フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法のレビュー・感想・評価
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子供に罪はない
安いモーテルでその日暮らしの生活を送る母ヘイリー( ブリア・ヴィネイト )と、活発でおしゃまな娘ムーニー( ブルックリン・キンバリー・プリンス )。友人達と無邪気に遊ぶ中で、時に狡猾な面を見せるムーニーの姿が切ない。
モーテルの住人達と向き合う管理人ボビーをウィレム・デフォーが好演。
映画「 プラトーン 」( エリアス三等軍曹役 )で見せた鋭い眼差しを思い出しました。
抜け出したくても抜け出せない貧困生活、親と子それぞれの思い…ラストに母親が叫んだ言葉が胸に残る。
少女達の幸せを願う監督の思いに溢れたラストシーンでした。
BS松竹東急を録画にて鑑賞 (字幕版)
見るもの全てが魔法にかかる
ディズニーランドにほど近いモーテルで暮らすムーニーとヘイリー
その日ぐらしでグレーな仕事を転々としなんとか生活を続ける
言葉遣いや行動は品行のあるものではないが子供たちは工夫して環境を楽しみ、大人はそれを見守りながらなんとかまわっている
しかし状況は厳しく、モーテルを使った売春やムーニーたちの起こした火災など現状維持さえも難しい
隣人トラブルからついにはムーニーは保護される方針に
それを察したムーニーは近くのモーテルのジャンシーの元へ
ただならぬ事態を察したジャンシーはムーニーを連れてディズニーランドへ向かう
現実はとても厳しく、事態は何一つと好転していない
しかし子供の目線で描かれるそれにはたしかに夢や愛がある
鮮やかな色彩で社会問題を描くがどこかファンタジーのように捉えてしまう
この映画を観て与えられる印象もまた現実を表している
夢の国とモーテル、大人とこども、豊かと貧乏、
莫大なお金が掛けられてつくられた夢の国のまわりにはどうしようもなく貧しい人、問題を抱えた人が暮らしている。夢を見るにもお金がほんとうは必要で、子供だけが、お金なんてなくても、毎日魔法がかかったみたいにたのしく暮らしている。だけど子供がその魔法を失った時の絶望は大人には推し量れないくらい大きいものなんだとおもう、子供の豊かな空想力はよいことも悪いことも大きくしてしまうのかもしれない、それは自分をたのしくて仕方がないくらいに幸せにしたり、子供の語彙力では言い表せなくて泣くことしかできないくらいに絶望させてしまうのだね、子供の世界と大人の世界はやっぱりちがう世界だ、とおもう、
さいご、夢の国の象徴、シンボルであるお城を目指すの、女の子二人だけで、あのふたりはそのとききっと最強で、そこで映画は終わってしまう、
夢が覚めた時のふたりを、知らないおうちにひきとられることになるムーニーを想像するのはおそろしい、きっとムーニーはこの夢が覚めたら大人になってしまう、
夢の国に入れない人々
定職につけない子持ちの若い母親の暮らしがどんどん落ちていく。舞台は夢の国の手前のカラフルなモーテル(実在)。敷金、保証人が必要なアパートに住む所得がないため、一週間単位で安ホテルに泊まって生活している家族がいることを知る。
一方で、夢の国に遊びに来る人々、サブプライムローン後に残された空き家群も映される。格差社会の現状だ。
主人公の女の子、その母親をはじめとするキャストが良かった。男の子は出演時、実際にこうした暮らしをしていたとのこと。
管理人さんのキャラクターも良かった。アメリカの良心を象徴する存在。少しでもこうして子供達を見守ってくれる大人がいて欲しい。
そして、親友が泣きじゃくる女の子の手を引いて夢の国に侵入するラストも良かった。友達とのこんな思い出があれば、この子はこの先きっと大丈夫だ。
人々の情が希望。そんな監督の思いが伝わってきた社会派の映画だった。
むずかしいことは考えずに見た方がいいと思った。
かねてから評判が高かったので気になってDVDで鑑賞。
アメリカの貧困層の現実を描いた〇〇。
子供目線のカメラアングルが〇〇。
といったレビューもよく目にしたが、
あまり深い考えを持たずに観た方がいいと感じた。
子役がいい。
ローアングルもいいけど、ワイドショットもいい。
お母ちゃん、いい味出してる。
管理人さんもいい人。
虹のシーン、良かった…。 などなど。
ウィレム・デフォー出演作を探してAmazonで見ました。Stree...
