「足元の脆さに気がつく」輝ける人生 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
足元の脆さに気がつく
主演のイメルダ・スタウントンは「ハリー・ポッター」シリーズで演じた意地悪なおばさん役人の印象が強烈だったが、本作品では世間知らずの若いときに金持ちに嫁ぎ、他の世界のことは何も知らないまま歳を取ってしまった哀れな老女を生き生きと演じている。
権威と権力はいつ覆されるとも知れない儚いものだが、そうとも知らずに権威と権力に支えられ、そのパラダイムを信じて疑うことがなかった、主人公サンドラの人生。
夫の浮気をきっかけに、権威や権力と無縁の、時として権力と闘ってきた姉の生活に触れることで、これまで拠り所としてきた権威や権力、そしてパラダイムの脆さに気がつく。楽しいことを見つけたというよりも、これまでの生活の基盤に真実がひとつもなかったことに気づいたということの方が大きい。
イギリス出身の詩人W.H.オーデンの詩「Leap before you look」(邦題「見る前に跳べ」)に次の一節がある。
Much can be said for social savoir-faire,
But to rejoice when no one else is there
Is even harder than it is to weap;
No one is watching, but you have to leap.
気の利いた社交界の振舞もまんざら悪くはない、
だがひと気のないところで悦ぶことは
泣くよりももっと、もっと、むつかしい。
たれも見ている人はない、でもあなたは跳ばなくてはなりません。
(深瀬基寛訳)
姉が妹に跳びなさいと言ったとき、jumpでなくleapを使ったことが非常に印象的だ。leapは精神的な跳躍を意味する。これまでの脆弱な虚構の生活を捨て去って、真実に生きる。それには勇気が必要だ。ましてや歳を取った女性がその勇気を出すのは生活費のことやら何やらを考えれば大変なことである。それでも跳べと姉は言う。この命がけの言葉をサンドラはどのように受け止めたのか、それがこの作品の肝であった。