マルクス・エンゲルスのレビュー・感想・評価
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邦題には「?」が残るも、観る者に興味関心の窓を開かせる作品になりえている
この邦題を見ると「一人の人間ではないんだよ」と諭したくもなるが、多くの人が彼らの名を音感的に”一緒くた”にして覚えているのも事実といえば事実か。ちなみに原題は「The Young Karl Marx」。つまりマルクス側に寄り添った物語ということになるわけだが、実際はドイツとイギリス、遠く離れた場所にいた二人が、やがて運命的な出会いを経て共闘していく姿を描いている。
専門家や彼らの著作に慣れ親しんだ人からすれば、二人を映画化すること自体が無謀な行為に思えるだろうが、それでも当時の時代状況を詳しく映し、若き二人の思想の原点、行動の着火点を颯爽と描き出す本作の手腕には好感が持てる。学生時代にこのような映画と出会っていれば「共産党宣言」や「資本論」にもスムーズに手が伸び、頭の中に彼らの姿をイメージしながら読み進めることができたのではないか。あらゆる意味で興味関心の「窓口」となりえる映画である。
ヨーロッパに幽霊が出る、共産主義という幽霊である
2024年8月14日
映画 #マルクス・エンゲルス (2017年)鑑賞
19世紀半ばのヨーロッパ、労働者の過酷な状況に疑問を抱いたマルクスが、同じ問題意識を持つエンゲルスと出会い、友情を育みながら『共産党宣言』を発表するまでの格闘の日々
原題は「若きカール・マルクス」だけど邦題の方が内容に近い
マルクス思想を知っていても知らなくても退屈極まりない駄作
1)映画の概要~ライン新聞時代から『共産党宣言』執筆まで
映画の冒頭、山林で枯れ木や枯れ枝を拾う貧しい農民が官憲に追われる姿が描かれる。ドイツ・ライン州が1843年木材窃盗取締法を施行し、従来は慣行として認められていた枯れ木拾いを違法としたためだ。ライン新聞編集長であるマルクスは、州議会での法案審議を厳しく批判した。
つまり、これはライン新聞時代のマルクスを紹介する導入部分なのだが、本作は説明不足のところが多いので、ここで彼の履歴を補足しながら映画を概観しておこう。
ライン新聞はライン州新興ブルジョアジーの政治的代弁のために42年に創刊されたもので、当時の青年ヘーゲル派の牙城となった。ルーテンベルク、ブルーノ・バウアー、マイエン等が鼻息の荒い論説を執筆した結果、43年にあっけなく発禁処分を食らってしまう。映画では編集者たちが逮捕されたことになっているが、それは創作だろう。
辞職したマルクスは、言論統制を避けるためパリに引っ越しして、ルーゲの出資する雑誌『独仏年誌』の発刊に携わり、有名な論文『ユダヤ人問題によせて』『ヘーゲル法哲学批判序説』を掲載。同じ号に『国民経済学批判大綱』を寄稿したエンゲルスと知り合い、経済学研究にのめり込んでいく。
ところがマルクスはその後、『前進』誌にプロイセンの織工暴動を賞賛する記事などを書いたために、プロイセンの圧力でパリから追放され、ブリュッセルに逃げのびることになる。1845年のことだ。エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』発表もこの年だった。
映画は主にこのパリ~ブリュッセル時代のマルクスの活動を、48年の『共産党宣言』執筆まで辿っていく。
例えば『独仏年誌』の資金問題、プルードンとの交流、エンゲルスとの共同執筆や彼からの経済支援、生活の窮迫、正義者同盟への加入と内部論争等々――邦題は『マルクス・エンゲルス』だが、原題は『若きカール・マルクス』で、あくまでマルクスの伝記映画である。
内容は虚実取り交ぜているようで、例えばロンドン正義者同盟の大会にマルクスとエンゲルスが出席し、自分たちで組織名を「共産主義者同盟」に変更させたように描いている。しかし、向坂逸郎『マルクス伝』によると「マルクスはこれには出席しなかった。金がなかったからである」というのだ。個々のエピソードを真に受けないほうがよろしい。
2)作品の評価
本作ははっきり言って退屈極まりない。セリフはマルクスの著作をいくらかでも読んでいなければ、チンプンカンプンだろう。小生は少々読んでいるが、それでもつまらなかった。
一例を挙げよう。青年ヘーゲル派等を批判した『聖家族』(エンゲルスとの共著)の発表前にタイトルをどうするかという話になり、「批判的批判の批判はどうか」という会話が出てくる。
