富嶽三十六景は、1/5000秒の瞬間を切り取ったという話に由来しているのだが、むしろ何故削ったのかがよくわからない。
それでも、最後に「お前のこと、本当はちゃんとわかりたかったよ」という津奈木の台詞で結ばれるのが本当に救いだと思う。
我々は一生かけても自分自身のことさえもわかりきることはできないけれど、それでも誰かをわかりたいと願う気持ちや、その果てに1/5000秒の邂逅があるかもしれない、という圧倒的な希望だけで、それが暗く長い人生を照らし出し、それだけで生きていけるかもしれない、と思わずにはいられないのだ。
まるで、仄かに浮かんでは混ざり合い、また闇に消えていく赤と青のネオンのように。
見てるだけで痛い
痛いし重いし疲れるしなのにいい映画。
精神的に壊れた人ってのが分からないとただのヤバい女達、優柔不断な男としかならないので賛否は別れると思います。
最後ラストパートのセリフ「よく分からないんだけど一瞬、綺麗って思ったから」
これ色んな事に言える事だと思って、小説とか読んでても内容訳わかんない、でも心に刺さるほんの1頁の1文があれば良い小説だなって思っちゃう。
恋人じゃない友達でもこいつ〜だな...って面倒臭い事の方が多いしなんで一緒にいんのかもわかんない人とかいて、でも一日の数時間楽しかった事があったらなんだかんだ楽しい一日だった。ってなる(個人的に)
そういうわずかな一瞬のために疲れる事してる人多いと思います。一日の数時間にこの映画を見れて良かったです。
最大級の敬意に値すると思います
『いいな、ツナキはあたしと別れられて。あたしはあたしとは別れられないから』
『あたしはすぐに自分のことを見つけられてしまう』
正確ではないかもしれませんが、この二つの言葉だけで充分に文学作品だと思いました。原作を読んでないので、同じセリフがあるのかどうか分かりませんが、正にウオシュレットの水で脳天をかち割られた気分です。
この映画を思い出す時、勿論青いスカートや屋上のシーンは忘れないと思いますが、長い時間が経ったとき、頭の中に真っ先に浮かぶのはこの言葉で、あの屋上の洗濯ロープを背景に活字が浮かんでくるような気がします。
私は、躁鬱のことや過眠症のことは医学的なことも心理学的なことについても全くの素人なので、何も語る資格がありません。なので、もしそのようなことで苦しんでいる方々に接することがあったとしても、あのカフェの人達のように振る舞うこと以外に選択肢はないと思うし、あの振る舞い方以上に適切だと思える対応があるのでしょうか。
答えがないことが答え、という困難な映画、そして上質な文学作品にまで昇華させた監督やスタッフ、俳優、関係者すべての方に敬意を表します。
それにしても寧子さんは、トム・クルーズよりも走ってましたね。
青と赤の一瞬の美しさに心を掴まれた。
重くて暗い内容かと想像していましたが、そんなことはなかった。
私は男なので津奈木目線でずっと寧子を観てました。
恋愛ってこんなだったよな…なんて自分の苦い過去を思い出したりして。
たまたま自分が好きになった彼女が躁鬱で過眠症で家庭の事情が複雑だっただけであって。
男なら好きになったからには寄り添ってあげたい、力になりたいという感情が少なくとも湧く。
でもどうしてこんな彼女を好きになったのか。
津奈木の目に彼女が美しく見えた瞬間が2度あった。
初めて出会った夜の街を突然走り抜ける寧子を追いかけている時に見た彼女の軽やかに舞う青いスカートと、
ブレーカーが落ちた暗い部屋の窓から入り込んだネオンの灯りに照らされて赤く浮かんだ寧子の表情。
津奈木は前半、突然走り出した寧子を追いかけている時に楽しそうな表情を見せた。
後半、赤く浮かんだ寧子の表情を見て突然彼女を抱きしめた。
津奈木と寧子が出会った夜、会話を交わすうちに津奈木の心に寧子は土足で入り込んできて
津奈木の心に爪痕を残してそして走り出して行った。この時、津奈木はすでに寧子に心を奪われている。
そう。私も寧子に心を奪われてしまいました。
解き放たれたように夜の街をこの上もない笑顔で駆け抜ける寧子の姿に。
まるで美しいものを初めて目にした時のように一瞬で心がときめいてしまった。
「その一瞬のために生きている」 まさにそうだ。
お互い自分の事で精一杯な時は、気持ちや感情のすれ違いなんてよくあること。
津奈木は寧子の一瞬の美しさに心を掴まれたのだ。
寧子が彼の前で踊って見せたのは自分に対する津奈木の思いもよらなかった言葉を聞くことができた幸福感と、失敗はしたけれど一歩前に踏み出すことが出来た自分への喜びの素直な気持ちの現れなのかもしれない。
最後は二人の再スタートを予期させるいい終わり方だった。
そういえば屋上での会話。
「バイト始めたら、全裸になっちゃった」って…
思わず笑ってしまった…可愛すぎるよ寧子ちゃん。
もう完全に鬱は治ってるよ。自信持って!
