君の名前で僕を呼んでのレビュー・感想・評価
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とても良かった!!!
小説を読了した次の日に映画を見に行った。
小説の内容はエリオ自身の心の動きが多く描写されているため、大部分が暗い印象だった。しかし、それを映像にあらわすと、こんなに光に溢れていて美しい世界だったのかと驚いた。
内容はほとんど小説に沿っていたが、ところにオリジナルの描写も含まれていた。少しだけ、時間の流れが速い気もしたが、彼らの物語が幻のようなひと時であったことを表現するためだと捉えると、「良かった」と言える。
(単なる制作側の事情かもしれないけど、捉え方を変えてみるのも映画を楽しく観る上では大切なことだと思っている。簡単に言うと、自分が納得できる程度に、都合良く物語を解釈して、映画を楽しもうよ^^ということ。でも、そうできない場合は自分にとって良い作品ではなかった、ということかもしれません(ー ー;)ワカリマセン…映画の見方は人それぞれです。自由に鑑賞しましょう^^*)
ただ、小説を読んでいない場合、エリオとオリヴァーの心情がどう繋がっているのか分からないのではないかと思った。心情、というか、お互いがお互いのことをどう思っていて何を感じているのかが伝わり難い、ほとんどを観客の解釈に委ねている感じが、ん〜?となった。皆さんはどう思いましたか?彼らの心境は分かりましたか?
そして、印象的なのは、やはりピアノと音楽。
明るく、光の玉が飛び跳ねるような音に、ふと暗い音が鳴り響く──
どんなに幸せな時が訪れようと、苦しみは心の奥に隠れている。その感情は地上に出る日を、今かいまかと待っているのだ。そして、その音がなった時、やはり、苦しみからは逃げられないのだと、現実は回避できないのだと、思い知らされる。
他方、音楽の効果により、そのシーンが幻のような、現実か、夢か、その空間をおぼろげな雰囲気にさせる音楽もあった。
筆者は音楽に精通している人間ではない。
そこらへんにいる映画が好きな大学生の、他愛のない、平凡で情緒に欠けている感想になってしまうが、
音楽というものは、素晴らしいものだなと、心底感動した。
映画を観終わった後、某動画サイトに投稿されていたサウンドトラックを聴きながら家路に向かう。夜風が吹き、周りは明るくネオンの光に満ちている。最高だった。幻のような世界にいる気がした。
彼らの物語を読み、世界を見て、心の音を聞いた私は、私の心は、彼らと一緒だった。彼らの想いが、私の内に同居し、最後には目に熱いものがこみ上げてきた。
エンディング──
炎の前でエリオが涙を流すシーンは圧巻だった。
私は以下のように解釈する──
エリオは、悲しみを炎の中に葬ったのではないか、
葬らずにいれただろうか、と…
(追記)レビュー読むとやはり、分かりにくいところがあるのかも。小説を読んでからの方が色々理解しやすい。
(追記)
2020/1/17 当時を思い出しながら、より分かりやすく修正しました。
とにかく美しい情景
ここは天国ですか
映像と音楽が美しすぎて天国かと思った。
静寂で優しく、観るものの感情を静かに揺さぶる世界、穏やかな登場人物たちに、大島弓子の作品に似たものを感じた。
北イタリアの美しい夏。
朝、昼、夕、夜の光。
エリオとオリバーのもどかしい距離。
恋人たちの幸せ絶頂の時間。
どれもこれもくすぐったくってエモい。
夢のような時があっという間に過ぎ去り、オリバーとの別れを受け止めきれず悲しみのどん底に沈むエリオに父が語りかける言葉が優しい。
傷ついた心を無理して癒す必要はないと。噛み締めろと。
