ファントム・スレッドのレビュー・感想・評価
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緻密で美しい、あるカップルのマウント合戦
イギリス上流階級御用達の天才ファッションデザイナーが主人公、ということで、フィルムのどこを切っても(実際にフィルムで撮影されている)細部までが緻密で美しく、なんとも格調高い出来栄えだ。主人公のデザイナーが、田舎町の地味な女性を自分のミューズだと見定めて磨き上げていくプロットは『マイフェアレディ』のバリエーションとも言える。
実際、男女のプライベートな関係が階級や性別の枷から逃れて次第に逆転する展開も数ある『マイフェアレディ』の系譜に収まりそうな気もする。が、そこから先の逸脱がすごい。ある意味トンデモな夫婦ゲンカの行きつく先はどこなのか? あのラストは現実なのか夢なのか? 解釈がいろいろできることと、これだけ豪華な舞台装置で描いているものが、ものすごくミニマムな男女のつばぜり合いであることに、戦慄と笑いが一緒にこみあげてきた。
壮大な夫婦ゲンカ映画ということでキューブリックの『アイズ・ワイド・シャット』を思い出したりもした。
わたしの総て
英國のオートクチュールの仕立て屋レイノルズ( ダニエル・デイ= ルイス )は、立ち寄ったレストランでウェイトレスとして働く若い女性アルマ( ヴィッキー・クリープス )と出逢い、徐々に関係を深めていく。
生活を共にするうち、自身のペースを乱される事を嫌うレイノルズは … 。
レイノルズの独身の姉シリルを演じたレスリー・マンヴィルの表情、洗練された所作が美しい✨
背徳的な内容の作品だと思っていたのですが、違いました ☺️
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕)
ラストについて思い込みがあり、訂正させてもらいます。
この映画を観ると、クリント・イーストウッドが主演したドン・シーゲル監督の「白い肌の異常な夜」を思い出します。
愛を無害化し所有するために女性たち(又はアルマ)が、
キノコの毒を使い「白い肌・・・」ではクリント・イーストウッドの
太腿から下を切断することにより脱走を不可能化して、
女の園に幽閉してしまうのです。
「ファントム・スレッド」では、キノコの毒を食べさせて、我儘で横暴な男を
従順で無害な存在に変えてしまう。
「愛の貌(かたち)」としてはとても恐ろしいし、悍ましい。
「ファントム・スレッド」を久しぶりに観返したく思ったのは、
ボール・トーマス・アンダーソン監督の最新作
「ワン・バトル・アフター・アナザー」
が公開されてそれを観たからだと思います。
「ワン・バトル・・・」はオートクチュールの美しいドレスとは、
程遠い世界を描いている。
登場人物は粗野で滑稽おまけに追っかけアクション映画である。
だがむしろ「ワン・バトル・・・」の方がPTM監督らしい。
どうしてもひと針ひと針美しいドレスを仕上げるオートクチュールの世界と
PTM監督が結びつかない気がする。
「ファントムスレッド」では、女の支配欲により破滅させられる男の悲哀、
「ワン・バトル・・・」でボブ(ディカプリオ)は女闘士(クィーン)に
チェスの駒のようにあしらわれる。
強く恐ろしいのは【女】
なのでしょうか?
