日日是好日のレビュー・感想・評価
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雨の日は雨を聴く。雪の日は雪を見る。夏には夏の暑さを。冬は身の切れるような寒さを。
・「先生の所作はどこかに丸みがあった。山の湧き水のように、すーっと体に染み込んでいく。心地よく、頭の中がさっぱりした。」
・「リスみたいに軽くてあたたかい。」
・「文字を頭で読まないで、絵のように眺めればいいんだ、、。すごい。掛け軸って!」
・「今日は暑いから、つくばいの水を少し多めにしましたよ。」
・「ある日、かすかな音の違いに気づいた。お湯の音。水の音、、、。」
・「雨の日は雨を聴く。五感を使って全身でその瞬間を味わう。雪の日は雪を見て。夏には夏の暑さを。冬は身の切れるような寒さを。 そういうことだったのか。」
お茶の世界の真髄が一瞬みえたような気がした。この世界をぜひ自分も味わいたいと思った。
(掛け軸の面白さも!)
「世の中にはすぐ解るものと、すぐ解らないものの2種類がある。すぐに解らないものは長い時間をかけて少しづつ解ってくる。」
これほんと、年齢を重ねてくるとよくわかるわ。
典子が自分の居場所がないと落ち込んでいるとき、武田先生はいろんなものを使って励ましてくれていた。
・庭の万作の木 「1年のうちに一番寒いときに咲く花もあるのねえ。」
・掛け軸 「今日は節分だし明日は立春でしょ。これから春に向かうのよ。」
・お菓子 「銘は下萌え。冬枯れの地面からこう草が芽吹く様子を表現してるの。」
で、ぽつっと。 「いつ辞めてもいいじゃない。ただ美味しいお茶を飲みにくればいいじゃないの。」
やさしい。。
※ちょっと違和感あったところも。
・亡くなったお父さんを想って浜辺で「ありがとうございます。」と叫ぶところ。
・最後の方の細胞?の描写
樹木希林から黒木華へ日本的美意識の継承
多くの映画ファンにとって心の母、心の祖母であった樹木希林。昭和顔で親しまれ高い演技力が内外で評価される黒木華。この二人が茶道を介して対峙する。なんとも贅沢な企画ではないか。茶道の先生から決まりごとと所作を教わる長い年月の中で主人公が人生の大切なことを学ぶという物語だが、撮影現場での演技のやり取りを通じて、樹木から黒木へ、女優としての矜持、いち人間としてのあり方が伝授されたようにも見えた。それはきっと、茶道の根本にある日本的な美意識とも相通じるものだ。
大森立嗣監督は、過去作と照らして考えると、初めて「美」に真正面から取り組んだように感じた。俳優たちの所作はもちろん、茶の道具、和菓子、和服、庭の自然などをとらえた映像もみずみずしく、ため息が出るほど美しい。大森監督の新境地であり、将来のスケールの大きな傑作につながるステップとしても位置付けられそうだ。
メッセージが素晴らしい
ゆく河の流れは絶えずして・・・
お茶(茶道)を習い始めた主人公が、人生におこる様々な出来事と茶道をリンクさせながら過ごした日々を淡々と描いた作品。
原作のエッセイは未読だが、かなり原作に寄せて作られた映画ではないだろうか。二十四節気を区切りに短い物語が繋がれていくように、静かに月日が流れていく。エッセイの1章毎に区切られているように思える。
大学生から中年になるまでの主人公典子を黒木華が演じているが、年齢を重ねていく様子をとても上手く演じている。和服が似合う顔立ち。
樹木希林は、どの映画に出ても「樹木希林」でしかない。しかしいつも素のような演技で画になる女優なんだ、やっぱり。存在感が違う。
100分という短い尺なので、主人公が遭遇する人生の悲喜交々の描き方はあっさりしているし、ずっと静かにときが流れていく。正直言って、退屈な映画である。
茶室の掛け軸や、何度も繰り返し挿入される水や川の流れ、玄関の履き物の映像に、禅の言葉が想起される。どれもタイトルの「日日是好日」に相通ずる言葉。
巡る季節の映像は、少しずつ視点を変えて映し出される。
夏の建具(引き戸)のしつらえが、センスがあってよかった。
世界観は好きだけど、映画としては、退屈。映像ももうちょっと工夫ができたのでは?タイトルの意味をわかってください、と言われているような感じが終始漂っておりました。
