万引き家族のレビュー・感想・評価
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子育てごっこ
同じフジテレビ制作の「コード・ブルー」なんか見ると、こんな美男美女ばかりいる職場はないだろうと突っ込みたくなるが、そこへ行くとこの映画は安藤サクラと言いリリー・フランキーと言い、ほど良いリアル感のある顔ぶれで安心する。
もちろん“万引き”も出てくるけど、どちらかと言うと疑似家族による子育ての部分に比重があり、この監督はそのあたりの題材にずっとこだわりがあるようだ。映画はこの家族の閉じた輪の中でずっと話が進むので、最後にすべてが露見して外部と接触することで、かえって開放感すら覚えた。
そう言えば、昔「ひき逃げファミリー」という映画もあったが、あちらはひき逃げした車を家の中に隠して解体する話だったような。
ニッポンはウソばかり
泣くための映画ではない。考えるための映画だ。泣くと気持ちはすっきりするけどモノを考えない。ニセの家族がスクリーンに生きている間、観客席の私たちは日本の社会の不自由さに身を浸す。
日本は貧乏になった。一生懸命働いても、最低限必要な食べ物と、住むところと、着る物を確保できるとは限らない。食い物が足りなければ万引きをする。年寄りが死ねば死んでないことにして年金をもらい続ける。金がないのだから仕方がない。
日本の家族は人が減った。パパとママと娘しかいない。マンションの箱の中で孤立し、追いつめられている。パパはママを殴り、ママは幼い娘に熱いアイロンを押しつける。弱い者がさらに弱い者をたたく。
だからといって、ニセの家族が希望というわけではないのだ。そもそも万引きは悪いことだ。年金をだまし取るのも悪いことだ。リリーフランキーの「お父ちゃん」はママを殴ったりはしない。それでも最後には、万引きは悪いことだと骨身にしみて思い知らされる。盗んで育てた男の子に教えられる。ニセの家族はバラバラになる。娘は虐待のママの家に帰るしかない。
救いがない。泣くこともできない。ただ悲しくなる。ウソの家族の、ウソの話を見てひどく悲しくなる。
今日の新聞に、ジャパンクラスという雑誌の広告が載っていた。「知れば知るほど、ウラヤマシイ!ニッポン人の暮らしぶりに羨望のまなざし」。心の底からアホかと思う。
「ニッポンスゴイ」は我々を救わない。救いがないところから始めるしかない。しかし何を。たとえばデモか。ボランティアか。選挙に行くことか。少なくとも弱い者をたたくことはするまい。世の中にあふれる弱い者を叩く言葉に加担することだけはすまい。よく分からず、楽ではなく、先の見通しも立たないけれど、まっとうなところでなんとか持ちこたえようとこの映画が言っている。
じょうずよりまとも
上手に生きる事を基準にして、考えたり行動したりすると、色んな事が見えなくなってしまいがち。
だったら、マトモに生きる事を基準にして考えてみよう、行動してみよう。
そうすると、見逃してはイケナイこと、見てないフリをしてはイケナイこと、色んな事が見えてくる。
やってはイケナイ事も見えてくる。
しょうたとりんは色んな事をマトモに判断できる子になるだろうし、ラストではもう・・・・・。
愛の成就をすくい取った映画
万引き家族
是枝監督の映画はデビュー作から拝見してきまして、とりわけ衝撃的だったのは「誰も知らない」でした。
今作は「誰も知らない」の大人版というか、家族版というか、そういう感じでした。
この映画は愛が描かれているんだと思いました。自分が愛する者に、自分の最も大切な物を差し出す。ユリに対して、祥太は自分が最も大事にしていた万引き(で逮捕されるという犠牲)を差し出し、夫の治に対して妻信代は自分が最も大事にしていた夫との時間(死体遺棄の罪を被って服役するという犠牲)を差し出し、治は祥太に対して自分が最も大事にしていた父になりたかった自分を差し出し、おじさんに戻る。
この映画はハッピーエンドで終わらない。しかし、登場人物達は純に愛を遂行する。これが幸せの一つの形なんだ、と思う。
現代の過酷な環境の下で、「誰も知らない」暮らしを望んでいた登場人物達。しかしそんな幸せな暮らしは、誰かに知られる事によって終わりを告げる。日々の暮らしもままならない血の繋がらない家族達は、精一杯の自分を捧げ合うことで愛を成就する。その純な瞬間をすくい取った映画。すばらしい。
途中で時計を見たくなった映画
CMを見てほぼ思った通りのストーリー。
育ての親が殺人犯でなければもう少し感動できたのかも。
赤ちゃんの頃にさらってきた子供が、おじさんおばさんと呼ぶのも不思議で、松岡さんの役がどうして自宅を出たのかのも謎で?が残る映画。
家族。。。
全編暗いのかなと思ってたらそうでもなかった。
クスクス笑える場面も前半は多いし。
でも考えさせられる話。
子供が万引きしてるシーンは心がいたむとか。
ばあちゃんちの汚くて考え狭い部屋とか、ぼろぼろのフリース着てるとことかリアルだなぁ、とか。
稼ぐにはこういう仕事するしかないのかなあ、とか。
偽りの家族でも幸せなのかも。
あれ?そもそも家族ってなんだ??
