志乃ちゃんは自分の名前が言えないのレビュー・感想・評価
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青春だからか
志乃ちゃん役、演技するのも大変。
実体験ということだから、
吃音ではないのか。
偶然自転車置き場で出会った子、
準備よくメモとペンの携帯。
突然普通に喋る。
カラオケで上手く歌う志乃ちゃん。
二人でバンドを組んだ、
あの道路でストリートミュージシャンだが、
人より車が通るとこだと思う。
いい歌ばかり。
菊地について加代ちゃん、はっきり言うなぁ、
菊地に消えて、って⁉️
ゴミ拾いのおじさん、夜仕事しないよう。
しのかよでなら、志乃ちゃん100%シンガー。
素晴らしい。
菊地が入って来て、志乃ちゃん、
歌えなくなって、
加代ちゃんともギクシャクして、
二人で出演する筈だった学園祭に、
加代ちゃん一人で頑張った‥‥。
志乃ちゃん、頑張るシーンもあるけど、
青春時代、難しい。
中学時代を思い出す
学生時代(とくに中学)ひとりにならないために友達作りをしようと思うことは多いと思う。自分は菊池に感情移入をした。
菊池はいじめられた過去があり、高校デビューする為に、クラスメイト達にたくさん話しかける。自己紹介で目立つ発言で人気になろうとするが、失敗。そして志乃ちゃんの自己紹介の番になって、吃音で自分の名前が言えないしのちゃんのことを笑う元凶になった。クラスに溶け込むには陽キャになることが大事。菊池は学校での居場所を作るため、自分を守るためにしのちゃんを利用した。学校ではありがちなことだな...と思った。
自分も、学校は1人になったら終わり。と思っていたので菊池には共感する部分は1番多かった。それでも菊池は空気が読めないうざいやつとしてみんなから煙たがられていた。
菊池は、1人は嫌で、友達がほしくて、ここなら自分の居場所になるかも、と、自分の利益になることだけを考えて、2人の間に割って入った。本当に都合が良すぎるなと思った。でも、1人になりたくない、友達作りに囚われている菊池の気持ちも理解できる。
学校祭当日、しのちゃんが歌うはずだったが、発表時間になってもしのちゃんは現れなかった。かよちゃんは、人には聞かせたくないコンプレックスである、音痴な歌声を全校生徒の前で披露する。その覚悟ある行動に、かよちゃんと菊池は胸を突き動かされる。2人の目にはかよちゃんがとてもかっこよく映ったと思う。
ありのままでいい、という意味の歌詞が、かよちゃんの行動でそれを体現していた。それぞれがバラバラに、ありのままで自分達の道を歩んで行ったという終わり方。みんなコンプレックスや悩みを受け入れて自分らしくそれぞれの道を歩んで行った。という良い意味でのバラバラで、それぞれの成長が垣間見れていい終わり方だった。
南さらちゃん、蒔田彩珠ちゃん、萩原利久くん、みんな今よりも幼くも、演技が素晴らしかった。とくに1番好きだったシーンは、菊池演じる萩原利久くん。二面性のある役どころだからかなり難しかったように思うが、それを見事に演じ切っていた。駐輪場でしのちゃんに「お前、弱虫だよ、ゾウリムシだって戦うからな!」のシーンは本当に見ていて痛々しくてみていられないほどにリアルで自然で、素晴らしかった。しのちゃんに対する怒りと、公の場で無視されるという恥ずかしさと、いろんな感情がうまく調和された演技。踵を返して立ち去る姿まで青臭い高校生感が滲み出ていた。
あの頃
3人が
バラバラになったまま、
