ナチュラルウーマンのレビュー・感想・評価
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それぞれの闘いに それぞれの過渡期だ。
それぞれの闘いに それぞれの過渡期だ。 だから物語はひとそれぞれだし、一個一個が輝くんだと思う。 ナチュラルウーマン。ドキュメンタリーではありません。心象風景や幻影を交えながらマリーナの人生を綴る秀作でした。 僕の弟はゲイ・カミングアウトしているので応援を込めてレンタル。 関連して、 東ちづるが撮った映画 「私はワタシ over the rainbow」 は、"人間はカテゴリーやジャンル分け、ましてや診断カルテによって分類されるのではなく、ぜんぶ違う" ということを描いてますね。 -「いつか『LGBT映画』という言葉もなくなる日がくる」って、インタビューで東ちづるは話してましたっけ。 ハッとしました。 ナチュラルウーマンもそのひとつ。あの人のオリジナルの人生だと感じました。 人間への興味が、超増しましたよ~!
あなたの愛は昨日の新聞みたい
映画「ナチュラルウーマン」(セバスティアン・レリオ監督)から。
自分らしさを守るために行動した、トランスジェンダーの女性、
その主人公マリーナ役を自身もトランスジェンダーの歌手が演じた。
話題性としては面白いが、物語としては今ひとつだった。
それでも気になる一言は、その彼女が冒頭に歌った歌詞から。
「あなたの愛は昨日の新聞みたい。
誰ひとりもう読みたくない。朝刊を見た時は衝撃的だった。
お昼にはみんなに知れ渡り、午後にはもう忘れ去られた。
あなたの愛は昨日の新聞みたい。
一面には見出しがいっぱい、あなたはどこでも人気者。
私はあなたの名前を切り抜いて、忘却のあるばむに貼り付ける。
あなたの愛は昨日の新聞みたい。
昨日の新聞を読んでどうする?、ニュースはみんな知っている。
もう読みたくない。
あなたは役立たずよ、ベイビー。ゴミ箱にポイ。
あなたを愛して支えてきた、だけどもう愛してない」
この例えは、なかなか新鮮で、私のメモは溢れた。
「あなたの愛と掛けて、昨日の新聞と説く。
その心は「あなたは役立たず、ゴミ箱にポイ」ってことなんだろうな。
トランスジェンダーの凛とした姿がカッコいい
自分の生き方を貫くトランスジェンダー(男性⇒女性)の凛とした姿が実に魅力的だ。苦手なジャンルだが彼女には好感を持った。 激戦だったアカデミー賞外国語映画賞を今作が制したが、個人的には「ラブレス」と「判決、ふたつの希望」の一騎討ちだった。
自分らしく生きればいい
大きな喪失と偏見、差別に 自信を失いそうになりながらも 自分らしく生きようとする主人公、 自分の常識や定規の外だからと差別する人たち、 主人公を思いやり、支える人たちの姿を観ながら 普通って何だろう、 人間の尊厳って何だろうということを 考えました。
性より大事なこと
女性である前に 男性である前に、自分は人間であるということ。 それをまっすぐに抱きながらも、周りからの根強い差別に折れかけるマリーナ。愛しい人を失った喪失感を受け止め癒す機会すら与えられず、恋人の家族からはバケモノ呼ばわり。イグアスの滝を夢見ながら、オルランドの遺した鍵でサウナのロッカーを開けるも中身は空っぽ…そこで何かが吹っ切れたのか。 凄く辛い映画だし、正直ラストまで観たところで救いがあるとは思わない。けどマリーナの折れそうで折れない強さ、いつまでも街の色んな場所に愛するオルランドの影を見ては目に涙を浮かべる姿に引き込まれる2時間だった。
自分らしく、愛を謳って
本年度アカデミー外国語映画賞を受賞したチリ映画。
おそらく受賞理由は、今ハリウッドが求める偏見の無い性の自由や社会的マイノリティーの訴えなどが評価されての事だろうが、それでなくともヒューマン・ドラマとして秀作。
気になってて結構期待してたが、こりゃ期待以上に良かった!
