ザ・スクエア 思いやりの聖域のレビュー・感想・評価
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痛いところをグサグサと突かれてる気分
ザ・スクエア、鑑賞いたしました。
「人の振り見て、我が振りなおせてる?」
上映中、ずっと脳裏をよぎっていました。
痛いところをグサグサと突かれ、自分自身の日頃の行いを省みなさいと問われているようで、なかなかにパンチの効いた映画で
した。
大枠ではもちろんですが、シーンごとの細かな工夫も見事で(赤ちゃんの泣き声に対する反応、障害者への配慮、相手が話しているときに笑う奴ら、記者陣も!)、
細かく「あなたは周りのことを思いやっていますか?思いやれてますか?」と問うてきます。
(終盤、「もうやめてー!」と思ってました...笑)
スマホの画面(スクエア)では、声を荒げるのに、現実では見て見ぬふりで何も行動に移さ(せ)ない人間よ、少しでも良いからたまには周りに目を向け、他人を思いやってみるのはどう?それも悪くないよ、といった気持ちにさせてくれた映画です。
ぜひご鑑賞ください!
日本では難しい
確かにけしからんお話!
スウェーデンの奇才リューベン・オストルンド監督作。前作「フレンチアルプスで起きたこと」同様、些細な過ちのはずだった行動が主人公を追い詰めていくが、今作では悪い方へ悪い方への突き進み方が徹底してすぎており、更にアイロニーとブラックなユーモアとたっぷりの毒の盛り度がやりすぎな位にスゴイ。アートの世界で成功を収めたキュレーターである主人公が、自身の”思いやり”の無い行動を重ねていった結果、これでもかと降りかかる不幸の連鎖。そのすべての元凶は彼にあり、上手く取り繕おうとしてもダメ、反省して償おうとしたって、謝罪したって、辞めたって許されない。裕福な知人や仕事仲間、部下、友人、娘たち、金乞いの人たちまで、もしかして...と助けてくれそうな人々が、ことごとく助けにならずにむしろ足を引っ張りまくる。徹底して冷淡で悪ふざけに近いブラックな笑いを執拗に盛り込むあたり、監督はかなり偏執狂的にクドイ性格だなあ...そこが好き!やはり際立つのは悪意のある冷笑の嵐だが、その中に、現代の人間関係の希薄さやネット社会の脆さに対する警鐘を鳴らす。カンヌ映画祭でパルムドールを受賞したが、拍手と共に「恥を知れ!」との怒号も鳴り響いたというが、なるほど確かにけしからん話ではあるなー、と納得してしまう。個人的にはかなり好きだけどねー、大傑作!
はっきり掴めなかったのは、”カオスが訪れる”の件と、アパート住民の先住民族風の男性のところ。この二つって、組みになっていると思っていいんでしょうか?
現代アート的映画
スッキリしない映画だった。
始めから、一体何語⁈あれ⁈英語⁈かと、聞きなれない言語が飛び交う。
主人公は、現代アートのキュレーター。
現代アートと、聞くだけで、私は、なんか訳分からんとなってしまう。映画の中でも言ってたが、美術館と言う権威ある物の中に鎮座されるだけで、他から見たらゴミの様なモノでもアートとなりうる・・
自身の感性よりも、権威や説明文で納得してしまう自分も居る、が、とかく現代アートは、集客力が弱い。それで起こる騒動のモロモロを描いている、が、映画
は、現代アートと同じで、わかりにくい。
ヨーロッパには、中東から移民が住み始め、お互いの文化の違いや、お互いを知ろうとしないからこその、軋轢が起きているんだと描いていた。
副題の思いやりの聖域とは、非常に意味が深いし、自分だったらと試されている気もして居心地が悪かったし、最後のシーンは後味が悪かった。
自身の好き嫌いで感じればいい。
ブラックユーモア
現代美術のキュレーターである主人公が、その中では誰もが平等で公平な権利を持つという4メートル四方の正方形の作品の宣伝を始める。しかし実際の世間は人が助けを求めても手を貸す人は少なく、そんな中、大声で助けを求める女性を見知らぬ男性と協力して守ってやったら、スマホと財布を掏られるという皮肉。一方、現代美術の砂山が清掃作業で崩されたり、サルの真似をする芸術が狂暴すぎたり、芸術家のトークセッションで病気の観客が卑猥な言葉を大声で繰り返したり、芸術、寛容、良心、道徳とは何かを問うようなハプニングが次々と主人公の周囲で起こる。主人公自身も、ホームレスに食べ物を恵むことがあったりする善人かと思えば、時々判断を大きく間違うという弱い部分もある。他に、わかりやすいクズの部下と、小賢しいクズの宣伝マン、更にエリザベス・モス演じる何を考えているかわからないアメリカ人女性など、登場人物も微妙にクレイジー。
非常にシリアスな内容だとも取れるし、全編ブラックコメディだと観ることもできる。2時間半の長い作品だが、中だるみもなく、面白かった。
なかなか辛辣で難しい
アートを取り巻く現状、もしかしたらアートそのものを問い質すような作品、それに加えて現代社会をも批判しているかのように見えたが、内容が結構難しくて作家の言わんとしていることを半分も理解できていないような気がする。
そもそも、作家の言わんとするところ、などという表現自体がこの映画においてはナンセンスなような気がするし、そんもん分かる訳ないんだから、思うがままに楽しめばいいだけなんだけど、単に楽しめない表現が多いし、なかなか鋭い社会風刺だなと思うところが多いが故、あれこれと作品の意図するところを読もうとしてしまった、結局徒労だなとは思ったけれど…
現代美術を積極的に鑑賞するような人ならば、作品の中のアイロニーがよく分かるだろう。それに対する受け止め方は、二分するとは思うけれど。
自分も現代アートなるものには触れてきている方だと思うので、そこからの感想をいうと、かなり笑えた。
ただエンディングは嫌い。数々のエピソードが絡み合って成立している映画であって、あのエピソードが必要だったのか個人的には疑問。確かにエピソード内、楽しめた部分はあるけれど、そのエピソードが無くても、十分に楽しめる映画だと思うのだが…尺も短くなるし、コンセプトも明確になっただろう。現代アートへのアンチテーゼと捉えられるのを避けたのだろうか。どうしても逃げに見えてしまう。
とはいえ、そもそもこの映画には高尚なコンセプトなど無い気がするわけで、エンタメとして楽しめばいいだけなんだろう。
後からじわじわ考えると秀逸な映画
心理的な深いところをあぶり出す
ジュールで難解。まさに現代アートのような映画だ!
