ザ・スクエア 思いやりの聖域のレビュー・感想・評価
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興味深いのだが
理解しきれない作品なのは確か
美術館のキュレーターの男が、人助けしたら、スマホと財布をすられて、そこから彼の無関心や素っ気のない態度、不用意な言動が彼を負のスパイラルへと導く…ような作品?
財布とスマホをすられて、警察に届けず自力で何とかするというのも分からないし、あんなに冷静なのも謎
要するにそこをきっかけとして、男の愚かな行動の数々が引き起こす悲劇を巡る物語なのだろうが、理解しきれない
物乞いとかを印象的に映すあたりにはこちらの国の格差問題の提起(最終的には動画の内容)をしているのだけれどこの辺もどうにも…
ただ、なんだか見逃せない感じで最後まで集中して見られたのも確かであり、最後の娘のどこか切ない目線がこの作品を物語っているのかもと思った。
あと螺旋階段がなんだか印象的(負のスパイラルというか迷宮っぽい感じ)
他の人のレビューやパンフレット観てからの追記
猿人間?の件は、最初は何があっても皆観て観ぬ振りをしていたのに、一人が叩き出すと皆こぞって叩き出す辺りに、人間の集団心理というか現代のネット叩きに通じるものがあるのだろう。
後半になるとエピソードごとの時系列というかストーリー性?みたいなものが曖昧な感じで、どこか奇妙な感覚に。
そこからさらに物語が進むのかと思いきや、そこでブツッと終わり次のシークエンスに移るあたりがどうにも気になる(この辺も術中なのだろうが)
あと、ブラックユーモアが理解出来ないので、なかなか笑えるなんて場面には出くわさなかった。
さらに追記したくなった
なんとなく考えに至ったことなので合ってるかは分からんけど
この映画に出てくる美術館に来る大衆とはこの映画というアートを観ている私たちなのではないだろうか?
美術に興味があって、美術館のキュレーターの話を聴いていたかと思いきや、食事になると話も聴かずにワラワラと移動する大衆、猿人間のパフォーマンス芸術だと美術だと解釈しそれを危ないギリギリまで傍観するだけの大衆
その辺が映画を観ている我々に物語っているのではないか「映画にちゃんと興味持ってる?」「映画をちゃんと分かって観てる?」的な
いや、もしくはこのように思考を巡らせてしまうことすら、監督の術中なのかと知れないし…
というよりまだ完全に考えが固まってないなこりゃ
まだ追記したくなるかも
二度と見たくないけど、もう一度見たい映画
とにかく不可解で難解で後味の悪い映画。全編に亘って居心地が悪くて、ちょうど不愉快(変な言葉だけど、しっくりきたから直さない)。誰もが絶対に持っているはずの偽善とか不寛容や不平等さや矛盾などを、人が不快感を覚えるポイントを絶妙に突っつきながら厭らしく露見させてくるこの感じ。全てのシーンがまるで観ている者の良心やモラルを問う試験みたいな感じでとても胸糞悪い。しかも登場人物は別に嫌な人たちというわけでは決してなくて、其処彼処にいるごく普通の善良な市民であるというのがね。ますます後味悪いです(って、散々貶しているみたいだけど、この映画にとっては全部褒め言葉みたいなもの。私自身、褒めてるんだか貶してるんだか分からないまま書いてます)。
やっぱりそれが特に顕著なのがモンキーマンのシーンだったかなと思う。あのシーンの緊張感たるや凄まじかった。自分もあのテーブルで席についているような感覚だった。彼らが俯いて存在を消して一刻も早く時が流れ去ってくれるのをひたすら待ち続けているようなあの気持ちが良く分かったし、自分があの場にいても、絶対に何も出来ない自信があった。制止することも救助することも逃走することもできずに、あそこにいた多くの人がそうしたように何も見ない何も聞かない何にも気づかないという演技をしただろうと思う。
ただすべてのシーンや、すべてのエピソードについてきちんと解釈が取れたわけではなく、本当にただただ意味が分からずに終わったようなシーンも少なくはなかったし、この映画が面白かったか?って聞かれてしまったら絶対に面白くはなかったと答える。上映時間も長いし、体力的にも精神的にもすごく疲れた。映画を見ている間、早く映画が終わってほしいと思ったし、二度とこの映画を見たくないと思った。でも映画を見終わった後で、なんだかもう一回見直したい気持ちにもなった。なんだかもうよく分からない。
それに、この映画が見せたものって、謂わば人間の「人間らしさ」であって、それは不完全さであって醜悪さではないし、それを今更暴いたところで一体何になるんだろう?という風にも思ってしまった。人間が厭らしい生き物だってことくらいとっくに知っているよ、と開き直りたい気分だったし、それも含めて人間らしくていいじゃないか、と自己弁護したい気分だった。
日本では難しい
確かにけしからんお話!