昼はウェイトレス、夜はクラブのシンガーとして働くトランスジェンダーのマリーナ。父親ほど歳の離れた恋人と暮らしている。
ある日、彼が急死。
それをきっかけに、社会のトランスジェンダーへの不条理な差別/偏見を受ける事に…。
まず、救急搬送先の病院で怪訝な対応。
搬送前、彼が自宅の階段から転げ落ちて怪我を負い、マリーナが暴力を振るったのではと疑われる。
病院に警察も呼ばれ、質問責め。
警察には後日呼び出され、そこで、恥辱的な取り調べ…。
彼の遺族と会う。
彼の弟はさほど偏見の無い人物だが…、
元妻は礼儀的に感謝を述べるも、言動に時々トゲがある。
差別/偏見の塊なのは、息子。
不法侵入。脅迫紛いの威圧的な物言い。果ては仲間と共にマリーナを無理矢理車に乗せ…。
もはや犯罪レベル。警察はマリーナを白い目で見るより、この男こそ厳重注意すべき。
元妻や息子の仕打ちはどんどん酷くなっていく。
一緒に暮らしていたアパートから出て行ってと言われる。
彼の葬儀が行われるが、参列しないでと…いや、もっとはっきり言うと、「来るな」と辛辣なまでに釘を刺される。
愛する人を失ったばかりか最後の別れを言う事も許されず、家を追い出され、可愛がっていた犬まで奪われ…。
何故、彼女はこんな苦難に見舞われる?
一体、彼女が何をした?
遺族からすれば、自分の身内がトランスジェンダーと…いや、ここは彼らの差別的な言葉で言ってしまおう。
自分の身内が怪物、オカマ、男オンナと愛し合っていたなんて、恥!
世間に知られたら、何て言われるか…。
そんな彼らの気持ちも少しは…これっぽっちも分からない!
例えば、マリーナの性格が最初から遺産を狙うような悪人だったら話は別だ。
マリーナは性的には“ノーマル”じゃないかもしれないが、性格的には“ノーマル”だ。
警察や社会の偏見にうんざりしたり、時々プチギレたりもしたけど、美しい心の持ち主だ。
時に社会は、人の性格より、世間体を重視する。
マリーナは葬儀に参列する。
散々罵られる。故人や遺族に敬意を払え、と。
敬意だと?
お前らこそ敬意を払え。
彼女が彼をどれほど愛し、最期までどんなに献身したか。
トランスジェンダーだからとかじゃない。
人の人に対する敬意を。
マリーナ演じるダニエラ・ヴェガは、自身もトランスジェンダーで歌手。
時に凛々しく、時に美しく見栄える存在感は圧倒的。
勿論、美声も披露。
本業が歌手だからと言ってそれに偏りせず、あくまでトランスジェンダーとしてのありのままの姿を描き切ったセバスティアン・レリオの演出も称賛モノ。
セクシャル・マイノリティーを題材にした作品だが、本作は、普遍的な愛のドラマ。
愛に生き、愛した人に別れを告げ、その変わらぬ愛を胸に、歌い、自分らしくあり続ける。
アレサ・フランクリンのご冥福をお祈りします
トランスジェンダー女優による一途な愛の物語。 心地良く甘美な木陰のような人との出逢いはかけがえなく、永遠に心の拠り所となるんだなぁ... ヘンデル/オンブラ・マイ・フ、アラン・パーソンズ・プロジェクト/TIMEが美しく使われている。
まなざしと鏡
チリはカトリックの国のせいか想像以上にマイノリティへの差別が凄まじくて辛かったけれど、主人公のマリーナの静かに意思を秘めたまなざしが印象的だった。
エレベーターの中で伏せていた視線をまっすぐこちらに向けた時の美しさたるや…!