私も同じくエリオよりも人生の先輩だから父ちゃんの気持ちがよーくわかる。君は本当に奇跡的な、美しく、幸せな出会いをしたんだ。今耐えられない悲しみですらも素敵な感情であり、君の心をますます豊かにするひと時なのだ。
その言葉を噛みしめてきたかのようなラストシーン、オリバーとの電話の後のエリオのアップ長回しシーンが大好きだ。
そして、これが青春だ、初恋だ、愛だ、なんて単純な言葉で表現しようとはしないこの美しい世界が大好きだ。
君の名前で僕を呼ぶ、のは「月が綺麗ですね」の表現 と比べるとはるかに情熱的で楽しくて、欧米かって感じだけどそれがまた良い。クリスマスの電話のシーン思い出しただけで泣ける。
自分の育ったところはこんなに洗練されたゴージャスな家でも、イタリアの街並でもないけれど、郷愁を掻き立てられ。
あー 私も実家に帰って緑の中でゴロゴロしたい。川で思うまま泳ぎたい。
公開からは遅れての鑑賞だったけれど、結果的に夏恋しさをちょうどいい感じにに刺激され。よいタイミングで観れてよかった。
君の名前で僕を呼んで
アプリコットの夏
オリヴァーを演じているアーミー・ハマーが本当にかっこよすぎ(身長195cmだとか)。
エリオはおそらく始めから彼に惹かれていたのですね。そしてオリヴァーの方も。
ママや友だちとはフランス語、パパや彼とは英語、メイドさんらとはイタリア語で話すエリオ。ママがドイツ語の本を訳して聞かせるシーンもありました。
欧米の知識階級の家庭のバカンスって こんな感じなんですね。
いいんだけど、二人が結ばれるまでの前半がやや長い。滝のシーンで終わりかと思った。
マルシアはちょっと可哀想(この女優さん、ルイ・ガレルの妹。そういえば似てますね)。
原作があるそうですが、ラストには私はがっかり。
彼の結婚相手は何も知らないんですよね。
題名の意味はわかりましたが、どんなに好きな相手でも自分の名前で呼ぶのは、わたしには無理。混乱してしまいそう。
美しい
抑制してはできない経験
エリオにはかわいい彼女いたね
オリヴァーもナイスバディとワンチャンあったね。この女性達との距離感の縮め方はすごくフットワークが軽い。それが世間の認識なんだと思う。男女だし
でもエリオとオリヴァーは違う。男性同士だから。だから近づくまでに少し時間がかかった。
何度もエリオを制するオリヴァー。電話のシーンで何気なく言った「僕の父に知られたら矯正施設行き」という言葉。
エリオの家族が寛容なだけで、マジョリティなのはオリヴァーの父親なのだと思う。
「幸いまだ恥じるようなことはしていない」
と制する際に言った言葉。
恥という認識があるオリヴァー。
この言葉のまま引き下がっていたら、父親の言う「抑制ゆえに得ることができなかった経験」になっていたんだと思う。
オリヴァーはエリオがとても好きだけど、好きだから一歩引いたような感じだった気がする。
エリオは好きだから繋がっていたいような、でもそんな言葉では片付けられない二人〜!!!
そして別れはしんどいの言葉しか出ない。
帰り旅の宿の中、眠っているエリオを見ながらとても悲しそうな顔をするオリヴァーは見てて辛い。
オリヴァーの最後の言葉
「I remember everything(何ひとつ忘れない)」
これはあの夏の思い出がオリヴァーという人間の一部を構成しているということ。エリオも同じ。
そして「君の名前で僕を呼んで、僕の名前で君を呼ぶ。」この行為はどういうことなんだろうと思ってた。
相手を思い相手を呼ぶ行為は相手を二人称として認識している。
じゃあ相手を思い自分を呼ぶのは一人称としての認識なのでは?と思った
君の名前で僕を呼ぶという行為は、自分の中に相手がいるという事実を認知し肯定し、同時に愛を伝えているということなんだと思う。
相手が心に住んでいる状態の自分を愛しそうに呼ぶんだよこの二人は!尊い!!
