ラブレスのレビュー・感想・評価
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Europe before This Millenium's Darkness
Loveless is the story of a missing child set in Russia during the coming dawn of Ukraine's Maidan Revolution in 2012. While it was made during the war in Donbas, the film seems to foreshadow the coming Ukraine-Russia full scale war quite horrowingly. The director stated he is not a political director. Certainly he is not in the literal sense; but the images tell us much more than words can.
身近なところにも国際社会にも広がるラブレスの病
ロシアの名匠が撮り上げた本作は前半と後半とで違った表情をあらわにする。前半では愛をなくした親たちの姿を“子供の視点”から描き出し、後半ではそれが完全に逆転する形で、忽然といなくなった子の姿を探し求める“親の視点”が素肌に焼きつくような痛みを持って映し出される。だがどれだけあがいても、泣き叫んでも、その姿は見えず。
本作は特殊な構造を持ち、観客にも少しずつじわじわと事の重大さが認識できてくる。また、劇中には鉄骨むき出しの廃墟や寒々しい森の中など登場人物の心象を表したかのような描写が多いことにも気づかされる。どれだけ探しても愛が見つからない、見つかったとしても上着だけ。これほど「ラブレス」な状態を的確に表現した映画があるだろうか。ラスト付近でテレビに国際ニュースが映し出される。観ているようで観ていない。あるいは観ていても完全に他人事。ラブレスの病はかくも深刻に国際社会をも飲み込んでいるのだ。
天気も心も晴れずずっしりとした気分が残る
親の不仲と身勝手が罪のない子供を苦しめ居場所をなくし失踪するという映画です。夫婦は破綻しているのですが子供を考えてほしいです。親は自分が不幸という思いとお互いに対する不満でいっぱいで子供を想う気持ちを忘れてしまっています。いなくなって初めて子供への愛があることがわかります。というか本人たちは子供を愛していることに気づいていないのですがその行動や言動に愛があります。
女は合わない母との暮らしという状況を受け入れられずその現実から逃げるために妊娠し男と一緒になるもののそういう自分を受けいれることができないので受け入れられない自分の産物の子供も受け入れられないのです。自分は子供で子供は自分です。「受け入れる」は「愛する」ことでそれができないから「ラブレス」というタイトルなのですかね。でも親は子を愛している。と思いたい。そうじゃないと救いが極小の映画となってしまいます。
この映画は暗いです。初冬のロシアのどんよりした景色がさらに心を陰鬱とさせます。愛について暗い気持ちで考えさせられます。
とにもかくにも親は子を愛することが大事、という映画と捉えました。じゃないと悲しい。
「男はみんな子供だと思え」
「捨てないでね」
「なんでそんなバカなことを言うんだ」
「ときどき、すごく怖くなる」
「おれはここにいるだろ」
「前の奥さんにもそういったのよね。」
「君とは全然違う。こんな気持ち初めてだ。」
浮気相手に女性は
「私の前に何人いた?」
「今でもあの子を見ると思うの。何と言う失敗をしたかと。私はモンスター?」
「世界一素敵なモンスターだよ」
「本当に愛している?」
その問いに浮気相手の男は何も答えない、
「中絶すれば良かった。」
「そうだなぁ みんなのためにも」
「あなたは結局同じことをしてるじゃない。他の女を妊娠させて不幸に陥れた、12年後もタチさえすれば同じ事してるわ。私、彼女を同情してるの。あんたのおかげで人生台無し。」
私自身を愛してくれる人と巡り会えたからいいけど」
その後、「降りろ!アバズレ」と行って車は彼女を、降ろし出ていく。
物凄い悪妻で母親失格なんだけど、この演出家は男だが性差が分かっていると判断した。
さまざまな所に「ハンマースホイ」やエドワード・ホッパーがあらわれる。つまり、喪失感だと思う。失った何かを映し出している。やるせない気持ちにさせる。そして、色々な見方をしなけりゃ行けないが、映画は究極のご都合主義で終わる以外ないと感じた。
新しく売られたコンドミニアムはリホームの最中。
ハンマースホイが描く白枠の窓の外はブリューゲルの「雪中の狩人」の様だ。
さて、映画ここで終わってよいのだろうが、歴史が許してくれなかった。
さて、アレクセイは2000年生まれの事。ご存命なら今頃。って言うことかなぁ。
アレクセイって言えばカラマーゾフの三男。主人公である。ゾクッとした。
そして、度々登場せし端末機。例のアレクサとの関係は?
