万引き家族のレビュー・感想・評価
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血がつながっているだけが家族とは言えない
この家族、誰ひとり血がつながっていない。
それでも、思いやりながら生きて暮らしている。
私は、血がつながっている母親と全く合わない。
子供の頃、そんな母親に殺されそうになったことがある。
そういうこともあってからか母親から愛情を感じたことがない。
血が繋がってるんだから、母親と仲良くしなよなんて言われると心底思う。
自分なりに努力してきても何十年とうまくいかないのにどう仲良くしろと言うのかと。
血がつながっていないからこそ思いやりながら、ある意味、気を使いながら暮らしていけるのかな。
この新型コロナ感染で、収入がなくなり、どう生きていけばわからない人達が集まって暮らし、この映画のような生活があってもおかしくないと思いながら観た。
血が繋がっていても母親と呼びたくない人もいる。
信代が警察から「あなたのことを(子供達は)何て呼んでいましたか?」と言われているシーンが一番印象的だった。
母親と呼べるに相応しい人だけが子供を産めたらいいのにね。
血の繋がりだけが家族じゃない。 産まなくても母親になれる。 けど万...
血の繋がりだけが家族じゃない。
産まなくても母親になれる。
けど万引きさせたり教育を受けさせなかったりっていうのは立派な虐待でしょ?
虐待をする人とやり方が変わっただけ。
何も救われてないしこんなの家族でもない。
行方不明や戸籍のない子供はたくさんいるしこんな風に暮らしているケースが日本のどこかには実際にあるかもしれない。
非正規雇用に年金不正受給に若者の風俗勤めに、そういう社会問題もテーマの一つなんだろうけどそれを家族だの絆だの言ってキレイな要素を入れてきたのが気に入らなかった。
私も劣悪な環境で育ったからこんなん違うでしょって思ってしまった。
愛とは外から見える形ではない
愛とは何かを考えさせられる映画でした。血の繋がっている親子だから、愛があるとは限らない。愛しているからこそ、相手のことを思いやり拒絶の言葉を口にしなくてはならないときもある。素晴らしい作品だと思いました。
実話であっても驚かないような話
レビューを見ていると賛否分かれているが、私はとてもいい映画だと思った。
■なんと言ってもラストシーンは最高に良かった
虚まみれの家族が解体したあと、皆がそれぞれに過去の生活を懐かしむ行動をとる。
その一連の流れの最後で登場する末っ子じゅり。
彼女の視線の先にあったのは、大好きなお兄ちゃんの姿だったのではないだろうか。
■この映画は「家族の条件」を「絆」と定義した
血のつながりが一切ない6人わけあり者が集まった嘘の家族。
しかし、血のつながりがないにも関わらず、家族は奇妙で深い絆で結ばれていた。
家族とは? その定義は血のつながりだけではないのだ。
そういったメッセージを強く感じた。
■非エリートが片寄あって現代社会をサバイブ
劇中の家族は皆、社会的弱者だ。
犯罪を擁護するわけではないが、生きていくための手段と称して、万引きをはじめ、さまざまな悪事に手を出す。
そんな生活に自問自答する者もいれば、何も感じずその日暮らしを続けるものもいる。
経緯はどうあれ社会の底辺から抜け出すことはそんなに簡単ではない。
そういう現実をリアルに連想できるような人物設定や描写が秀逸だった。
■しいていうなら…
あくまで個人的な好みではあるが、古くさい演出、説明的すぎるセリフが多めだったような気がする。
そこまで丁寧に描かなくとも。
観衆をもっと信じる勇気があってもよいのかと。
タイトルがミスリード
「そして父になる」「誰も知らない」とも評価ほど面白いと思わなかった。問題提起とは思うけど。これも同じ路線なんだけど、今回は話の展開に惹きつけられた。原作は読んでないけど、同じ手法なのかな?
