マルクス・エンゲルス 劇場公開日 2018年4月28日
解説 科学的社会主義を構築したカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの若き日の活躍を描いた人間ドラマ。1840年代のヨーロッパ。産業革命が社会構造のひずみから経済格差を生み出していた。貧困の嵐が吹き荒れ、不当な労働条件がはびこる社会にいらだちを覚えていた26歳のカール・マルクスは独自の経済論を展開するが、その過激な言動により妻とともにドイツ政府から国を追われる。フランスへとたどりついたマルクスは、パリでフリードリヒ・エンゲルスと出会う。それはのちに、これまでになかった新しい労働運動を牽引していく2人の運命的とも言える出会いだった。監督は「ルムンバの叫び」のラウル・ペック。
2017年製作/118分/フランス・ドイツ・ベルギー合作 原題:Le jeune Karl Marx 配給:ハーク
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2018年5月28日
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鑑賞方法:映画館
この邦題を見ると「一人の人間ではないんだよ」と諭したくもなるが、多くの人が彼らの名を音感的に”一緒くた”にして覚えているのも事実といえば事実か。ちなみに原題は「The Young Karl Marx」。つまりマルクス側に寄り添った物語ということになるわけだが、実際はドイツとイギリス、遠く離れた場所にいた二人が、やがて運命的な出会いを経て共闘していく姿を描いている。 専門家や彼らの著作に慣れ親しんだ人からすれば、二人を映画化すること自体が無謀な行為に思えるだろうが、それでも当時の時代状況を詳しく映し、若き二人の思想の原点、行動の着火点を颯爽と描き出す本作の手腕には好感が持てる。学生時代にこのような映画と出会っていれば「共産党宣言」や「資本論」にもスムーズに手が伸び、頭の中に彼らの姿をイメージしながら読み進めることができたのではないか。あらゆる意味で興味関心の「窓口」となりえる映画である。
2021年9月29日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
ー 学生時代に学んだ経済学の知識をフル活用して鑑賞。 マルクスとエンゲルスだけでなく、今作で重要な役割を果たす、無政府主義の父と言われたプルードン(オリヴィエ・グルメ!が演じている)や、ヴァイトリングなどが果たした役割や、当時のヨーロッパ各国(ドイツ・フランス・イギリス・ベルギー)における、一部のブルジョワジーと多数のプロレタリアートの関係性をサラッと、おさらいしておくと、今作の面白さは倍加すると思います。ー ◆感想 ・共に、地位的には裕福だったマルクス(彼の場合には、後に妻になるイェニーの家柄)と父が紡績工場を営むエンゲルスが、搾取される側のプロレタリアートの立場になって、共産主義思想を形成していく過程は有名であるが、今作ではそれをエンタメ要素を絡ませて描いている。 ー マルクスとイェニー、エンゲルスと工場で働いていたメアリーが恋に落ちるシーンなど。ー ・「私はあなたのニグロではない」を制作した、社会派のラウル・ベックが書き下ろした脚本が、良い。 1940年代に二人が運命的に出会ったシーンから、彼らが愛する女性の助力の元、ドイツを追われる中「共産党宣言」を執筆する日々に焦点を絞った事が、奏功したと思われる。 <ラストに流れる、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」が印象的な、20世紀に多大な影響を与えた二人の若き経済学者、思想家、哲学者の姿を鮮明に描き出した作品。 現代の共産主義を標榜する国家の多くが、独裁国家になっている事実。民主主義を標榜しながらも、経済格差が予想以上に広がっている状況を、マルクスとエンゲルスはどのように思っているのであろうか・・。>