明日バイト先に一緒に謝りに行こう! なんて。
理解
俺はこんな映画大嫌いだ。
ちっとも面白くない。
重い、辛い、笑えない、苦しいっ!
でも寧子みたいな人は一定数いると思う。
俺の近くにもいる。
劇中の彼女と同じような事をその子は言ってた…なので少しくらいは寄り添える。
趣里さんは熱演だった。
菅田氏は…やはり曲者だった。
最後のたった一言で、傍若無人な台風のような主人公を全肯定してみせ、今までの彼の行動にさえ筋を通した。
…流石、なのである。
この作品は参考書のようなものだった。
得体の知れない病の概要。
もちろんこれが全てではない。
一例なのであろう。
でも、得体の知れない何かの何割かは理解出来る。その経験が、この病に対面した時に少なからず効力を示すのではないかと思える。
そう思えただけで、この作品に出会った意味はあると思う。
未見の人は覚悟した方がいい。
決して楽しくない。
ほのぼのもキュンとも感動すらしない。
ムカつくし、イライラするし、ぶん殴りたくなるし、暴言を吐きながら観る事になると思う。
殴りたい、罵りたい、髪の毛を掴んでテーブルにガンガン頭をぶつけてやりたい。
そんな感情と向き合う事になる。映画が始まって終わるまでは。
でも、本人にはそれらが一生続く可能性がある。そおいう疑似体験なのだ、コレは。
ヤンデレ映画
菅田将暉が病んでる女二人に付きまとわれる話。
こういう女性が好きな男性も実際存在するし、またそういう人はそれを受け入れてくれる相手を、本能的に見つけるもんだと思った。
主人公は他人に見透かされてると訴えるが、本音は馬鹿にされてると被害妄想になっている。自分は他者を見下してる癖に、自分は他者から馬鹿にされたくないと、都合のいい御託を並べてるだけ。
自分は口が悪い癖に、自分が言った事を理解されないと、キレたりパニックになるって、
なかなかの女王様ぶり。これはソフトSMプレイだと思って見れば、違った楽しみ方ができたかも(笑)
趣里と仲里依紗の病んでる同士の会話が容赦が無くて、そこは楽しめた。
中盤主人公は本当にヤバい域の人なんだとわかって、入院しろよ!と思ったが、国民健康保険を持ってないと言ったセリフがあったので、入院やカウンセリングを受けたくても受けられない状態なんだと、そこで現代の日本が抱える大きな問題を見た気はした。しかも家族も病気を知りながら、放ったらかしだし。
生きてるだけでしんどいのは、生まれたての赤ん坊も同じ。別に言ってる事は目新しくもないし、今更シンパシー感じる部分も無かった。
原作者が嫌いだからやっぱり思ってた通りの、自分が好きで好きで好き過ぎて、こじらせちゃってる感満載の作品でしたね。
後半主人公が思いの丈をぶつけるシーンで、後ろの席で見てたおばさんがずっとすすり泣いてたけど、女性はこういう所で身につまされるのかもしれませんね。かまってちゃんだから(笑)
菅田将暉は最近なんか疲れて、やっつけ感がすごい。忙しすぎるのかな?