まず、タイトル及び初頭の展開からこの家族は万引きをして生活をしているのか視聴者に思わせる。だが、見ているうちに家族の関係が見かけ通りではないことに気づき、そこからホロっとさせる展開になる。この演出(というのかな?)がうまい。普通にこの疑似家族の出会いから始まるところが映画が始まったのならこれほど集中して観なかったのではないか。登場人物のセリフから違和感を覚え、注意しながら観ることでこの家族のつながりを考えながら観る映画となった。
秀逸はおばあさんの初枝が亡くなり、死体を埋めたことについて女性の取り調べ警官から「遺棄した」と言われ、信代が「捨てたんじゃんない、拾ったんだ」のシーン。一人暮らしの老人が人生の終末、たとえ疑似家族でも本当の家族のように暮らしたことを視聴者は知っており、それを知らない警察側からは単なる犯罪として見られることにいら立ちを覚える展開となっている。
ただ。父親の役割である治に対しては子育ての面では共感する一方、その日暮らしの生活を続けてきたことのつけとして万引きをしたり、路上あらしの行動にイライラしてきてしまう。この疑似家族の生活が続かないであろうことを予見させる伏線ともなっている。
おばあさんの初枝は人の痛みが分かる人として描かれている。亜紀の気持ちに気づいて声をかけたり、新入りの「ゆり」にけがの手当てをして虐待の後に気づいて優しく面倒を見たり。こういうケアをしてもらうことで人は他人に対する思いやりを持っていくのだという描写が何回かこの映画ではある(自分を殴ったげんこつのうっ血のあとを見つけた亜紀がお客さんをハグする、信代のアイロンのやけどの跡をなでさする「ゆり」)。自分の居場所がない人たちが集まり疑似家族となっているわけだけど、血のつながった家族よりお互いを思いやっているのでは、と思わせるシーン。そういうところが響く人と、そうでない人が評価の分かれ目になっているのかも。自分が居場所がない、と感じたことがある人には刺さる映画だと思う。
Wikipediaでは脚本段階では子どもに「お父さん」「お母さん」と呼んでほしい、という主人公の思いに重点がおかれていたというが、ならば終盤祥太がけがをしたあと慌てて逃げようとしたことについての整合性がつかない。こどもと自分のどちらに重点をおいたのか。答えはラストバスの中で少年が振り向かなかったことに表れている。少年はちゃんと「お父さん」と呼びたかったけどね。
また、ラストについていろいろ言われているけど、ハリウッド映画を見慣れてしまうとハッピーエンドやちゃんとした説明をもとめてしまう。ヨーロッパ映画やアジアの映画だと、「これで終わり?」てな展開が結構ある。監督の投げかけ、あとは自分で考えて、ということなんだろう。もやもやするけど、これが監督の意図するところでもある。すっきり終わってしまったら観た映画のことすぐ忘れてしまうものだから。
万引き家族の万引きの意味
終盤、警察に捕まり尋問を受けている時
「子供に万引きさせるの後ろめたく無かったですか」
「俺には他に教えられる事なんにも無いんです」
なぜ信代や妹の亜紀は働いているのに治は働かず万引きを続けているんだと思って観てましたが、この一言で万引きはこの作品で愛情を示す最大のキーワードだったと思いました。
当然万引きはいけない行為ではあるけれど教養も何も無い治が、血が繋がって無くとも父として親として唯一祥太に教えてあげられる事が万引きだった、という祥太への深い愛情と絆がこの一言に凝縮されていると思い涙が込み上げました。
レビューを見ていて思う事は、温かで幸せな家庭にぬくぬくと育ち親にたくさん愛情を受けた人には不快感だったり嫌悪感な感情しか持てないだろうけど、同じように不遇な境遇で育った人には心に刺さる作品であるだろうなと思いました。
りんはこの先どうなるのかというスッキリしない思いはありますが、伏線の一つであるラムネのビー玉を、お風呂で一緒に唄った数え歌を唄いながら数えている場面では、りんは間違い無く万引き家族にたくさんの愛情を注がれたのだと思えて深く胸に滲みるラストでした。
日本アカデミー賞とキネマ旬報が最優秀作品として選び、さすが稀にみる両者の選択が一致した作品であったと思いました。
今の年齢だから感じるものがあった
自分は安藤サクラと同世代でいわゆる団地世代の最後の世代として子供時代を過ごした。