安藤サクラの演技は凄かった。
母性
凄く濃い作品だった。
家族1人1人に語られない背景があり、とても一回観ただけでは、あの歪な家族の本質を把握し切れないと思える。
それらを匂わすピースは散りばめられてるものの、その原因なり理由ははっきりと言葉に出来ないような感じだ。
何とはなく性善説のようなモノを感じ、時間と環境によって捻れていく「人の性」みたいなものを感じる。
人物への造詣がとにかく深く…。
家族それぞれに与えられている「役割」が見事であった。それでいて押し付がましさもなく、手本や見本を提示する事もない。
わかりやすい愛情表現など、ただの一つもなく、映画なのに肌で感じるという言い方が、凄くしっくり馴染む。
「母親」という存在が家族の核となるようにも思え、命を産み育む存在に支えられているという構図に説得力を感じた。
完璧な人間など1人もおらず、完璧な環境なんてあるはずもない。元々、欠けているのが当然で、だからこそ他を求め、迷い、彷徨う性質があるのも当然で、その前提で家族の核が形成され、人が増えるの事によって家族という枠組みがより確かなものへと成長していく…。
夫婦というのは、ただの契約で、あかの他人だ。男と女だ。「子供」という存在が父親と母親にしてくれる。
ラストに近づくにつれ、安藤さくら氏が聖母のようにも見えて、素晴らしかった。
カンヌのパルムドール。
至極、納得できた作品だった。
どこがアドリブなんだろうかと思う程に、家族の台詞に力みを感じず…ともすれば明瞭ではない部分もあったりするんだけど、一般論や常識をふりかざすマスコミや刑事の言葉は明確で澱む事もなくハキハキしてた。
そんなトコにも演出意図を想像してしまう程、監督の視野の広さを感じた作品でもあった。
ずっと余韻が残る、ずっと考えている
安藤サクラが気になって、公開してからずっと見たいと思ってて、やっと見ることができた。
きっと考えさせられる映画だろうから、見終わった後に一緒に見に行く人と感想を言いあったりしたいな〜
なんて思っていたけど、実際に見た後に、言葉が出てこない。出てこない。ぺらぺら感想を述べることができなくて、、、
ずっと考えていた。でもいまだに感想がまとまらない。
なので、レビューを書きながら、感想をまとめたいなと思った。
かなりネタバレ含んでいるので、映画を見た方だけに見てもらいたいです。
最初から万引き親子のシーン。
ああ、そうそう万引きだよね〜そういう映画だもんね。
という感じで始まった。
汚い平屋の一軒家。狭い家にひしめき合って生活する人々。
老婆、おやじ、女、少年、娘
一部始終がリアルで、貧乏生活が画面いっぱいに映し出されていた。ゴミのようなたくさんのもので埋め尽くされた家。
食事中に爪を切ったり、決して美味しそうじゃない鍋物を
みんなで突っつきあいながら、唾を飛ばしながら、汚い食べ方をしていた。言葉遣いも汚い。五感で感じるものはまさに『汚い』
それがリアルに感じられた。においや、味、までが伝わってくるようだった。生きるためには犯罪でも犯す。嘘もつく。反省は・・・・・しない。だってそうしないと生きていけないから。そして血のつながらない家族を繋ぐための犯罪でもある。
お店に並んでいる物は、まだ誰のものでもないから、お店がつぶれない程度ならやってもいいんだよ、と教えられる。
最初っからどぎつい内容。
普通に考えて、人としてあかんやろ!という感じ。
でも、だんだんとその集まりの集合体から、表面上のものでない、お互いの思いやり、愛情あることがわかってくる。
万引きした食べ物をみんなで分けて食べる。
全員そろっての食卓シーンが結構多くて、それも家族観がでてた。
普通の家族でもなかなか夜みんなで過ごすことない。
虐待されている女の子が家族の一員になるところから、ますます、
それが感じられたし、あ、この家族はただ、目の前にある