恋人のオルランドが登場シーンからサウナの鏡越しで、亡くなった後も幻影?がサングラスとか車のミラーに反射して立ち現れ、マリーナもまた鏡に映る自らを見て行動に移してゆく演出が好きだったし、終盤の鏡を見るとあるシーンが最高に良かった…
マリーナが歌を生きがいにしてて、最後に自分が本当に歌いたい歌を歌って作品が閉じられるんだね…歌の先生を訪ねるシーンで「愛は探し出すものではない」と言われてたけど、彼女の中に愛が溢れてたよ 。
文字通りの強すぎる向かい風に吹かれても決して屈しない強さが素敵だった。
性同一性障害の主人公が受ける差別ということ以外に、葬儀に愛人が参列...
性同一性障害の主人公が受ける差別ということ以外に、葬儀に愛人が参列することに対しての妻の抵抗があり、それを差別と言うのかどうか。いずれにしても、主人公が自分の意思を貫こうと挑む姿は、逞しく美しいが。 主人公が、マイケル・シャノンに見えて仕方なかった(^^;
突風スゲ〜
2018年映画鑑賞60本目‼︎
自分の父親の相手が
トランジェスターだったら
あんな風に差別してしまうのか⁇
私だったら
絶対そんな事しないって
他人事だから綺麗事は言えるけど
こればっかりは
わからない...
ラストは
ちょっとファンタジー
葬儀場で見かけた
彼について行くと
最後のキスと
お別れが出来ました‼︎
犬も取り返せたみたいで
新しいスタートに踏み出せるね‼︎
マリーナの歌声素敵でした。
みんなで克服しよう
病気ではなく、一つの生き方と認められるようになったLHBT(本作ではトランスジェンダー)。常識だったことが偏見・差別と言われる辛さはあるが、本人はもっと苦悩し辛い。本作はその問題を直視している。 本人も周囲も、克服の努力が必要。
マジックリアリズムの凄み
本作はLGBT映画というよりも、愛と別離、再生、そして「自分として自分を生きる」映画だと感じました。
マイノリティーとして生きるマリーナにとって、唯一わかってくれる人がオルランドだったと思います。マリーナが強く生きることができるのは、オルランドとの関係が深く影響しているはず。
マイノリティーであるマリーナは偏見に曝されているし、法的に尊厳が守られてない可能性もあり、ナチュラルに生きることが難しいです。でも、オルランドの元では、ナチュラルに生きれたのでしょう。まさに、You make me feel like a natural woman です。オルランドの存在は唯一の安らぎであり、オルランドがわかってくれるから彼女は彼女自身になっていくことができたのです。彼女がエンディングで歌う歌曲の歌詞「木陰」はまさにオルランドのことでしょう。
そんな、深いつながりのあるパートナーが突然いなくなる。そして遺族の邪魔が入り、最期のお別れができない。ここでお別れができなければ、マリーナはマリーナでなくなってしまうのだと感じました。この世界に根差せたのはオルランドがいたから。オルランドを失った世界では彼女自身も失われる。彼女がこの先を生きるには、彼との物語を完結させ、歴史を内側に留めておく必要があるのです。
だから、マリーナの闘いは全力なのです。もはやマイノリティーなど関係なく、自分の全存在を掛けて最期のお別れをしなけらばならなかったのです。犬を取り戻すのは、犬が彼とのつながりを現実的にも心的にも証明するものだからでしょう。
そして、マジックリアリズムの強力さも印象に残ります。繰り返し現れるオルランドの面影。幻想とも取れますが、おそらく心的なイメージであり、彼女の中のリアリズムです。
特に終盤のオルランドの面影と口づけを交わしてからの一連のシーンはパワフルで、オルランドの遺体との対面〜ついに流す涙というクライマックスで強烈なうねりを作り出しています。
マジックリアリズムは個人的にめちゃくちゃフィットする技法です。頭での理解を超越して、核心的なものが無意識に直接投げ込まれるような体験があります。概して映画はそういうものかもしれないですが、マジックリアリズムだとそれがより研ぎ澄まされて心に届いてきます。
