「活劇も笑いも涙も活弁の語りも愉しめる極上の一篇」カツベン! りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
活劇も笑いも涙も活弁の語りも愉しめる極上の一篇
映画黎明期の大正時代。
活動弁士になることが夢の少年・俊太郎、憧れの弁士は山岡秋聲(永瀬正敏)。
月日は流れ、青年になった俊太郎(成田凌)は活動弁士になったものの、それは窃盗団のお先棒担ぎ。
いわば騙りの弁士で、弁士だけにカタるが商売・・・
といっているうちに、警察に目を付けられ、逃げる途中で一味の金を持ち逃げする羽目になった俊太郎。
逃げ込んだ先は、傾きかけた劇場(コヤ)・・・
といったところからはじまる物語で、喜劇らしい喜劇、活弁も活劇も笑いも涙もみんな詰まった映画。
こういう映画は近頃珍しい、さすがは周防監督!
と思ったが、この企画、周防監督自身の企画ではなく、永年助監督を務めていた片島章三が書いた脚本が先にあったとのこと。
周防監督自身は、「昔は、サイレント映画は、サイレントで観るものと思っていたのですが・・・ 日本には真のサイレント映画はなかった、なぜなら、活動弁士がいたから、という稲垣浩監督の言葉で、なるほどと腑に落ちた」と言っています。
で、これまでの周防監督作品だったら、未熟な活動弁士が一流の活動弁士になる・・・というようなストレートな映画になっていたかもしれないのですが、世は既に活動弁士の役割にも陽が翳りつつある頃。
弁士たちは気づいていないけれども、映画の文法・モンタージュも醸成され、「観ていればわかる」映画が出始めて来た頃(それに気づき、スタイルを変え、人気が凋落するのが山岡秋聲なのですが)。
なので、一流弁士となったとしても、それだけでめでたしめでたしとはならない・・・・
ということで、活劇も笑いも涙も活動弁士の語りの芸も愉しめる作品と相成った。
あとは観てのおたのしみ。
お楽しみはこれからだ、ということで、劇場でごらんください。