25年10月21日
訂正させていただきます。
きりんさんとのコメントのやり取りで、私がラストへの思い込みが
間違いであることに気がつきました。
私はラストを、アルマはキノコの毒入り料理をたべさせることで、
レイノルズは廃人に変わり果てた。
そう見えていたのです。
でも今回、ラストで、アルマは乳母車を押しています。
その傍ではレイノルズと姉がベンチのそばで笑いながら乳母車を見つめています。
そこできりん、さんの言葉です。
★特典映像には、アルマの押す乳母車にレイノルズとの子供が乗っていて、
ハッピーエンドらしいとの証言を頂きました。
あー、なんと言う失望でしょう。
レイノルズが田舎娘のアルマに押し切られて家庭の幸福を
手に入れたなんて。
あまりに平凡なラストに声もありません。
本編のラストに乳母車の赤ん坊を写さなかった。
これが映画のラスト。
なんと感じようと、ご勝手に・・・と言うことでしょう。
キノコがみどころf
主人公が相当高齢者なのに非常に工夫のない出会いで。若い女性が妙に意識しちゃうとか、ありえないわけでして。非常にその点からして違和感があって入って行けないものがあった。
芸術作品を気取った映画。調度、田園風景なんかは確かに美しかったし、傑作になってもおかしくなかったと思う。
肝心のストーリーとプロットも壊滅的で、延々と続く退屈さに耐えかねた。
どこからか面白くなるのかと期待したか最後までそれはなく、結局どこにも着地せず。母親に執着する金持ちの年老いた仕立て屋が主人公で姉に潰される男を描いてるだけ。
そんな彼が、娘のような若い愛人に出会うんだけど、そいつは姉以上に腹黒くて狡猾でキノコ・・観ないほうがよかった
いやぁ、恋愛って本当にいいもんですねえ……🙄
1950年代のロンドンを舞台に、王室御用達オートクチュールデザイナーのウッドコックと、モデルとして彼に見初められた女性アルマとの、倒錯した愛を描いたサスペンス・ラヴストーリー。
監督/製作/脚本/撮影は、『マグノリア』『パンチドランク・ラブ』の、世界三代映画祭を制した天才ポール・トーマス・アンダーソン。
主人公レイノルズ・ウッドコックを演じるのは、『ギャング・オブ・ニューヨーク』『NINE』の、アカデミー主演男優賞を3度も受賞した伝説的名優、ダニエル・デイ=ルイス。
第90回 アカデミー賞において、衣装デザイン賞を受賞!
第43回 ロサンゼルス映画批評家協会賞において、作曲賞を受賞!
第83回 ニューヨーク映画批評家協会賞において、脚本賞を受賞!
いや想像してたのと違ーうっ💦
オシャレだけど中身のないヨーロッパ映画的な作品かと思いきや、変態的な愛を描いた谷崎潤一郎的な作品だった。
結論から言えば「こんな奴いるわけねえだろっ…。」という一言に尽きる。
めちゃくちゃ綺麗な映画だけど、好きか嫌いかで言えば全然好きじゃない。
音楽と衣装は最高✨
レディオヘッドのギタリスト、ジョニー・グリーンウッドの作るピアノをメインに据えたオーケストラ的なフィルム・スコアは非常に心地良い。
そして、作品を彩る高級ドレスの華やかさ👗✨
美しい音楽と衣装を観ているだけで、とりあえず満足感を味わえる。
さて、肝心のストーリーですが、コレは一体なんと言って良いやら…。
前半は非常に緩やかに進む。
一流デザイナーとウェイトレスのシンデレラ・ストーリーかぁ、あんまり興味ないなぁ。とか思いながら鑑賞。
しかし、完璧に見えた2人の間に少しずつ暗雲が立ち込める。
些細な物音に過剰に反応するウッドコック。どんなところにも姉がついてくるという窮屈さ。姉の反対を押し切り、サプライズで喜ばせようとするも大失敗するアルマ。
なるほど、これはオシャレなラヴ・ストーリーじゃなくて、どこにでもある男女間のコミュニケーションをテーマに描いた映画なんだな、と理解。それなら結構好みの題材だぞ😆
と思っていたら、中盤でまさかのどんでん返し!
毒盛りやがったぞあのアマっ!☠️🍄
病に臥せるウッドコックを手厚く看病するアルマ。その対応に完全にやられたウッドコックは彼女を妻に迎える。
しかし、妻となったアルマはわがまま放題で…。
いやー、胸糞悪い話だわ〜。悲劇的なクライマックスが待っているんでしょう、これ。とか思っていると…。
はぁ…。はぁ…?はぁ…!?
こんなんありえますのん!?天才の頭の中ではコレでOKなのか?