ハッピーエンドじゃない
終わり方には
もやもやしたし、
意にそぐわないと
バンドをやめたり
物を投げたり
朝まで家に帰らなかったり
ずいぶん勝手な志乃ちゃんだとも
思った。
でも、あの頃って
自分もそんなものだったなと。
子どもだから、
人の気持ちも考えられずに
傷つけたり
傷つけられたり。
かなしい思いや
さびしい思いもしながら
成長していった。
それから
誰しも
何らかのコンプレックスは
持っていたと思う。
人を応援したり
人の気持ちに寄り添おうとしたりする
菊池君が見られるようになり、
かよちゃんは、
今までつくれなかった曲を完成させた。
不器用でも
まっすぐ懸命に
生きている姿に共感できた。
「あげる」「ありがとう♥」
吃音者の障害の問題ばかりではない。
心の流れが良くつかめた。
助演の女の子の最後の歌。
ボブ・ディランの
「ワン・モア・カップ・オブ・コーヒー」を彷彿させた。
さて、主演の女の子は最後に自分の名前は言えたが、本当の気持を助演の彼女に伝える事ができぬまま、恋は破局する。
しかし、後日、新たな恋が始まる。
男目線な少女に対する気持は少し残ったままだが、そのあたりを吃音と言う障害に置き換えてうまく表現していると僕は共感する。
良い時の岩井俊二さん見たいな作品じゃないかなぁ?傑作だと思う。
途中までは良かった
てっきり菊池に笑ってごめんと謝罪を受けたときに、自分もカヨのコンプレックスを笑ったことを思い出して和解するのかと思いきや奢ってもらったアイスを床に捨てて「うるさい!」
シノに好感が持てなかった。
笑わないでと言われたカヨのコンプレックスを笑った時点で ええ… とは思いつつ謝罪したのでまあまあ、と思ったら、自分が笑われたことは許さんのかい。
そしてあのクールなカヨちゃんが泣きながら謝ってまた二人でバンドやろう、と、カヨちゃんは菊池に好意的だったのにシノのために歩み寄ってくれたのに、それまでも拒絶。
最後は新しいお友達ができそうな予感で嬉しい⭐︎ありがとう♪で終わり…
なにこれ?
ハッピーエンドでもバッドエンドでも無い。トゥルーエンドにしては中身が無い。悪い意味でモヤモヤが残る中途半端な映画。
結局何?シノは自分に変わることを求める二人が嫌だったってこと?
自分の痛みには敏感な癖に他人の痛みはガン無視で自分の気持ちを泣きながら吐露するばかりの自己中心的な人物という印象。
最後まで振り回されっぱなしのカヨちゃんが可哀想でした。吃音症のシノにも偏見を持たずメモとペンをあげたり、最後までシノの“声‘’を聞こうとしてくれていたのに。
カヨと菊池の友情は壊しておいて自分は新しい友達にニッコリ。
無難に菊池と仲直りして三人でバンドして終わりで良かった。
けど原作が押見修造と知ってなんだか納得。
あの人の作品はあの人が撮らないとワケワカメになりそう。
どなたか教えてください
吃音で苦しむ南沙良が、蒔田彩珠とバンドを組むことで歌に目覚めていく。その過程が素晴らしい。賛否あろうが、光を活かした映像も美しい。が、萩原利久が絡んでくるあたりから、雲行きが怪しくなってくる。南はバンドをやめてしまい、さらには不登校に引きこもりとなる。その理由が理解できない。萩原が気に入らないことには違いないのだが、何故、引きこもりにまでなるのか。その後、萩原がおごろうが、謝ろうが、叱咤しようが変わらず。ようやく、蒔田と一緒に出掛けるところから新たな展開になりそうと思いきや、期待は裏切られる。海辺のバス停で一夜を明かし、そして夜明け。和解のシチュエーションとしては理想的と思ったら、ここで決裂が決定的となる。南の態度を理解できないままなので、コンサートのクライマックスシーンで、絶叫しながら心情を吐露する場面にも共感できない。これならば、歌を通して吃音を克服していくというベタな結末の方が良かった。