なんか、それを扱う人間の喪失感が撮られているように思えた。
傑作だと思う。
全てがラブレス…言葉にならない
ロシア映画はほとんど観たことないが、各方面で評価されていることとテーマに興味をおぼえ鑑賞。
終始暗めの心寂しい雰囲気ではあるが、映像的には景色や室内にいたるまでかなりきれいに撮れているのが印象的。
ただし、ストーリーとしてはまさにラブレスで、冷めきった夫婦の強烈なほどの憎しみ合いが生んだ犠牲は言葉にならない…というより言葉にしたくないほど苦しい。特に子供の暗闇での忍び泣きや朝食時の涙ぽろりは本当に胸が締め付けられる。当然大人の事情はわかるのだが、これは酷すぎた(涙)
その他印象に残ったのは、祖母役女優の強烈な演技とラストシーンの木の枝にかかったままのテープのなびき。
全くストーリーとは関係ないが、お部屋の案内場面も興味深く、おいくらで売れたのかも気になってしまった。
いずれにしても、完成度高い作品だとは思うのだが、あまりに切なくもう一度観たいと思うには少し時間を要しそうだ。
真相は闇の中
ロシア映画だと知らずに鑑賞。
ひたすら暗い…。子どもが聞いてるそばで、子どもを押し付け合っている会話をするなんて、ほんまどんな神経してるんやろうか?そりゃああんな家出たくもなるよね。
冒頭から感じてはいたけれど、誰一人幸せになってないという。結局、子どもの行方もわからずじまい…ただ、ラストシーンのリボンが、死を暗示しているんやろうなと私は解釈した。川の調査はしてないものね。
それにしても、警察の対応があまりにも杜撰すぎて。話もほとんど聞かず、捜査も他の件があるからとどうでもよいという雰囲気が伝わってきた。日本の警察ってかなり優しいんやなとあらあめて思った。
観なくてもよかったかな…。結局なにを訴えたいのかよくわからずただただ陰鬱な気持ちになった。
ロシアを愛してるぜ(棒で叩きながら)
脚本も担当しているズビャギンツェフ監督は政治問題に口を出すつもりはないと言っているが、ロシア政府はそうは思わないだろうな。だってあからさまにモロ出し批判なんだもの。
あまりのことに思わず最初に書いちゃったけど、とりあえず政府批判のことは置いておいて、表面的に見えることから順に書こうと思う。
同監督の作品はこれが2作目だが、全体的にスローで静かなのは変わらずだった。
それでも「父、帰る」のときの、何を感じればいいのかわからない感覚はなく、非常に入り込みやすかったのは良かった。
音楽なのか効果音なのかわからない印象的な音使いも効果的で、不思議な緊張感の高まりは見事だったと思う。
親からの愛を受け取れなかった父ボリスと母ジェーニャは、息子のアレクセイを愛することが出来ずに自分のことばかり考えている。
対照的に愛することを継承している親子の姿も描かれている。
この辺の描写の細やかさ、丁寧さは、クドイほどで、過剰描写ではないかという気持ちも出るけれど、後半の変化していく兆しを見せ始める夫婦の揺らぎに対してボディブローのようにじわじわ効いてくるんだよね。何かあるんじゃないか、何か変わるんじゃないか、という期待に逆説的に効くって感じで。
それで、普通に面白く観られたんだけど、愛されなかった子どもでも愛せる大人になれるのではないかと、愛の継承について軽い嫌悪感が出たところで、これは人間の話ではないですよとドーンと来ちゃうんだからビックリするよね。
ソ連の本体が今のロシアで、ソ連の一部だったウクライナがソ連の子どもだというならば、ウクライナはロシアの子どもだ。
ロシアはウクライナに愛を注げているのかと問いかけているわけ。失ってから気付いても遅いぞと。
エンディングの場面でロシア軍がウクライナに進攻しているのだから愛を注げているわけないんだけどさ。
ボリスとジェーニャがロシアで、アレクセイがウクライナだったんだ。
何か変われそうだけど結局何も変わらない、自分のことばかりで他を愛せないロシアを夫婦二人が表していたわけだね。
つまり、もっと旧ソ連の国々を愛せとロシアを批判しているのだが、さすがにラストシーンのジェーニャに「RUSSIA」の文字が書かれたジャージを着せるのはやり過ぎだったと思うな。メッセージがモロ出しすぎるでしょ。
「政治問題に口を出すつもりはない」監督談。これもまた皮肉かジョークの一種なのか?
