15時17分、パリ行きのレビュー・感想・評価
全322件中、21~40件目を表示
これはNHK特集かなんかですか
見た後でこれが実話で主人公は当事者本人、クリント・イーストウッドが監督という事を知った。そう言われて見ると確かにありがちな列車内パニックと一味違うリアルさ追求の映画と感じなくもないが…それがないとなんとも中途半端な映画としか言えん。予備知識前提で味わうべきというのは……邪道だよなぁ。
164位/529中 2022.12.14現在
評価が難しい、、、、
自分は結構イーストウッド作品は
好きです。
ただイーストウッドの作品の中では
下位かなとは思うけど
自分が観てきた作品の中では
真ん中よりは全然上のランキング。
このテロ事件について
映画を作ってくださいと言われて
こういう作り方は思いつかない!
もちろん凡人の自分と
比べてはいけないけど
やっぱイーストウッドは
すごいなぁと思う。
ただ、作り方はすごいなぁと思ったけど
何日か経ってみて感動は薄いかも。
でも、考えさせられる映画ではある。
自分は、カッコつける訳ではないけど
あぁいう場にいたら
犯人に向かって行ってしまうタイプ。
と言っても、多分今は違う。
娘が産まれて父親になってから
自分は人生が激変した。
自分の命より大切だと思える。
だから、もしあの場にいたとして
娘のことを考えると行けないかも、、、
そういう人もいると思う。
でも、何もしないで全員死ぬか
立ち向かって倒してヒーローになるか
でも
立ち向かって
ヒーローになって死ぬ場合もあるし
ヒーローにもなれず
なにも出来ずに死ぬ場合もある。
彼らは素晴らしい英雄だけど
本当に本当に判断は難しい。
映画の話からは若干ズレてる、、、
でもいざというときのために
自分はどうするのか
考えておくことは大事だし
そういうことを
考えさせてくれる
素晴らしい映画だと思う。
初回鑑賞年齢→42歳
(2022年時点42歳)
初回鑑賞場所→自宅 スマホ
鑑賞回数→1回
記憶度→85%
マイ映画ランキング
2022年時点
全映画中→164位/529中
洋画部門→137位/443中
居酒屋がんたくには
映画のチラシが壁全面に貼りめぐらされた
映画の部屋があります!
映画好きの方は絶対楽しいですよ!
お待ちしています
こまります
■好きなところ
マッチョたくさん
お母さん綺麗、街で会う女の子もカワイイ。
ー本当に監督の趣味がいい。
実話
パリがよくないという伏線回収
若者の挫折の描かれかた
まさかの本人起用でも違和感なし
■嫌いなところ
アムステルダムに切り替わった所が
分かりにくかったが、どうでもいい。。
人助けしてもそんなに人生変わらない
と思う。変わるのは多分3か月くらい??