丁寧に描かれた、ままならなさを抱える少女たち。
志乃と岡崎さんが友情を深めていく2人のシーンの美しさよ…。
あそこの美しさが本作は何より印象的だった。
志乃と岡崎さんの素朴で真っ直ぐな声と音で奏でられる「あの素晴らしい愛をもう一度」やミッシェルガンエレファントの「世界の終わり」、ブルーハーツの「青空」も良かった。
主人公・志乃は吃音が原因で自分をうまく認められないことから周囲とうまくいかない。
吃音という症例を知っている身からすると、彼女の症状は「吃音」であるのは明らかなんだけど、本作では「吃音」という言葉は一度も出てこないんだよな。
たぶん観客に「症例」という意識を作り出さないための作り手のあえての意図なんだろうと思う。
志乃は別に特別な存在ではなく、自分の肉体にままならなさ(これは多かれ少なかれ誰にでもある)に悩み傷つく「普通の多感な女の子」なのだと。
志乃が話したくても言葉が継げない様子はとてもリアルだった。本人と一緒に私も歯がゆさを感じながら観ていた。
(あと先生や母親の吃音への無理解も歯がゆい。)
志乃だけでなく、岡崎さんのままならなさ、菊池の苦しみも丁寧に描かれていたのが良かった。
特に菊池に対しては志乃たち同様イラっとすることが結構あったけど、彼も自分じゃどうしようもなくて、どうにか良い方向に持っていこうともがいているのがわかるのが良いよね(客観的に見れば良い方法ではないのだけど、それを菊池が自分ではわからないということがわかる人物描写…)。
ラストまで志乃の吃音は治らないし、岡崎さんは歌がとても上手くなったわけではない(きっとたくさん練習はしたのだとと思うが)。菊池はクラスにうまく溶け込めたわけではない。
それでも、それぞれがそんな自分を少しは受け入れらたのかな?と感じさせる終わりが良かったと思う。
しかし薪田彩珠ちゃんの役者としての存在感は毎回すごいなと思う…。
意識しなくても不思議と目が持っていかれる役者さんだ。
青春時代の気持ち
志乃ちゃんがメインのお話だったが、自分は学生時代、友達作りに必死だったため、菊池にすごい感情移入した。菊池はいじめられた過去があり、高校デビューする為に、クラスメイト達にたくさん話しかける。自己紹介で目立つ発言で人気になろうとするが、失敗した。そして志乃ちゃんの自己紹介の番になって、吃音で自分の名前が言えないしのちゃんのことを笑う元凶になった。クラスに溶け込むには陽キャになることが大事。菊池は学校での居場所を作るため、自分を守るためにしのちゃんを利用した。学校ではありがちなことだな、、、と思った。自分も、学校は1人になったら終わり。と思っていたので菊池には共感する部分は1番多かった。それでも菊池は空気が読めないうざいやつとしてみんなから煙たがられていた。
菊池は、1人は嫌で、友達がほしくて、ここなら自分の居場所になるかも、と、自分の利益になることだけを考えて、2人の間に割って入った。本当に都合が良すぎるなと思った。でも、1人になりたくない、友達作りに囚われている菊池の気持ちも理解できる。