『聖家族』の副題は「批判的批判の批判~ブルーノ・バウワーとその伴侶を駁す」となっており、そこから来たセリフなのだが、マルクスが観念論者ブルーノ、エドガーのバウアー兄弟を「聖なる家族」と、彼らのマルクス批判を「批判的批判」と呼び、嫌みを言っていたことを知らない限り、面白くもおかしくもないはずだ。
また、「財産、それは盗みだ」と結論づけた改良主義者プルードンとの論争、彼の『貧困の哲学』に対する皮肉を交えたマルクス『哲学の貧困』などを紹介しているものの、上っ面にとどまるから、何やら意見が合わないらしいwくらいにしか伝わってこないのである。
マルクスは『共産党宣言』において、プルードンは現行体制下での労働者の生活改善を訴えるだけで、労働者階級にあらゆる革命運動を忌避させ、ブルジョア支配を強化するだけの保守的・ブルジョア的社会主義者だと否定している。要は革命の是非に関する姿勢の違いがあるわけで、それくらいは説明すべきだったろう。
映画はこうした同時代の思想家の言動や、マルクス、エンゲルスとの論争等のエピソードを中心に描いているが、なにより思想家マルクスの伝記なのに、その思想がきちんと紹介されていない。弁証法的唯物論も唯物史観も階級闘争の歴史も剰余価値説も疎外論も私有財産制の廃棄もプロレタリア革命も、まともに説明されないのである。
だから論争も中途半端で意味不明になってしまう。だからつまらない。さらに全く必要のないマルクス夫妻のベッドシーンを挿入するに至っては、何をか言わんや。
そして、最後にはあの『共産党宣言』のきらびやかな聖句が厳かに響き渡るw ま、嫌いじゃないからいいけどね。今さらそんなこと描いてどうすんの?? 普通ならそう思うだろう。
理由は、恐らく製作者たちのマルクスへのオマージュであり、その背後には新自由主義で格差の拡大した欧米社会の矛盾があるのだろうと想像する。
ちなみにエンドロールのBGMにディラン『ライク・ア・ローリング・ストーン』が流れたのにも笑った。まるでプロレタリア革命後のブルジョアジーの落魄を予言するかのような使われ方だが…残念ながら現在、革命にそんな幻想を抱く人々がどれだけ存在するかは、おおいに疑問である。少なくとも若くて高慢な女性が現実の厳しさを知るという曲の歌詞からは、だいぶイメージが隔たっているような気がする。
封建制を打倒したブルジョワの武器が今や彼ら自身に向けられている。
『親切、優しさ、友愛と聞き、涙を流す人々もいるでしょう。涙で権力は得られず、権力は涙を流さない。優しさを見せぬブルジョワに親切心では勝てぬ
人類みな兄弟?ブルジョワとは敵どうしだ。
プロレタリアとブルジョワの敵対は全体革命となる闘争である。
闘いかあるいは死か』
まぁ、だいたい、これが『共産党宣言』の趣旨だ。言わずもがなだが、現代に於いては、間違っていたと言わざるを得ない。これでは、暴力革命でしかないから。
『ブルジョワは個人の誇りを交換価値に変え、無数の自由を商業活動の自由と取り替えてしまった。そして、周期的な経済恐慌は、ブルジョワ社会をますます脅かす。そして、新たな販路を求める欲望で、ブルジョワは地球を満たす。あらゆる国との相互依存があらわれる、近代ブルジョワ社会は、呼び出した悪魔を、制御出来ない。封建制を打倒したブルジョワの武器が今や彼ら自身に向けられている。』と、正に今の資本主義の終焉を『共産党宣言』の中で語っている。正に今の閉塞した資本主義の事を語っているのだ。僕は凄いと思う。
因みに、共産党宣言は読んでいない。資本論は第2巻まで読んだが、僕には理解出来なかった。
この映画、単なる伝記映画ではないので、良いと思う。
また、ソ連や中華人民共和国を共産党の国と言っているが、精々社会主義であって、格差を作っている以上、国家社会主義国だと思う。つまり、共産主義なる国は歴史上一度も登場していない。
やはり、近現代史は学習する必要があると思う。大学の入試にはあまり出ないので、おざなりにされるけど、重要だと僕は思う。
何か大きなもの創る人間は、誰かとの出会いを通じて初めてそれを産み出すものなのか
ラウル・ペック監督による2017年製作のフランス・ドイツ・ベルギー合作映画。
原題:Le jeune Karl Marx、配給:ハーク。
変革者には憧れるが共産党は嫌いということで、マルクス及びエンゲルスの人物像は殆んど何も知らなかった。ということもあってか、明治維新の大凡20年前、1840年代欧州を舞台にした若き知識人マルクス・エンゲルスの葛藤・運動・友情を丁寧に描いていて、とても興味深かった。
