「くるおしいくらい、そこに私も、あなたも居た。」レディ・バード ありきたりな女さんの映画レビュー(感想・評価)
くるおしいくらい、そこに私も、あなたも居た。
アカデミー賞やら何やらあれだけ話題になってたのに半年経って漸く拝見したら、もっと早く観たらよかった…と心から思った。
アメリカの高校生活と日本の高校生活は全然違うと思うので、正直あまりイベント事などには共感できなかったし、アメリカの高校生リア充すぎない???と思ってびっくりしたけれど、
精神的な面や人間同士の交流や絆に関しては万国共通なのだと強く思った。「これは私だー!」と思う瞬間ばかり。
例えば、「レディ・バード」という名前がその象徴だけれど、自分を特別だと思う気持ちと、そうなれない現実に苛立ちつまづく気持ちは、身に覚えがありすぎて最早怖かった。
教室の隅で、誰よりも音楽に詳しくなりたいとイヤホンに耳傾けて、海の向こうの音楽を沢山聴いた私や、大学でやりたいことがぼんやりしながら模試の結果で親と喧嘩する私は、たぶんクリスティンみたいにめちゃくちゃダサくて格好悪かったと思う。
また、親友のジュリーとの関係性や、シスターの雰囲気。
私事ですがキリスト教系の女子校の中学高校に進学していて、男子こそ完全にいなかったので色恋沙汰は皆無だったけど(笑)、毎朝の礼拝はコソコソやりたい放題タイムだったし、クリスチャンの先生の方が意外と寛容で面白いことを言ったりするし、そこで得たジュリーみたいな友達を思い出した。
いつも一緒に居てなんでも明け透けに話せて、時には耳の痛いことも直球で言ってくれる。自分の「名前」を呼んでくれる人。
自分の名前も覚えてもらえてなくて、「カイルの彼女」だなんて呼んでくるようなイケイケのあの子は友達なんかじゃない。
後半で、私はプロムに行きたい、私はこの音楽好き、ジュリーは私の親友と言えたクリスティンの成長に目を見張りつつ、ジュリーと一緒にプロムを満喫する姿が本当にまぶしかった…
「おとなになる」ことは、自分は何者です、私はこれが好きです、こう思います、って言えることなのかな。私もまだ模索しているけれど、クリスティンより少し長く生きて、そうで在りたいな、少しはそうなりたいなと改めて思い返した。
あと、最初に付き合ったダニーくんとの関係性も素敵だった。彼がゲイであることに最初はショックを受けても、彼の秘密を守って受け入れて良き友人になって…彼が誰にも相談できない状況に15年ほど前の時代や、サクラメントの保守性を仄めかすのは見事だなあと思ったし、クリスティンがまた一つおとなになるのに不可欠な存在として、彼が居てくれて良かったなあと。
そして、なにより母親との会話がもう既視感ありすぎて、いつウチを覗かれたんだろう?と思うくらい笑。
お互い自我が強く、ちょっとしたことで口喧嘩になるのに、カワイイ服を見つけるとテンション上がって「サイコー!」みたいなノリになったり、その逆も然り。
今思えば、私も自分を認めてもらいたい、期待してもらいたいと何だかんだで伝えたかっただけだった(今もあまり進歩はしてないが…)のかなあとぼんやり彼女を見て思い出したし、同じようなことを言っていてハッとした瞬間も多々あった。
「愛情とは、注意を払うことである。」
母親、恋人、親友、そして育った街…それぞれに無意識のうちに向けるまなざしや想いの細やかさが、彼女の人となりやそれぞれへの愛情を私たちにしっかりと感じさせ、魅力的で近い存在に感じさせてくれていた。
もちろん母から娘に対しての不器用な愛情も。
ニューヨークに行った彼女は、自分から本名を名乗り、ふらっと入った教会で自分の原点に想いを馳せる。
「神は親からもらった名前を受け入れてくれない」けれど、かつて自分の望んだ名前を呼んでくれた人たちがいて、自分の本当の名前を受け入れられたクリスティンは、まさに "The very best version of yourself you can be"=最高のあなたになりかけている。