学校祭当日、しのちゃんが歌うはずだったが、発表時間になってもしのちゃんは現れなかった。かよちゃんは、人には聞かせたくないコンプレックスである、音痴な歌声を全校生徒の前で披露する。その覚悟ある行動に、かよちゃんと菊池は胸を突き動かされる。2人の目にはかよちゃんがとてもかっこよく映ったと思う。
ありのままでいい、という意味の歌詞が、かよちゃんの行動でそれを体現していた。それぞれがバラバラに、ありのままで自分達の道を歩んで行ったという終わり方。みんなコンプレックスや悩みを受け入れて自分らしくそれぞれの道を歩んで行った。という良い意味でのバラバラで、それぞれの成長が垣間見れていい終わり方だった。南さらさんや蒔田さんの演技、素晴らしかった。特に1番好きだったシーンは、菊池演じる萩原利久くん。二面性のある役どころだからかなり難しかったように思うが、それを見事に演じ切っていた。駐輪場でしのちゃんに「お前、弱虫だよ、ゾウリムシだって戦うからな!」のシーンは本当に見ていて痛々しくてみていられないほどにリアルで自然で、素晴らしかった。しのちゃんに対する怒りと、公の場で無視されるという恥ずかしさと、いろんな感情がうまく調和された演技。踵を返して立ち去る姿まで青臭い高校生感が滲み出ていた。
超意欲的な作品、参りました。
次の展開が読みやすい映画だなと思っていたら、大間違い。思わぬ終着点。
はみ出し者たちが一致団結して大事を成し遂げる映画だと思っていたが、終盤はエヴァばりのカルトムービー。突然主人公が脱退するのも最後一応の説明はあるが、納得いかない。結末もそれぞれの道を行くというまさかの裏切り。登場時から明らかにキーとなる空気読めない男子はもう少し活躍させてもよかった。
「紆余曲折あって最後どうせ自分の名前を普通に言えるようになるんでしょ!」という我々の安易な先入観をぶっとばしてくれる映画。爽快。
場面緘黙症
最近、目にするようになった場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)の少女のお話だった。
家では普通に話せるのに、一人では普通に話せるのに…
人の前だと緊張して話せなくなる。
現実にその悩みを抱えてる子たちはたくさんいて、
志乃ちゃんみたいにかよちゃんみたいな存在がいるのといないのとでは雲泥の差だろうと思う。
殆どの子たちが孤独と戦いながら日々を生きているのかと思うと志乃ちゃん良かったね…って気持ちで見ていた。
自分で自分の殻を割れというメッセージなのか、
志乃ちゃんのように誰もが自ら殻を破ることは出来ないとしたら、周りの人間が手を差し伸べてあげれるような世の中であってほしいなと感じた。
親目線で見て泣ける
原作が漫画とは知らなかった。
侮れないよね。。
メチャメチャ良かったよ。
自分には高校生の娘がいるのでかなり刺さったな😭
最初橋で初の路上ライブをやるシーンなんて、恥ずかしさと甘酸っぱいさが
マックスに描かれて見ていても恥ずかしいんだけど、頑張れ~!って応援したくなるよね。
青春時代って未熟故に自分の能力値もわからないけど、なんだか根拠の無い自信があったりして
だからこそやっちゃえることがあると思う。振り返れば無謀だったと思ったりするんだけど
それはそれで青春の1ページなんだよね。初路上ライブのシーンはなんか熱くなったなー。
菊池はかなり痛い。
でもわかる。
溶け込もうと頑張って、頑張るほど浮いてしまう。
人との距離感とか空気とか読めない。悲しいくらいウザいんだよね。
個人的には大ッキライだけど、映画ではちょっとずつ気がついて行ったのかな?