ウィレム・デフォー出演作を探してAmazonで見ました。Streets of Fireのように、彼は基本、悪人顔だと思うのですが(失礼)、プラトーンやこの映画のような人情味ある役も上手いですね。
Wikipediaによればフロリダ・プロジェクトとはディズニーワールド建設時の計画名だったそうですが、ワールドと言えばエプコット。犯罪の無い清潔な理想世界のすぐ隣に、貧困などのアメリカの諸問題を凝縮したようなモーテルが、小さな社会として存在するというのが皮肉です。この一歩間違えればスラムになりそうなモーテルに、秩序の番人として奮闘するデフォーが恰好良かったです。
子供たちはスラングばりばりの、はっきり言って可愛げの無いガキですが、最後の最後に、どうしようも無い状況になって、初めて子供らしい表情でわんわん泣き出すのが印象的でした。6歳くらいなのかな。演技でやっているのでしょうから、大したものです。
ラストシーンですが、どこでチケットを入手したのでしょうか(見落としたかな)。子供だけでディズニーワールドに入園できるはずは無いでしょうから、あれは製作者から観客に向けて送った、見えすいた嘘なのかも知れませんね。「二人はこうして、魔法の国に消えていきましたとさ。(でも、現実は・・・分かるよね)」という感じの。
子供達の瑞々しい演技 カラフルなフロリダの街 でも実情は貧しく問題...
子供達の瑞々しい演技
カラフルなフロリダの街
でも実情は貧しく問題を抱えて生きている人ばかりのマジックキャッスル
ヘイリーは子供を愛してるけど
それだけでは母親失格になる。
しかめ面のボビーは厳しくも愛情があり
最後はムーニーを預かるのかと期待したけれど
そこまで踏み込まないのがまたリアルでもある。
ラスト夢の国へと逃げるのはあまり好みではなかったけど全体的にはとても好きな作品
色々なコントラストがうまく表現されている皮肉映画
インスタやディズニーのようなカラフルで美しい映像、笑い合う母親と娘、嫌味なおじさんに子供同士のちょっとした冒険。
一見ポップで明るい内容だけど、少し触れば壊れてしまいそうな何とも言えない緊張感がずっと流れていた。役者が表現する優しさと厳しさの裏表、夢と現実の裏表が凄くうまく表現されている。
徐々に終わりに近づく生活の中で、母親はそれを分かりつつも娘のためにできることをしようとしていたと思う。それでもどうしようもなく訪れたラスト、カメラに向かって叫んだシーンは監督から世の中に対する悪態だろう。
おふざけや汚い言葉で自分を守っていた娘が親友に別れを言おうとするも、突き付けられた現実に初めて泣いてしまう姿を見て、思わず私も号泣してしまった。
最後のディズニーの城は、ディズニー映画のオープニングを最大限に皮肉っていると思う。映画が終わり、視聴者の夢のような世界が始まるのだ。
良い映画でした。
意外と家賃は高い!月1000ドルと言ってた。
最初はこの悪ガキどもが~!と、感じていたが、徐々にその一つ一つのいたずらが自分の幼少期を思い出してしまった。あ、そんないたずらもしたっけな・・・と。そして、子どもは友達を作ることにかけては天才。ムーニーが唾をかけたことがきっかけで仲良くなったジャンシーという女の子がいい例だ。利害関係もないし、無邪気に遊びまくる光景を見るにつれ、『禁じられた遊び』の現代版じゃないかと感じるほどでした。