かわいそうな子、人をほおっておけないんだと。それはもしかしたら、自分自身と照らし合わせて救ってしまうのかもしれない、でも単純にそんな気持ちなんだな。って。社会的にとか、そんなのは二の次。なんだって。
子供が捨て猫を拾ってきちゃう。拾ってきたけどおうちで育てるのは難しいけど、でもほおっておけない。そんな子供みたいな
幼稚だけれど、純粋な心を持ってるんだなって。
それからも、この家族は、それぞれが生きるために、犯罪だとしても、偽りの家族に頼り、頼られ、伴に生活をする。本当の名前を知らなくても、何をしてきたのか?しらなくても、一緒に暮らす、伴に生きる。その居場所、その時間を大事にしているんだろう。
どういうわけか、段々とメルヘンな世界に誘導されている気分になってきた。おとぎ話のような感じでもある。この矛盾した関係、
生活に心地よささえ覚えてしまった。ずっとこのまま矛盾した、この人たちの幸せが続きますようにと思ってしまった。
ところが、少年がだんだんと成長する中で今の自分を客観的に見れるようになってきて、今やっていることはよくないんじゃないか。
と感じるようになってきたところから空気が変わってくる。
少女に万引きをさせたくない、そもそも万引きって良くないんじゃないか?学校は家で勉強できない子が行くところと教えられてきたけど・・・拾った教科書を興味津々で見る。学校が気になってきたんだろう。見ている側も、メルヘンな世界から、じわじわと現実に引き戻されていくのがわかった。
海のシーンは本当に良かった。
お父さんと少年の海の中でのやり取り。
おばあちゃんと安藤サクラのやりとり。
おばあちゃんの皆が海の波打ち際で並んでるのを見ながら
つぶやくシーン。
幸せなシーンなんだけど、なんだかスッと寂しい何とも言えない気持ちになった。
この後、おばあちゃんの死をきっかけに、今までの生活が全てなくなってしまう真実がどんどん明るみになってくる。それぞれの人の本性がでてくる。あのつぶやいたシーン。おばあちゃんがキーマンだったんだなって思った。あの家族はおばあちゃんでつながっていたんだ。
そして、おばあちゃんが、全て元ある場所にもどしてくれたのかなと思った。
幻想的な世界の家族から、しっかりと日の当たる世界にそれぞれが
スタートをきっていったような気がした。それぞれが辛い現実が待ち構えているけど、この家族で暮らした時間があったからきっと
乗り越えられると思う。それは、確かな愛がこの家族にはあったから。愛を持っているは困難にも立ち向かっていけると思う。
現実的にやってしまったことの罪はお母ちゃんは代表してしっかり、償い。
少年は施設で暮らしながら学校に通うようになり、
お父ちゃんは、一人暮らしの普通のおじさんに戻り
少女は元の親に戻された。
少女は幸せだったのか?って暗い気持ちになるという感想があったけど、私は、この少女が母親にこっちにおいで、服買ってあげるからといわれたときに、首を横に振ったのをみて、
この子はしっかり生きていけると確信した。
あの家族と出会って暮らして愛情をもらったから、強くなった。
眼の光が戻った。自分を大事にすることを教わったんだと思う。
たとえこれから何があろうともこの少女は幸せになれると思う。
数え歌を唄ってあの家族との幸せな思いでをずっと抱いて生きていくのだと思う。
万引き家族、本当に最高でした。ありがとう。
深く考えさせられる
役者の演技力がすごく、とてもリアルに感じた。
世間的には少女を誘拐したとされているが、虐待されていた家族から救い、実の家族よりも大切に育てており、家族という概念は血の繋がりだけではないものだと改めて実感できる内容だった。
個人的にしょうたくんがキチンと自分の意思を持って捕まってくれたのが凄い勇気ある行動だと褒めたいですね
もっと深く
意外にもあっさり。
もっともっと深く掘り下げてほしい。
3人の最後の口パクのセリフが正確に読み取れなかった。悔しい。もう一度見ないと。
ん?これは2度見させる作戦⁇
何が家族なのか?