相手のことを考えてやる事が大事なのが。
また菊池がバンドに入ったことで志乃は加代を取られてしまうのではないかという
焦りが出ちゃうのもよくわかるー。
人間て3人あつまって二人が話盛り上がっちゃうとすごく疎外感感じるんだよね。
グループの中が良ければ良いほどね。
3人のクラスでも浮いてしまう子供たちが
必死で友達作りや趣味に打ち込む姿が結構リアルに描けていたと思う。
誰もが感じるであろう、孤独感や疎外感、それらから逃れるために必死に
なっている姿は青くって笑えて痛い。でもそれがなんとも心地よいのよね。
それが青春さー。
ちょー良かった。
ただの青春ものではない。10代の葛藤を描いた人間ドラマである。
歌は上手いが吃音で悩む志乃。
ギターは弾けるが音痴で悩む加代。
中学時代いじめにあい空回りする明るさを振りまく強。
志乃と加代が「しのかよ」のヂュオを結成し、ストリートで度胸試しをしているところに強が通りがかり、居場所を求めていた強が無理やり加入してくる。
志乃はよほど心を許さないと緊張で吃音が激しくなる傾向があるので、強の加入を快く思わない。
そのまま学園祭になり、加代だけがバンドコンテストにソロ出演。
私は軽い吃音がある。これは同じ悩みを持った人でないとその苦しみは分からないだろう。
電話をするとき、大人数の前で話すとき、言い換えができない固定された言葉を発しないといけないとき。それはそれは深呼吸では乗り越えられないほどの緊張感がある。
何か言いやすい言葉への変換、勢いで続きで発する、などのことをしていかないといけないという追い込みがさらに緊張感を増していく。
作品を見ながら痛いほどその思いが伝わってくる。志乃の吃音の演技に関して、苦しむ人に対して差別的だと非難する人もいるだろう。でも、それを分かってもらわないと隣の人がそれに苦しんでいるかもしれない、他のことで悩んでいるかもしれない、ということにも気づけないだろう。
それをNHK的な表現ではなく、文学作品的な表現で知ってもらえるなら自然に受け入れてもらえるかもしれない。
有名な俳優さんが出ているものがいい作品ではない。それぞれの心へ印象付けることができるものがいい作品である。
志乃ちゃんの歌も聞きたかった。
ギターが引けて、音楽は大好きなのに音痴なコンプレックスを持つ少女カヨと、吃音でコミニケーションが取れず人と交われないシノが巡り合う。
なぜかシノは歌なら歌えた。そしていい声でタッグを組む。2人の路上ライブ良かったな。あの素晴らしい愛をもう一度♪
いい歌だね。
思春期の中学生のうつりゆく心情や、友情を、うまく表現していた。
あまり点数が高くないのは、シノカヨの文化祭での歌が聞きたかったなあというところ。あそこまでやったら歌聞きたいでしょう。
また、シノの吃音の演技が僕にはうまくは見えなかったかなあ。あまりこだわるとこじゃないかもだけど。シノやカヨの今後が気になった。
加代ちゃんはやっぱりひかりちゃんか
いい女優さんだ。
要注目。
時間の使い方がとてもいい。
志乃が話せるまで、はじめは紙に書かせてたけど、次第に話し終わるまで黙って待ってる時間。
優しさが伝わってくる。
歌い出したら、透明な歌声。
とても大きな声で発音もよく、それをうまくシャベルコトガできないのは相当なストレスだろう。
最後は彼女達はどうなったんだろう?
きれいな絵づくり
吃音の女子高生、アコギギターを弾くのが大好きだけど歌が下手な女子高生、はしゃぎすぎの浮いた男子高生、3人共にうまく友だちをつくっていくようなキャラではない設定。内容よりも、引いた構図、逆光のライティングの織りなすきれいな映像がとても良かった。ラストは3人ともに友だちと群れない絵をみせていて現実感ある。
運転手さんそのバスに僕も乗っけてくれないか
漫画読んで泣いてしまった。
ので
すごい気になってた映画、、
内容分かってたので、最初の自己紹介の場面から
半泣き状態に…(涙腺弱っ!)
あの女の子ふたりに泣かされぱなっし!
最後の方は漫画と違うような感じ
したけど
映画の終わり方、、こっちもなんか好きやわ!
うん うん これから始まるやな始まってるんやな!
おっちゃんも頑張らなアカンなぁー!
