ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書のレビュー・感想・評価
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報道と権力の戦いでは、権力を支援せよ
文書を漏洩したダニエル・エルズバーグは、ヒロイズムに憑かれた人物のように描かれているが、そうした者の「内部告発」なしでは政府の不正が暴けない。
ローラ・ポイトラス監督『シチズンフォー スノーデンの暴露』では、エドワード・スノーデンは、米NSA(国家安全保障局)の不正通信傍受の告発よりも、自分自身に関心が集まることを避けようとする姿を見ることができる。告発が割り引かれて見られることを恐れたのだ。
ジョージ・クルーニー監督『グッドナイト&グッドラック』では、TV番組でマッカーシズム(赤狩り)批判をしたエドワード・マローは、マッカーシーから共産主義シンパの「汚名」を着せられそうになる。
政府の不正を個人が告発すると、それを矮小化したい人々は、告発者の人格や属性に国民の注意を促し、告発の影響を減殺しようと謀る。そして国民も、その動機が私怨なのか義憤なのか、告発者の人となりはどうなのか、興味を抱く。そのような構図を避けるのは難しい。
「ワシントン・ポスト」の編集主幹、ベン・ブラッドリーは「報道の自由を守る唯一の手段は、報道することだ」と言う。そしてその情報判断は、国民のリテラシーにかかっている。世論の後押しが強力なら、株主もスポンサーも「人気」にあやかって新聞社やテレビ番組をサポートできる。
報道vs.権力の戦いで権力を支援する劣化した民度では、言論の自由は死ぬだろう。
神がかった同時代意識
一本の映画を作るには、撮影や編集だけでなくかなりの時間を要するが、スピルバーグは本作を『レディ・プレイヤー1』の製作期間中にポロっと撮ってしまったという。そんな突貫スケジュールが可能なスピルバーグの処理能力にはアタマが下がるが、スピルバーグの発言によると、これはいま作られるべき内容だからと強引にスケジュールを押し込んだらしい。
結果、メディアと権力という今の現実そのものを描くようなテーマを前面に押し出した作品ができあがった。スピルバーグに特に日本について描く意図はなかっただろうが、日本の2018年の現実とも不気味なくらいピタリと符合した。
思えばスピルバーグは『リンカーン』では憲法改正の是非だけでなく、推し進めるのがいかに大変かを描く作品も作っている。本作も『リンカーン』も過去の話だが、スピルバーグというフィルターを通すと、どんな社会派映画より同時代的な訴求力が生まれてしまう。偶然か、嗅覚か。いずれにせよスピルバーグに何かしら神がかったものが宿っているのは間違いないと思う。
その文書を残すのはなぜか
本作は報道の自由を守る戦いを描いた作品であり、ビジネスとしてのメディアと社会正義としてのメディアの葛藤を描いた作品である。
同時に、公的な記録を残すのはなぜなのかを描く作品でもある。
ベトナム戦争の戦況に関する分析・記録した最高機密文書を報じるか否かの駆け引きが物語の主軸で、夫から会社を引き継いだ(ことで軽んじられている)女性社主の葛藤と、報道の自由、ひいては合衆国の理念のために戦う編集主幹を軸にストーリーが進む。
IPO直後で、差止めをくらえば会社が吹き飛ぶ状況下というシチュエーションが、メディアビジネスの本質をえぐり出す。会社と従業員に対する責任と報道の自由の責任をメディアは負わねばならない。
もう一つ重要なのは、国防長官がなぜここまで詳細な記録を書かせたのかということだ。記録がなければ「完全犯罪」だったのに。記録を出さなかった政治家と、記録を命じた政治家は同じ人物である。わかりやすい記者の正義の裏に、ねじれた(ねじらざるを得ない)正義の姿がある。
安倍政権と報道機関
この映画の中で「報道の自由を守る事とは何か。 それは報道する事だ」という場面があり 象徴的な場面だったと思う。安倍政権の時 偏向報道をしたという理由で某放送局の放送免許を更新しない事もあり得ると 高市早苗大臣が発言。
時の政権の気に入らない放送局はつぶすぞという恫喝である。
嘘の報道をしたのならそれは注意処分に値するが どこがという具体的な事実も挙げずに恫喝するこの政権の悪質さがある。
検事正の定年退職延長もその一つである。自分に都合のよい人物を検事総長に据えようと画策する危うさ。独裁者そのものである。森友問題で政権に都合の悪い公文書を改ざんした役人を出世させる。見せたくない箇所は黒塗りだらけにする。都合の悪い記録はすぐに廃棄する。この政権が危険な政権だという事に気づけずに もてはやす大半の国民の愚かさ。そういう愚かさが 気づいた時には報道すべき事が報道できなくなり 戦中の軍事政権のような政権が復活しかねない事につながるという事が この国の民はわからないのである。偏向報道しているからつぶせ!と言うなら やがて自分の意見も偏向だという理由でつぶされて 投獄され 若者が大量に動員されて 死ねば靖国に祀られると教えられて死んでいったあの時代に戻るかもしれないのだよ。わずか前の歴史も知らないという事は恐ろしい事である。
最初は国家機密を盗み出して漏洩するなどとんでもないと思っていた。 ...