いや、これが家族なんだよね。
関係性の向こうに現代人の孤独感が見えて切ない。
家族愛、人の気持ち、色んな物がある映画
宣伝から気になってましたが、話題作になっており、更に気になり観てみました。
安藤サクラさんの演技力はすごいです。
ママって呼ばれてましたか?お母さんって呼ばれてましたか?
なんだろね。その一言だけで表情から感情が溢れ出てました。
演技が上手い人ではないとできないことだと思いました。
出ている人が、全員演技力が高いため引き込まれました。
子役のしょうた役の子の演技もすごく自然で
どこにでもいる子供で、拾われたりんちゃんも
自然な演技で、松岡茉優さんはもちろん、樹木希林さんの表情を見てるだけで胸が苦しくなりました。
リリーさんもやはり演技派ですね。
盗んだんじゃない。拾ったんだ。
誰かが捨てたものを拾っただけ。
お金だけで繋がっているわけではなかったと思います。
みんながみんなを支えてたと思います。
好きだから叩くは嘘だよ。
好きだったらこうするのってりんちゃんをぎゅっと
抱きしめて涙を流すシーンでは胸がグッとなりました。
海辺で樹木希林さんが、遠くで楽しそうにしてるみんなへ向かって、声は出さずに口だけを動かして何か言ってました。
後から解説を見てわかりましたが
『ありがとうございました』と言っていたそうです。
その後すぐ亡くなってしまい、死期を察してそう言っていたように見えました。
ところどころ、どれが誰で誰がどれで、どの人がどの立ち位置なんだ?嫁?息子?孫?とわからなくなってしまう部分がありましたが、解説を見ればすごくよく分かりました。
一人一人が主役になってる映画のように見えました。
全員にスポットが当たってました。
ハッピーエンドにはなりませんでしたが、見て良かったです。
りんちゃんのこの先ぐ不安で仕方ないです。
ラストが意外とパッて終わってしまって、もっと先が見たくなる感じでした。
社会的に見たルールとしてこの家族がしてきたことは犯罪です。
でもそれで救われた命があり、もし誘拐してなければ死んでしまってたかもしれません。
なにが正義でなにが悪か、ルールだけで判断するのは難しいです。
安藤サクラさんは逮捕されるほどの悪いことをしたのでしょうか。
ってゆう麻痺なのか、そんな感情が溢れました。
その人にしかその人たちにしかわからない事が世の中にはたくさんたくさんありますね。
真実なんて誰にもわかりませんね。
紛れもなく6人は家族だったと思います。
4番さんが物凄く贅沢な使われ方してましたね笑
花火?