マルクスがドイツのユダヤ改宗家庭の息子で、一方エンゲルスはドイツのブルジョワ経営者の息子であることも初めて知った。対照的な二人が意気投合して、パリ、ブリュッセル、ロンドンで、二人で構築した理論に則ったかたちで、協力しながら理論運動を進めていく姿はかなり新鮮。ビートルズのジョンとポールの共作、或いはワトソンとクリックの共同研究の様に、何かを創る人間はヒトとの出会いを通じて新しいものを産み出すことを、再確認した様な気がした。
ただ、発言は無しとのことで労働者運動指導者の集まりに参加した2人が、クーデター的に方針を変えさせて共産党と名乗るのには、事実だろうが、将来の組織の性格を予兆している様でもあり恐怖感を覚えた。また、マルクスがロシアからの参加者を田舎者扱いしてバカにしていたのも、印象に残った。映画とは離れるが、工業が発展し労働者が溢れるドイツ・フランス・英国等では彼らの理論は十分受け入れられず、工場労働者が殆どいない馬鹿にもしたロシアで彼らの理論が重宝されたのは何とも皮肉。
マルクスの妻イェニー(ビッキー・クリープス)はドイツの有名な貴族出で彼はそれを大いに自慢にし、妻もマルクスの最大の理解者で応援者。エンゲルスの恋人メアリー(ハンナ・スティール)アイルランド出身の工場労働者で運動家で、独立した存在で有りたい、子供は妹との間で作れば良いとか言う先進的?な女性。2人の女優の演技が魅力が放ち、この映画を素敵なものにしていた。
製作ニコラ・ブラン、レミ・グレレティ、ロベール・ゲディギャン、 ラウル・ペック、
脚本パスカル・ボニゼール、ラウル・ペック。撮影コーリャ・ブラント、編集フレデリック・ブルース、音楽アレクセイ・アイギ。
出演は、アウグスト・ディール(カール・マルクス)、シュテファン・コナルスケ(フリードリヒ・エンゲルス)、ビッキー・クリープス(イェニー)、オリビエ・グルメ(ジョセフ・プルードン)、ハンナ・スティール、アレクサンダー・シェアー、ハンス=ウーベ・バウアー、ミヒャエル・ブランドナー、イバン・フラネク、ペーター・ベネディクト、ニールス・ブルーノ・シュミット、マリー・マインツェンバッハ。
【“理想に向かって転がる石には苔が生えない!”1940年代のヨーロッパで、産業革命が産んだ社会構造の歪を正すために2人の若者が貫いた生き方を描いた作品。】
ー 学生時代に学んだ経済学の知識をフル活用して鑑賞。
マルクスとエンゲルスだけでなく、今作で重要な役割を果たす、無政府主義の父と言われたプルードン(オリヴィエ・グルメ!が演じている)や、ヴァイトリングなどが果たした役割や、当時のヨーロッパ各国(ドイツ・フランス・イギリス・ベルギー)における、一部のブルジョワジーと多数のプロレタリアートの関係性をサラッと、おさらいしておくと、今作の面白さは倍加すると思います。ー
◆感想
・共に、地位的には裕福だったマルクス(彼の場合には、後に妻になるイェニーの家柄)と父が紡績工場を営むエンゲルスが、搾取される側のプロレタリアートの立場になって、共産主義思想を形成していく過程は有名であるが、今作ではそれをエンタメ要素を絡ませて描いている。
ー マルクスとイェニー、エンゲルスと工場で働いていたメアリーが恋に落ちるシーンなど。ー
・「私はあなたのニグロではない」を制作した、社会派のラウル・ベックが書き下ろした脚本が、良い。
1940年代に二人が運命的に出会ったシーンから、彼らが愛する女性の助力の元、ドイツを追われる中「共産党宣言」を執筆する日々に焦点を絞った事が、奏功したと思われる。
<ラストに流れる、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」が印象的な、20世紀に多大な影響を与えた二人の若き経済学者、思想家、哲学者の姿を鮮明に描き出した作品。
現代の共産主義を標榜する国家の多くが、独裁国家になっている事実。民主主義を標榜しながらも、経済格差が予想以上に広がっている状況を、マルクスとエンゲルスはどのように思っているのであろうか・・。>
歴史を学び将来へ展望したい。
封建社会が崩壊してブルジョアジーがプロレタリアから搾取する社会。
1848年に共産党宣言が出され170年しか立っていない。しかしその間に第二次世界大戦、ソ連の崩壊など激動の歴史となる。