田中哲司の小商い感も、もったいない気がした。もっとがっつりとした作品で見たいです。
仲里依紗も嫌味な役を、手抜き無く演じてる感じが素敵でした。
趣里ちゃんは素晴らしいものを持ってる女優さんだと思うのに、今回のはいとうあさこが蒼井優のモノマネやってるみたいな感じで、ちょっと残念でした。次回作に期待ですね。
ウォシュレット弁償しろよ(笑)
石橋静河が相変わらず素敵だったので、星は増えました。
生きてるだけで、疲れる。わかる。
寧子がバイト先のトイレで津奈木に電話するシーン。もう愛想つかされてるし突き放すだろうと思っていたので、「今どこ」の台詞には表意をつかれたし、なんだかんだ気にしてくれたんだなぁ、と羨ましく感じた。愛というかピュアというか。二人の生活に性的なものは感じられなかったので、純粋に人として惹かれあっていたんだろうね。それもまた羨ましい。あと同棲3年って長いよ。なのにお互い知らないことだらけ。
そして、悪役がどこにもいない。誰にも共感できる。自分の殻に引篭もっていたい、生活のために自分を捨てる、駄目元でも好きな人を振り向かせたい。自分とこの週刊誌を守るために津奈木を罵倒した編集長にも。もしかしたら、みんな騙し騙し、少しずつ自分に嘘ついて生きてるのかもしれない。でも本心をちょっとでもわかってくれる瞬間がうれしいから生きていける、っていう寧子の気持ちわかる。
津奈木は仕事バリバリこなす安堂に、感情を思いのままにぶつける寧子に惹かれ、次はどんな相手に恋をするのだろう。寧子はどうか世間とのズレを楽しく思えるように強く生きてほしい。安堂は誕生日前に、踏ん切りがついてよかった。カフェバーはスタッフが定着するよう願う。
監督は長編映画が初とのこと。重いテーマですが中だるみせず、疾走感もあるため見ていて疲れません。登場人物をあまり深堀しない、悪くいえば表面的な、その人たちの生活を盗み見しているような撮り方が雰囲気に合っていていました。説教臭くも押し付けがましくもない。この人たちはこう生きてます、っていう感じがよかった。エンディングテーマがこれまた切なくて、劇場出た後もしばらく余韻を残してくれる。
久々に人に紹介したくなる映画と出会えてよかった。
生々しくも劇場的
三年間共に過ごしても一瞬しか分かり合えなかった二人のことを、たかだか109分の上映時間に切り取って観ただけで理解しようとする方がおこがましいのかも。
とはいえ色々な方向への共感度はわりと高めで、苦しくなったり不安になったりホッとしてみたり。
登場人物の感情の流れがリンクして体感できる作品だった。
拗らせとかいうレベルではない、本当に躁鬱症で人と異なる点のたくさんある寧子。
全てが上手くいかず苛立ち泣き叫びわめく姿が痛々しくて、自分にも思い当たる節があったりして、グッと苦しくなる。
日常感の強い一つ一つの仕草に目を奪われ引き込まれた。
これからの季節、電子レンジとハロゲンヒーターとドライヤー同時に付けると絶対ブレーカー落ちるよなあ。わかる。
コンビニの面接では完全に寝過ごすのにカフェのバイト初日では比較的ちゃんと起きるの好き。
安堂の存在と店主たちと話したことで、きっと自分の中での意識に差が生まれたんだろうな。(しかし遅刻はする)
全ての感情を津奈木にぶつけて具体的な答えはわからないくせに同じだけの熱量を求める完全に面倒くさい寧子と、
そんな寧子をのらりくらりとやり過ごし優しく接して一見彼女を理解しているようにも見える津奈木。
上手くいってるんだかいってないんだか絶妙な二人が一つ行きついたラストの形は、意外にあっさりしているように思えた。
特に何かが解決したわけでもなく停電の中ただ裸で踊って、それで何なんだと。でもそれで良いんだと思う。
津奈木が寧子と一緒にいる理由がやけに詩的でふんわりしてるけど、なんだかんだ好きなんだろうな。寧子もしかり。
ただなんとなく惹かれ合ってそのままなんとなくくっついていて、それが心地良ければ良い。