でもそんな、光の差した人生の一部を
残すのが映画だと思う。
映画を作る人はそれが使命と感じて
いるのではないでしょうか。
涙が出るのをガマンしてましたが、
最後にノンフィクション作品で、
あと監督名を知って、、いつもの
監督の手法だと知りました。
監督の思い通りに感動していまい、
本当やめてほしいと思って泣いて
しまいました。
鑑賞後の心の落ち着かなさこそ醍醐味
素人を主役にしても映画になってしまう、っていう恐ろしさ。
再現VTRにならないこの映画力ってなんなんだろうと思いながら鑑賞しました。
未知なる凄いものを観たって感じ。
そしてイーストウッドの作品をある程度見ているとこの作品の到着地点がとても重層的な意味を持つことがわかり、こんな気持ちにさせられるのも稀有なことだ。
説明するのも野暮だけど、イーストウッドはこの主人公3人のことも、称賛する政治家も、熱狂するアメリカ人(映画を見て熱くなった我々)も、薄っぺらく明日にはどちらに裏返っているかわからない、っていう前提のこのラストなのであって、あーー、なんて気持ちにさせるんだよー、って思いました。
とにかく稀有な傑作。
エンタメとしては、、、
究極のリアリズムに挑んだ野心作
2015年に発生した列車テロ事件の顛末を超リアルに描いた作品だと思っていたが、見事に裏切られた。シンプル、ナチュラル、リアルという言葉がピッタリ当てはまる面白い作品であり、観終わって清々しい余韻が残った。本作は、列車テロ事件の当事者を演者にして、究極のリアリズムに挑んだ名匠クリント・イーストウッド監督の野心作である。
意外だったが、本作は、物語の殆どをテロ事件に遭遇した主人公である3人のアメリカ青年達の過去を描くことに費やしている。更に、事件直前にヨーロッパ旅行をしていた彼らの行動を丁寧に追うことで、事件直前の彼らの心情に迫り、彼らの目線でテロ事件を描いている。主人公達を演じる3人の演者達のナチュラルで素朴な演技が奏功してドキュメンタリーを観ているような感覚になる。
テロ事件の背景が全く描かれないのは、主人公達もそうだったからである。主人公達も何も知らされず、突然、事件に遭遇したからでる。多くを語らず、あくまで、シンプルに、主人公達の目線でテロ事件を捉えることに徹している。
主人公達は、決して正義感溢れる品行方正な好青年ではない。幼少期から問題児ではあったが、挫折を繰り返しながら成長した、ごく有り触れた青年達である。そんな青年達が列車テロ事件に遭遇してどういう行動を取ったかがクライマックスであるが、当事者を演者にした効果で、ニュース映像を観ているような臨場感が際立っている。主人公達の行動は、カッコ良いというよりは泥臭く一生懸命であり、実話らしい生々しさが伝わってくる。過去から主人公達を描いているので、彼らに感情移入し易く、彼らの行動には胸が熱くなる。
彼らの事件後は簡単に触れられるだけで、あっさり終わってしまう。もっと盛り上げることはいくらでも出来たはずであるが、それをしないことに本作の真髄がある。あくまで、イーストウッド監督が我々観客に提示したかったのは、名も無い、普通の若者達がテロ事件でどういう行動を取ったかである。テロは特別な事件ではなく、世界中のどこでも起き、誰でも遭遇する可能性があるということが強調されている。テロの日常性が強調されている。
最近、極限状態の人間達をリアルに描いてきたイーストウッド監督の次回作はどうなるのだろうか気になる。更にリアリズムに踏み込んでいくのか、軌道修正をするのか、名匠が次に何に挑んでいくのか楽しみにしたい。
イーストウッドの、人間の生き様としての統一テーマ性は感じられるものの…
クリント・イーストウッド作品としては
「荒野の用心棒」や「ダーティ・ハリー」等の
俳優としてのたくさんの映画はもとより、
監督ものとしても約20作品で
楽しまさせて頂いたが、
この作品もキネマ旬報第6位(読者選出共)
との高評価もあってレンタルして初鑑賞。
しかし、イーストウッド映画としては
残念な印象だった。
鑑賞前は、本人役を演じたという3人が
犯人と乗り合わせた列車での英雄譚を
じっくりと描いた話かと思ったが、
冒頭のかなりの時間を割いて
少年期と軍隊での訓練シーンが長く続き、
でもまあ軍隊での訓練が