最初は国家機密を盗み出して漏洩するなどとんでもないと思っていた。
しかし、次第にマスコミの報道の自由の方を応援したくなって行くから不思議だ。
女性社主が自社の倒産や自身の投獄も覚悟して記事の掲載を決断した時は体が熱くなった。
独裁・専制は許さないと言っているかのような、報道の自由を賭けた戦い
アメリカの憲法は、大きく3つに分かれる。「前文」「本文(全部で7条)」「修正条項(現在27条)」。本文は修正されず、修正条項を増やすことで事実上の憲法改正を行っているそうなんです。そして、本作は修正条項の第1条について時の政府と争う新聞社とその記者たちの、権力に対抗するための権利を守る戦いを描いたシビアで味のある映画です。
ストーリーとしては、ベトナム戦争が泥沼化していた1971年。ベトナム戦争について詳細に記録・分析した最高機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」の存在をNYタイムズがスクープ。長期にわたり政府がアメリカ国民を欺いていた内容が暴露される。ライバルである地方紙:ワシントン・ポストもその文書を入手すべく奔走するが、NYタイムズは政府より裁判所を通して掲載を差し止められてしまう。もし文書を入手してもワシントン・ポストは同じ道をたどってしまうのではないか?しかしこの記事は是が非でも国民が知らなければいけない・・・。会社存続か、報道の自由か。社主であるキャサリン・グラハムは重い決断を迫られていた・・・てな感じです。
まず、役者がすごい。
亡き夫の跡を継ぎ、地方紙の社主となったグラハム夫人に名女優:メリル・ストリープ。スクープを叩き、記者としての矜持を守らんとする編集主幹ブラッドリーに名優:トム・ハンクス。政府の圧力と会社を守るための決断に押しつぶされそうな重圧に耐える演技に心を奪われ、権利を守るために上層部との衝突は意に介さない海賊のキャプテンのような雰囲気を纏った演技に、見惚れてしまう。それに脇を固める方々も、ちゃんと役自身が持つオーラをちゃんと纏っているかのように見えるので、それが合わさって物語に強い説得力が生まれてると感じる・・・
アンサンブルが最高なんですね。
また、この映画を監督しているのが名匠:スティーブン・スピルバーグ監督。観てて飽きない。見どころ盛り上がりどころをそつなく容赦なく、自然に見せてくる。まあ多少くどいんちゃうと感じる部分はあったけど、全体的にはなんの問題もなし。ちとメッセージ性が強く押し出されているのが気になる点でわあれど、かなり盛り上がる部分でもあるので中和されてるから良し。毎回見るたびに、見せ所がすごいなあと改めて凄さを感じる次第です。
しかし、確かに本作はメッセージ性の強い作品ではあるでしょう。それでも、この作品は意味のある作品ではないかと思うんです。
本作は、“報道の自由”という、権力に対抗する権利を守る戦いを全面的に出しています。また、報道の自由は修正第1条にあることから、アメリカの憲法の中でもとても大事な条項ではないかと思うんです。
アメリカ国内において、独裁・専制を許さないという姿勢を、映画を通して見せたかったのではないでしょうか?
