ハッピーエンドのレビュー・感想・評価
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フランス人にとって、カンヌ地雷映画だぜ。
フランス人にとっては、カンヌ地雷映画だ。
かつての『アルジェの戦い』と同じ。
かつての映画賞はベネチアだったが、現在はカンヌにせざるを得ない。しかし、プライドで外したようだ。
蹂躙と白痴と病気の国
Longue vie à la Fra◯◯◯!!
フランスは一級市民と二級以下として絶対的な壁を国民にもうけている。そして、もうすぐ、選挙があるが、二重国籍者を、一級市民から外す事を公約をしている。多分、その政党が政権をとると言う事だ。
さて、
この映画に出て来るモロッコ人とかナイジェリア人は難民ではない。出稼ぎ就労である。(なぜなら、ナイジェリアもモロッコも内戦は起こっていない。しかも、ナイジェリアはアフリカ一番の経済大国ゆえ、難民になってまでフランスへは来ない)難民を認める敷居は高く、外国人排斥は大変に問題になっている国だ。もっとも、フランスに限らずだが。
フランス人の薄気味悪い所満載だが、演出家はドイツ系オーストリア人。だから、カンヌも表彰せざるを得ないのかも。フランスの仮想敵国はドイツではない。明らかに今も昔もイギリスなのだ。しかし、フランスは元々、イングランドの諸侯の作った国。この辺は複雑にナショナリズムが入り組んでいる。そして、フランス人はイギリス人とドイツ人を同じ民族として見ている。そして、カトリック教徒の国なので、反ユダヤ主義は結構多い。
しかし、フランスは
自由と博愛と平等の国!!
Longue vie à la France!!
『I LOVE JAPAN』ではない。アスタリスクなら『私は日本に疑義を持ちます』何だけど、アスタリスクは六角形だからね。この星はペンタゴン。まさか、アメリカ国防総省?!まさかね?
まぁ。カンヌにエールを送っているんだろう。最近は出来レース多いからね。
孤独なふたりを惹きつける大きな秘密。
映画「ハッピーエンド」(ミヒャエル・ハネケ監督)から。
正直なところ、よくわからなかった。
観賞後、作品の解説を読んでみたが、それでも難しかった。
「難民が多く暮らすフランス北部の町カレーを舞台に、
不倫や裏切りなどそれぞれに秘密を抱えた
3世代の家族の姿を描いた人間ドラマ」なのだろうが、
この作品を通じて、何を伝えたかったのだろうか?、
それが全くわからなかった。(汗)
作品のポスターに書かれたキャッチコピーは
「『愛、アムール』に続き、名匠ハネケ監督が新たに描く『愛と死』
85歳の祖父と13歳の孫娘。孤独なふたりを惹きつける大きな秘密。」
そうか・・主人公は「祖父と孫娘」だったんだ、と気付くと、
タイトルの「ハッピーエンド」が、妙に輝いてみえた。
新鮮だったのは、冒頭に流れるスマホの縦位置の画面。
縦位置の映像を、横位置の画面でみると、やはり間が抜けていた。
このギャップが一番の収穫だったきがする。
う~ん、フランス映画というだけでも難しいのに、
「フランス・ドイツ・オーストリア合作」となれば、
もうお手上げ状態になるのも無理は無いな。(汗)
秘密
85歳のジョルジュは13歳のエヴに妻を絞殺したと打ち明け、最後は入水自殺しようと車イスをエヴに押させて海辺から入ったところを家族が助けに行く。エヴはその様子を携帯のカメラで撮影するのだった。
華麗な縦列駐車
そんな車の話ではなく、ブラックユーモアを盛り込んだかなり読解力を要求される作品である。ハネケ監督作品は今回初観なのだが、各シーンに於いてこんなにもオチまでのフリが長い、それでいて場面転換の急激な時間進行のストーリー展開は初めてかも知れない。下手したらそれこそ学生作品の編集と言われても疑わないかもしれないが、それだけストーリーの繋ぎを観客の想像力に頼っている希有な作品なのである。内容としては、簡単に言ってしまうと人を殺したお爺さんと子供が、罪の意識に苛まれたり苛まれなかったりする、まぁ、利己主義的テーゼが全体に影を落としているという形である。ただしかし、だから感情移入が出来ないかと言ったらそうではなく、その周りの家族も又、罪の深浅はあるがどれも現代社会では身の回りに起こっていることであり、人間のだらしなさ、ダメさ加減を素直に描いているので、多かれ少なかれ誰しもが思い当たるフシがあって然るべき話なのだ。やたら『小便』の音やワードが出てくるのも、いくら金持ちであっても化けの皮を剥がせばダメ人間の化物だということを、フランス特有のアイロニーを交えつつのお家芸を充分効かせたセンスで作られていることの比喩なのであろう。主人公の女の子の従兄が殴られるシーンでの引きのカットや、祖父が道路を車椅子で通っている時に黒人の連中と何やら話をしているカットは、喧噪と騒音でかき消されその台詞は一切聞こえない演出等、何とも不親切さがビシビシと伝わるのだが、こういう味も又映画の醍醐味なのかも知れない。ここは素直に受容れるしかないのである。ラストの海に入水しようとしてる祖父をスマホのビデオで撮影している女の子、そして急いで追いかける祖父の息子や娘の追いかけるシーンが入り込む作りは、一番の喜怒哀楽が混じった何とも言えない感情が渦巻くベストシーンだろう。本当に不思議な映画であった。
まあまあだった
殺人など物騒な出来事があるのだろうけど、におわすばかりで緊張させるわけではなく、読み込むことを促すような感じで見ていてかったるい。頭を使わないと解釈できない作りで楽しくなかった。ぼさっとしているとドキドキもハラハラもしない。
女の子がお父さんに「あなたは誰も愛せない」と言うのは真を突いているのだろうけど、そういう自分はどうなのだ?と思った。
ハムスター
ハムちゃんの餌に
鬱病の薬混ぜて...