抜け出せない貧乏暮らし。しかし、仕事がそう簡単には見つからない。家賃を集金して、「仕事が見つかったんだな」と安心するボビー(ウィレム・デフォー)の親心もひしひしと伝わってくる。このボビーの一番カッコよかったのは変質者撃退シーン。子どもたちへの愛が感じられた。
結局金に困ってしまい売春してしまうムーニーの母親ヘイリー。親友にも「これはあんたの刺青だろ」と咎められ、殴り倒してしまうのだ。そして児童福祉局がやってきて、母娘は一時引き離されることに・・・。親友のジャンシーと共にディズニーワールドに逃げ込むムーニー。ドキュメンタリータッチなため音楽もあまり無かったのに、このラストシーンでは心地よい管弦楽の音楽が流れる。
うん、現実
これぞ現実だなぁって思いました。
主人公のヘイリーは決して娘のことを
可愛がってないわけじゃないし、姉妹って感じで
むしろ楽しく甘やかして自由にさせている。
娘はイタズラ盛りだけど未だ子供だ。
そんな二人暮らしは経済的に楽じゃない。
いや、何がって子供を産んで育てるって
本当に大変なことだと思うから。
働きながら子育てって、しかもシングルマザー。
難しいことたくさんあると思う。
まぁ父親がいたら居たで、それも大変だろうけど
とにかく世界のシングルマザーは必至だよね。
この映画のいいところは子供の目線と
大人の世界と現代社会を描きながら
舞台がフロリダってところでしょう。
最後は夢の国に逃げ込む子供たち、そして
エンドロールも音楽じゃないところも良かった。
あの友達のAのやったことは咎められないと思うし
マネージャーのBは凄く人情味溢れていた。
この映画、また見たいかは分からないけど
やっぱり観て良かったと思いました。
母親とは何か、考えさせられる
こどもの目線で楽しく見られるが、貧困を抜け出せない悲しい話。
こどもと楽しく遊べる良い母でありながら、衝動的で収入が安定しない、仲の良い友達との関係も修復できず壊れてしまう。こどもと楽しく無邪気に遊ぶのは、なかなか現代の母は苦手かもしれない。参考にしたいと思った。
最後のムーニーの I can't say に心揺さぶられ、こども目線での疾走感のあるエンディングに余韻に残る。
万引き家族と同じテーマ
アメリカの現状を伝えた映画。
主人公の女性に行政の助けはないのが現状なんでしょうね。
彼女をサポートする団体があったら。
アメリカに必要なのは何なのか。
それを問われている。
子供達のもうお別れという最後にしたいことがディズニーランドに行くこと、っていうのが観てて虚しかった。
Somewhere over the rainbow
鑑賞してから何日もこの映画のことを考えている。
Starletに引き続きショーン・ベイカー監督作品を観たのだが、本当にひとつひとつのエピソードと構図が、そうでなくてはならないところで収まって、はなはだ映画らしくないのに、しっかりと映画になっている。
3人で回し舐めするソフトクリームの味は、子ども時代の味覚を惹起させるし、ジャンシーの誕生祝いに見物するディズニーランドの花火の場面は、どうしたわけかノスタルジーを伴って心を打つ。
ウィレム・デフォー演じるモーテルの管理人は、堅物で二言目には「出て行ってもらうぞ!」と凄むのに、ヘイリーとのもめ事で数えるスリーカウントは、阿部四郎のそれだった。ドアから出るの待ってるやん!と笑って、それからなんとも言えない温かな安堵感に包まれる。
そして、ムーニーを演じるブルックリン・キンバリー・プリンス!