私が小学生の頃は集合住宅の団地に住んでいて、その頃は団地にたくさん子供がいたし今思えばネグレクト状態でいた子供も多く見たし、うちも裕福な方ではなかったが当時母が新聞配達をしていて集金に尋ねた市営アパートには子供しかおらず、ご飯もなく母が見兼ねて近くのコンビニでおにぎりを買って与えていた事なども思い出した。
現代では考えられないけれど見兼ねて他人の子供を自分の子供として生活するというおったまげな設定も、ひと昔前の時代に取り残されてひっそりとギリギリを生きる人間がいたならあり得るような気がした。
これはそういう人を描いたテーマの映画だという前提で、割とリアルに素直に受け入れられた。
登場人物たちは根っからの極悪人でもなければ善人でもないし経済的に困窮している人間が目の前に起きる問題を自分の欲望を入り交ぜながらその日暮らしで乗り切っていくとしたら、正にこんな事も起こり得るのかもと思わされた。
日本映画がカンヌで最高賞を取ったと聞いた時点でかなりハードな内容なんだろうなと覚悟して見たが、この年齢になったせいか思ったよりはマイルドだった。
タイトルが万引き「家族」とは言っているが決して家族と見るものではない。
(言っても気まずいシーンはあるので)
ラストの方で(子供が産めない)安藤サクラが子供たちにどう呼ばれていたのか、と警察が問う場面では警察役の池脇さんの芝居がちょっと臭いななんて思いながらも気付いたら涙が出ていた。その涙に対する自分の感情がよくわからないが…
(録画を見直してリンを戻しに行った先で言い争う声「私だって産みたくて産んだわけじゃない」を聞いた安藤サクラが子供を返したくなくなったんだろうというところとか、工事現場の家の中で「ただいま〜おい、翔太…」と妄想を口に出すリリーに泣けた)
そろそろ終盤かなというところから、はっきりすっきりさせないまでもある程度のところまで見せてくれてあとはこの人達はどうなっていくんだろうというところも実在する人間のような終わり方でリアルに感じた。
あとは松岡茉優がおばあちゃんと慕って甘える場面や、色々な事が分かったあと自分が必要とされていたのか疑問を持ってしまうところなんかも樹木希林と同じくらいの祖母がいる自分としては切なかった。
いろんな世代の登場人物が出ているので、見る人の年代、性別、その人の現状によって感じる事は様々だろうなと思う作品だった。
この映画の主人公たちを忘れたくない。
何度も見返したいと思った映画だった。
正直うまく感想を言葉にできない。
その時の自分の置かれた状況や気分で感想がかなり違ってくるような気がする。
今回(2019.12.17)に観た時点では、
社会には、自分よりも、経済的にも世間的にも孤立している人が実際いるということに関心があるため、この映画がとてもリアルに感じた。
この映画のような世界、人生があるということも、この世界の悲しい現実であるということが、これから生きていく上で、かなり悲しく、辛くなる。
一方で、社会的な弱者にも手を差し伸べてくれる優しい映画の中のような人たちもいることを忘れたくない。
かなり泣けた
やっぱり是枝監督の作品は良いね。しかも知らなかったけど先行上映だったんだね。出演しているキャストみんな演技が上手だった。是枝監督の作品にはとうもろこしを食べるシーンが出て来ることが多いです。特に歩いても歩いてもに出てくるとうもろこしを揚げたシーンは見ているだけで食べたくなる。是枝監督のお母様が作ってくれていた料理なんです。そんな実際の家族の思い出がシーンに込められたりするから見ているこっちまで血が繋がってなくても絆に感動するんだろうな。
以前、他の試写会作品の舞台挨拶なのに阿部寛さんが次の作品「歩いても歩いても」がめちゃくちゃ良い作品だったと絶賛していたのが印象深くて出演しているキャストが感動してるんだから観ているこっちはそれ以上に感動しました。いつもキャストの中に樹木希林さんがいるのも素敵だなと思います。
やられた人しかわからない
虐待を生まれてから何年もされ続けた人にしか分からない痛みがあるし家族に存在を消される痛みも本人にしか分からない
やられた者だけがわかる痛み
その傷を少しでも癒そうと集まって
自然と家族になってしまった万引き家族。
私は生まれてから家出をする17歳まで虐待されていたので泣きながら観ました、痛いほどみんなの気持ちがわかりました