歩いても歩いても、で是枝ファンになった私からすると段々とテーマが重くなって、自分のこととして映画に入り込んで観るのが、難しくなってきているように思います。
別に是枝監督に言われなくったって、家族の間には愛情や優しさがあるのがいいと思うし、日本は長く平和が続いたせいか、綺麗な水がどんどん流れるところと、流れが悪く澱みつつあるところがはっきりし過ぎてきちゃって、なんかまずいぞ、なんか変だぞって感じは結構みんなあるんじゃないのかな。40過ぎて国のありように悶々とする身からすると、映画の中身がこうだったことより、成功を収めた上であの安倍の申し出をきっぱり断ってくれたことがほんとに良かった。
この映画を思い返して良かったのは、あの少年の前向きさ勇敢さかな。あの少年が、優しいけども間違っているあの偽家族、弱さで集った居心地の良さ、そこから決別をはかった勇気。そしてそのきっかけが、あの女の子に盗みを始めさせたくないという衝動からきたところに、グッときた。あの環境にあって心根がきれいだったことに。
少年のおかげでみんな改めて現実と向き合っていくことになる。リリーフランキーはおじさんに戻ると言う。もとの現実には戻るけどもそれが以前とは違うのは、みんなお互いに愛情をやりとりした経験、絆を持ったということで、それを胸に、厳しいであろう現実にそれぞれが向かっていく。
それこそが本来の家族の役割のひとつなんだと、いまこのレビューを書きながら思いました。
あの女の子が薄暗い団地の廊下から、自らビールケースに登って見る、明るい外の景色の中に何を思うのか、そこに果たして出ていけるのか。容易ならぬ環境にあることを想うと100%で明るくはなれないし、この映画をハッピーエンドではないという人が多いけど、ハッピーになれる可能性を秘めたエンディングなんだと思う、というより思いたい。
あの少年は捕まる気だったにも関わらず飛び降りる必要があったのか。そこまでしないと変わらないと思ったんだろうか。みかんが弾みながら広がっていったのを見て、最悪死んじゃったのかと思って観てたので、なんとも残酷な演出に感じたけど、それがいい転機になったことを思うと、もしかしてあれは花火だったのかなと思う。少年は花火の音しか知らなかったけど、その少年がまさに死にものぐるいで打ち上げた(打ち下ろした)、痛々しくも盛大な花火。恵まれた環境にいる人は、頑張ろうとしている人の、決死の、地味な花火を見逃さないようにしたいものだ。
内容が理解できない、ピンとこない人は幸せな人
経験した人しかわからない、という感想を書かれている方がいますが、本当にそう思います。
話がピンとこない、なんだかよくわからない人は凄く幸せな家庭で生まれ育ったんだと思います。
柴田家の人々は全員、いわゆる「機能不全家族」で育った人ではないかと思いました。親から充分に愛されず、愛着障害を抱えて、その足りないものを求めているうちにここに集まったように見えました。
私の主人はまさに殴る蹴る、家に入れてもらえないという虐待を受けて育ったそうです。映画の中の、犯罪に走るほど貧しくても、愛情のある雰囲気になんだか羨ましく感じたそうです。
私も殴る蹴るはありませんでしたが、愛情の絆を築く能力のない親に育てられました。
実家に戻されたりんが、母親にじゃけんにされたあと、服を買ってあげるからこっちへきなさい、と言われたシーンにドキッとしました。たとえ殴られなくても、怒鳴られたり、絶えず言葉で圧力をかけられている感じで、何をしてもらうにも親の機嫌をうかがっていた自分と重なりました。
同じ親に育てられた弟は、不器用、ぐずと言われ続けて育ったあげく、働く気力がわかない、とワーキングプア状態です。
まともな家庭で育っていないことで、自分の能力を信じることができず、ケチな泥棒となった父親が、間違っていることはわかっていても、万引きしか教えられない、子供に何もまともなことを教えてやれない、というやるせない言葉がひしひしと身に沁みました。
まともな家庭で育った人なら、なぜ働いて食っていけないのか、と思うだけで、そう思える健全な心が育たなかった、ということがそもそも理解できないと思います。
りん(じゅり)のその後の人生が気になりました。
家族愛というより…
個人的には、家族愛というよりも、貧困などの問題を抱えている者たちに対する世間の冷たさがテーマかなと感じた。
少ない年金で孤独に暮らす老人、その年金を当てにする子供の居ない夫婦、風俗で働く未成年、学校に通えない子、虐待を受けている子、これらの人々は幸せに生きて平和ボケしてる我々の視界には入らない。
血の繋がりは無くても、家族だと思うなら家族だと思う。ただ、血の繋がりがあろうと無かろうと、時に家族は壊れてしまう。
家族の絶妙なバランスを保っていたおばあちゃんが亡くなる。そして治の万引き置引き行為に祥太が疑問を持ち始めたところで「この家族はもうすぐ終わるんだろうな」と予感した。
正直、万引きをしなくても済むくらいの収入があれば、こんなに早く家族が壊れることはなかったと思う。治は愛情はあれど、万引きくらいしか教えられない甲斐性なしの情けない男だが、この情けない姿こそが現実的なのだ。
アラサー女の私としては、信代が警察に詰問され、言葉にならず泣くシーンはかなり心をえぐられた。シクシク涙を流すでもない、わーわー鳴咽を漏らすでもない、無意識に流れ落ちてしまう涙を手で拭っても拭っても涙は止まらない。子供たちにとって自分は母親になれていたのか?自分の自己満だったのか?