驚くような悪態をつき、したたかな女の一面を見せたかと思うと、火事場の見物で母のヘイリーから写メを撮ってもらうときの表情は、罪悪感からとてつもなくこわばっている。ベイカー監督は、彼女にどのような演出をしてあの表情を引き出したのだろう。それとも、彼女のもつ女優としての才能なのだろうか。
モーテルの向こうに虹がかかり、ムーニーとジャンシーが交わす他愛もないおしゃべりに、製作者の伝えたいことが透けて見える。
「妖精は虹の袂に金貨を隠してるんだって。でもそれを誰にも分けてくれないんだ。」
いまや富は一部の人間のもので、貧しい人々がその貧しさから抜け出すことはない。社会の構造そのものが、努力でどうにかなるシステムではなくなった。暮らしていけないわけではないけれど、暮らしていくのがやっとの生活から抜け出せないでいる隠れた貧窮者は、いまやアメリカだけの社会問題ではない。
「大人がいつ泣くか、私はわかるんだ」と冷徹な一面すらもち、常に楽天的でタフな女の子として描かれるムーニーの最後の号泣に、観ているこちらまでなすすべなく途方に暮れてしまった。
これは、すっかり機能不全を起こしてしまっている現代社会に、すっかり手をこまねいて立ち尽くす大人への、SOSなのだ。
それなのに、立ち上がって行動を起こしたのが、同じ環境に置かれたジャンシーだったのでは、大人の面目丸つぶれだろう。
一見ハッピーエンドのような幻想的なエンディングに、手放しで幸福感を表明できないのは、そんな理由からだった。
穏やかに、しかし鋭く現代社会を糾弾するショーン・ベイカーの声に、これからも耳を澄ましていこう。
妖精はふもとに金貨をかくしてる
子供の頃は、
いつも友達の後についていって
あまり知らない土地や風景を
目にした。
何回かしゃべって
いつのまにか、
遊ぶようになって
気がつけば、いつも隣にいたヤツ。
へんな事に、こだわって
腹がいたくなるほど笑った。
画面からは、
あまりにも無邪気な
日常が溢れて
かつての毎日にかさなり
居心地がいいです。
途中までは…
ある出来事から
少しずつ
崩れ始める日常がせつない。
この作品のすごいところは、
娘のムーニーの耳目から
間接的に伝わる状況は
作中の彼女は理解できなくても
大人の我々にはわかるところ。
痛いのは、親の立場で、
無知はしょうがないでは
すまないということを
さらしていく描写が
容赦ないところ。
夢と現実の対比を
・管理人な誠実さと母親の傍若無人さ
・遊園地と貧困住宅
・子供の無邪気な笑顔と現実の貧困
のような対面のものを対に
みせることで
それぞれが強調した印象をもちます。
将来の展望が描かれることなく、
ひどくつらい現実が今後も
見えるのにも関わらず
あんまり憂鬱にならないのが
不思議でした。
母親のヘイリーが
娘のムーニーを
凄く大事に扱う愛情深い姿勢と
終始にわたって
ムーニーの無邪気な
キラキラがあったからかな。
ラストシーンは、
ちょと印象的。
心からのSOSへの応じ方が
💮。
50点
ディズニーの近くにある安いモーテルの
貧困層の方の話らしい!
比較、リアル、子供からの目線
ディズニー行かずとも子供は楽しめている
ただ母親がクズでフラッシュバックw
下の階の人に床ドンでフラッシュバックw
子供の泣いたところで昔思い出して号泣w
子供に罪はないしアホな親とおったらアホ
なると思う、、、最後意味わからんかったけど
最後に真夏の魔法のひと時をって事かな?