スウェーデンの奇才リューベン・オストルンド監督作。前作「フレンチアルプスで起きたこと」同様、些細な過ちのはずだった行動が主人公を追い詰めていくが、今作では悪い方へ悪い方への突き進み方が徹底してすぎており、更にアイロニーとブラックなユーモアとたっぷりの毒の盛り度がやりすぎな位にスゴイ。アートの世界で成功を収めたキュレーターである主人公が、自身の”思いやり”の無い行動を重ねていった結果、これでもかと降りかかる不幸の連鎖。そのすべての元凶は彼にあり、上手く取り繕おうとしてもダメ、反省して償おうとしたって、謝罪したって、辞めたって許されない。裕福な知人や仕事仲間、部下、友人、娘たち、金乞いの人たちまで、もしかして...と助けてくれそうな人々が、ことごとく助けにならずにむしろ足を引っ張りまくる。徹底して冷淡で悪ふざけに近いブラックな笑いを執拗に盛り込むあたり、監督はかなり偏執狂的にクドイ性格だなあ...そこが好き!やはり際立つのは悪意のある冷笑の嵐だが、その中に、現代の人間関係の希薄さやネット社会の脆さに対する警鐘を鳴らす。カンヌ映画祭でパルムドールを受賞したが、拍手と共に「恥を知れ!」との怒号も鳴り響いたというが、なるほど確かにけしからん話ではあるなー、と納得してしまう。個人的にはかなり好きだけどねー、大傑作!
はっきり掴めなかったのは、”カオスが訪れる”の件と、アパート住民の先住民族風の男性のところ。この二つって、組みになっていると思っていいんでしょうか?
現代アート的映画
スッキリしない映画だった。
始めから、一体何語⁈あれ⁈英語⁈かと、聞きなれない言語が飛び交う。
主人公は、現代アートのキュレーター。
現代アートと、聞くだけで、私は、なんか訳分からんとなってしまう。映画の中でも言ってたが、美術館と言う権威ある物の中に鎮座されるだけで、他から見たらゴミの様なモノでもアートとなりうる・・
自身の感性よりも、権威や説明文で納得してしまう自分も居る、が、とかく現代アートは、集客力が弱い。それで起こる騒動のモロモロを描いている、が、映画
は、現代アートと同じで、わかりにくい。
ヨーロッパには、中東から移民が住み始め、お互いの文化の違いや、お互いを知ろうとしないからこその、軋轢が起きているんだと描いていた。
副題の思いやりの聖域とは、非常に意味が深いし、自分だったらと試されている気もして居心地が悪かったし、最後のシーンは後味が悪かった。
自身の好き嫌いで感じればいい。
コンセプトアートならぬコンセプトムーヴィか
前作『フレンチアルプスで起きたこと』は権威失墜型コメディとでも呼べばいいのかしらん?と首を傾げたくなる笑うに笑えないコメディだったが・・・
同じリューベン・オストルンド監督のカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作品。
スウェーデンの王宮の一部を改築した美術館エックス・ロイヤル美術館。
扱うのは現代アート。
その首席学芸員クリスティアン(クレス・バング)計画しているのは、「ザ・スクエア」という企画。
4メートル四方の四角い空間の中では、だれもがだれもを信頼し、思いやらねばならない、というもの。
そんなある日、クリスティアンは助けて詐欺に引っかかって、スマホと財布を盗まれてしまう。
幸い、スマホにはGPS機能があるので、どこにあるかはわかったが、そこは低収入者向けのアパート。
だれが犯人かわからない彼は、部下とともに、各戸に「スマホと財布を返せ、さもなくば・・・」という脅迫文を入れていく・・・
といったところから始まる物語。
ちょっと面白そうな題材なのだけれど、主人公がとる行動と同じく、映画全体の考えが浅い。