そうだ、子供たちに親が必要というより、この夫婦にとって子供が必要だったのだ、と感じた。治と祥太の別れのシーンでも、未練を残しているのは治なのだ。
バラバラになった家族。でも、あのとき、お互いに必要だったのは間違いないのだ、と私は思う。信代が言う通り、楽しかった、のだ。もう一緒に居られないけど。
亜紀が風俗のバイトの時に実妹の名前であるさやかと名乗ったり、治の本名は祥太であったことなどは色々考えた。亜紀はさやかに憧れていたのか?治は自分が成し得なかったことを祥太に託したかったのか?うーむ、皆さまの考察も知りたい。
ただ生きる
リリーフランキー演じる治は、一見冴えないコソ泥中年なのだが、運命的に救いが必要な人間に出会い、受け入れ、救済する。
冬の寒い日にアパートの廊下で凍えていた少女。
前夫に殺されるところだった行きつけのスナックの女。
車上荒らし中、パチンコ屋の駐車場で車内に置き去りになっていた赤ん坊。
皆、治が出会わなければ、この世に居なかったであろう人々。
世間の人の目に触れられず、この世を去ってからようやく気づかれる人々。
治は、生活するのに必要なだけ盗み、救われた人々とただ生きる。季節の移ろいと心の触れ合いを糧にただ生きる。
この作品は社会的事件をモチーフに、実際に居る、居たであろう人々に、焦点を当て問題提起しつつも、
治の存在によって、寓話となり、救済の物語になっている。
時代が代わるたび、繰り返し見直されるであろう名作である。
この映画は救われない。 最初が仲のいい"家族"だっただけに、最後の...
この映画は救われない。
最初が仲のいい"家族"だっただけに、最後の終わり方は非常に胸糞悪い。
でも心のどこかでこうなってしまうのではないか、と心配していた。
普通のような家族。女の子拾ってきて暖かく迎え入れ、そしていつの間にか家族同然として全員楽しい日々を送っていた。
このまま終わるわけが無いと思っていたのだが、やっぱり最後はああなってしまって…。
せめてちょっとだけでも何か幸せに感じる演出があって欲しかった。
でも素晴らしい。
構成、展開、終わり方。全てが完璧で、さすがパルムドールといった映画だ。
今年心に残るかなり上位の映画になることは間違いないと思います。
この映画がつまらん?
この映画のテーマは万引きじゃないですよ。
万引き美化してるように見えます?万引きはダメだよって言ってるようにしか自分は思えなかったですけどね。
この映画のテーマは人と人の繋がり、本当の優しさとは?、家族って?、愛とは?……。今の日本に痛烈な皮肉と嫌味、綺麗なものだけを見過ぎている人たちに真実を教えてくれてる映画です。
万引きや年金の話なんてどうでもいいんですよ。見せたい描きたいのはそんなところじゃないと思いますよ。
絆、ハートですよハート。
奥田さんの娘さんに海で樹木希林さんが、亡くなる前『あなたよく見ると綺麗だね 綺麗よ………』
あの一連のシーンが好きです私……。
深いし本当に優しい映画ですよ………。
この映画良くないって言う人とは自分友達になれませんね。
後半警察とのやりとりなんて正に今の日本、愛の無い上っ面だけで人と話す人たち。そうじゃないだろ?って
スクリーンに向かって思わず声が出そうになってしまった自分。
少なくともこの映画のテーマを理解できる自分は、向こう側の人間じゃない。
とりあえずよかった。
これからも精進して生きていきます。
この映画は良い映画ですよ。
久しぶりの日本の映画を観て感動。
ちょー久しぶりに日本の映画を観たから楽しめた!