事故フラグっぽかったけど…
あ、前半普通すぎて苦痛
夢のすぐ裏にある現実
フロリダのディズニーランドのすぐ近くで繰り広げられる課題を抱えた親子の物語です。
監督がキャスティングに力を入れただけあって「これは演技なの?」と何度も思いました。
特に印象に残ったのは売春相手の男を家に招くためにヘイリーがムーニーを浴室にとどめておく所です。そこまでしてでも生活費を稼がなくてはならないと余裕がなくなるヘイリーと、言葉にはできないけど不安を抱えるムーニーの視線にはとても訴えるものがありました。
貧困が彼女をそうさせる
映画の予告編を観る限りで
はシングルマザーが健気に一生懸命生きていて
それを助ける管理人の話だと思っていた
観損ねていたのでレンタルして観ることにした
私の思っていたストーリーとは全く違っていた
母親は健気どころか 詐欺まがいや売春をして暮らしている
注意されてもどこ吹く風
いったいこの女 何?と共感は得られなかったが
その裏には貧困というものがあり 仕事が欲しくても
働けずやむを得ず そういうことをしなくてはならないと言う
彼女の姿があったのだ
金持ちとはいえないけれど
ご飯も食べられ明日の暮らしを心配しないで済む私には
この作品を観る鑑賞能力がかけていた
もう1度見直すつもり
しかし あの女の子演技が凄い
ラストはほんとうに泣けた
夢の国にも現実にも同じ虹は架かるけれど…
街中のどこを切り取ってもフォトジェニックなフロリダの街は、こども達の視線からは、終わりのない探検を続けられる「夢の国」のようにワクワクに満ちている。
それでも彼ら彼女らもきちんと「おとな」に成りかけていて、現実の厳しさやおとな達の困難を全部ではなくとも、肌で感じ取っている。
「大人が泣き出しそうな時がわかる」って、ムーニーに言わせてしまう世の中は残酷だと思ったし、最後になって泣き出してしまうムーニーに私たちはなす術もないことを実感する。
母親であるヘイリーは若くして厳しい現実にぶち当たるけれど、それをムーニーにはわからないように自分ができることを全うしようとしてるんだよね…少々言動が下品で激しいところは気になるけれど、後半になると少しずつ八方塞がりになっていく様が本当に現実的で、見ているこちらもしんどさがある…
お金を稼ぐためにはモラルも何も言ってられなくて、楽しそうに水着で自撮り〜とかホテルのご飯で好きなものを食べさせたりとか、その辺りの彼女の決意が滲んだ一瞬の表情がとても悲しかった。
それでも、管理人のボビーが現実や秩序に板挟みになりながらも、モーテルのおとなやこどもに向けるまなざしの優しさとあたたかみに救われるし、ヘイリーがモーテルの洗濯のお姉さんと抱き合うシーンでは泣きそうになってしまった。
ムーニーが最後に助けを求めたのは「新入り」だったジャンシーで、あのラストには賛否両論起きそうだけど、
フィクションが現実に太刀打つには、映画が現実社会にできることは、という観点で考えると多少なりとも意味が見出せるような気がする。
私の好きな漫画家である今日マチ子さんが前に「厳しすぎる現実に立ち向かうには、甘やかな想像力が必要なのではないか」というような旨を話されていたことを思い出した。
物語はドキュメンタリー調に淡々と進んでいくにもかかわらず、静かに現代アメリカの貧困をリアリティをもって見せていく。ムーニーたちは本当にフロリダで生きて生活を営んでいると感じるくらいに。まさに見せていく「だけ」なのだ。映画が唐突に終わるように、その後どうするのかは私たち一人一人に委ねられている…鮮やかな色調と明るいフロリダの空とは裏腹に、突きつけて来るものはとても重い。
“夢の国”のすぐ傍で…
開幕早々、元気いっぱい遊ぶ子供たち。
と言うより、悪戯。毎日何かしらやらかして、周囲を困らせてばかり。
安モーテル住まいだけど、子供たちにとっては遊び場。
ここは、フロリダ。ディズニー・ワールドのすぐ傍。
眩い真夏のフロリダの陽光、カラフルなモーテルの外壁…。
美しい映像と“夢の国”がすぐ傍という雰囲気が、何処かファンタジーの世界に居るような錯覚を醸し出す。
しかし、決してハートフルでハッピーな作品ではない。