弱った自分を看病したい、という妻の愛情にメロメロになったレイノルズ。無償の奉仕、コレこそが愛だ!という思いに至った。
うーん、なんか違う。
レイノルズは死んだ母親の影を常に感じていた。
死に近づくにつれ、愛する母の姿を克明に見ることができるようになる。だからこそ、自分に死を齎そうとするアルマを受け入れた。
うん、この解釈の方がしっくりくるかな。
レイノルズが毒キノコオムレツを食べた後の展開はアルマの妄想である、という意地悪な解釈も可能か。
タイトルの『ファントム・スレッド』、直訳すると「妄想の縫い糸」とかになるのかな。
勿論、コレは死んだレイノルズの母親が着ているウエディングドレスを指しているのだろう。
しかし、本作では、亡き人の一部、もしくは写真を上着の裏地に縫い込むという行為が重要な意味を持っている。
で、あればタイトルの「スレッド」とはアルマが自分の胸のうちにレイノルズの命を縫い込むことを指しているのではないか。
「倒れる前にキスしておくれ」というレイノルズのセリフ自体、アルマの妄想であり、彼も自分の好意を肯定し受け入れてくれる筈だ、という自らの妄執を胸のうちに縫い込んだからこそ、タイトルが『ファントム・スレッド』なのではないか?…とは考えすぎかな。
色々と考えたけど、実は単純にPTA監督の性癖が作品に現れた結果、あの結末になったような気がしてならない。女の人に毒を盛られて、動けなくなったところを看病されたい。思いっきり甘えたい。みたいな。うーん、ドM。
完璧主義者のウッドコックは多分監督のアバター。
流行りなんてクソだっ!というセリフは、『アベンジャーズ』みたいな娯楽大作が凄い興行成績を上げる映画業界ないしは大衆への批判に聞こえてならない。
今回ダニエル・デイ=ルイスの顔を初めて観たんだけど、すごくホアキン・フェニックスに似ていると思った。
ホアキンとも度々仕事をしているPTA。ホアキンとかデイ=ルイスとか、顔の下半分がカックーンってしている俳優が好みなのかな。
まぁ自分は好みじゃないけど、こういうのを好きな人も沢山いるんだろう。
鑑賞中、なんとなく『ゴーン・ガール』のことが頭をよぎったんだけど、自分は断然『ゴーン・ガール』の方が面白かったなぁ。
まあなんにせよ、こういう映画が作れるんだから、さぞ女にモテるんだろうなPTA。
結婚で偽りの自分になりたくない
完璧な体形。胸は小さいなどと恥じることはない。とにかく完璧なんだから。「食いしん坊さん」と言われたレイノルズだけど、その食事に関してもストーリーがあった。いつしか、着せ替え人形だったアルマが徐々に主導権を握り始めるのもファッションではなく食事だった。それは朝食は静かにというこだわりを教えられたことから始まったのです。
それでも「ドレスがかわいそう」と言ったことでレイノルズのハートを鷲掴み。ことファッションに関してはいつも一緒にいることで十分に知識や感性を受け継いでいたアルマだったからこその台詞だったのだ。妖しげなボディタッチから始まった恋愛劇もここで急展開。彼にとってアルマはなくてはならない存在に変化していたのです。
恋愛観の違いから、いつも仕事させられた形だったけど、毒キノコを見てピーンときたアルマ。やばい、やばいよ、それ。などと思いつつも、死んだとしてもかまわない覚悟で自分の恋愛をレイノルズにぶつけてみた結果・・・という感じで急展開。
それで結婚してめでたしめでたし・・・かと思ったら、またもや仕事熱が一人の女性により削がれてしまう。食事は食べてもらいたいものを食べてもらう。いや、さすがにトマトに砂糖はかけないし、納豆にソースもかけないよ!それよりキノコに嫌いなバターたっぷり入れてオムレツにするなんて・・・うげげ。
芸術的な仕事に誇りを持つ男、姉ちゃんになら何でも託せる男。そして亡き母への自責の念。すっごく気持ちは伝わってくるし、納得いく対応。むしろアルマの方がビビってたけど、こちらもよくわかる。
ベルギー王家に嫁ぐプリンセスのウェディングドレスに“never cursed”の縫込み。やっぱりウェディングドレスは呪われるんですかね・・・
退屈でした
私には非常に退屈な映画でした。そもそもなぜ、こんな年の離れた男が良かったのだろう。有名な仕立て屋としても、かなり偏屈でマザコン?シスコン?。仕事一筋で全てが仕事中心のため、生活に遊びの部分、楽しむことがない。それを人に崩されることを極端に嫌い、罵声を浴びせる。彼を振り向かせようと毒を盛り、看病し、結婚を取り付ける女の執拗なまでの愛の形は究極かもしれないけど恐ろしい。弱らせ、自分しかいないと思わせるって寂しい。共感できなかった。
感情
感情移入出来ぬまま。
理解出来るのは、生活音って気になるよね。
素敵なドレスばかりでうっとり。
毒を盛るのもどうかと思うが、知ってて食べるのもどうかと、、。
色々と身につまされる。
素敵な映画でした。
これが究極の愛と言うものなのか…?