動かなくなったのを棒でつついて
一丁上がりって
ドン引きでした。
足を犬に噛まれてるのを
みんなが確認に来るけど
傷を見ては
病院にも連れて行かず
消毒もせず包帯巻くとかもせず
ブランケット剥ぐってまた掛けるって
何だこの人達は⁇
呆れて笑けた
見世物状態の
女の子が可哀想〜
ハッピーエンドの
タイトルとは
かけ離れたお話しでした。
トビージョーンズ
ダニをペットにしてた王様役の
印象が強い(笑)
ボケていなかった
ミヒャエル・ハネケの映画は、安易に観客を登場人物へ感情移入させない。
大きな屋敷に住まい、うわべだけの言葉のやり取りが続く家族。
その象徴が、母親との生活を離れて彼らの屋敷にやってきた少女への問いかけであろう。映画の中で何度も彼女は「何歳なのか」という質問を受ける。その他のことを訊かれることはないのだ。
耄碌している(ふりだと、後に分かるが)ジャン・ルイ・トランティニャン演じる祖父にも、二度も年齢を訊かれる。だが、最初の問いかけの後、この祖父は孫娘に対して「13歳にしては幼い」と、思春期の子供に向けてずけずけとした物言いを続ける。
ここでこの祖父が実はボケているのではなく、この少女をつぶさに観察して、その所感を率直に述べているのだということに気付いた観客はほとんどいまい。ずっと後に孫娘と互いの秘密を告白し合うまで、家族の中でこの老人が最も疎外されているように感じた。
しかし、映画の後半では、新参の孫娘のことも含めて、家族のことを俯瞰しているのはこの老人だけなのだということが次第に分かるようになる。
それにしてもこの孫娘を演じているファンティーヌ・アルドゥアンが素晴らしい。あどけなさ、冷酷さの両方を持ち合わせ、つかみどころのない映画の前半におろおろする観客に対して、かろうじて視座を与えてくれるという難しい役回りを演じ切る。
この映画は物語を次へ進める事件を敢えてスクリーンには映さない。もしくは何が起きているのかがよく見えない、聞こえないロングショットでしか観客には情報を与えていない。映画はストーリーテリングの媒体であるという思想をあざ笑うかのように、ハネケは劇的なシーンを省いて進んでいく。映画の中に入ろうとする観客に容易く追いつかせることをしない。
非常に集中力を要する作品であり、その分、ストーリーの展開ではなく登場人物たちの人となりに観客の厳しい目が注がれることになる。
家族のひずみ
裕福な生活を送る家族の間のひずみを淡々と描写し、死や破滅を予感させるような不穏な空気が常に漂っています。
スマホ撮影の動画やチャット画面なども挿まれ、生や死を画面の向こう側の世界と捉え実感を持たないSNS世代についても、淡々とした視点を感じます。
それに対比するような、祖父が死の実感を語る場面は、印象深いものでした。
少女が「I☆ JAPAN」と書かれたTシャツを着ている場面があったのも印象に残っています。
日本で起こった事件をモチーフにした部分があるからかも、ということのようですが。
タイトルの「ハッピーエンド」は、死や破滅を予感させつつ、結果的に死や破滅は訪れない、回避できたから、ハッピーエンドということかと思いました。
しかし、絶望や罪や絆の断絶を内包したままで、表面的なハッピーエンドと思われますし、やはり皮肉を感じます。
象徴的なラストから無音のエンドロールがはじまった瞬間、全てを物語っ...