ズビャギンツェフ監督はロシア政府から映画製作の資金援助を受けられないそうだけど、まあ、そりゃそうだって感じだよね。
だけど、この人からはロシア愛を凄く感じるんだよな。「俺はロシアを愛してるぜ!」みたいな。
ちょっと愛情表現がひねくれてるけどさ。
ロシア政府が破壊した人間感情
【"利己的人間の愚かさと、無償の献身をする人々の姿を、シニカルな視点で対比的に描いた”愛亡き”作品。両親に愛されず行方不明になった少年と、ウクライナの民の哀しさがダブって見えた作品でもある。】
<Caution 内容に触れています>
□利己的人間
・言うまでもなく、愛無き結婚をして、12才のアレクセイを悲しませてきた、会社での自分の保身を考えるボリスと、スマホ依存症のジェーニャ夫婦である。
しかも、二人はそれぞれ愛人がおり、定期的に愛し合っている。
アレクセイは、ある日、両親の言い争いを聞いてしまい・・。
ー あの、涙でくしゃくしゃになった顔は忘れ難い・・。そして、彼が友達が一人しかいなかった理由も垣間見えるのである。
彼の捜索中に、ジェーニャが言った言葉
”子供なんて、欲しくなかった”
物凄く、腹立たしいシーンである。ー
□無償の献身をする人々
・言うまでもなく、頼りにならない警察の代わりに、リーダーの元、統率の取れた組織編成で、整然とアレクセイを探す姿。
ー ロシアって、あんな組織があるんですか? 警察が頼りにならないから??
警察よりも、余程頼りがいがある。
”政府組織は頼りにならないので、民は自警する・・”ということかな・・。ー
<冒頭と、ラストのシーンの繋ぎ。
年は経て、貼られたアレクセイの捜索願は風で飛びそうだ・・。
そして、モノトーンのショットの中、枯れ枝に引っ掛かった冒頭でも映されていたビニールテープも風に靡いている。
下には、冬枯れの景色の中映し出される池。
再後半、TVから流れるウクライナで起きた事件。泣き叫ぶ母親。
TVのニュースが流れる中、無表情でランニングマシーンの上で走る”ロシア”と大きく書かれたジャージを着たジェーニャの姿。
暗澹たる気持ちになるが、アンドレイ・ズビャギンツェフ監督が発するメッセージは、しっかりと伝わってきた作品である。>
憎悪の噴出
熟年層には共感できるかも、悲しい愛のかたち。
何故このような映画が作られるのか
どうしてだろう。
愛を与えられなかった子供。
子供を愛せなかった親。
彼らはきっと一生愛を探し続ける。
見つからない愛。それはもしかしたら幼少期に受けなかった親からの愛かもしれない。日常で他人から受ける些細な愛かもしれない。どちらにせよ、彼らは愛に枯渇している。
この物語は、大事にされない子供の物語だけど、これを見て我が子をより愛してあげようと思える親はもうとっくに親であるし、気づかない者はきっといつまでも気づかない。
この物語の終わりは何を生むんだろう。
結局、望まれない子供は、生まれなくてよかったのか。いなくなったとていくらかの時間探し回って、後悔して、あとは一生のうちに何度か思い出して、罪悪感に苛まれるだけ。いてもいなくても変わらないのであれば、自分で家族を探せばいい。そんな物語をわたしは観たい。
タイトルなし
互いに既に別のパートナーがおり、離婚に向け、住んでいた家を売るなど、会えば互いに罵り合う夫婦は双方息子が邪魔。母親は自分の母親に預けたいが、その母親も全く愛がない。タイトル通り子に対する愛が両親共になく、子は疾走してしまいラスト迄見つからない。結局見つかってもあの夫婦と暮らすのは不幸だろう。
責任
引っ張りがうまい
一つのシーンに対して回答が、2つ3つ先のシーンにあるのでずっと興味が持続する。