監督の過去作やキャストの方達のことは失礼ながら存じていない上での鑑賞です。
ドレスと音楽のお洒落さが美しい。
静かで陰鬱な空気が漂う物語でしたが、飽きずに観ていられる映画でした。
自分の世界にひたすら没頭するデザイナー、ウッドコック。
そんな彼を自分のやり方で変えようとするパートナー、アルマ。
アルマは二人の時間を求めてある方法で側に寄り添う…。
怖くて共感しがたいことだけど、複雑にも隣にいるときはとても穏やかな時を過ごしているように見える二人。
生活リズムが狂いそうで不安になるウッドコックではあるが、、結局は女に翻弄されてしまうのが男なのだろうか…。
・・二人の中で成立していて幸せならそれでいいと思えました。
上質の衣を纏ったコメディ
ポール・トーマス・アンダーソン監督の作品の中で、最も笑えた作品だった。
本作を限りに引退したダニエル・デイ・ルイス演じるウッドコックの偏執ぶりは、これまで鑑賞してきた映画の登場人物としては珍しいほどに自分との共通点があり、アルマが対抗すればするほどに、ウッドコック目線で拳を握りながら応援していた。
自分も、集中している状態で話しかけられると、それが上司であってもイラっとした態度を表してしまうし、電話中に横から口を挟まれるのも、家族が廊下を歩く音やドアを閉める音を立てるのも(おそらくなんらかの軽い障害があるだろうと思われるほど)苦手なことが多い。
何か嫌味を言われたり、主張に対する反論を食らったりすると、相手が「参った」するまでやり込めてしまうこともしばしばである。
だから、あの朝食の場面で繰り返される攻防は、本当によく分かるのだ。
終末で、静かに、穏やかに、しかしかなりの粘着性を持ってアルマに屈して行くさまに、自嘲と敬愛の気持ちがないまぜになりながら、笑わざるを得なかった。しかし、決して不快ではなく、なんかもうしょーがねーなー!という感じで笑ってしまった。
この時、ウッドコックの変質ぶりにばかり目が行っていたが、実はアルマこそがそれを上回る偏執狂なのだと気付かされたからだ。
やり過ぎてしまった者同士の、実に上質なイニシアチブの取り合いコメディ。アンダーソン監督がそれを狙っていたかどうかは別にして、映像美だけの映像作家ではないことを証明するに十分な作品だった。
「マイ・ビューティフル・ランドレット」以来、リアルタイムで長い付き合いとなった名優との別れとしてはややさみしい感じはしたが、きっと自伝的な本作での幕引きは、本望だったんだろうな。ありがとうございました。
ヒロインが無理だった…
評判いいしPTAだし外れないだろうと思いアマゾンプライムで見た。冒頭の俳優の身のこなしや音楽にうっとりして雰囲気に飲まれ、いい映画に違いないと期待して観てたけど…
ヒロインのアルマが我を出してきてから、「あ、無理だわ…」となってしまった。
確かにレイノルズは面倒な男だ。でもああいう仕事をしてる人だし気持ちはわかる。仕事人間なんだなぁと。
性格に関しても理解できるのに、アルマは「サプライズしたい」とか言ってお姉さんにやめとけって言われてもやる強情さ。絶対喜ばないだろ、とこっちも思って、やっぱり駄目だったじゃん…からの毒キノコ??!!で、もうついていけなかった。サイコパスとしか…
それで弱って介抱してもらってから、結婚申し込むレイノルズも単純だな、と…。