学力や経歴もないので水商売するしか生きていく方法が無いのも理解できます。
夏のシーンでは本当の家族のようにみんなの笑顔が素直で可愛らしくて尊かった
信代がきちんと働いていたので治が真面目に働いていればもう少し家族でいれたのかなと思いました。
この映画は理解出来ない人が多い事を願います
痛感して涙を流した人にはあなただけじゃないよ、よく頑張ったねとお伝えしたいです
酷い経験をしていなくても見事に演じきった製作に関わった全ての方達も凄いの一言に尽きます。
これはひどい・・・・
なぜこんなに話題になったかが理解できなかった。
まずどんな環境であれ犯罪集団に全く感情移入できず、被害者が気の毒で仕方ない。
最後の30分ぐらいで子供がきっかけで警察沙汰になったときは爽快だった。
自分の子供には絶対に貧しい生活を送らせてはいけないということを痛感しただけでも、
見る価値があったから星一つ。
家族の愛情とはなんなのか
面白かった。誰も血が繋がっていない違和感が、最後にずっと感じていた違和感を線に繋いでくれる。祥太の成長物語。温かみを感じられない血の繋がりと、その血を乗り越えようと無理くり成り立たせようとして色々な問題孕みながら進む家族。ずる賢く見て見ぬ振りをする大人と、それに気がつきながら気がつかないふりを続け疑問を感じる子供。自分を置いて逃げようとしたことを告白を受け、施設に戻る祥太が最後に「お父ちゃん」と無言で呟くシーンには感謝があり、より深い成長と愛情があったことを表している良いシーンだった。
子供が家族だと思えるならそれは家族だ
血の繋がらない人達は家族になれるのだろうか。
万引き家族というタイトルからは全くイメージしなかった内容でした。父になりたい男、母になりたい女、家族を求めた人々を描いた傑作。
家族といえば血の繋がりを考えてしまうけど、本当にそうなのか。「そして父になる」ではまさにそのテーマだったのですが、父親視点が主でした。今回は子供から見た父親や母親という存在について描いていたと思います。リリーフランキーや安藤サクラの存在感が大きいですが、本来的な主人公は祥太だと思う。彼の視点からみた家族が、家族だったのかそうでなかったのか。それが映画では描かれている。
血が繋がっていないことが終盤にかけてわかってくるのがこの映画のミソでそれまで僕らは祥太は血の繋がった家族だなと思うのだけど実はそうではないとわかる。でも分かった後でも彼にとってこれはまぎれもない家族なのではとも思えるのだ。まさに、祥太の気持ちを理解できてくるような感覚に陥る。そこがこの映画のすごいところだ。
血の繋がった家族よりも、家族であろうとした他人の方が家族っぽく見える皮肉。これは僕らにも突きつけられた課題でもある。
この映画の一つの答えとして、子供が大人を親だと思うかどうか。これが家族か否かを決めていると思えた。
"家族"ってなんだろう
今更ですが、amazon primeにあったので鑑賞しました。
普段邦画を観ることは少ないので、監督はおろか俳優さんの知識もとても疎いのですが、そういった先入観がないからこそ純粋に映画として見れた気がするのでレビューしてみます。
題名から「家族ぐるみで万引きする話なんかな…」と察していたので勿論気持ちのいい話ではないですね、鑑賞後のなんとも言えない胸くその悪さはありました。
家族ってなんだろう?家族の定義ってなんだろう?ずっと考えてました。道徳観とか、倫理観とか、そういうのを全て抜きにしたら家族=父と母がいて、その間に生まれた実の子供+虐待や極度の貧困もない愛に溢れた家庭を指すと思います。
しかしこの家族は血は繋がっていないし、子供に万引きをさせるような貧困状態にあります。ただノブヨの子供に対しての"愛"は凄かったと思いました。最後まで「お母さん」と呼ばれることは無かったけれど、私には信代は母に見えました。「産んでないから母親じゃない」と言われたシーンがありましたが、それは違います。実際に産んでもリンの母親のように虐待を繰り返す親もいて、産まずに養子であっても大切に育てる親もいて…。少なくとも、あなたにどうこう言われる筋はありませんって感じでした。
友達を家族だとする人もいるし、ペットを家族だとする人もいます。彼らは家族だったんでしょうか、それともただの目先の利益のための集合体に過ぎなかったんでしょうか。