今後はお互い歩み寄りつつもう少しでも確かなものを感じられるようになるのかな。
ようやくスタートラインに立てたような二人の最後の眼差しがとても綺麗。
感情の見えずらい津奈木が職場で反抗してキレたり、寧子に対してきちんと言葉を紡いでくれたのが嬉しかった。「今どこ」の聞き方が好き。
それにしても寧子はいきなり働き出すのは厳しいと思うからまずはカウンセリングを受けたり人と会話したり小さなことから前に進めればいいのかなーなんてお節介ながら思ってしまう。
「私は私と別れられない」んだから、少しずつで良いんだから。
カフェの人たちは良くも悪くもわざとらしいくらい優しくて良い人で、少し鈍感。
四人で食卓を囲むシーンで、これはうまくいきそうだなと劇中の人物も観客も誰もが思った直後の気まずい空気とトイレの外から漏れ聞こえる会話の内容は少々ショッキング。
逆にビシビシ厳しいことを寧子に投げる安堂の浮いたキャラクターが好き。
一人だけあからさまにフィクションにありがちな雰囲気があって、その言動も現実味が無く何がしたいのかわからない。
完全にストーカだし正直まじで重症である。それが良いアクセントになっていたように感じた。
裸は出てくるけど性的な接触の描写が全然無かったのが印象的。
最後までキスもしない。
リアルな空気の流れる中で、どこか劇場的で生々しさを抑えた絶妙なバランスの演出が面白かった。
ライティングの美しさが象徴的。
自分がかなりネチネチした性格の女なので身に沁みる点も多かったのだけど、男性はこれを観てどう思うのかとても気になる。
人と接するときに自分と相手のテンションや熱量に差があると寂しく感じるのは誰でもあることだとは思うんだけども。
心が痛い
寧子の心の痛みがなんかわかる気がした。
私も寧子に近いカンジだから
寧子と違うのは、津奈木みたいな彼氏がいないから働いて自分で生きていかなきゃダメだってことかな。
私も職場に馴染めず浮いてる気がするから・・・
だから寧子の「生きてるだけで疲れる」っ
ていうのすごくわかる。
寧子が津奈木に言った「津奈木はいいよね。私と別れられるから
私は私と別れられるから」って言ったの聞いて心が締めつけられた。
ホントそうだ
自分とは一生別れられないんだ
なんかすごく共感出来る映画でした。
私と別れたかったら別れたっていいよ。だけど私は、私と別れたくたって別れられないんだよね。
はっきり言うと、趣里は苦手な役者だ。嫌いとは違う。上手いとは思う。だけど、あの雰囲気が苦手なのだ。自分にとっては例えば大竹しのぶがまさにそうで、とにかく画面に出ているだけで、ぞわぞわしてくる。言葉にすれば「妖気を感じる」と言えばそれに近い。
菅田将暉にはいつも狂気を感じる。こいつ、いつ急に豹変するのだろうと、目が離せない。それは趣里への感情とは違って、期待しかない。細かいことをいうと、あのツンとした鼻が好きだ。あの鼻をした人間からは冷徹さと知性があるように思えて、その素性がいつも菅田の演じる役に投影されているように感じてしまう。
そしてこの映画は、まさに僕の感じた二人そのものだった。いや、それ以上かもしれない。冒頭のジャズセッションのような音楽からぐいぐいと引きずり回された。常識人のような田中哲司や西田の存在が時折、何気ない日常に戻してくれるが、すぐにまた趣里の妖気が僕の気持ちをかき乱す。「生きているだけで、ほんと、疲れるよ」の台詞、当人はさぞ苦しかろう、と思うと切なくなった。もう、細かい部分なんてもうどうでもよくなった。壊れそうだった二人の関係が、とろけ合うような「ほんの一瞬だけ分かり合えた時」を共有したがために、これから先の人生、ずっと関わるざるを得ない将来が見えた。それを見せてくれた二人の役者の演技に最高にしびれた。
菅田将暉はとうにそう思っていたけれど、趣里、末恐ろしいわ。
精神病を理解しているのかな?