なんだか、一場面一場面を繋いだコントみたい。
いや、コントならば、それはそれでいいんだけれど、あまり動かないカメラの外側から不穏な雑音が鳴り響いたり、ぶった切ったようにカットが繋がったり、となんだか格好つけすぎで、かえってそれが映画としての恰好悪いことになっているような感じ。
映画はこの後、「ザ・スクエア」企画のトンデモPR動画がWEB上にアップされ、大炎上。
さらには、現在開催中の企画展のレセプションに、猿人が乱入して混乱するという、アートパフォーマンスが予想外の方向に大暴走して・・・と展開するのだけれど、いずれも場面場面のお団子串刺し演出で、ひとつひとつは面白いが(とはいえ、笑うに笑えないのだが)映画としてのドライブ感が欠如。
観ている方としては、ひたすら疲弊するばかり。
オチの付け方としても、少しばかりの信頼と思いやりを感じた主人公が、自身の脅迫行為の後始末をしようとするが、結果、覆水盆に返らず、信頼も思いやりも届きはしないという皮肉な結末となるのだが、その空しさも、なんだかなぁ、取って付けたよう。
個人的な好みとしては、この手の皮肉な映画は、もう少しテンポよくドライに進んだほうが効果的だと思うのだけれど、これではコンセプトアートならぬコンセプトムーヴィではありますまいか。
とにかく、長い、シーンシーンが無駄に長い。
ブラックユーモア
現代美術のキュレーターである主人公が、その中では誰もが平等で公平な権利を持つという4メートル四方の正方形の作品の宣伝を始める。しかし実際の世間は人が助けを求めても手を貸す人は少なく、そんな中、大声で助けを求める女性を見知らぬ男性と協力して守ってやったら、スマホと財布を掏られるという皮肉。一方、現代美術の砂山が清掃作業で崩されたり、サルの真似をする芸術が狂暴すぎたり、芸術家のトークセッションで病気の観客が卑猥な言葉を大声で繰り返したり、芸術、寛容、良心、道徳とは何かを問うようなハプニングが次々と主人公の周囲で起こる。主人公自身も、ホームレスに食べ物を恵むことがあったりする善人かと思えば、時々判断を大きく間違うという弱い部分もある。他に、わかりやすいクズの部下と、小賢しいクズの宣伝マン、更にエリザベス・モス演じる何を考えているかわからないアメリカ人女性など、登場人物も微妙にクレイジー。
非常にシリアスな内容だとも取れるし、全編ブラックコメディだと観ることもできる。2時間半の長い作品だが、中だるみもなく、面白かった。
観てよかった!今年一番の作品!
大勢の人がホームレスや浮浪者、物乞いを無視しながら歩いていくところから始まる。
ところがネットにホームレスについてのあの動画が上がると批判殺到、「侮辱している!
弱者に対する考えがなってない、はっきり言って最悪」うわー、こりゃたいした皮肉だわぁ。これは今の日本社会でも当てはまることだよね
少年が訪ねてきた後、「助けて助けて」と聞こえてくる声。彼はすでにいなくなっていたのに、、、
これは主人公の空耳ではなく1つの象徴であると僕は思った。
本当は聞こえているはずの助けを求める声が
やっと少年がしつこく訪ねてきたことで聞こえたのだ。あの少年は今の社会の弱者と呼ばれる人たちの象徴なのではないかと思えてきた。
絶え間なく続くのブラックなユーモアに笑いが止まらない!そしてお洒落な撮り方、社会風刺、これは絶対に見るべき傑作である。
なぜ低評価なのか理解に苦しむのは僕だけだろうか?または皆が「大衆」だからだろうか?
モンキーマンが怖すぎた怖い!このシーンだけ冷静にみることができず、監督の罠にはまりましたぁ
ところどころで笑いがこらえきれず、、すみませんでした!