それに対しての色々な人の意見が伺えてレビューを閲覧するのが楽しいです。
人のつながりに焦点を当てたすごい映画
家族全員が万引きで生計を立てている話かと思ったら違った
是枝監督の映像はどれも美しいが
今回は原作から書かれたそうで
脚本の才能も素晴らしいと思った
樹木希林さん、安藤サクラさんはもとより、すべての役者の方の演技が見事だった
ラスト、イヤホンをして鑑賞すると、かすかに足音が聞こえた気がした
未来が明るいといいです
普通に興味深く観ていたが。。。
まず、非常に現実感溢れる映像と演技に心惹かれた。
特に安藤サクラ、リンちゃん役の子、リリーが素晴らしい。
しかし、後半になり一つの疑問が生まれた。
リンちゃんは明らかに実の両親から虐待されており、それをリリーや安藤サクラも認識していた。
自分達が警察で事情聴取を受けた時、何故虐待の事を言わなかったのだろう。
いくらリンちゃんが実の両親の元に帰ると言っても、殺される程の事がない限り、子供は親を慕うものである。
また虐待が始まる懸念はリリーやサクラにはなかったのだろうか。
そして、サクラの言葉で私の気持ちはサーッと冷め、彼らの行動に納得した。
「私は盗ったのではなく拾ったのだ」
そうか、車の中に放置されていた男の子も、寒空でお腹をすかせていたリンちゃんも、彼らは保護したのではなく、自分達が家族ゲームをしたいがために「拾った」だけなのか。。。
確かに愛情は注いでいた。
それは分かる。だが、やはり真実の愛ではなく、自己中心的な愛情であることを、子供の鋭い感性で、特に男の子は分かっていたのだろう。
リリーやサクラのことは好きだ。だが、悪い事を悪い事だと認識しない大人を「父ちゃん、母ちゃん」とはどうしても言えなかった男の子の賢さが救いだ。
サクラの泣きの演技と樹木希林の海辺の表情は圧巻である。
但し、このような自己中な大人の愛情には苦々しい思いしか残らない。
もしこの映画を観なかったとしても悔いはないだろう。
うわー・・・
うまくいかねーな、世の中は!
経緯はともかく本当の思いやりのキモチがあれば
それでいいじゃない、という結論にならない、やりきれなさ。
そして愛情ってなんだろう
0か100しかないのだろうか。90点ではダメなのだろうか
そんなことを考えさせられる
池松壮亮演じる聾唖と、池脇千鶴演じる性悪警官は、
この繊細な映画では大味すぎた。そこだけが惜しい。
家族のあり方について考える
是枝監督は数々の作品で、これまでも「家族のあり方」について問題を提起してきたと捉えている。
『そして父になる』や「海街diary』。
今回のそれも、同じく家族のあり方について考えさせる作品であったと感じた。
とある歪な、一見「バラバラ」な6人が一つ屋根の下に暮らしているーーー。血の繋がりはないし、年齢も性別もバラバラだ。家計は苦しく、生計を立てる手段として常態化しているのが万引き、紛れも無い「万引き家族」だ。
作品が進むにつれ、そこには色々な形の愛があり、確かな家族がそこにはいたのだ。
しかし、つまらない定規によって簡単に家族はバラバラになり、突如として歪さが露わにされる。
この作品に出会うまで疑問にも思っていなかった定規。見終わった今となっては、それは本当に信じるべき定規だったのだろうか...。
その定規によって、一つの家族がつまらない「集団」という括りにされるのであれば、その定規は手放していいものなのかもしれない。
なぜならそこに愛はあったのだから。
家族の存在意義は、家族に伝播させ、残るものがあるかどうかだと思う。
しょうたが興じたビー玉遊びはゆりの中に活きているし、6人で身を預けた海の青はまたゆりの脳裏に強烈な思い出として焼き付いている。
作中で描かれた愛は書ききれない。
ゆでたてのトウモロコシから立ち上る湯気、花柄のワンピース、音だけ見上げた花火、ラムネの中で転がるビー玉...セミを追いかける少年の背中にかけられる「お兄ちゃん」という声、触れ合う肌、賞賛の言葉、存在を肯定する言葉たち....。
愛を受けた者はおそらく人に愛を与えることができるのだと思う。
傷ついた人に愛を与えることは実は難しいことではない。
それは例えばそっと傷口を撫でてあげることだったり、抱きしめてあげることであったり。
簡単に思えることも、時として難しく簡単でないことを知る。