子供が主人公でもキッズ・ムービーの類いでもない。
子供の視点から描かれる、アメリカ貧困層の厳しい現実…。
よくアメリカ映画で描かれる貧困層の暮らし。
トレーラーハウス住まいや本作のようなモーテル住まい。
日本ではなかなか馴染み無いが、ネットカフェ生活みたいなものか。
帰れる家も無い。定住も出来ない。
モーテルと言う事は、家賃を払わなければならない。
住人たちも全員が仕事をしているとは思えない。失職した人々、職に就けない人々の集まり。
子供たちも毎日何処かに出掛けては、近隣の飲食店で食べ物を貰っている。
毎日がその日暮らし。
家賃を滞納し、払えなければ…。
一体何人がここを去って行った事だろう。
主人公の少女ムーニーと、その母親ヘイリー。
ムーニーはこのモーテルきっての問題児。
子が子なら、親も親。
モーテルの宿泊客からチケットを盗み、それを格安で売る。
窃盗に詐欺。
時には部屋に男を連れ込み…。
軽犯罪での生計。
それらが徐々に積み重なり、一線を超え…、
社会の不条理と無常がある日突然やって来る。
監督ショーン・ベイカーは3年に渡り実際のモーテル暮らしをリサーチしただけあって、ヒリヒリするくらいリアル。
その過酷な現実と対比するような映像美も印象的。
地元オーディションで選ばれたというムーニー役の女の子、ブルックリン・キンバリー・プリンスが達者な演技を披露。
監督がInstagramで発掘したという母親役のブリア・ヴィネイトもインパクト残る熱演。
だけどやはりキャストで最高の名演を魅せるのは、モーテルの管理人役のウィレム・デフォーだろう。
子供たちには振り回され、住人たちとは家賃を巡って言い争いが絶えない。
ガミガミガミガミ叱ってばかりだが、ただ厳しいだけじゃなく、彼らを見守る人間味ある優しさも滲み出る。
ある時子供たちに近付いてきた不審者を追い払う。
住人たちに何か問題や厄介事が起こると、必ず寄り添うかのように立ち会う。
そして、それが自分の手ではどうしても助けてやれない時見せる苦渋の眼差し…。
劇中だけじゃなくきっと撮影現場でも、この名優は若い監督・スタッフ・無名のキャスト・子役たちを支えていた事が充分伝わってくる。
(それだけに、オスカーは残念! 『スリー・ビルボード』のサム・ロックウェルも素晴らしかった!)
貧しく厳しいながらも、子供たちのキャッキャッと楽しい声の明るい暮らし。
…でも、当然、こんな生活がずっと続く訳がない。
親と子を引き離すのは残酷だ。仲のいい親子ではあるのだ。
が、決していい母親と言えないのも事実。
このままこの不良母親と暮らしていたら、子供にどんな悪影響を及ぼすか…。実際ムーニーはすでに問題児。
どっちがいい悪いとは単純に割り切れない。
だから一層、ラストの展開も含め、いたたまれない。
“夢の国”のすぐ傍で…。
今ここにある貧困の厳しい現実。
他人の振り見て我が振り直せ。
「こうなりたくなかったら努力しろ」と言われているように感じました。
貧困な環境に置かれているヘイリーとムーニー
親のヘイリーは遊びたい放題でロクに働かずに他人を騙したり、物を盗んだり、違法な売買でなんとか生計を立てて生活送っています。
子供のムーニーは貧困ながら近所の子供達と遊んでやりたいことをやり、言いたいことを言いながら生活を送ります。
しかしヘイリーは安定した収入がなく、支出も多いので当然お金に困ってくる。そしてドラックに手を出して、売春を行い果てには友人だった人に暴力を振るい警察や児童相談所が出てくる自体に発展し、結局は二人は法的措置?で離れ離れに。
というのがザックリとした内容ですが、それだけなんです。
離れ離れになって終了。
それまでも、特にストーリー性もなく主題の「プロジェクト」性も副題の「真夏の魔法」感を何もなく終わりで、貧困で自由気ままにやりたい放題に生きている家庭のドキュメント的だなと感じました。
確かにリアリティのある内容でしたが、全く共感は出来ませんでした。
共感を得たい作品ではなかったのかもしれませんが。
自分の中で期待値が高かったので残念でした。
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