その後の結婚生活も噛み合わず、やっぱりアルマの品のなさが目立つ。そして自分の立場が危うくなるとまた毒盛って、レイノルズもそれを知ってハマっていく。
これはラブストーリーじゃなくホラーなんだろうな。
コメディ入ってると言うのもわかるけど、私は笑えないや…。
こんなの異常だし悲しい。美しいドレスと比較することで更にそれが際立つしそれが狙い目なのもわかるけど悪趣味すぎる。笑
PTAさんのセンスは好きだけど私は好きじゃない話だった。作品としての完成度は高いと思う。これは好みの問題。
アルマ役の女優さんの魅力が薄く、違う女優さんがやったらまた印象が違ってたんだろうけど、そしたら意味がないのかな。
ファッションやインテリアは最高だったなー。食事する部屋の壁紙がウィリアム・モリスで素敵だった。
去勢
姉に本来の自分に戻してくれと訴えるウッドコック、その背後で佇み、堕ちていく者を見下ろすアルマ。そして、オムレツ。型に嵌るウッドコック、幸せな家庭...って、それで本当にいいのか?アルマの容姿や表情にそこまで堕ちる要素が見当たらないし、裏で行なっている犯罪的な行いを目の当たりにすると、ウッドコックに感情移入することは不可能。ただただ不可思議に堕ちていく人を見ているようで。まぁ、他人の色恋などは側から見れば、そういうものではあるが。
見えない糸
ラスト
予告編の謎の笑顔がここで‼︎
バレバレ毒キノコ料理
食べちゃうのね...
周囲の関心を求めてるわけじゃなく
旦那限定なので
ちょっと違うけど
ミュンヒハウンゼン症候群みたいだなと思いました。
キノコを口に入れた時
思わず
受け入れるんかぁ〜いって
ツッコミ入れてました...(心の中で)
ダニエル・デイ=ルイス
ある角度ですが
布施明に似てるなぁと思いました。
アルマおそろしや。そしてふたりともきもちわるい。
うーん、はまれず。
レイノルズもムカつくけど、アルマの恐ろしいこと。
おねえちゃんがよかったのと、音楽が良かった。
おねえちゃんのまつげがすごく好き。
あと邸宅。
メインの二人は無理なんだけど、風景は素敵だった。
初ポールトーマスアンダーソンです。PTAって言ってみたかったん。シネフィルぶって。
毒キノコは殺すためでなく、弱らせるためってあんた…
悪趣味…
とはいえ、殺すの?殺さへんの?ってあたりからやっと目が覚めたきらいもある。
それまでは茶番すぎて眠かった。
レイノルズにサプライズ仕掛けて喜ばれると思ってるアルマが、どうしようもなくバカバカしくて、アホらしかった。
や、あんたばかなの?わかれよー。あいつ絶対喜ばへんってよ、と、スクリーンのこちらから(心で)怒鳴ったさ。
ファントムスレッド、直訳するとたぶん見せかけの糸とか仮面の糸とかってゆう意味ぽ。
幻影、幽霊とかって意味もあるらしく。
あんな自己中心的で自分のルールと仕事しか大事にせえへん男の何がよくて、キノコ作戦に至るんやろ。
さっぱり。わけわかめ。
だいたい出会いからしてわたしはもう「はぁ?」でした。
そして何故そんなに車を飛ばす。
突っ込みを山ほど突き刺し、ぼーっとみました。
生きるにはあなたが必要
どんな形であれ、2人にしかわからない情緒の会話がある。
どんな形であっても、あなたが必要。周りには理解されなくとも、歪な関係であっても、私が、君が必要。
ポールトーマスアンダーソンの作品に、骨太で一貫しているテーマは、相手があってこその人生というテーマ。