なかなか辛辣で難しい
アートを取り巻く現状、もしかしたらアートそのものを問い質すような作品、それに加えて現代社会をも批判しているかのように見えたが、内容が結構難しくて作家の言わんとしていることを半分も理解できていないような気がする。
そもそも、作家の言わんとするところ、などという表現自体がこの映画においてはナンセンスなような気がするし、そんもん分かる訳ないんだから、思うがままに楽しめばいいだけなんだけど、単に楽しめない表現が多いし、なかなか鋭い社会風刺だなと思うところが多いが故、あれこれと作品の意図するところを読もうとしてしまった、結局徒労だなとは思ったけれど…
現代美術を積極的に鑑賞するような人ならば、作品の中のアイロニーがよく分かるだろう。それに対する受け止め方は、二分するとは思うけれど。
自分も現代アートなるものには触れてきている方だと思うので、そこからの感想をいうと、かなり笑えた。
ただエンディングは嫌い。数々のエピソードが絡み合って成立している映画であって、あのエピソードが必要だったのか個人的には疑問。確かにエピソード内、楽しめた部分はあるけれど、そのエピソードが無くても、十分に楽しめる映画だと思うのだが…尺も短くなるし、コンセプトも明確になっただろう。現代アートへのアンチテーゼと捉えられるのを避けたのだろうか。どうしても逃げに見えてしまう。
とはいえ、そもそもこの映画には高尚なコンセプトなど無い気がするわけで、エンタメとして楽しめばいいだけなんだろう。
後からじわじわ考えると秀逸な映画
心理的な深いところをあぶり出す
ジュールで難解。まさに現代アートのような映画だ!
現代アートを通して見えてくる現社会への批判をシニカルに、時にコミカルに描いた作品であるということは理解できるが、ストーリーに一貫性がなくシュールで謎めいた場面を意味なく繋ぎ合わせたような構成に正直なところ退屈させられた。また、尺も無駄に長く感じられた。
ところが、上映中は、途中退席をせずに最後までしっかりと観続けた自分がそこにいた。
「次の場面こそは何か面白い展開があるに違いない」と思い続けたからなのだが、ついにはそうした期待にも裏切られたわけだが、そうした期待をさせる面白さはあったのかもしれない。
この作品を楽しめるか否かは、現代アートを理解できるか否かにかかってくるだろう。
なぜならば、この作品自体が現代アートを皮肉りながらも、現代アートそのものように思わせるからである。
善意のリアリティ
善意を行うことの難しさを描いた作品。心がえぐられるような表現があって素晴らしかった。
生きていて自分たちが望むように善意を行うことが出来ない、人は自分たちが考えるより善人にはなれないということを滑稽に描けていて良かった。
●大人であり社会的な立場を持つ主人公が善意を行えると考えていること、その無自覚の表現が良かった。ショボいことがきっかけで
ショボいトラブルを生んで、簡単に自己防衛に走り人への思いやり
を忘れるところが共感できる。
●主人公だけでなく登場人物すべてが善意を忘れる日常人と描いていることが良かった。悪人でもないけど、聖人でもない。人への思いやりもそこそこ…という表現がリアルだった。
●サル男の場面がサスペンスフルで良かった。この映画はいい意味で先の展開が読めなかった。たぶんこの場面は本筋とは関係ないエピソード。そのわりに長い。だけど意図的にこの場面を入れている気がするな。長いけど緊張感があり、思わず引き込まれた。サル男は演技なのか、ハプニングなのかという緊張感で誰も手を出せない、巻き込まれたくないから皆うつむき加減。人間心理の恐ろしさも感じる異色のシーンだった。
●ラストも良かった。主人公は苦悶するが人として成長しないことを予感させる。娘が父の姿から何か学びとるでもなく帽子をかぶるのは、この後も続く日常を予感させる。主人公が人間の象徴であるなら、人本来の限界により善意からは遠いという結びに感じた。
この映画はシニカルなジョークの秀作だと思う。
☆☆☆★★ 人と人は思いやりが大事…との展示会を開く予定の美術館の...