対極的な存在として描かれる“じゅり”の実の父母の登場でそれには突如気づかされる。
一見外見は所謂「バエ」たビジュアルで登場する彼ら。しかし一度蓋を開ければ、あくまで愛を表現するために、彼らの傷口に触れればそれは禁忌行為であり、娘を抱きしめることさえこの人間には難しい。
簡単なことは時として難しく簡単ではない。
なぜだろう。改めて、今私はやはり、信じてきた定規でくくったこの歪な家族が、貧しくて卑しいように思えるはずなのに、私は今愛しくてたまらないのだ。
犯罪と常識の境目 歪でも確かな家族の形
今は良くても、いつか必ず破堤するし、取り返しのつかないことになるのは考えればすぐにわかるのに、それを考えない。要らない物でも盗んで集めて家の中は不潔な上に不要な物で溢れている。
貧困の連鎖、教育格差、社会的倫理観の欠如。それはこの人達だけの責任ではないし、でもだからと言って誰かが簡単に止めれるものでもない。
そもそもこんな風に偉そうに誰かが止めようとする必要もないのかもしれないと思うくらい、劇中での彼らはとても幸せそうだった。
社会の規律を守ることは結局犯罪の抑止力にもなるけど、だからと言ってその規律通りにしようとすると必ず歪みが生まれる。
彼らは人の痛みがわかり、傷ついた弱者を守りたいと思う心優しい人達だし、実際保護されたりんは元の家にいた時とは比べ物にならないくらい人の優しさに触れられただろう。
でも、やってることは万引きの強要だ。そのままずっと学校にも通わず(祥太同様みんな本当の家族ではないので公的サービスは一切受けられない)大人になるなんて無謀すぎるし、それが彼女や祥太にとって幸せなのかと言われると疑問だ。
映画を観ていると、つい万引き家族に同情してしまう。こういうのもありかななんてさえ思えてきてしまう。
彼らが平和ボケしてる恵まれた人間よりもずっと、りんの痛みを理解できたからこそ、関係ないと切り捨てられず、放って置けなかったこともよくわかるし、安藤サクラとのやりとりなんて涙なしには見られないくらい胸をえぐるものがあった。
むしろ生暖かい環境で苦労を知らずに生きてる人間の方が浅はかで、理解が足りないというか、理解ができないことが多いんだということに憤りを感じた。
祥太は万引きが悪いことだと知っていて、りんを仲間外れにしようとするけど、リリーに「役割を与えた方が居やすいだろ?」と言われて一応納得したような顔をする。でも駄菓子屋のおじさんとのやりとりの中で、やっぱりりんにはさせては駄目だと思う。
リリーのことは好きだし、慕っているけど、悪いことを平気でするしさせてくる彼への戸惑いも同時にある。
最後、りんが初めて自分から万引きしようとしたのを見て、これは駄目なことなんだと身をもって伝えたくなったのではないかと思った。万引きが生きる術だった彼にとって、捕まったらどうなるかなんて分からなかっただろうし、反射的に、お前は染まるな!と体が動いてしまった様に見えた。
家族って何で繋がってるの?金でしょ?というセリフ。
血が繋がっててもそんな家族も沢山あるだろうななんて思った。血が繋がってたって合わない人とは合わないし、愛が冷めた夫婦だってごまんといるだろう。
万引き家族は確かに金でも十分繋がっていた。生きるために必要だから。でも、心も繋がっていた。それはあまりに歪で、おばあちゃんとさやかの関係なんてもう怖すぎて、でも同時に切なくて、なんて形容すればいいのか分からないけど、人間らしい感情で確かに繋がっていた。
りんはなぜか虐待を受けていたことが伏せられ?元の家に返されてしまうけど、恐らく虐待は繰り返されるだろう。
なぜノブヨやリリーは虐待から保護したと言わなかったのか、子供が産めない哀れな女が他人の子供を誘拐してしまったという話に片付けられてしまったのか、そこはとてもモヤモヤしたけど、犯罪者の声など、誰もまともに聞いてはくれないと諦めてしまったのだろうか?そういう色眼鏡で人は見るものだし、相談員の対応もどこか呆れ哀れむような態度だったし、実際本当にノブヨの母性が誘拐を引き起こしたと本人も思ったのかもしれないが。
見終わった後、なんて余韻を残す映画だろうと一人で悶々としてしまった。まとまらないのでこの辺で。
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