出会いのシーンから、エンドまで、終始、2人の精神的にまぐわう感情と空気感が溢れていた。
相手を理解し尽くしているからこそ、自分を見ていてほしい、構っていてほしい、2人の会話、視線、佇まいから、関係性が手に取ってわかる。
極めて感覚的な映画だから好き嫌いは分かれるかもしれない。
キノコパワー
かなり面白いブラックコメディ映画でした。
前半は高尚な雰囲気と主人公カップル2人の息詰まる空気感から、展開が読めず緊張を強いられましたが、後半は爆笑に次ぐ爆笑でした。観終わってからは、映画全体を支配する格調高さやダニエル・デイ=ルイスの重厚な演技すらギャグだったのでは、なんて感じています。ゴージャスでスケールがデカそうな風情のクセに描かれている物語はヨタ話のたぐいという、そのギャップも可笑しかったです。
見方によれば、母のファントムに囚われた男と、新たなファントムとして男を支配する女の哀しい物語とも言えそうですが、やはり語り口が面白すぎて、シリアスな話として捉えることは不可能でした。
やはり、キノコの破壊力が強烈すぎます!だってキノコだよ…そのスケールの小ささたるや。しかも、キノコ事件の後の超絶展開には本当に仰天、大爆笑でした。キノコパワーすごいぜ!
そして、クライマックスのオムレツ…ダニエル、アンタ最終作があんな面白演技でいいのか!と突っ込みたくなる顔芸が炸裂。食べる?食べない?いや食べる?あ…食べたけど〜、飲み込む?飲み込まない?のくだりは完全なるコント。ここは本当に面白かったです。バーフバリのエンディングに匹敵するほど笑えました。本当にキノコのインパクトが強すぎる。困ったときのキノコパワー。最終的には呪いとかどうでもよくなってしまった。
この辺りの描写から鑑みるに、PTAもギャグ映画として撮っていたのだと思います。実際、物語として描かれているのは単なるバカ2人の共依存ですからね。シリアスな話よりも、ギャグ向けの題材だと思います。
アルマのキャラクターは実にキてますね。キノコ事件に至る寂しさやもどかしさは理解できますが、やってることの程度の低さがどうしても滑稽に感じます。なんだかんだと有名人の愛人ポジションを捨てられないんでしょうね。ある意味、レイノルズに寄生するしかないわけですから。
あと、お姉さんが後半空気なのは残念。彼女がウッドコック家の呪いとして機能するのか、と思いきや、前述したように呪いとかどうでもよくなったため、姉もどうでもいいキャラになってしまったように感じます。
(後述…別の方のレビューで、アルマによって姉の呪いが解けた、という解釈があり、現在はその通り!と感じています。空気になったというよりも、ウッドコック家の呪いが解けて、空気になれた=家とは関係ない人生を送る可能性が生まれた、と言えます。その意味では、アルマいい仕事しました)
綺麗なモリッシーことダニエル・デイ=ルイスは、履いていたボルドーの靴下がとても素敵でした。
まったく本作は、史上最高のキノコ映画だと思いました。キノコパワー!(キノコパワー!)遠く高く放り投げてっくれッッ!
ダニエル=デイ・ルイスを鑑賞する贅沢な映画
ダニエル・デイ・ルイスの演技に只々感心した一作。華麗で気品の高い映像・演出を大いに堪能。だけど、ヒロインの感情の動きには疑問が残った。"えー!こんなのあり⁈"って感じ…本当、怖いなって思うけど、極端過ぎないかな?