象徴的なラストから無音のエンドロールがはじまった瞬間、全てを物語っているようで、失笑で吹き出してしまった。
目の前からの無関心の象徴と言えるであろう、インターネット、SNSを通して垣間見る、ヨーロッパの上流階級の家族の物語。あちらからもこちらからも火の手が上がっているが、誰もが気にかける事なく物語が進行して行く。内側で手がつけられない事になってるのに、移民や使用人に偽善的な態度で体裁を保ち、愛に飢えた矛先は、インターネットの中に向かって行く。
現実を取り繕い、責任の伴わないインターネットに現実を求める。
失笑しておいてなんだが、足元を見て実はヒヤッとした。
ハッピー?
冒頭のシーン、ヤバイでしょ。
小動物、調教できるものなのかな?リアルなのか、CGなのか、ザワつくシーンです。
でも、それが後半までの伏線となっているのです。
これ、ファミリーというよりは、サスペンスじゃないですかね〜
ヤバイこどもの成長記録とでもいいますか。とにかく、ハッピーとはほど遠いかもしれない映画です。
しあわせな最期の来ないエンディング
前作『愛、アムール』から5年、そろそろ嫌な思いのする映画を撮る順番だとミヒャエル・ハネケ監督自身が言ったという。
フランス北部の大邸宅、ロラン一家。
老主人ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は事業を娘アンヌ(イザベル・ユペール)に譲って引退している。
息子のトマ(マチュー・カソヴィッツ)は医師で、前妻との間に13歳の娘エヴ(ファンティーヌ・アルデュアン)がい、現妻アナイス(ローラ・ファーリンデン)との間には幼子が生まれたばかり。
何不自由ない生活のように思えるが、それぞれに問題を抱えている・・・
といったところから始まる物語で、全編長廻しのカメラで取られた映像は、当初、何が起こっているのかが掴みづらい。
冒頭、スマホでバスルームの様子を盗撮している。
女性が、洗面所で吐き、口をすすぎ、用を足す。
精神的に不安定な様子で、その画面の上に撮影者と誰かがやり取りしている小さな文字が出ては消えていく。
被写体の女性はエヴの母親(トマの前妻)で、精神を病んでいることが後にわかる・・・
と万事このような語り口で、ある事象が映され、その後に、その事象についての説明のような描写が登場する、といった具合で、なかなか状況を理解するのが難しい。
が、それぞれが抱える(隠している)問題がわかってくると興味が湧いてき、後半、ジョルジュの過去が明かされると、本作が『愛、アムール』のハイドストーリーのような趣であることがわかるが、そうなるころには映画の3分の2ほどが過ぎてしまっていました。
うーむ、さてさて、これを面白いといえるのかどうか。
タイトルは、映画のハッピーエンディングの意味ではなく、文字どおり「しあわせな最期」。
しかし、そんなものは訪れない。
「しあわせな最期」を迎えることができなかったジョルジュとロラン一家・・・
これまでの諸作ほどの衝撃はないけれども、嫌な思いは結構しました。
陰鬱
相変わらずのハネケで、第三者が傍観しているような遠い視点から取られている場面が非常に多く、必要以上にも感じる程に現実味が伝わってくる。長回しも多く、退屈だと感じる人も多いだろうし、まぁ実際序盤は結構退屈なんですけども、夏のフランスのカレー、その一見穏やかな街並みと、画面から止めどなく漂う閉塞感と陰鬱な雰囲気とが相まって、眠気や不安感やもどかしさなどに同時に襲われ、重厚なリアルを感じました。
題のハッピーエンドとはこの映画の終わりに対しての題なのか、はたまた、人生という物語の終わりに対して、つまり安らかで幸福な死とは何なのかという問題提起をする為の題なのか色んな解釈が出来ると思いますが、少なくともこの映画の終わりはハッピーなのかと問われると、凡人の考えるハッピーではないとだけは言えます。
まあ、あとこの映画を観るとロリコンに目覚めそうになるので注意って感じですね。
寒々しい
愛の反対は憎しみではなく無関心だといいますが、少女エヴを取り巻く情況はまさにそれ。
父の実家に小さい頃、一度しか来たことがなかったエヴ。
もしかしてエヴの母はトマと離婚する以前から、このロラン家に受け入れられていなかったのでは?
肺炎で死んでしまったエヴの兄(お父さんは医師なのに)。
エヴはパーティで紹介されても、いとこのピエール以外に話しかけてくる人もいなくて、伯母のアンヌも表面的。
父のトマは、前妻が亡くなると、さっさとその住まいに不動産屋を呼ぶ、エヴがいる時に。
そして、極めつけが祖父のジョルジュ。13歳の孫娘にあのような告白を聞かせるなんて。
ラスト、ジョルジュはまったく自分勝手です。エヴのことを、これっぽっちも愛していないのですね。エヴにさらに深い傷を負わせることになるのだから。
距離をとった描き方なので、登場人物に感情移入しづらいし、共感もできませんでした。
ただ、エヴのしたことはいけないことだったけど、周囲を映した鏡だったのだと思いました。
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