犯人逮捕に活きるのだろうと想像しつつも、
いつ事件そのものが始まるのだろうと
我慢しながら更に鑑賞を続けた。
しかし、中盤になると今度は長々と
観光映画を見せられた気分にさせられ、
気持ちが萎えてしまった。
何故この内容でキネマ旬報第6位の
高評価なのか、全く理解に苦しむ。
この年は、
米国社会の病巣とそこからの脱却への期待を
見事に描いた「スリー・ビルボード」や
「ペンタゴン・ペーパーズ」等の名作が
公開された年だが、
私の感覚では、後年の記憶に残るような
作品が多くはなかったような気がする。
想像するに、絶対的な価値ではなく
相対的な判定の結果、本来の評価以上に
繰り上がったと理解しないと、
私にとっては
キネマ旬報ベストテンへの信頼性が
揺らいでしまい兼ねない順位だった。
あるいはクリント・イーストウッド神話が
専門家の判定までもそうさせたのか、とも。
また事前に、ラストに驚きのシーンがあると
知らされていたが、
まさか当時の本当のオランド大統領が
出演してくるとは驚いた。
これもイーストウッドの成せる技
なのだろうか。
彼の作品は、人間の生き様としての
統一テーマ性は常に感じるが、
ジャンルや時代性にはかなりの幅があり、
彼の懐の深さを再認識はさせられた。
この作品も社会的な意義はあるのだろう。
しかし、この映画では、
そもそもが描くべき事件そのものと、
3人の性格描写のための子供時代・軍隊時代・
旅行の各エピソードとの時間配分は
逆だろうと思うし、
結果、長過ぎない上映時間にしては
無駄なシーンも多く感じられ、
作品としてのレベルとしては
大いに疑問を感じさせられるばかりだった。
称賛
人のためになりたいという祈り
フランスで実際に起きたテロ事件を映画化したもので、
主人公3人は俳優ではなく当の本人!
その話を聞いた時に映画館で観たいなと思ったものの、
見逃してしまい、やっとケーブルテレビで視聴。
良い意味で予想を裏切られた!
とにかく子供時代のスペンサーが最高にかわいい。
そして、この映画の主題はアメリカ讃歌でもヒーローものでもない。
ただ純粋に人を助けたいという気持ちを持っている若者がいることに涙が出た。
自分ができる最善を尽くす、
それだけでこの世はもっと良くなるんじゃないか。
とても暖かい気持ちになれました。
未見の方はぜひ観てほしい。
素人を起用して映画を一本撮ってしまう職人
日本語吹き替え版で鑑賞。声優さんの演技で、シロウト臭さは中和されるようだ。そもそも、予告編の時点で、事件に巻き込まれた当事者が出演しており、プロの俳優が演じているのではないことは事前に分かっていたので、妙な違和感は感じることなく見ることが出来た。宮崎駿のアニメなんかでは、声優以外のキャスティングが物議を醸すが、私には気にならない。この映画でも、演技の素人が演じていること自体は不思議と気にならなかった。
監督の意図がどこにあったかは知らないが、真実味を重視したら、このやり方になったのかも知れない。直前の作品は、『ハドソン川の奇跡』『アメリカン・スナイパー』と、いずれも実話をベースに脚色したもの。俳優が演じることに、違和感を感じ、出来ることなら、当事者に語らせたいと思ったのかもしれない。
もちろん俳優が演じたほうが感情移入が出来るし、よりたくさんの共感を得ることが可能になるだろう。イーストウッドには、まだトライできる余地があったし、失敗しても次がある。実績のない新人監督であれば、こんな試み自体成立しなかっただろう。そういう意味で、前例のない映画を見られた。
例えば、奇跡の歌声をフィルムに収めておきたいというような、セミ・ドキュメンタリーにはこの形式が似つかわしいだろう。まるで、ナショナルジオグラフィックの番組を見ているような感覚になった。そして、残念ながら、映画一本見たような感動は得られなかった。
2018.12.19
二つの凡作への反省で撮れた秀作。
自信が持てる機会を掴んだ。
かなりの人が書いているようなコメントを避けて、他の視点で私の感じたことを書く。