ロック
志乃ちゃんのラストの独白、実にロックなメッセージ。「わたしがわたしを追いかけてくる」加代ちゃんに、作詞のセンスを見込まれただけある。ロックとは何か?この作品のモチーフ、裏のテーマかもしれない。
自信がなく、殻に逃げこむことで安堵する。加代を取られたという感覚じゃなくて、「こんなつまらない私ではなくて」と投げ出す感じかな。「二人でやろう」は志乃ちゃんにとっては解ではない。自分と向き合い自分を動機づけられるか?自閉に寄り添った深い脚本と演出、素晴らしいできばえである。
深いと言えば、驚くべきキャラに進展する菊地。演技、演出が実にきめ細かい。衝撃的な高校デビューから半年、周りの菊地に対する態度の変化が画面から滲み出る。菊地のキャラ作りは完璧。志乃ちゃんの菊地に対する頭部死球のような仕打ちは、罪はないにしろ、菊地に寄り添わなければならないとは、想定外の展開であった。
鼻水
自分は『どもり』である。だからこそ今作品の当時の上映時は敢えて避けた。それは自分にとっての幾つかのコンプレックスの一つである問題に今更向き合う事を馬鹿馬鹿しく思ったのが原因である。
そんな気持の中で、33回高崎映画祭にて上映される本作を観ようと思ったのは、心のどこかに引っかかるモノがあったからだ。
ストーリーは、3人の男女が、いわゆる通常の人間ならば当然のように持ち得ていて悩むことなどない能力がそれぞれ欠けている特徴を背負ってしまったが故のそれぞれの青春期由来の自意識さと相まった“こじらせ”を爆発させたコンセプトになっている。主人公の女の子の“吃音”が常に痛々しさ、居たたまれなさ、羞恥を色濃く作品に落としながらストーリーはそれこそつっかえつっかえ進んでいく。自分と同じ症状がこうしてクローズアップされる作品は本当に初めてであり、始終相当心に疲労感を覚える。ホラー作品が昔よりも怖がらなくなった鈍感さを感じている自分でも、この屈辱はスクリーンをまともに直視できない程である。劇中でもエクスキューズしていた母音が苦労する件はまさしく自分も同じで、そして自分もまた母音のせいで名前が未だに聞き取り辛い筈である。そして周りの奇異の目が常に自分を苛み、生きている価値を益々奪っていく。肉親である母親が良かれと思って勧めた催眠療法でさえ、そのデリカシーの無さに憤りを覚えるのも充分理解出来る。自分も市町村の児童相談所に母親に連れられていった過去があるから。そんな傷だらけの高校生達が、一緒にバンドを組む事で世界の転換を目論むのだが、そんな簡単には“こじらせ”は治る訳でもなく、直ぐに3人の関係性は崩れる。そしてそれが結局元に戻ることなく作品はエンドロールを迎える、非常にクールで突き放す収束に仕上がっている。前半の謝罪時の涙と鼻水は屋外の太陽の下の煌めき、そしてクライマックスのそれは、屋内のライトに照らされての嗚咽。その対照的なシーンは夢と希望とは違うビターな現実を物語る意味合いを充分演出している。主人公の女の子にとって、他の二人の抱えている問題である“音痴”や“ADHD”は取るに足りない障碍であるのだろう。少なくても二人はそれでも前向きに生きようと努力している。要は打たれ強いのだ。それに比べて自分の自己嫌悪を吐出す件は、そういうときに限って“どもりが”治まる。要は自分を曝け出すことでしか正常に話せない不条理さに、自分を呪うばかりなのだろうと思う。本来ならばそんな条件が無くても人は普通に話すことが出来るのだから。
ラストの、それぞれの道を示唆するカット、そして主人公へのジュースのプレゼント、それはいつかは又3人が邂逅するかもしれない、そんな淡い願いをそっと偲ばせた清々しいエンディングである。
クライマックスで、ホール内の何人かの客のすすり泣きを耳にした。その感情の由来は、彼女への憐憫なのか、それとも同情なのか、それは解らない。しかし今作品は決して哀れみを共有して欲しいと作ったのでは無い筈。多分、一番訴えたいテーマは、『想像力の育み』であろう。自分と異なるモノへの安易なシャットダウンが進歩を阻む最大の悪因であるとストレートに提起している大変良質な作品であった。
全36件中、1~20件目を表示