日本や、アメリカでは、民主主義の社会にはなったものの、資本主義社会の矛盾が今も明確に露呈している。
利益第一主義は、公害を起こし食品の安全性を失わせ、人件費を安易に削る。
日本では、顕著に、労働破壊が起きた。わかりやすいのは、労働者の非正規雇用進み、労働者は、物扱いの道具になった。
労働者や労働力はマルクスが指摘したとおり商品になり、人間性や、ヒューマニズムが踏みにじられた社会である。
マルクスが議論交わす仲間の中で愛情や親切心、気持ちに、ヒューマニズムを訴える議論に、対抗にして、理論的な基盤が必要だとマルクスがとく。
ヒューマニズムはもちろんに大事だが、それらを実現する方法論がなくてはしかたない。
マルクスが書いた資本論は資本主義の矛盾を暴き将来的な重要な道しるべを残した。
共産主義社会がくるとは、問題がありすぎて、思わない。成功例がないから。ただ1000年後に来ないとも限らない。
しかし、マルクスが示した理想や道しるべを参考にしながら、まずは成功例である、たぶん、北欧にあるような社会保障が優れた福祉国家などには転換していくべきは、明らかだ。
日本社会は既に破綻寸前だとおもう。
マルクス、エンゲルスともに、非常にひととなり、人間味溢れて描かれていた。それぞれが愛する恋人がいた。それも素晴らしい人格を持った配偶者で何か羨ましい。
マルクス、エンゲルスの苦悩も見えた。合意形成の難しさも垣間見れた。二人がであったことが奇跡であり、二人を支えた恋人や、取り囲む労働者との出会いも奇跡に見える。
歴史は必然で推移するとマルクスがいうが、人の出会いは、奇跡の連続であり、そんな奇跡の中で人が情熱を持ちながら、ヒューマニズムを訴えながら、周りを感化することが社会を突き動かす言動力になっている。
映画的には難しい。
マルクスとエンゲルス2人のお名前です、ナカグロでまとめないで!
マルクス、エンゲルス、だけではなく、プルードン、バクーニン、といろいろ登場して、彼らがどんな関係だったのか、どんな人柄だったのか、わかりやすく、かいまみれて楽しい。公開当初映画館で見た。マルクスとエンゲルスがどんな関係かも知らなかったのでおもしろかった。左とも愛妻家で、女性たちは活動家で、陳腐な言い方だが貧困や搾取や弾圧の中にも幸せがあったこともすばらしい。
2021年になり、人新世の資本論を読み始めたのでマルクスが最後まで書かずに終わった資本論のことなど気になり、もう一度ネット配信で鑑賞。
最後の産業革命で鉄道や工場稼働のシーン背景に共産党宣言が印刷されている。
労働者は機械人間だ、機械のつごうで働かされている。
プロレタリアートは奴隷だ。
長い年月を経て、幾多の革命、革命もどき、社会変革、を経て、2021年、いまだに奴隷制も荘園制度もそのままに、健在で、現在奴隷法なんていって、SDGsとか虚しく叫んでもこのような悪いシステムはなくならないどころかより巧妙に維持拡張し続けている。
社会はますます対立する二つの陣営にわかれていく、ブルジョワ階級とプロレタリア階級に。
ブルジョワは個人の誇りを交換価値に変え、
高い犠牲で手に入れた無数の自由を、良心をもたぬ商業活動の自由と取り替えてしまった。
新たな販路を求める欲望でブルジョワは地球を満たす。
世界ではなく地球を満たすという言葉が、マルクス晩年の探究を垣間見せてくれる。ブルジョワの、いまなら超富裕層の欲望。マルクスとエンゲルスの時代は紆余曲折あっても、社会は、世の中は、資本家中心と軍事力暴力中心のシステムはあまり変わらず弊害をそのままに今現在も恥ずかしげもなく続いている。当時と違うのは希望がないことか。
共産党宣言や資本論を読破するのは大変だから、高校とか大学とか、多様性の一環として、課題映画として見たらいいのでは。
生活と思想
えっと、思うところで終わってしまって、共産主義の本当のところまでいかない、まさに若きマルクスの物語でした。
消化不良な印象も、終わりのエンドロールを見ていると、胸につまるむなしさ、人間の欲望の変わらぬ醜さ、それでも戦う人間などの思いが込み上げてきて、泣きたくなってきて、映画としてよく考えられたものだと感心しました。
できればこの先、マルクスの思想がどのように世界で広まっていくのか、共産主義を知らないひとにわかるような続きが見たいな。after マルクスみたいな。
タイトルなし
レーニン・ゲバラ・カストロ・マンデラ
20世紀を代表する変革の指導者の前には
マルクスとエンゲルスがいた
.