一般的な精神病のイメージを作風にしてるのかな?
知識も無く、一般的なイメージなストーリーにしてるねか。軽く、不快なストーリーだった。
趣里さんのヌードが話題なのか、希望的な部分が見出せず。
菅田さんと趣里さんが演じていなければ、酷い映画と感じました。
2人の名演技に拍手!!異質なラブストーリー
菅田将暉のファンで 映画が公開されると知り
2人のラブストーリーでポスターを観る限りでは悲恋物なのかなと
思い映画館に足を運んだのですが・・・
寧子(趣里)と言う女は うつで人との接触を避け
朝は起きられずほとんど布団の中で暮らしていて
仕事もしていない いや出来ない
彼女はある時知り合った津奈木(菅田将暉)の家に
居候している
うつ ひきこもりの話は聞くが 何故そうなってしまうのだろうか
自分でもなんとかしたい でもできない 自分が嫌い
心の葛藤を 趣里が心打たれる演技をしている
しかし 引きこもりの彼女の前に津奈木の元カノが現れ
仕事をしなければならない 立場に追いやられる
職場のマスターや奥さんはやさしく 彼女の気持ちをくみ
遅刻したり 仕事でミスをしても 温かく見守ってくれる
心の病にはこういう 人のサポートはとても大切だろうなと
考えさせられる
津奈木は社会にあきらめて 仕事に追われ いつも疲れた生活を
送っている それを演じる菅田将暉も良かった
クライマックスで2人が心を開いてぶつかり合うシーンは
観ていてとっても良かった
裸体をさらけだして演じた趣里さんに女優魂を観て
これにも とっても感動しました!!
これからも2人の役者生命に目がはなせません!!
僕には無理
こんな彼女は僕には絶対に無理。多分、こっそり逃げるでしょう。😉 彼女は守られる状況には反発し、辛い環境に身を置いて、それを言い訳にする。何だかなあ。趣里ちゃんは大胆で、女優魂の感じる作品でした。
序盤はどうなるのかと思ったけれども。
ラストの抱き合う寧子と津奈木の表情を写した画の美しさ、これだけでこの作品を観た価値があったなぁ、と。
このシーンだけでもまた観たいと思うくらいに。
女の心となんちゃらというように、女性の感情は繊細で移り変わりやすいもの。そこに躁鬱という心の病気を患っている寧子。
その寧子を気遣いながら、漠然と日々を生きている津奈木。
二人とも"相手を想う気持ち"があって、日々振舞っている(形はどうあれ)けど、男女の相手を想う気持ちのベクトルにズレがある。男女間の"リアル"が上手く表現されていたと思います。
そして、最後の"もっと知りたかったよ…(うろ覚え)"のひとことにグッときてしまいました。序盤の展開に若干のイライラがあったというのに。
家に帰って暗い部屋でしっとりと観たあとの余韻に浸りたい、そんな不思議な世界観を持っています。
邦画好きなら、観て欲しいなぁと思う作品です。
ラストカット後に企業名が出てきそうだった
どうしても拭えないこの広告感…
多分激賞レビューはドーピング投稿だと思います。観に行った回はお客さんは3人しかいなくて、1人途中でつまらなくなって帰ってました。
この監督、表層的な部分(主人公が鬱で、その彼氏がどうしようもなく社会と折り合いをつけれない不器用)などを巧みに映像で語るのだけれど、どうも真実味に欠ける。
なぜかと言うと、主人公が鬱病の症状が重すぎて、目覚ましが5個くらいかけても起きられずに、慌ててバイト行ってる設定なのに、ムッチャクチャお洒落な洋服の重ね着をバランスよく着こなしてバイト行ったり…
何故か全員良い人がバイト先に都合よく存在している。
ナンジャコリャ感。
彼氏の仕事先には典型的な悪者上司が、2018年の今でそんなこと言う?CMじゃないんだから、もうちょい演出しないと、観てられない。で、ご都合よく美人の同僚が寄って来て良い人が励ます演出…何これ?