本作が製作されたのは2017年、トランプ政権の時です。あの当時、政治家を経ず、過激な内容でどっちに転ぶかわからないような大統領に、釘を刺したかったのでしょうか?他方では、中国が世界の上位に台頭してきたタイミングでもあります。もしかしたら、いかに独裁が国民に対し怖いものであり、報道こそが権力を監視し暴走を食い止める大きな手段であると言いたかったのでしょうか?ここまでは自分の個人的な意見であり、想像の域を出ませんが。
そういった意味では、本作は報道の自由とは何かというのを、なかなかわかりやすく、力強く描いていると、自分は思うのです。政治について一つの思想を描いた作品として捉えていますが、面白さは十分。“映画から学ぶ”ということはたくさんありますが、本作はその好例ではないかと思います。
オススメです。
報道の自由って
日本ほどひどくはありませんが、アメリカも報道の自由度ランキングでそれほど上位ではありませんしね。
この映画で描かれている時代と比べて今はもうちょっとマシなのかもしれませんが、それでも自由の国アメリカですら報道の自由を守ることが当然ではないことを痛感します。
日本は政権と大手メディアの距離を近くし、フリーランスや外国メディアを締め出している記者クラブを廃止してほしいです。全てではないにせよ、民主党政権時代にはできていたことなのでやれるはずです。
映画については、キャサリンが決断を下した以降のunpredictableな展開に引き込まれました。
マクナマラ役の俳優さんがめっちゃ似ていて、登場人物が多い中、この人だけは「誰だっけ?」とはなりませんでした。
メリルストリープ・トムハンクス
メリルストリープってすげーーーーって
想いながら観てた。
トムハンクスもトムハンクスっぽくなかったしw
しかし、アメリカでこんな事があったの?って驚いた。
観終わってスピルバーグって知ってまた驚いた。
さらに、いつ頃か覚えてないけど1回観た事あって
自分に絶望したwww
しかし、やっぱりベトナム戦争って根が深いというか
本当にとんでもない戦争だなって。
ワシントンポストが上場してない地方紙って時代も
驚き。
何となく手にうっすら汗かくって言ったら大袈裟だけど
どうすんの!?の連続。(大袈裟)
最初から最後まで何となく引き込まれて観てた。
でも、観終わってから何となくその当時を想像して
今ってまだましなのかな?と柄にもなく考えてもみたり。
ベトナム戦争。
プラトーン
グッドモーニングベトナム
フルメタルジャケット
カジュアリティーズ
7月4日に生まれて
地雷を踏んだらさようなら
どれも観たけどこの作品は別角度のベトナム戦争を感じた。
あ、地雷を踏んだらさようならはカンボジア内戦の方が印象強いけど
ベトナム戦争も絡んでるんだよねw
なんか、珍しく長く書いてるけど
観てよかったって思える作品だった。
政治とメディアの距離
この作品のテーマは?と問われると、政治権力VSメディア、メデイアの存在意義、報道の自由、表現の自由、経営陣VS現場・・・そういった言葉が思い浮かぶ。
スピルバーグが2017年から2018年にかけて短期間でこの作品を撮ったのも、当時のアメリカ社会が抱えていた政治とメディアの問題、そしてメディア(を巧みに利用する権力者)によって分断される国内事情があってのことだろう。半世紀近く前の事件を掘り起こして映像化したのも社会に対する彼なりのメッセージを伝えたかったからと思われる。
ただ、作品からは、当時のニクソン政権が隠したかった不都合な事実の「不都合さ度合い」があまり伝わってこなかった。ベトナムでの戦況を偽って戦争を続行するということの不都合さが当時のアメリカ社会でどれほどの衝撃を持って受け止められたかがいまいち伝わらなかった。そこが伝わってくれば、もっと緊迫感が出たんじゃないかと思う。
さて、私がこの映画を観て考えたのは、別のことだった。ワシントンポスト社の社主キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)と編集者ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)と政権首脳部との距離感である。特にキャサリンは、自身が社主になるとは想定していなかったこともあろうが、政権首脳部と「友人」関係を作っていた。それが彼女の判断に影響を与える。編集者ベンも、JFK一家と親密な関係を作っていた。
こうした関係性は、「良いニュース」や「深いニュース」を掴むには有利に働くが、「悪いニュース」を報道する際には非常に邪魔になる。彼女や彼は、悪く言えば、上手く政権に取り込まれていたと言って良いだろう。
裁判で負ける、発行禁止処分になる、上場が台無しになるといった会社の危機を顧みずにメディアの使命を貫いた、というだけではなく、親密だった政権首脳部との関係を見直すという決断も同時に行われていたことを考えながら観た。
近づきすぎると囚われる。反抗的態度を取り過ぎると情報がとれなくなる。政治とメディアの距離感というのは、非常に難しい。
そしてもう一つ。不都合な真実を、(個人の意思ではなく、国家として)記録に残したアメリカという国。都合の悪い文書は残さない、黙秘する、曖昧にする、改ざんする、隠す、燃やしてしまう、といったことを繰り返してきた日本。この違いは何か?これは国民性の違いなのか?民主主義の成熟度の問題なのか?国家は誰のためのものか?
そんなことを考えさせられる作品だった。
The post
2024年3月19日
映画 #ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 (2017年)鑑賞
機密文書“ペンタゴン・ペーパーズ”を公開し、ベトナム戦争の欺瞞を暴き出したワシントン・ポストの話
女性発行人が政府を敵に回してでも記事にすべきか葛藤
#メリル・ストリープ と #トム・ハンクス のベテラン共演が見物
演技派俳優の神演技で満足
やっと観られました!