最初のシーンのロングテイクとロウアングルのカメラ目線が良かった。
豪華なキャスト・子役など含めて◎
なぜかは知らないけど、エロなシーンのカメラアングル中途半端で嫌だった。
お話おばあちゃんが亡くなったシーン泣けた!
この映画が賞をとって正解だと思った!
今まで日本の映画でも海外映画でも無い一面を観れた事が嬉しかった!
もっと雨のシーン出して欲しかった!
ひかる
見えない花火と、蜜柑、ビー玉、雪だるま
初枝おばあさん(樹木希林)の年金と、日雇い労働(リリー・フランキー)やクリーニング工場のパート(安藤サクラ)、風俗店での仕事(松岡茉優)、それに万引きなどの犯罪で暮らしている一家。
一家には小学校学年ぐらいの少年(城桧吏)もいるが、学校に通っていない。
そんな一家はある日、ネグレットされた幼女(佐々木みゆ)を見つけ、いたたまれなくなって、一緒に暮らし始める・・・
といったところから始まる物語で、家族という最も小さな社会集団を撮り続けてきた是枝裕和監督の集大成ともいえる作品。
フィルムで撮影したと思われる(エンドクレジットに「フィルム現像」という役割があった)画面は、これまでの是枝作品の中では、もっとも暗く沈んだ画面で、台詞も耳をそばだたせないと聞き取れないほど不明瞭。
雑然とした一家の家のなかは、ごみごみとしていて、リアル。
どちらかというとあまり好きなタイプの画づくりなのだけれど、観ているうちに、登場人物から目が離せなくなってきます。
「盗んだのは、絆でした。」という謳い文句や、一家団欒の雰囲気が漂うポスター写真などから、わかりやすいヒューマンドラマにみえるように宣伝されているが、内容はそうではなく、家族という最も小さな社会集団と、いわゆる一般社会という大きな社会集団(終盤登場する警察が代表)とを対比して描いています。
そこで描かれるのは、正しいことと正しくないことの境界線のあやふやさと、「正しいこと」を決めつける危険さ。
たしかに、一家がやっていることの多く(そう多くないのかもしれない、成人した3人は何かしら仕事をしている)は、犯罪だったとしても・・・
演出で、はッとさせれたシーンがいくつかあり、是枝監督らしいなぁと思ったのは、
中盤の墨田川の花火大会のシーン。
縁側に、ばあさんと日雇いがふたりならんで音を聞いているところへ、ほかの皆が集まって来て、音を愉しむ。
たぶん、この映画の肝。
花火は見えない、見えないけれどそこにある、音でわかるじゃない、あるってことが・・・
見えないけれど、あるもの。
そして、それは美しいものであるはず。
美しい花火を見えないところで音だけ聞く、というのは、花火の観方としては「正しくない」だろうけれど、それはそれでも善いのではありますまいか。
その他、同じようなモチーフを用いる演出も是枝監督らしい。
少年が幼女の万引きを庇って、自らが店員に追いかけられるようにして、高架道路から飛び降りるシーン。
飛び降りた少年の姿は見えず、その代わりに道路に散らばる蜜柑が映し出される。
少年の中からはじけ出たような、丸い蜜柑・・・
もとの両親ももとに戻された幼女が眺めるビー玉の数々。
色とりどりの丸い綺麗なビー玉・・・
丸いものは、もうひとつ。
雪の日の夜に、日雇いと少年のふたりがつくった雪だるま・・・
丸いものは、何かの象徴。
こういうモチーフをうまく使うあたりが是枝監督らしいですね。
わかりやすいヒューマンドラマドラマではないですが、これぞヒューマンドラマといえる映画で、心にずっしりと来ました。
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