カール・マルクス (1818-1883)
フリードリヒ・エンゲルス (1820-1895)
二人の出会いから「共産党宣言」執筆までの
若き日の活躍を描いた伝記映画
.
「資本論」「マルクス」「エンゲルス」
学生時代になんとなく学んだ程度
映画を観てちょっと知った気になった😂
『その思想は過去のものではなく
社会をよりよくするという思いが不滅である限り永遠である』
と監督が映画を通して語っている
.
エンドロールで流れるのは
世界を変えた曲として評価されている
ボブ・ディランの
🎼Like a rolling stone
好き❣️
世界を変えようとした青年時代のマルクスとエンゲルス
イギリス産業革命の影響で、経済格差が生まれていた1840年代のヨーロッパを映し出すところから始まります。社会派作品を得意とするラウル・ペック監督による作品。マルクスとエンゲルスが出会って(1844)、2月革命までに書かれたというマルクスとエンゲルスの共著『共産党宣言』(1848)の時期ぐらいまでを描いています。
マルクス、エンゲルスといえば、「資本論の人か」ぐらいの知識しかありませんでした。ただ、この大物2人の名前を掲げた映画、どんな映画なんだろう?と、興味しんしんでした。たとえば、仮に「織田信長・豊臣秀吉」というタイトルの映画があったら、それだけで、お腹いっぱい?になりそうなので、「マルクス・エンゲルス」というタイトルは直接的でかつ大雑把すぎるような気もしますが、結局、何も知らない自分は「おっ」と思って見ることになってしまっているのですが…苦笑。
英語、ドイツ語、フランス語が飛び交い、観念的、概念的、学問的な会話が飛び出し、ヘーゲル哲学だとか、一回聞いただけでは理解できない箇所も多々ありましたが、エンゲルスがマルクスを並々ならぬ情熱と努力でサポートしたというのがよくわかります。映画でも少し触れていましたが、エンゲルスは経済的援助もしていたようです。2人の友情をポイントに描いた映画ではありませんが、エンゲルスなくして、マルクスあらずといっても過言ではないでしょう。
余談ですが、マルクスとメイドの間に子供ができてしまい、マルクスが「認知したくない」とごねたそうです。それで、エンゲルスが「認知」を買って出たらしいです。(というより、マルクスが後生だからとお願いして、マルクス大好きエンゲルスが、しゃーないなあと受けて立ったような気がする)
超天才だったかもしれませんが、マルクスはやんちゃすぎて人格的にはどうなのかな……あまりお友達になりたくないタイプかも。
この映画を皮切りにというのも変ですが、マルクス、エンゲルス、共産主義、資本論など……その辺りの時代のことを題材にした作品があれば見たいなと思いました。
ブルジョアジーの利益=プロレタリアートの搾取
非常に単純な構造であった産業革命時代のヨーロッパ。封建制から自由を勝ち取ったブルジョアジーであったが、今度はそれが労働者階級から敵対するようになった。この映画ではマルクス、エンゲルスの共著である「共産党宣言」を著述するまでの若き二人とその家族を描いた作品ではあるが、実に興味深いストーリーだった。それまで、著述までの経緯なんてのも知らなかったし、二人の天才が偶然書いたんじゃないかと思ってたほど・・・
労働運動なんてのは現代とは違い、当時は自然発生的なものだったのだろうと思われるほど、搾取の非道さも少し描かれていた。工場では生産のため昼夜問わず、過酷な勤務内容で怪我人続出。そんでもって怪我をして使い物にならなければクビ・・・。そんな工場主の息子であるエンゲルスが労働者の立場とは違った目線で調査し論文を書く。いつの時代にも階級の違ったところから心強い同志が生まれるものだ。