驚くことでもないけどメリル・ストリープが珍しく弱気な女社長の役でした
当たり前にどんな役でもやれちゃうわね
ドキュメンタリー映画をもっと観たいなと思えました
単純なんですけど、この世界、機密がわんさかあるんだろうな
新味に欠ける
ひとことで言って新味に欠ける内容だった。
トム・ハンクスとメリル・ストリープの顔合わせにも特別なケミストリーは感じないまま、さすがに二人とも上手いなと思うがそれ以上の何かは生まれない。本当は逆だけど私にとってはトムが一番に来る特別な存在だ。ある意味監督が誰でも、共演者がオスカーに何度ノミネートされていようと、トムはトム。今後、まだ見せていない顔を引き出せる機会はあるのだろうか。
スピルバーグは映像表現を極めたので一切の無駄がない。というより『レディ・プレイヤー1』とほぼ同時進行で製作された背景があるので、くっきり色分けされてしまったのだろう。見比べるまでもなく両作品には共通点がない。あらゆるオタク的こだわりを満載した『レディ――』に吸い尽くされたように、カロリーの低いシンプルな画面が続く。それでもテレビ中継を編集部一同が固唾を飲んで見守るシーンなどは、当然CGの出番だ。とにかく、ワクワクするような画作りはこの映画には無い。
『E.T.』や『ジュラシック・パーク』の延長線上にある『レディ――』と『プライベート・ライアン』や『シンドラーのリスト』の延長線上にある本作。スピルバーグの未来志向と歴史スペクタクル路線は、もはや同時進行でも齟齬を来たさないほどのプロジェクト化に成功した。もちろん皮肉だ。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」一本に入魂して仕上げなければ、どっちつかずの出来損ないが量産されるだけだ。
それにしても近頃のハリウッドは1965年~95年を描いた作品が非常に多い。ぱっと思いつく限りでも『フォードVSフェラーリ』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』『ジョーカー』『キャプテン・マーベル』『リチャード・ジュエル』枚挙にいとまがない。いろいろな理由はあると思うが、製作者の思い入れが自分の原体験に回帰していることのあらわれだろう。
それにしてもこの映画はなぜ撮ったのか動機が弱い。
すでに『大統領の陰謀』という名画があり、トランプの暴政を警告するにしてもちょっと的外れな印象が強い。ニクソンとトランプは似ていない。のちの回顧から「この時代の決断こそが、実に英雄的に成された。それも女性によって、時の政府を覆すきっかけになる一太刀になった」と言いたいのなら、もっとそこを強調するべきだ。弱い。
そして致命的に作劇場のカタルシスが無い。
例えば倒れかけた弱小の地方紙を、最後には町ゆく人々がみな手に取って歩く姿を見守り、達成感に浸るようなストーリーをシンプルに展開できたはずだ。そして観客はそれを見たかった。ところが監督は妙なピースを最後に詰めてきた。ニクソンの背中を。
トランプを倒す、ひとつのピースにしたかったのだろう。だから、2本同時進行で撮り進めた。
失われている報道の自由
今は、すでに米も日も、多くの国が失われている報道の自由。政治家、金持ち連中への忖度、利益誘導、行政指導が中心で、国民が本当に必要な情報が様々な視点から報道されているか?って問うたら「否」だろう。
この映画を文字通りに取ると、ベトナム戦争を停戦に導いた一つの大きな要素となるが、Wikiでペンタゴンペーパーズを読んでみると、本当の「最高機密文書」ではないらしい。当時、ベトナム戦争が泥沼化しており、撤退するための良い口実を策略的に作った可能性もある。
それにしても、国民である我々は、マスコミや専門家が伝える情報に頼らなければ、国の政治や経済、安全保障などについて知ることができない。現代では、マスコミが立法・行政・司法以上に国民を洗脳し、嘘を隠蔽する力を持つ第4の権力と目されるだけに、国民目線であってほしい。しかし、米も日も、現在は政治的な圧力に脆弱で、利益を上げるために大株主や金融、財界に忖度をせざるを得ないであろうから、報道は彼らに都合のよいような情報しか流れてこないと思っておいた方がよい。
監督がスピルバーグと聞いて、ユダヤ系の資本に良いように作っているのだろうと思う。事実に基づいて制作した映画と謳いながら、真実はもっと別なところにある可能性大。
レビューの低い方で、ベトナム戦争は反共のドミノ理論のため行ったというように印象操作しているという指摘があったが、ホ―・チミンに言わせると、民族独立戦争であって、反帝国主義のため中ソの支援が必要だったというのが本当のところだろう。米の帝国主義を隠蔽しているのだ。
現在の国際情勢を見ると、帝国主義や資本主義を進めたことで到来したグローバリズムを進める国が、世界が統一した政策で課題にあたる必要性を説くことで、実質は共産化が進んでいるらしい。共産主義とグローバリズムは双子の兄弟だということだ。動画を見る限り、米国などは酷い惨状だ。メールも電話も盗聴・検閲され、メディアは完全に統制されている。
それに抗うとしたら、ナショナリズム、国の伝統的な価値観、国民の生活や利益、価値観や充足感、従属感を大切にする生き方ということになる。トランプやプーチンが、そちら側ということだ。
この映画自体は、脚色されているだろうが、報道の自由を守るという、ただこの一点において、重要な映画だと思う。
女にだってやれます!