映画ってこれでいいよね、と心よりそう思う
あまり本作の評判は聞き覚えなかったが、私の母が長年お茶の教室をやっているので今回偶然目に留まり、何気なく鑑賞。
これはピュア、何という良作だ。
自身は茶道のことは全くわからないのに、何気ない日常と四季の繰り返しを通して茶道にぐいぐいと引き込まれていく。
「五感を使って全身でその瞬間を味わう」わかるようなわからなような感覚なのだが、明らかにその世界を垣間観れた気がしてくる。
そして、ストーリー的にはお涙頂戴系作品ではないのに、様々なシーンでなぜか泣けてくる。特にだるまの掛軸のシーンは印象的。「必勝・七転び八起きとも言うけどね」温かい涙が止まらない。
本作は何が凝っているという訳でもないのだが、映画ってこれでいいよね、と心よりそう思える作品だ。心がスッキリと洗われて、映画感が少し変わった気がする。
「季節のように生きる」「毎日が良い日」今後はぜひそういう想いで日々を過ごしていけたらなと思う。
晴れでも雨でも、毎日が好日。
世の中には、すぐわかるものとすぐわからないものの二種類がある
女優 樹木希林さんを懐かしく思い久しぶりに映画「日日是好日」を観ました。茶道が理解出来無くても日本的美意識に心を動かされるのではないでしょうか。出演者が黒木華さんを筆頭に多部未華子さん 鶴田真由さんなど凛としている方々で固められているので何気ない所作の一つでも思わず見入ってしまいます。 この作品は2018年公開ですから6年経ちますが今尚色褪せることがないです。黒木華さんとの共演は樹木希林さんの要望によるもの この作品に対して思い入れが深かったのだと窺い知れます。 『私のあとを継いでくれる、芯のある女優さんだと信じている」 茶室という厳かな雰囲気の中での撮影 演じる事以上に何かを呼び起こしていたのでしょう。黒木華さん・多部未華子さんは最も現代的にかかわらず何処と無く昭和っぽい?そこが大きな魅力でもあります。 常に自然体で役者のあるべき姿を具現化していると評される黒木華さん これからも注目していきたいです。 樹木希林さんは「あん」以降も記憶に残る作品に出演していきます。「モリのいる場所」「万引き家族」 どれも輝きを放っています。これからもScreenの中で永遠に存在し続けるのでしょうね。
ゆっくりとした静かな日常の物語
この作品の起承転結とは永い人生の物語。
同じ場所で同じ仲間が集まっても、同じものなど決してない。
武士道と同じ。「武士道とは死ぬことと覚えたり」
だからこそ、この二度とない今この瞬間を精一杯五感で感じようではないか。
日本のすべての教えのジャンルの中にある考え方であり精神文化であり、奥義。
しかし、いい話を聞いたと思っても、それを実行に移すことができない難しさ。
日常の習慣化された生活や、ルーティーンやタスク管理社会。
忘れてしまうのか、思い出せないのか、とにかく必要な瞬間にそれが出てこないほど、主人公にとって茶道が身に付いていないのだ。
ある日突然割り込んでくる些細な出来事はいつも「次回」に先送られる。
そしておそらく、前触れは必ず起きる。
試されている。私たちは常に「試されている」のだ。
頭の奥で感じる違和感。
気になるが、もうどうしようもない。
そしてそれは的中する。
後悔、慚愧の念。
もう一度出直さなければならない。
主人公のノリコにとって、お茶は人生を考えるためのアイテムだ。
彼女の人生の軸だ。
ノリコはそこまで認識していないが、頭の中がすっきりすることでお茶を続けている。
悩むときにはまたそこに戻ってくることで気分がリフレッシュされるが、さすがに婚約者の浮気と破断から立ち直るには時間がかかった。
しかしやがてまた新しい出会いがあった。
日日是好日
最後にノリコは「毎日がいい日」と心の底からそう思えた。
私はその解釈を「あるがまま」と捉えた。つまり、「何があっても大丈夫」という心構え。
ノリコとの比較でミチコが登場するが、ノリコはミチコと比較してしまうことで自己否定感を覚えるが、人生の長い時間の中でそれは解消されていくのだろう。
物語として、これといった出来事もないまま、この作品は終了するが、最後に24年後となる。
あの犬の茶碗。12年に一度しか使わない茶碗。先生が次回遣うときは100歳。
