「他人の家のアルバムを時間かけて見せられる拷問」未来のミライ kozoi480さんの映画レビュー(感想・評価)
他人の家のアルバムを時間かけて見せられる拷問
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異世界冒険譚は、一度行ったら目的を完遂まで帰ってこないものだ。この映画はいくつもの小さなできごとを傍観しに時間を超える。くんちゃんはただ傍観するだけ。ブツ切りの人生イベントをチラ見しただけですぐ現実に戻ってきてしまう。成長もなく。その行ったり来たりのおかげで話がドライブしない。バイクの話の頃にはひたすら早く終わってくれと願っていた。
あの題材なら、バックトゥザフューチャーやメッセージ(2016)のような過去や未来に干渉して現実の均衡を守る冒険モノにできたはず(少なくとも予告やポスター、未来のミライというタイトルからは時間旅行大冒険を期待させた)。そうしなかったのは単に監督のあまのじゃくだろう。
子供を観察して描写にこだわったそうだが、いうほど動きが生き生きしていない。現実の子供のわけわからなさ、想定を超えてくる奇行がまったくなく、「大人の頭で考えた子供像」の域をでない。子どもはもっとバカだし、支離滅裂な言動をする。言語化されない思考やコミュニケーションこそ子どものかわいらしさの正体だ。見ている親がそこに意味や理由を勝手につけているだけ。
たいして親しくもない他人の家のアルバムを時間かけて解説されてるような感覚。
あと、どんなに忙しかろうとはじめて自転車の練習をする子から目を離してはいけない。何度も転ぶような危険なやらせかたをしておいて、失敗から学べって根性論は古い。そんな命がけの失敗させてどうする。リスク高すぎるだろう。
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