まず、アンソニーがスペンサーとアレックスのことを回顧しているという形が映画の初めの方だ。でも、この映画はストーンに焦点が当たっている。ストーンの環境は家庭にアメリカ国旗が飾ってあり、部屋のホスターをみても戦いが好きそうな様子を覗かせている。そして、高校を卒業して軍隊に入る。人を救う部隊(United States Air Force Pararescue)に配属を希望していたが、検査で深視力がないとわかり配属先は自分の希望通りにならなかった。
小学校学校生活で、すでに、教師から指摘されたように、ADDか ADHDなにか学習障害を抱えているのではないかと。このとき、先生は薬を飲むことをアドバイスに入れたが、まず、学習障害検査を受けることを勧めるべきだ。小さい頃、学習障害を持っているかわかると、薬を飲まなくても、本人、家族、先生などが気にかけるので良い方向に動くことが多い。
軍隊に入って、小さいホケットみたいのを規定通り縫うことができず、上官に指摘を受ける。こういうことはADDの人はうまくできない。私は高校の教師だが、ADDの学習者の見分け方の一つにクラスでみんなに『折り紙を』折らせる。その折り方で良くわかる。他にも、兆候がADDだと教師のレベルで判断できるが、これはあくまで教師の判断で、これに科学的な証拠がいる。それは、学校群でや病院でする学習障害検査である。これにより、医者に行き、医者からの診断があると、私たち教員は、カウンセラーからアドバイスをもらい、ADDの学習者と本格的に向かい合わなければならない。
スペンサーのADDについて、この先生と家族、スペンサーは一緒に向き合わなければならない。それができなかったから、スペンサーはどこでも、自信を失っていた。特に人を助ける部隊(United States Air Force Pararescue)に配属されなかったことが。でも、結局、咄嗟の判断力が惨事を防ぎ、多くの人々を助けた。軍で人を助ける部隊に配属されなくても、どこかに人を助けるチャンスはある。小さな人助けでも、人の生命を救う人助けでも。人助けは人助け。
でも、この事件解決にスペンサーが関与していなかったら、彼の自身はどこでついたろう。この彼の学習障害が小学校ではっきり診断されていたら、スペンサーの将来も違っていたろうが、この事件に関わっていなかったかもしれないし、人生がどう転ぶかだれにもわからない。
。
タリスとアムステルダム
アムステルダム〜パリのタリスには一度だけ乗ったことがある。98年5月のチャンピオンズリーグ決勝、アムステルダム・アレナ。レアル・マドリーvsユベントス。チケットも持っていなかったけれど、パリからアムステルダムへ向かった。
前日にアムステルダムに着き、ホテルのオヤジさんにチケットは買えるか聞いたら、とっくに完売だとそっけなかった。試合当日のスタジアム周辺で、気さくな白人の青年がチケットがあると話しかけてきた。いくらで売ると聞いたら20万円だと言う。そんなに高くて誰が買うのだと聞いたら、イタリア人は買うぞ、あれを見ろと。見るとCDに長蛇の列ができていた。残念だけど手が出ないと言って別れた。ウロウロしているとサングラスをかけた背の低いイタリア人らしきダフ屋から声をかけられた。確か4〜5万円だったが格安に感じられ思い切って買った。喜び勇んで入場ゲートを通ったところでブザーが鳴った。警察官にお前のチケットはすでに入っているのだと言われ、つまみ出された。偽造チケットをつかまされたのだった。ホテルのオヤジさんには、しょっぴかれなかっただけよかったとなぐさめられた。安くないレッスンだった。
その後のフランスW杯決勝のダフ屋相場は40万円だった。誰が買うのか聞いたらアメリカ人とアラブ人だと言う。ダフ屋もクレージーだと言っていた。
この作品で見るタリスは車両もシートも20年前と変わっていない。車窓の風景もほとんど同じ。なかったのは風力発電のプロペラくらい。インターネットはあったけれど、特急列車にWiFiなんて想像もできなかった。まだダイヤルアップの時代で、ホテルの部屋の電話にパソコンをつなぎアクセスポイントに接続するのに苦労したことを思い出す。電話代が心配で、もっぱらニフティサーブでテキストで情報を得ていた。
あのころ国際経済はグローバル化以前、通貨のユーロも導入前だった。パリもヨーロッパも旅をするのに何も不安を感じなかった。偽造チケットくらいだった。いい時代だった、と言えばいいのだろうか。
全322件中、21~40件目を表示