「STICよりも困難な最後の問い」バッド・ジーニアス 危険な天才たち カミツレさんの映画レビュー(感想・評価)
STICよりも困難な最後の問い
【SECTION 1】
本作の特徴:ケイパー・ムービー×ケレン味演出
本作はカンニングを題材にしたクライム・サスペンスであり、試験の解答を“盗み出す”という意味では、いわゆる“ケイパー(強盗・強奪)もの”とも言えます。カンニングを題材にした映画としても、ここまでシリアスなトーンの作品はこれまでなかったのではないでしょうか。
本作を特徴づけるものとして、ケレン味にあふれた演出があります。スローモーションやカメラの素早い切り替えとアップの多用、そしてこちら側に迫って来るような音の演出、これらを効果的に用いることで、カンニング場面の緊張感をどんどん高めていっているのです。
とは言え、序盤は実際に行われていることに比べると演出が過剰に見えて、ある種コミカルですらあります。リンが友達のグレースに、解答を書き込んだ消しゴムを靴に入れてわたす──という、ただそれだけのことが『ミッション・インポッシブル』のようなテンションで描かれるので、ちょっと笑ってしまいます。
序盤はリンと同級生たちとの関係もユーモアたっぷりに描かれています。特にグレースの彼氏であるパットの、過剰な“金持ち演出”には笑いました。パットは後の“スティーブ・ジョブズのパロディ”でも大いに笑わせてくれます。
しかし、しだいにカンニングの規模が大きくなっていき、クライマックスの大学統一入試“STIC”に至ると、これが全く大袈裟ではなくなります。失敗すれば全てを失うかもしれない正真正銘の“人生を懸けた”大勝負に発展するのです。
※これ以降、物語終盤や結末部分の内容にふれています。重要なネタバレを含みますので、ご注意ください。
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【SECTION 2】
本作のクライマックス:“STIC”でのカンニング計画
序盤から中盤にかけて、「リンたちが取り調べを受けている」と思しきカットが何度か挿入されます。実はこれがフェイクで、“STIC”に向けた打ち合わせの一つであることが途中で分かりますが、この演出は単なるミスリード以上の効果をもたらします。つまり、「ここから先、“STIC”でのカンニング計画がどんな結末を迎えるかは全く分からない」という事実を観客に突きつけるのです。
“STIC”でのカンニング計画は、本作のクライマックスにあたります。ここでは、計画の立案、準備、実行の全ての過程を、たっぷりと尺を取って丁寧に描いていきます。その中で、あっと驚くようなアイデアが出てきたり、仲間内での裏切りがあったり、次々に思いがけないハプニングが生じたりする様は、まさに“ケイパー・ムービー”といった趣きです。
そして、約30分間におよぶ試験本番の場面は、最高にスリル満点で、思わず手に汗握り、息を呑みます。予想を覆す数々の展開と上記のケレン味演出が相まって、「もう勘弁してくれ……」という気持ちになること請け合いです。(誉めてます!)
途中、想定の倍以上の量の解答を暗記しなくてはならなくなったリンが、序盤に出てきた“ピアノの指運び”を活用して窮地を脱する件りは、脚本的に見事と言う他なく、この場面で「リンが机ごと前方に滑るように移動していき、そこに実家のピアノが現れる」演出には鳥肌が立ちました。
【SECTION 3】
リンにとっての最後の難問「過去に犯した過ちとどう向き合うか?」
しかし本作には常に“ある疑問”が付きまといます。……そう、「そもそもカンニングって正しい行為じゃないよね?」という疑問が。
学校内でのカンニングが発覚し、校長に問い詰められたリンは、「学校で稼いでいるのは私だけじゃないわ」と、学校の賄賂問題について指摘しますが、これはリンが自身の行為を正当化するための言い訳にすぎません。リンもそれが分かっているから、学費全額免除の取り消しと、留学試験の辞退という重い処置を甘んじて受け入れるしかありませんでした。
本作では、リンたちがカンニングをすることに“正当な理由”(教師が悪の親玉のように描かれるなど)を与え、カンニングという行為にある種の“ロマン”を見出すような描き方はしていません。あくまでカンニングは間違った行為として描かれています。
だから、「リンたちが“STIC”でのカンニング計画を無事に完遂し、同級生は試験に受かってハッピー! リンとバンクは多額の報酬を手にしてハッピー!」なんていう安易なハッピーエンドには絶対にならないだろうと予想していましたが、では、「間違った行為に手を染めたリンたちは、どのような結末を迎えるのだろう……?」とずっと気になっていました。これは、ある意味“STIC”でのカンニング計画が上手くいくかどうかよりも、物語的にずっとスリリングな問題です。