終始面白くて、「スポットライト 世紀のスクープ」みたいだなと感じていたら同じ脚本家だった。この人は才能ありそう。
スピルバーグ監督のドラマチックな演出も良かったね。最近のスピルバーグ監督は初期の頃のようなドラマチックさが戻ってきていて良い。
内容は、報道の自由をかけた戦いの社会派ドラマだと思っていた。一応それで間違いではないけれど、トム・ハンクス演じるベンは野心家の編集長で、とにかくデカい記事を扱いたい。メリル・ストリープ演じるキャサリンは今の自分の立場を脱したい。そんな二人が(タイムズもだが)報道の自由を盾に裁判を戦い、やりたいことをやったという作品。
報道の自由どうのと言っているのは彼らの弁護士であって、ベンもキャサリンもタイムズもそんなことは言ってもいない。
メリル・ストリープのイメージは強い女性、独立した女性、実際にそういった役が多い。
本作では、最初の頃に銀行?との話し合いの場面で、上記のイメージとは全く違うキャラクターであることが露呈し、珍しく弱々しげな役なんだなと、作品のイメージである国家権力と戦う二人ともズレていたので少々ビックリした。
女性の立場が弱かった時代、キャサリンもまた見下されていた。それを跳ね返したい彼女は次第に強くなっていくが、この徐々に変化していき、最後にとても強く決断を下す場面は、さすがメリル・ストリープという貫禄だった。
勝訴のあと裁判所からキャサリンが出てくる場面で、階段の脇にズラリと並んだ女性たちが、大きな決断をして大きな裁判を戦ったキャサリンを、女王様を眺めるように羨望の眼差しで見上げる。とても印象的なシーン。
彼女たちは私もキャサリンのように、と考えたに違いない。
この瞬間に、これは女性たちの戦いの作品なのだなと理解した。
今、最前線で戦う強い独立した女性はキャサリンだ。あれれ?最初に書いたメリル・ストリープのイメージのまんまじゃないか。やっぱりメリルは強くないとね!
緊張感あるサスペンスにの中に「大統領=国、ではない」とか「抵抗に与したかった」とか、反体制的な要素で味付けしているけど、やっぱり一番は「女性の立場の向上」だったと思うね。
それと、ニクソン大統領についてちょっと知識があった方がより楽しめると思う。
報道の自由 VS 政府 熱き社会派ドラマ
観るまではちょっと堅めな印象だったが、観てみると結構くだけたシーンあり熱く魂を揺さぶられるシーンありで、十分楽しめた。
そういう狙いを強く押したわけでもないと思うが、女性陣の活躍も印象的。ケイの決断シーンは言わずもがなだが、職場での女性の活躍も目立つし、法廷から出てきたケイを出待ちする様々な年齢の女性達の熱いまなざしも、ふいにグッときた。
ストーリー以外でも、当時の新聞を発行するまでの工程は迫力があり活力を感じ、本作の見所のひとつと言っていいだろう。当時の新聞配送の粗っぽさは、迫力を通り越してドン引きレベルだったが…(笑)
うまく言えないが、本作はさすがスピルバーグ作品、というだけでは片付けられない様々な魅力があると思う。
それにしても、この手の女性を演じさせれば、メリル・ストリープの右に出る者はいないのではないだろうか。
社会的なテーマであっても一流のエンターテインメントに仕立てる、こ...
社会的なテーマであっても一流のエンターテインメントに仕立てる、これこそがいわゆるハリウッド映画に見たいもの。スピルバーグと意識せず録画してあったものを何気なく視聴、途切れることなく鑑賞、やっぱり彼は素晴らしい。
全350件中、1~20件目を表示