☆☆☆★★
人と人は思いやりが大事…との展示会を開く予定の美術館の責任者。
その彼に巻き起こる様々な騒動を描くのですが。
実際問題、彼に思いやりの心が有るのか?は、実はちょっと怪しい事を映画は炙り出して行く。
人間には知らず知らずではあるものの、差別意識を持ってしまっている。更には自分本位の考え方も。
映画を観た限り、深読みして考える。
「これって、対人関係に於ける争いを描きながらも、本質では紛争に至る経過を示しているのでは?」…と。
勿論、当てずっぽでは有りますが(-_-)
些細な出来事に翻弄される主人公。
映画としては、エンディングに至る道のりまでに。何一つとして多くの騒動は解決をみない。
企画した全ての事柄が、根底にある差別意識の為なのか?ことごとく失敗する。
そんな彼では有ったのだが、やっと相手の立場になって考える意識を持っに至る。
この時に、普通の監督だったならば。娘の2人と車を降りる場面でエンディングで充分の筈なのに…。
前作の『フレンチアルプスで起きたこと』のエンディングも、そうだったのだが。
「嗚呼、終わりだな!」…と思わせては。その次のカットでは、何とも言えない不穏な空気感を観客に与える辺り。この監督の一筋縄では行かない意地悪な側面は、更なる進化を遂げている様だ。
本当に意地が悪い悪い。
2018年5月3日 ヒューマントラストシネマ有楽町/シアター1
思いやりを持つこと、平等の権利を守ることの難しさ
タイトルのThe Squareは主人公がキュレーターとして働く美術館にある展示物「The Square」のこと。何の変哲もない地面が四角く(スクエアに)ラインで区切られ、そこに、この中では「すべての人が平等の権利を持ち、平等に扱われる」「この中にいある人が困っていたら、誰であれ助けなければならない」と書かれている。この作品によって人々は「このスクエアの中では」という限定符に対する違和感(もしくは「本当はスクエアの外でだって同じように平等の権利と思いやりがあるべきではないか」という正義感)が喚起されるはずである。この映画が面白いのは、このスクエアという作品を展示する側である主人公自身が、「平等の権利」と「思いやり」を持つことに失敗してしまうという所にある。
思えば、海外に行ったことのある人ならば、貧しい人々(こじき)に、何かせがまれたことがあるのではなかろうか。そういう時、例えば自分の経験では「そういう人には何もあげてはいけない」と教えられ、無視する習慣がついている。もちろんそこには色々な(渡してはいけない)理由があるのかもしれない。ただ、この映画に登場する「The Square」というインスタレーション、そしてこの映画そのものが作品として成り立つのは、やはり「平等の権利」や「思いやり」というものを持つ事の難しさを表しているように思える。
映画は2時間半ぐらいあったように思えるが、この「思いやり」を持つことの難しさをまざまざと見せつけられ、これっぽっちも退屈はしなかった。
現代の不条理を映す一本として是非。
あれやこれや詰め込み過ぎ・・・。
日本では、まず、作られることのない映画です。また、色々なものを詰め込み過ぎた結果、若干、焦点がボケてしまったことも否めない映画でもあります。前半がなんとも単調で笑うに笑えませんでした。途中からパニック映画やサイコスリラー映画的要素も見え隠れしていました。ひとりの学芸員の破滅を扱った映画かとも思いましたが、さにあらず、まぁ、一筋縄でいかない作品です。脚本作りの苦労が偲ばれる作品で、日本の映画人ももっと、苦労した方がいいのでは、とも感じました。現在、余りにもひどい映画が日本には多過ぎます。このままでは、日本映画は衰退の一途を辿っていくことでしょう。一体、いつから、この転落劇は始まったのでしょう。今回、この映画を観て、この感を強くしました。
不平等と無関心
避けられない分断
偶然なのでしょうか。
最近、評判の良い欧州映画を観ると、ほぼ必ず、民族、移民問題が背景として描かれているように思います。
移民を抱え、経済も右肩上がりではない社会の状況がまず息苦しいです。
税金で近代アートの美術館を運営できるのに、道にはたくさんの物乞い。
恵まれたエリートは夜遊びもしますが、場所は雑然としたナイトクラブ、下手すると薬物も入り込みそうな、あやしげな佇まい。
携帯を探しに行った移民の多いエリアでは、エコカーを止めているだけで車をからかわれる治安。
そして、知的エリートが集うはずの美術館。そこでの仕事も殺伐としています。一人一人が自分の任務しか見ていない。注目を集めるためになりふり構わぬ手段に出る広報と代理店、組織の保身を第一に考える理事たち、そして、自身の才能に寄りかかり好き勝手をする主人公のキュレーター。
唯一の希望は子供たち。抗議に現れた少年。主人公の二人の娘たち。彼らは全力で前を向いて生きています。最後の姉妹の行動と表情に観る価値があります。
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