ラブレスというタイトルにふさわしく登場人物の誰にも愛が無い。唯一愛があったのはボランティアのリーダーの、遺体の前で泣き崩れる両親への鋭い視線だった。
ところで遺体は結局本当に息子ではなかったのか。結構息子は見つからなかったとの解釈のレビューがあるが、あのリアクションは息子の死を受け入れられないという描写にしか見えないのだが。
ところどころ、え?って思う皮肉がある。
最後の子供をポイっと柵の中にしまうボリスは、映画史上に残る最低親父っぷりだった。
役者は全員素晴らしかった
ラブレス
人間の「無責任さ」がしっかりと描かれている
ロシアは基本共働きが主流だが、ロシア人男性は女性が家庭を切り盛りすると思い込んでいる人が多い。裕福な暮らしをさせてるのだからいいだろうという男の身勝手さに、自由を我慢して私も仕事しながら子供を見てるんだけど!?というジェーニャの気持もわかる。こんな男の身勝手さを12年受けて蓄積されて、子供を厄介者として見てしまった部分もあると思われる。
終盤で、ソファでテレビを見るだけで子供と遊ばないボリスが、ジェーニャとアレクセイのときの12年もそうだったのだろうと推察させる。
家庭内にヒビを齎したのは、盛りのついたオス・ボリスだと思われ、終盤、ボリスが我が子と遊ばずケージに入れるシーンは胸くそ悪かった。
ラスト、ジェーニャがカメラ目線になる演出には、この映画の意味を感じた。
「あなたは?」と問いかけているような。
オチの川が映ったシーンでは、息子アレクセイは、映画冒頭のロープみたいなやつを取ろうとして恐らく川から転落したのだろうと容易に想像できる。家に『自分の居場所』がなくなった子供は、通学路や、廃墟の地下や、ちょっと遊んだ川辺に居場所を求めて彷徨っていたのだろう。そう思うと胸が苦しくなってやりきれない。
好き・嫌いを包む「愛」ではなく、好き・嫌いで推し量る「恋」をする人間しかいない。それはとても子供っぽく、責任を伴わない。時間が経てばすり減って行く好きという感情のままに結婚や子づくりをする。時間が経ち、好きが薄れただけで嫌いが色濃く見え、飽き始める。そして、また同じようなことを繰返す。
ラストシーンは、もう一つ「私がわるいの?」と問いかけているようにも見えてくる。
全員が、誰にも愛されない結末。なんとも後味が悪い。どんな時に見たらいい映画かわからない。しかし、ウィキペディアを見るにロシアの方々には、鋭い風刺的な意味を持つっぽい。
世界の終わりは来なかった
2012年10月10日に失踪した息子アレクセイ。元々できちゃった婚であったボリスとジェーニャの夫婦はすでに別のパートナーがいるため、息子を互いに押し付けようとしていたのだ。うっかりそんな夫婦のやり取りを聞いてしまったアレクセイは翌日失踪してしまう。
愛のない夫婦。息子に対しても全く愛情が感じられない。妻の実母にいたっては、自分のところに連れてくるなと叫ぶほど毛嫌いしている。テレビから流れるニュースではウクライナの内戦と、「世界の終わり」を告げるマヤの予言ばかり。まるで厭世観漂う世紀末の様相をも示していたが、とにかく個人主義に徹する愛のない世界。こんな現実もあったんだな・・・とにかく寒くなる映像ばかりで冷房要らずでした。
『父、帰る』は満点をつけてしまうほど衝撃的な作品でしたが、この映画ではあとからじわじわと来る寒さが印象的。愛がないことのつらさ。戦争ではさらに愛する者が奪われていく。マヤの予言がまた一層人間を変えていってしまう。捜索しても見つからないモヤモヤした気分はそのまま答えのないエンディングに終息してしまう・・・
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