「次回このお茶碗を使える時、どんな世の中になっているのかしら?」
どうしても思い出さずにはいられない「JIN-仁」の武田鉄矢さんのセリフ「南方先生のいた世界は、太平の世ですか?」
思わずこみ上げるものがある。
そして二度とない今この瞬間を、毎年同じことのように繰り返すことのできる幸せ。
受け継がれていく精神。
少し敷居の高い世界であるかのようなお茶を、入門したての失敗を交えてコミカルに描いている。
茶道は、
ノリコの人生の中心軸。
自分軸。
そこに戻ってくるための手段がお茶。
それがやがて身に付き、どんな出来事があっても「大丈夫」になって行くのだろう。
樹木希林さんの遺作になったことで話題にもなったが、共演者たちは彼女のセリフがそのまま現実化したことに驚愕しただろう。
樹木希林さんとの共演は二度とないだけに、作品への想いも一入だろう。
二度と見ることのない樹木希林さんを偲びながら見させていただいた。
やわらかく優しい良い作品だった。
本筋と違うかもしれないけど
典子の若干ふがいない人生
とってもとっても美しい映画
BSプレミアムにて鑑賞。
お茶の世界を通しながら、四季二十四節気の移り変わりを、登場人物たちの日々の暮らしと重ねつつ味わう、とってもとっても美しい映画。
原作は未読なのだが、プロデューサーや大森監督が心からこの原作に惚れ込んで、大切に脚本を書き、映画化したのだろうということがあふれ出ている。
観ているうちに、映画の向こう側に、原作者の森下典子さんそのものの姿が立ち上がってくる感覚を覚えた。
それにしても、黒木華、多部未華子、樹木希林の表情や立ち居振る舞いを観ているだけで、自然と涙が滲んできてしまったのは、自分でも驚いた。
形の美しさが、こんなにもこちらの心を動かしてくるとは…。
この映画で何よりも大切にされているのは、観客の五感が最大限に働くようにすること。特に音を本当に大切にされているところが素晴らしく、自分も記憶を揺さぶられた。
公開時に、タイミングが合わず鑑賞機会を逃していたので、今日こうして出会えたことにも感謝。
これもまた、大切な一期一会。
<追記>
妻が原作を持っていたので、早速読了。
原作も間違いなく素晴らしかったし、今度は、黒木華と多部未華子と樹木希林と…というように、映画の登場人物たちの声と姿が浮かび上がってきた。
森下さんの文は、すうっと心に入り込んでくる。
原作未読の方は、是非。
日本的美学
なんでもない一日が、好い日
「道」を観てから観るといいかも
「日日是好日」はお茶を通してある女性の人生の起伏を魅せる映画だ。
何の気なしに、母の勧めるままに、お茶を始める二十歳の典子。多分、お母さんにしてみれば「ただ者ではない」武田のおばさんの、佇まいの欠片でも、娘の人生の財産になれば良いな~、みたいな軽い提案だったんじゃないだろうか。
「真面目で不器用な」典子は、従姉妹の美智子と違い、好奇心や積極性で自分の人生をグイグイ切り開いていく様には思えない。
親心から来るさりげないアシストだ。
真面目が功を奏した形で、典子は少しずつお茶の楽しさに目覚め、人生の浮き沈みの傍らにいつもお茶があった。
美味しいお茶と、季節の移ろいと、自然と五感がもたらす感動が、典子の人生の道筋を確かに彩っているのだ。
さらにこれは一つの「世界」を極めようとする映画でもある。
些細なきっかけで始めたことでも、続けていくうちに朧気ながら輪郭が掴めてくる。茶碗、掛け軸、お菓子のしつらえに、一体となった「世界」が見える。
現実の枠を飛び出すような、心に広がる壮大な「世界」を感じる瞬間。その静かな高揚が、典子の表情や仕草から伝わってくる。
作法を意識せずとも所作をこなせるようになっても、亭主の意匠を感じられるようになっても、油断はならない。
間違えたり、雑さが抜けなかったり、精進に終わりはない。長い長い道のりだ。
そしてお茶の精神とは、「一つとして同じお茶はない」ということだ。またご一緒しましょう、の約束が叶わないこともある。
人との出会いも、季節の巡り合わせも、幾筋もの道が折り重なった産物だ。その日は一生に一度しかない日なのである。
ここまで書いて気がついた。
この映画は「道」を見立てたお茶室だったのだな?