ひと夏の、過ぎ去りし失恋だけど、彼らを構成する一部分、父親の過ごせなかった経験を二人は自分の中に取り込んだ。
抑制しては手に入れることの出来ない世間的にはマイノリティな経験が、とても綺麗にまとめられていた。深い…深い…
失恋を映した映画
色っぽい
色っぽいなぁとは思う。
電話口で互いの名前を呼ぶシーンとか。
だけどあんまり入り込めなかったのはなんでかなぁ。
あんまり人間臭さがなかったからかなぁ。
あんなに綺麗なものかなぁ。
同性愛の物語なら、チョコレートドーナツ、アデル ブルーは熱い色のほうがよかったなぁ。
2018-58
アミハマ様のおかげで、男子の短パンに目覚めました😍
ただしアミハマ様に限りますが。
BL系はあんま得意じゃないですが、目的は美しすぎると聞いたアーミー・ハマーを拝むこと。
いやぁもう……おっふ連発😍
誰かに似てると思ったら、若いときの神々しいアラン・ドロン。
甘いマスクに低い声、高身長、反則です。
ティモシー・シャラメも写真で見るより美しかった。
年下らしいちょっと甘えた感じが上手かった。
恋愛だけかというと、そうでもなくて、エリオのご両親の教育というのもテーマの二本柱の一つ。
子供を信じるということ、必要であれば向こうから必要とするし、多くは干渉しない、必要とされれば惜しみない愛情をあげる、そんな二人は思春期の子供にとってとても心地よい気がする。
直接的な描写はなくても、そういう描写はあるので苦手な方にはあまりおすすめしません。
時間もちょっと長め。
でも一見の価値はあります。
人を好きになるのに理由なんていらないを地で行くことに、なんの恥ずかしさもないと教えてくれます。
父親の言葉がなかったら…
イタリアの風景、音楽、彫刻。好きな方にはとても美しい景色が広がります。
全て理解してくれたような母、告白という形で慰める父。
物分かりの良すぎる彼女…。
すべて美しすぎて、観た後に余韻が
残らなかった。
父の言葉のあのシーンがなければもっと評価は低くなったと思う。
趣味の問題かも知れないが、個人的に言えば最近見た
「彼の見つめる先に」
の方が同じ青春の男同士の恋愛を扱った映画としては、深く心に残ったし、説得力があった。
本気のBL
どこまでも美しい
未成熟な官能が匂いたつ、ひと時の恋愛
1983年の夏、北イタリアの田舎町。
古典美術の教授(マイケル・スタールバーグ)を父に持つ17歳の少年エリオ(ティモシー・シャラメ)。
教授のもとには、毎夏、研究助手の青年がやって来る。
ことし、やって来たのは、米国のユダヤ人青年オリヴァー(アーミー・ハマー)。
華奢なエリオはひと目で、頑健な肉体と持つオリヴァーに惹かれるが、その感情が何なのか・・・
といったところから始まる物語で、同性愛の物語。
そういってしまえば身も蓋もないのだけれど、ひと時しか成就しない恋愛、成就したからといって幸せが続くわけではない恋愛の物語なので、切ないことこの上ない。
そんな少年エリオの恋愛物語を、映画は巧みに魅せていきます。
イタリア語・英語のみならず、フランス語も巧みで、同年代の女性からも好感を寄せられるエリオ。
ピアノも弾け、バッハの楽曲を他の作曲家風にアレンジして弾けたりもする。
その上、ナイーヴで、スパスパ吸うタバコの煙の影に、本心を隠している・・・
対するオリヴァーも、ギリシア彫刻のような頑健な肉体を持ち、エリオの友人の女性たちからも好感を持たれている。
教授からの信頼も厚い。
この距離感を、遠景で(特にオリヴァーの顔・表情がわからないような距離で)撮ることによって、対象への憧れが強くなっていきます。
なぜだかわからない欲望(それはたぶんオリヴァーに対する独占欲と疎外感)に駆られたエリオが、友人のフランス人女性と初体験を経て、オリヴァーと結ばれた後の生々しい描写は、近年の映画ではなかなかお目にかかれないような官能。
未成熟な官能が、箍が外れて、外まで匂いたったかのような感じ。
それに伴って、オリヴァーの顔・表情もアップで写されるようになります。
そうなって、はじめて、観客はオリヴァーの頑健な肉体の奥の精神にまで触れたような感じになります。
結末としては、予感のとおりの、ひと時しか成就しない恋愛、成就したからといって幸せが続くわけではない恋愛となるわけだけれど、最後の最後にエリオの父である教授が意味深な(字面どおり深い意味を持った)言葉をエリオに投げかけます。
個人的には、この父親の台詞は余計、蛇足。
画竜点睛を欠くの反対、言わずもがな。
そんな言葉なんてなくても、エリオはわかっているはず、感じているはず。
そう思いました。
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