結局、相棒のバンクは不正行為が発覚して捕まりますが、リンは決定的な証拠を掴まれることなく計画を完遂し、パットたちのカンニング計画は一応の成功を収めます。ここでのリンは完全に成功したとも失敗したとも言えない“宙ぶらりん”の状態です。そこで、リンにとっての最後の問いが立ち上がってくるのです。
「自分が犯した過ちとどう向き合えばいいのか?」
“STIC”での失敗によって、海外留学の夢が潰え、学校も退学せざるをえなくなったバンクは、この一件であまりにも多くのものを失ってしまいました。そんな彼が正義を見失い、リンに新たなカンニング計画を持ち掛ける姿は、ひょっとしたら、リンがそうなっていた可能性も十分に考えられるだけに、大変痛ましいものです。
しかし、リンは彼の誘いを振り切って、ドアを開け、部屋を出ていきます。そのドアの先が、真っ白な光のあふれる部屋になっていて、後に彼女が罪を告白する部屋の“白さ”と映像的に重ね合わされています。──ここでの演出は見事と言う他ありません。
罪を告白することを決心したリンの表情には、明るさが戻っています。思えば物語の中盤以降、彼女はずっと険しい表情をしていた気がします。部屋に向かう前、リンが父親に見せる泣き笑いの表情がとてもいい。この表情が物語っています。彼女は最後の問いに正しい答えを出すことができたのだと。
自分の感傷的な部分に巻き込んでしまったようで申し訳ありません。個人的な経験でいうと、中学・高校・大学・社会人のどの段階でも、こういう度量の大きい人がいるんだ、とか、こんなに頭のいい人がいるんだ、なんの打算もなくあるがままに人間関係を構築できる人がいるんだ、みたいなことを思い知らされてきたような気がしてます。どうして自分はそうじゃないんだろう、と感じ入るばかりだったので、そのような人にはいつも逆立ちしても勝てないと思ってきたわけです。理屈や理由は後から考えるので、直観的な敗北感、と称しているのです。
バンクはきっと、りん、お前は凄いな、と認めたうえで、真相の暴露も思い留まり、いつかまた、向き合える日が来るように頑張るよ、と時間はかかったとしても立ち直って欲しいのです。というか、そうであって欲しいな。
琥珀さん、コメントありがとうございます。
琥珀さんはバンクに自分自身を重ね合わせながら、この作品をご覧になられたのですね。
ラストシーンでのバンクの心情を、鮮やかに的確に言語化されていて感銘を受けました。
たしかに、バンクがおかれた環境はリン以上に厳しいものがあります。
“STIC”での計画が進行するにつれて、バンクは思いがけない“変化”を見せますが、それも、琥珀さんがおっしゃる「極限まで張り詰めている環境におかれた人間の方が、ダークサイドに堕ちやすいという人間世界の非情さ」を表しているのではないかと思いました。
逆に、リンにとっての父親の存在の大きさをあらためて感じました。
これはあくまで私の想像ですが、帰国したリンと再会する場面で父親は、リンが「彼氏とこっそり旅行に出かけた」ということ以外の“何か”を隠していることに気付いていたのではないでしょうか。それをあえて問い詰めない父親のやさしさを感じ取り、リンは全ての罪を告白する決心をしたのではないかと思うのです。
琥珀さんのコメントを読んで、リンとバンクの関係性とラストシーンの意味について、新たに思い付いたことがあります。また内容がまとまりしだい、コメント欄に追記したいと考えています。
たぶん、映画の作り手が伝えたかったことの核心(あの演出をそう受け止めてくれて良かった、というようなことです)についての分析とその効果まで相変わらず丁寧、かつキレがありますね。
私がひとつ気になったのが、リンとバンクの対比です。リンは父子家庭であることの事情、その父が厳父であり慈母でもあることが描かれていたし、リンの帰る場所として確固たるものがありました。
バンクはもっと追い込まれた環境、母を支えるのも自分しかいないという状況で極限まで張り詰めている、それはすなわち脆さと背中合わせということでもある。いたたまれないのは、そのような人間の方がアナキン・スカイウォーカーのようにダークサイドに堕ちやすいという人間世界の非情さです。
リンの覚悟を伴ったラストの決断に対しての憧れと羨ましさと自分が見ることの出来ない世界を見つけたことへの直観的な敗北感は、私の人生においても共感できる部分でした。
映画って本当に本人が思ってる以上に観るものの姿を炙りだしてしまうんだ、ということを実感しました。