そうして出会った二人の男。イギリスの“正義者同盟”という組織を利用するのだが、マルクスは「これから英語を覚える」と言ったところも印象的。映画を見てたら、ドイツ語、フランス語、英語と、どこでどう使い分けてるのかわからなくなってしまいました。
金がいつも無いことから、生活のため雑誌に投稿したりして銭を稼いでいるマルクス。大義を忘れるなとはっぱをかけるエンゲルス。さらにマルクスはちゃんとした思想家でさえも論破して追放するような口論も得意だったようで、利用するところはちゃんと利用する。プルードンなんていつも担ぎ出されていた。気持ちがよかったのは暴力革命を否定して、理論武装で論戦するところ。
あとは二人とも内助の功という面が際立っていた。いい奥さんたちだな~なんて、夫婦の理想像を見た気分。ただ、エンゲルスの妻は妹に彼の子を産ませるなどと言ってるのはびっくり。
現在ではしっかりした労働基準法があるので、いつの時代にもある階級闘争は激化しないが、働き方改革法案や外国人労働者受け入れにより今後は情勢がどう変化するのか不透明。さらに年金2000万円問題も明るみに出て、経済状況は悪化の一途を辿ることが予想される。19世紀の共産主義なんてのは歴史的にみれば自然発生的だったんだろうけど、情報化が進んだ21世紀はどうなるんでしょうかね・・・
知らないことを知る
名前しか知らない、しかも一人の名前だと思っていた・・何とも無知でお恥ずかしいですが、だからこそ知れて良かったと思いました。
知らないからこそ知りたいと思って鑑賞したこの作品は、わりと堅苦しくなく明るく観やすかったです。
自由と人権を手に入れたいと訴えていた一国民の二人が歴史に残るということは、影響力が凄かったのだと感じました。
この二人をよく知らない人は観るべし
実はこの二人のこと、よく知らなかった。なのでめちゃくちゃ勉強になった。やっぱ映画は「暗闇の学校」だ。
彼らの構築した社会主義は彼らにとって理想であり必然だった。
残念ながら映画としてはイマイチだったと思う。
『思想までは殺せない』
イデオロギーど真ん中の作品であり、大変な教養を求められる内容である。大学まで出たのに、理解できないことの情けなさ・・・本当にサボっていたことを心底思い知らされることに苛まれる、そんな作品である。
少なくても、『資本主義』『社会主義』そして『共産主義』という社会のあり方を知識として持っていないと、今作品のドラマ的伝記を愉しむことは難しいと思う。観念的、概念的シーンやカットもあるので、それも又、その思想を浅くてもいいから知っていないと本当の意味で理解出来ないのではないだろうか。実際、それ以外は、若き思想家が、親友を得、愛する家族を守りながら、逞しくヨーロッパ中を逃避行しながらも、現実と理想のギャップに悩みながら自身の思想を形にして、そして運動の中心者、イデオローグとなってゆく物語だけであるからだ。そう、それだけ・・・。激しい冒険譚でもないし、燃える様なラブロマンスもない。やはり今作品のキモは、マルクス著『資本論』を舐める位のレベルでもいいから知識として知っているかどうかに掛かっている。
そして、自分は持ち併せていなかったので、感情移入がまるで出来なかったストーリーであった。決して悪い作品ではないと思う。少なくても、19世紀のヨーロッパの暮らしや風俗が丁寧に描かれていて勉強になる。映画はこういう要素も大事なのだと気付かせてくれる作品でもあるのだ。ラストの劇伴のボブディラン『ライク ア ローリングストーン』の曲は一寸日和ったかなと、制作者側に皮肉を言うのが精一杯ではあるが(苦笑) でも、少なくても、『クレイジー・リッチ!』みたいな作品を観るよりかは充分有意義な良作である。
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