現代アートを通して見えてくる現社会への批判をシニカルに、時にコミカルに描いた作品であるということは理解できるが、ストーリーに一貫性がなくシュールで謎めいた場面を意味なく繋ぎ合わせたような構成に正直なところ退屈させられた。また、尺も無駄に長く感じられた。
ところが、上映中は、途中退席をせずに最後までしっかりと観続けた自分がそこにいた。
「次の場面こそは何か面白い展開があるに違いない」と思い続けたからなのだが、ついにはそうした期待にも裏切られたわけだが、そうした期待をさせる面白さはあったのかもしれない。
この作品を楽しめるか否かは、現代アートを理解できるか否かにかかってくるだろう。
なぜならば、この作品自体が現代アートを皮肉りながらも、現代アートそのものように思わせるからである。
☆☆☆★★ 人と人は思いやりが大事…との展示会を開く予定の美術館の...
☆☆☆★★
人と人は思いやりが大事…との展示会を開く予定の美術館の責任者。
その彼に巻き起こる様々な騒動を描くのですが。
実際問題、彼に思いやりの心が有るのか?は、実はちょっと怪しい事を映画は炙り出して行く。
人間には知らず知らずではあるものの、差別意識を持ってしまっている。更には自分本位の考え方も。
映画を観た限り、深読みして考える。
「これって、対人関係に於ける争いを描きながらも、本質では紛争に至る経過を示しているのでは?」…と。
勿論、当てずっぽでは有りますが(-_-)
些細な出来事に翻弄される主人公。
映画としては、エンディングに至る道のりまでに。何一つとして多くの騒動は解決をみない。
企画した全ての事柄が、根底にある差別意識の為なのか?ことごとく失敗する。
そんな彼では有ったのだが、やっと相手の立場になって考える意識を持っに至る。
この時に、普通の監督だったならば。娘の2人と車を降りる場面でエンディングで充分の筈なのに…。
前作の『フレンチアルプスで起きたこと』のエンディングも、そうだったのだが。
「嗚呼、終わりだな!」…と思わせては。その次のカットでは、何とも言えない不穏な空気感を観客に与える辺り。この監督の一筋縄では行かない意地悪な側面は、更なる進化を遂げている様だ。
本当に意地が悪い悪い。
2018年5月3日 ヒューマントラストシネマ有楽町/シアター1
思いやりを持つこと、平等の権利を守ることの難しさ
タイトルのThe Squareは主人公がキュレーターとして働く美術館にある展示物「The Square」のこと。何の変哲もない地面が四角く(スクエアに)ラインで区切られ、そこに、この中では「すべての人が平等の権利を持ち、平等に扱われる」「この中にいある人が困っていたら、誰であれ助けなければならない」と書かれている。この作品によって人々は「このスクエアの中では」という限定符に対する違和感(もしくは「本当はスクエアの外でだって同じように平等の権利と思いやりがあるべきではないか」という正義感)が喚起されるはずである。この映画が面白いのは、このスクエアという作品を展示する側である主人公自身が、「平等の権利」と「思いやり」を持つことに失敗してしまうという所にある。
思えば、海外に行ったことのある人ならば、貧しい人々(こじき)に、何かせがまれたことがあるのではなかろうか。そういう時、例えば自分の経験では「そういう人には何もあげてはいけない」と教えられ、無視する習慣がついている。もちろんそこには色々な(渡してはいけない)理由があるのかもしれない。ただ、この映画に登場する「The Square」というインスタレーション、そしてこの映画そのものが作品として成り立つのは、やはり「平等の権利」や「思いやり」というものを持つ事の難しさを表しているように思える。
映画は2時間半ぐらいあったように思えるが、この「思いやり」を持つことの難しさをまざまざと見せつけられ、これっぽっちも退屈はしなかった。
現代の不条理を映す一本として是非。
あれやこれや詰め込み過ぎ・・・。
日本では、まず、作られることのない映画です。また、色々なものを詰め込み過ぎた結果、若干、焦点がボケてしまったことも否めない映画でもあります。前半がなんとも単調で笑うに笑えませんでした。途中からパニック映画やサイコスリラー映画的要素も見え隠れしていました。ひとりの学芸員の破滅を扱った映画かとも思いましたが、さにあらず、まぁ、一筋縄でいかない作品です。脚本作りの苦労が偲ばれる作品で、日本の映画人ももっと、苦労した方がいいのでは、とも感じました。現在、余りにもひどい映画が日本には多過ぎます。このままでは、日本映画は衰退の一途を辿っていくことでしょう。一体、いつから、この転落劇は始まったのでしょう。今回、この映画を観て、この感を強くしました。
不平等と無関心
シニカルコメディ
本当の人間を見たような。
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