フェリーニの「道」、茶道という「道」、そして典子さんの人生という「道」。3つの道が重なりあい、響きあう監督のしつらえだったのか!
フェリーニの映画を掛け軸に、典子さんの淹れてくれたお茶を楽しむ。
是非とも心までポカポカするような、温かいお茶をお供に観賞して欲しい。
結構な御点前でした。
すごくいい作品、大満足です
25年間の春夏秋冬を優しくしっとりと描いた秀作
お茶をたてる時のお湯の音
木々を打つ雨の音
柔らかく部屋の中まで照らす陽の光
素敵な器に入った個性的な和菓子の数々
脳を刺激する掛け軸の字や絵とダイナミックな筆圧
温かそうで今にも畳の匂いがしてきそうな綺麗な和室
等々が全編通して五感を気持ち良く刺激してきます
黒木華さんの自然で悩める主人公の好演も良かったですが、やはり本作は樹木希林さんが素晴らしかった
先生だけども「私もいつまで経っても上手にできないのよ」なんてたくさんの生徒の前で言っちゃう所や生徒に作法の意味や必要性を聞かれても「そんなこと聞かれてもねえ、知らないわよ、考えるもんじゃないの、感じなさい」みたいなことを言われます、とにかくすごく自然体で余裕、大きい、大きすぎる
でもって所作が綺麗、静かに流れるような動きは到底 一朝一夕では成し得ない技、苦労と努力を重ねてきた大女優の貫禄を目の当たりにし圧倒されました
掛け軸の解説をしてくれたりするのも良かったし、こういう有意義で幸せな時間を過ごせると本当に心が豊かになるだろうなと思いました
”日々是好日”、毎日毎日 来る日も来る日も同じことを繰り返し過ごせるのは喜ばしいこと、人間それが一番幸せなんだろうな、と樹木希林さん演じる先生が語るくだりが一番グッときました
ジュリーの「土を喰らう12ヶ月」や富司純子さんの「椿の庭」と同系列のしっとりとして五感を刺激してくる名作群の一本です
考える前に、先人の知恵にゆだねる
これは原作がでたときに、
本屋さんで手にとってひきこまれて
その場でほとんど読んでしまい、
その後も心に残っていた本なので、
今回の映画化は
とてもたのしみだった。
形をくりかえして心を入れる。
それは、先生もそうとしか
教えようがないのだと思う。
私は学生時代、能楽を
やっていたけれど、
舞や謡などは理屈抜きに繰り返して
覚えるしかない。
自然に動けるようになってはじめて
自分なりの解釈などを
すこしづつ入れられるようになる。
その頃茶道を習っていて、
能の舞の姿勢や足運びと、
お茶のお運びの姿勢が
よく似てることに感動した。
あるとき、ふっ、と
腑に落ちる瞬間がある。
もちろん、全てではないけど、
典子が掛軸をみて滝をかんじたように、
水や雨の音をききわけたように。
それは不思議な快感だ。
そしてそれは、無心な繰り返しの中で
初めて得られる。
「こんなことしてなんの意味が
あるんだろう」とか、
「何の役に立つんだろう」
という前に
素直に繰り返す姿勢は美しい。
「稽古」とは古いことをなぞることだ。
ひたすら体に覚えこませる。
そうしてはじめて見えてくることがある。
まず形を作って、そこに心を入れる
自分が、自分が、という個性の主張、
自由という言葉に
かえって縛られてやしないか。
我、というのは尖った形だ。
尖ったところをすこしづつ
丸くしていけば動きやすくなり、
色々なものが
見えてくるのかもしれない。
茶室は狭いけれど、
精神を解き放つことができれば、
大いなる宇宙である。
人智を超えた大きな営みの流れに、
自分を合わせることができるのかも
しれない。
心静か、ということは
なんと幸せなことか。
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