「犯罪と常識の境目 歪でも確かな家族の形」万引き家族 なおきちさんの映画レビュー(感想・評価)
犯罪と常識の境目 歪でも確かな家族の形
今は良くても、いつか必ず破堤するし、取り返しのつかないことになるのは考えればすぐにわかるのに、それを考えない。要らない物でも盗んで集めて家の中は不潔な上に不要な物で溢れている。
貧困の連鎖、教育格差、社会的倫理観の欠如。それはこの人達だけの責任ではないし、でもだからと言って誰かが簡単に止めれるものでもない。
そもそもこんな風に偉そうに誰かが止めようとする必要もないのかもしれないと思うくらい、劇中での彼らはとても幸せそうだった。
社会の規律を守ることは結局犯罪の抑止力にもなるけど、だからと言ってその規律通りにしようとすると必ず歪みが生まれる。
彼らは人の痛みがわかり、傷ついた弱者を守りたいと思う心優しい人達だし、実際保護されたりんは元の家にいた時とは比べ物にならないくらい人の優しさに触れられただろう。
でも、やってることは万引きの強要だ。そのままずっと学校にも通わず(祥太同様みんな本当の家族ではないので公的サービスは一切受けられない)大人になるなんて無謀すぎるし、それが彼女や祥太にとって幸せなのかと言われると疑問だ。
映画を観ていると、つい万引き家族に同情してしまう。こういうのもありかななんてさえ思えてきてしまう。
彼らが平和ボケしてる恵まれた人間よりもずっと、りんの痛みを理解できたからこそ、関係ないと切り捨てられず、放って置けなかったこともよくわかるし、安藤サクラとのやりとりなんて涙なしには見られないくらい胸をえぐるものがあった。
むしろ生暖かい環境で苦労を知らずに生きてる人間の方が浅はかで、理解が足りないというか、理解ができないことが多いんだということに憤りを感じた。
祥太は万引きが悪いことだと知っていて、りんを仲間外れにしようとするけど、リリーに「役割を与えた方が居やすいだろ?」と言われて一応納得したような顔をする。でも駄菓子屋のおじさんとのやりとりの中で、やっぱりりんにはさせては駄目だと思う。
リリーのことは好きだし、慕っているけど、悪いことを平気でするしさせてくる彼への戸惑いも同時にある。
最後、りんが初めて自分から万引きしようとしたのを見て、これは駄目なことなんだと身をもって伝えたくなったのではないかと思った。万引きが生きる術だった彼にとって、捕まったらどうなるかなんて分からなかっただろうし、反射的に、お前は染まるな!と体が動いてしまった様に見えた。
家族って何で繋がってるの?金でしょ?というセリフ。
血が繋がっててもそんな家族も沢山あるだろうななんて思った。血が繋がってたって合わない人とは合わないし、愛が冷めた夫婦だってごまんといるだろう。
万引き家族は確かに金でも十分繋がっていた。生きるために必要だから。でも、心も繋がっていた。それはあまりに歪で、おばあちゃんとさやかの関係なんてもう怖すぎて、でも同時に切なくて、なんて形容すればいいのか分からないけど、人間らしい感情で確かに繋がっていた。
りんはなぜか虐待を受けていたことが伏せられ?元の家に返されてしまうけど、恐らく虐待は繰り返されるだろう。
なぜノブヨやリリーは虐待から保護したと言わなかったのか、子供が産めない哀れな女が他人の子供を誘拐してしまったという話に片付けられてしまったのか、そこはとてもモヤモヤしたけど、犯罪者の声など、誰もまともに聞いてはくれないと諦めてしまったのだろうか?そういう色眼鏡で人は見るものだし、相談員の対応もどこか呆れ哀れむような態度だったし、実際本当にノブヨの母性が誘拐を引き起こしたと本人も思ったのかもしれないが。
見終わった後、なんて余韻を残す映画だろうと一人で悶々としてしまった。まとまらないのでこの辺で。