封建社会が崩壊してブルジョアジーがプロレタリアから搾取する社会。 1848年に共産党宣言が出され170年しか立っていない。しかしその間に第二次世界大戦、ソ連の崩壊など激動の歴史となる。 日本や、アメリカでは、民主主義の社会にはなったものの、資本主義社会の矛盾が今も明確に露呈している。 利益第一主義は、公害を起こし食品の安全性を失わせ、人件費を安易に削る。 日本では、顕著に、労働破壊が起きた。わかりやすいのは、労働者の非正規雇用進み、労働者は、物扱いの道具になった。 労働者や労働力はマルクスが指摘したとおり商品になり、人間性や、ヒューマニズムが踏みにじられた社会である。 マルクスが議論交わす仲間の中で愛情や親切心、気持ちに、ヒューマニズムを訴える議論に、対抗にして、理論的な基盤が必要だとマルクスがとく。 ヒューマニズムはもちろんに大事だが、それらを実現する方法論がなくてはしかたない。 マルクスが書いた資本論は資本主義の矛盾を暴き将来的な重要な道しるべを残した。 共産主義社会がくるとは、問題がありすぎて、思わない。成功例がないから。ただ1000年後に来ないとも限らない。 しかし、マルクスが示した理想や道しるべを参考にしながら、まずは成功例である、たぶん、北欧にあるような社会保障が優れた福祉国家などには転換していくべきは、明らかだ。 日本社会は既に破綻寸前だとおもう。 マルクス、エンゲルスともに、非常にひととなり、人間味溢れて描かれていた。それぞれが愛する恋人がいた。それも素晴らしい人格を持った配偶者で何か羨ましい。 マルクス、エンゲルスの苦悩も見えた。合意形成の難しさも垣間見れた。二人がであったことが奇跡であり、二人を支えた恋人や、取り囲む労働者との出会いも奇跡に見える。 歴史は必然で推移するとマルクスがいうが、人の出会いは、奇跡の連続であり、そんな奇跡の中で人が情熱を持ちながら、ヒューマニズムを訴えながら、周りを感化することが社会を突き動かす言動力になっている。 映画的には難しい。
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マルクス、エンゲルス、だけではなく、プルードン、バクーニン、といろいろ登場して、彼らがどんな関係だったのか、どんな人柄だったのか、わかりやすく、かいまみれて楽しい。公開当初映画館で見た。マルクスとエンゲルスがどんな関係かも知らなかったのでおもしろかった。左とも愛妻家で、女性たちは活動家で、陳腐な言い方だが貧困や搾取や弾圧の中にも幸せがあったこともすばらしい。 2021年になり、人新世の資本論を読み始めたのでマルクスが最後まで書かずに終わった資本論のことなど気になり、もう一度ネット配信で鑑賞。 最後の産業革命で鉄道や工場稼働のシーン背景に共産党宣言が印刷されている。 労働者は機械人間だ、機械のつごうで働かされている。 プロレタリアートは奴隷だ。 長い年月を経て、幾多の革命、革命もどき、社会変革、を経て、2021年、いまだに奴隷制も荘園制度もそのままに、健在で、現在奴隷法なんていって、SDGsとか虚しく叫んでもこのような悪いシステムはなくならないどころかより巧妙に維持拡張し続けている。 社会はますます対立する二つの陣営にわかれていく、ブルジョワ階級とプロレタリア階級に。 ブルジョワは個人の誇りを交換価値に変え、 高い犠牲で手に入れた無数の自由を、良心をもたぬ商業活動の自由と取り替えてしまった。 新たな販路を求める欲望でブルジョワは地球を満たす。 世界ではなく地球を満たすという言葉が、マルクス晩年の探究を垣間見せてくれる。ブルジョワの、いまなら超富裕層の欲望。マルクスとエンゲルスの時代は紆余曲折あっても、社会は、世の中は、資本家中心と軍事力暴力中心のシステムはあまり変わらず弊害をそのままに今現在も恥ずかしげもなく続いている。当時と違うのは希望がないことか。 共産党宣言や資本論を読破するのは大変だから、高校とか大学とか、多様性の一環として、課題映画として見たらいいのでは。
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