ダニエル・デイ・ルイスは引退らしいけど、惜しいよね。気が変わってカムバックされるのをお待ちしています。出ているだけで見に行きたくなる…数少ない俳優ですから。
折り重なる美しさと醜さ
ドレスの美しさと人間の醜さの丁寧な丁寧な重層構造。
美しいドレスを着た女性のワンカットだけで、観ているこちらも凄いものを見た!と思わせる画の説得力の凄さ。
何かを介さないと愛し合えない、わかり合えない、というのPTA作品の中で一貫して描かれているモチーフで、今回もバッチリでした。
今回はそれがドレスであり、母姉であり、死の疑似体験であった。
我々は孤独なんだ、コミュニケーション取れないものなのだ、という諦め、認識が自分に取ってリアルだし居心地が良いのだと改めて思った。
マザコン気質は今まで十分匂わせてきたPTAがいよいよ全開にしてきたのでこらぁ偉いこったと思ったね。
いつにも増してバランスがいびつなまま突っ走っているのも印象的だった。
常に劇音楽がなり続けていて、ある意味一直線のストーリーの補助線というか、退屈しないようになってるなー、と。
この映画がPTAのキャリアの中でどういう位置付けになるかちょっと今はわからないけど、パンチドランクドラブ的なあとから振り替えるとそのときの技術の集大成的な映画だったと、次に偉いの来たな、みたいな映画になることを期待。
男性性の後退、非アメリカ、というのは新境地かもしれない。
当然最高な映画体験だったことは間違いないです。
『貴方には無力で倒れていて欲しい』
イギリスらしいゴシックでアイロニカル、叙情的作品である。色々な状況説明も、さりげなく映像に織込まれ(舞台はロンドンという説明も服のタグに刺繍してあるところもグッドセンス)、きちんと伏線も回収してくるので、まるで映画そのものが、この主人公の人格を象徴していうような感じさえ思えてくる。
題名からいうと、『幽霊の糸』が直訳だが、ネット用語だと“スレッド”は掲示板上のスレッド内の投稿に関わる返信が続いていくことでスレッドが形成されるというのが説明で、そういう意味では幽霊との“会話“というのがそんなに遠くない異訳なのかもしれない。
ストーリーは、完璧主義を貫くちょい悪ハンサム親父が、偶然知り合ったウェイトレスに亡き母親の面影を感じ、一緒にすむことになるのだが、この親父は自分のペースに併せない女を次々と棄ててゆくという困った男であり、同じ轍を踏みたくないそのウェイトレスがかなりぶっ飛んだ危険なアイデアを実行に移し、しかしその“死亡遊戯”に、男が引きづり堕とされるという、M転させられる筋書きである。確かにこの完璧な男の人生観を反転させるには、命を掛けなければならない覚悟は、充分感じ取られる。しかし、そんな覚悟そのものよりもこの女のファムファタール振りの方が極めて前面にでている。そんな女だからこそ男は知っていても敢えてその罠にはまりにいく『誘い受け』みたいなものかもしれない。何度も殺され掛け、そのたびに母親の幽霊と邂逅するのだとしたら、正にこの女は三途の川を渡す、さしずめ“ケイローン”なのだろうか。そういう意味でも、この二人は正に共犯なのである。ということを、仕立て屋の清楚にして職人の張り詰めた独特感をベースにしているからこそのサスペンスとしての白眉を演出させているのである。勿論、主人公、そしてヒロインの演技は言うことがない程、称賛である。『ドレスに勇気づけられる』『私が膨らみを作る』等々、台詞の深い意味合いやとんちも又、今作品に彩りを加えている。一つとして欠けることがない物語性に、プロフェッショナルをみせて頂いた。
このタイトロープのヒリヒリ感に脱帽である。
どの夫婦にも当てはまること
本作における毒キノコとは比喩である。はたからみると明らかに毒キノコなんだが、夫婦間におけるそれは愛を確かめ合うきっかけなんだ。
しばしば嫁は旦那に毒キノコを与え、旦那はそれをありがたがる。
日本の家庭にもよく見られる光景である。
俺は独身バチェラーだが、ちまたに溢れるおこづかい制度を受け入れる男、イクメン、家事を手伝う男なんかすべて毒キノコを食べた旦那にしか見えない。でも、それが男たちにとっては快感なんだろう。
世の中の旦那に言いたい。この映画を見れば、自分が毒されていることに気づけますよ。見終わってもなお嫁を愛していると言えるのならそれは真実の愛なのかも。
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