「☆☆☆★★ ラストカットにはほんの少しだけ説明が必要か。 ファース...」人魚の眠る家 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)
☆☆☆★★ ラストカットにはほんの少しだけ説明が必要か。 ファース...
☆☆☆★★
ラストカットにはほんの少しだけ説明が必要か。
ファーストシーンでボールを拾いに来る男の子が、瑞穂の心臓を移植した男の子。
久しぶりに地元に戻り。外に出られる喜びから、懐かしい街並みを歩いて行くうちに。以前にボールを拾いに入った家で見かけた、眠っている不思議な少女の家を思い出す。
原作読了済み
原作を読んでの率直な感想は。流石は東野圭吾、読ませる筆力が凄い…とゆうモノだった。
但し、原作自体が素晴らしかったか?と言うと、ちょっとどうだったのだろうか?…と思う部分も。
映像化に関しての尺の問題で。読んでいても「あ?この辺りはカットされのだろうな!」と思った場面が多数。
中でも、新章房子がらみの場面は、おそらく描かれ無いだろうな?との思いは強かった。
何よりも、原作だと映像が無い分だけ可能になる新章房子と、薫子とのすり替わり。
これをそのまま映像で描いてしまうと。本来の字を追うだけの読者に対する、ミスリードとしての仕掛けが。映像として提示されてしまう事で、ミスリードには成り切れなくなってしまう恐れが強くなってしまう。
ただ、この新章房子が登場する場面は。何故臓器移植に高額なお金が必要なのか?世界的な移植事情と共に知らされる、日本人のエゴが炙り出される。原作でも重要な部分では有ったのですが…。
それだけに。このシークエンスを映画では、薫子から和昌に入れ替わるアイデアは。観る前には全く予想もしておらず意外だった。
他では。2人の愛人に、星野とその恋人の真緒。場合によっては、弟の生人の描写もかなりの量がカットされるのでは?と思え。実際にも互いの愛人はカット。星野と真緒、生人を始めとした周辺の人達の設定や、ストーリー展開は原作通りになっていた。
まあ、細かく言ってしまうと。祖母は和昌から見て、どんどん心痛から痩せて行っている様に見える…ってゆう事だったのだが。演じるのが松坂慶子だとそんな感じには見えないのだけれど(^_^;)
脳死は死なのか?死の判定とはどの時をもって死と言えるのか?
原作が放つ問題意識の意義には、震えが来る程の凄さを感じはしたが。これをエンターテイメントとして、読者に伝える事の難しさも同時に読んでいて知らされれた。
エンターテイメントとしてのミステリー仕立てにする為と思われる、原作後半で薫子が行う誕生日会での事件。
流石に、この場面の強引さによる茶番劇には。読んでいても「なんじゃこりや〜!」…と。
何よりも、原作を通しての主人公となる薫子の。思いの強さから来る、母親としての自己中愛の異常性。
これを映画を観に来た観客に、果たして理解を得られるのだろうか?とゆう疑問が、どうしても拭えなかった。
ところが、原作だと茶番劇に思えた(あくまでも個人的に)この場面でしたが。篠原涼子が放った、(確か)原作には無い。「国からのお墨付きを貰うの!」の一言で。原作を読んでいた身として、何だか納得させられてしまうとは思わなかった。
原作を読んで薫子を篠原涼子が演じる事は、「有ってるのではないか?」と思わされた。
はっきり言って、演技力はテレビ的で今一つとは思えるのだけれど。薫子の時々見せる嫌味な台詞や、性格。時として瞬間湯沸し器的なところを見せる場面等が、如何にも…と思えたので。
観る前には。ここ数年の堤幸彦を考えると、とても出来の良い作品になるとは思えなかったのですが。今回の映画化は、東野圭吾原作の中ではまずまず成功の部類に入るでしょうか。
それでも、映像に少しばかり凝るカメラワークやアングル・照明の当て方等。少しでも前に前に…と、主張して来る部分は気にならない…と言ってしまうと嘘になってしまいますが(´-`)
2018年11月18日 イオンシネマ市川妙典/スクリーン3