結局、仕事辞めて社会と折り合いとかつけずに自分と向き合おう!て言う話なら。この語り口やめて欲しかった。
どうしても、ブランド品のCMを2時間長々と見せつけられてる不快感が否めなかった。本当にやめてほしい。
愛しているなら福祉を利用しろ
さほど面白くなかったですが、とりたててつまらない映画ではなかったです。
本作は演出に雑さが目立つように感じられました。ヤスコとツナキにもっと焦点を当てることができたと思いますが、アンドウさんのようなアバウトなお笑いキャラが入ってくることで揺らぎが生まれてしまう。
個人的には、ヤスコがバイトするカフェのリアリティに疑問符が。結構繁盛していますが、あんなボランティアみたいなカフェってあるの?夜はお酒出す店みたいだし、ヤスコみたいな社会参加が難しいレベルの人が出来る仕事ではないと感じました。
なので、途中から「このカフェはひきこもり当事者等の人たち向けの就労移行支援をしているNPOか何かである」と言い聞かせてました。実際、先輩の女の子も元ひきこもりだったみたいですし。しかし、嫁さんがデリカシーゼロ発言したりするので、それはそれでリアリティに問題がありそう。
個人的には細かい部分が気になるとあまり映画に集中できないタチなので、そこまでハマれなかったのだと思います。
一方、ヤスコの苦しさはかなり伝わりました。一般的な生きづらさと言うよりも、精神疾患の辛さといったほうがしっくりくるような気がします。あれだけ生活リズムも衝動もコントロールできないとキツいですよ。些細な不安に囚われて動けなくなるとか、かなり重い疾患だと思いました。ホント、バイトとか早すぎですよ。
保険に加入してないので医療にはつながっていない様子。余計なお世話ですが心配です。保健所等、公的な福祉施設を利用してほしいです。ケースワーカーさんが間に入るだけでも、随分と生きやすくなると思います。ツナキもただ支えるだけでなく、メンタル病んだパートナーのためにもっと勉強すべきです。
物語は好きです。特にクライマックスは、ツナキがなぜ彼女を支えているのかが判明し、納得できました。ヤスコの逃れられない苦しみの吐露も胸に迫りましたし、なかなかのシーンだと思います。
が…そんなクライマックスにも明らかな無駄演出が!アイツがいる意味わかんないし、本当にやめてほしいです。クライマックスに至る脱ぎ捨て描写とか、『エンドレス・ポエトリー』のそれとは違い、劇的にするだけの装飾演出に思えてしまう。丁寧さが感じられず、どうしても本作への抵抗感は拭えませんでした。
キャストについては、なにより贔屓の石橋静河が出演していて嬉しかったです。知らなかったので、彼女が出てきたときはびっくりして、お得な気分を味わえました。やっぱり石橋静河は声がいいな〜。声がいい女性は魅力ありますね。
あんまりよくわからなかった…
ヒステリックな女の人をずっと眺めてる映画だった。あんまり入り込めなくて、退屈しちゃった。セリフとか演技とかが気になっちゃって。
直接的な描写じゃなくて女優さんの顔を見て気持ちを汲み取る感じで、彼女の気持ちがぜんぜんわからなくて、どういうこと??ってなってしまった。
最後の、気持ちをぶつけるシーンはじーんときたけど、映画に入り込めてなかったから大きく感動はできなかった。
でもなんかそういう、相手に自分の気持ち伝えきれない、表現できない、自分でもどうしたらいいのかわかんない、みたいな、切羽詰まった感じはリアルだったし、ほんのちょっとお互いのこと分かり合えるだけでずっとこの先一緒にいれる、っていう気持ちは複雑だけどすごいリアルだった。
「鬱って結局寂しいだけでしょー?」っていう感じのセリフはマジで言ってんのか…って思った。鬱に関する情報が溢れてる今の世の中でまだそんな事言う人いるかな…って。でもよくよく考えたら親切心なんだろうけどかえって相手を傷つけてる事ってあるなって思った。
現実味ない感じが終始あったけど、私がまだ子供でそういう世界を知らないから感じたのかもしれないから、時間を開けてまた見たい映画かも。
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