本作において、マリーナとオルランドとの関係は具体的にはほとんど描写されていません。しかし、2人の関係が本当に深くかけがえのないものであることがマジックリアリズムを用いた見事な演出で伝わってくるのです。凄い。
そして、リアリズムの面でもズバ抜けた説得力があります。マリーナ演じるダニエラ・ベガの存在感が本作を特別なものにしていると思います。実際にトランスジェンダーを生きているからかもしれませんが圧倒的です。崇高な印象すら受けます。また、歌がいいんですね。
トランスジェンダーとして生きるマリーナへの偏見や苛烈な暴力もたっぷり描かれてますが、オルランドの遺族から受ける迫害は、どっちかというと泥棒猫への嫌がらせの側面が強そう。なので遺族との諍いの話なのであまり乗れなかった。
印象に残るのはむしろさりげない偏見ですね。あと、身分証を見せるしんどさとか、日常生活の局面局面でキツさがあるなぁと感じました。そりゃ、家でパンチングしますな。
オルランドの遺族との揉め事が話の中心に置かれているため乗り切れない面もありましたが、後半から特に終盤にかけては凄い体験ができました。エンディングも別格。観ている時よりもむしろ観終わって考察している時の方が心が動きました。地味ではありますが、かなりの名作だと思います。
人がいなくなるということ
トランスジェンダーの話なんだけどね、観終わったときには「人が一人いなくなるって大変なことなんだな」と思ったよ。 主人公はどうにかこうにか折り合い付けて乗り越えてね。でも主人公の恋人の家族達も大変だったと思う。夫/父親に同性の愛人がいて、最後を愛人のところで迎えてるんだから。 主人公は愛人の死とその葬儀あるいは相続の関係で酷い目に遭ってくの。「そんな酷いことしないでよ!」とは思うんだけど、相手の感覚も解らないではない。 相手がトランスジェンダーでもそうでなくても、他人には優しくした方がいいなと思ったね。 あと「人間って理解できないものに出会うと拒絶するんだ」と思った。これ本能なんだろうな。原始の時代に理解できないものに「なにこれ?面白そう!」って近付いてく遺伝子は、死滅する可能性高いもんね。
脚本がんばれ。
LGBTがテーマの映画はよく見に行っている方ですが、この映画はそのジャンルの中では評価が低いかな。 どうしても見なきゃっていうほどのものではない。 主演の人の体当たりの演技、話題性はとてもよかったと思います。
自分らしく強く美しい最上の女性の生きざまを見ました
自分らしく生きるとは何なのか。人とのつながり、人間らしくとは何なのか、考えさせられる映画でした。 トランスジェンダー、性愛、友愛、マイノリティへの差別、偏見を受けてなお、ただただ自分を貫き、女性として愛し愛された喜びと誇り、不躾で無遠慮な偏見に立ち向かう主人公に奮え、応援したくなりました。 なぜこれほど美しい人がさげすまれなければならないのか。 自分と違うところを見つけ嫌い攻撃しさげすむ狭窄的な人間性と、最愛の人と向き合うことを真摯に望む愚かしいほどの情の深さ、人間の2面のありようを真っ向からぶつけてくる映画でした。 見ていて苦しいところも多々ありますが、見てよかったと、見るべき映画だと感じました。
邦題の由来が素晴らしい忘れ得ぬ傑作
昼はウェイトレス、夜はナイトクラブでボーカルをやっているトランスジェンダーのマリーナは年上の恋人オルランドと同棲中。中華料理屋で自分の誕生日を祝っている時にオルランドはイグアスの滝を見に行こうと提案、喜ぶマリーナ。しかしその夜、オルランドは体調の異変を訴え、慌てて病院に搬送するが亡くなってしまう。動揺するマリーナはオルランドの弟ガボに事情を告げるがオルランドとマリーナの事情を知るガボはこの件はまだ誰にも知らせるなと告げる。そしてマリーナはオルランドの死に事件性があると疑う刑事、オルランドの家族から偏見に満ちた仕打ちを受けることになる。 オルランドが亡くなった瞬間から自分を待ち受ける様々な困難に自覚的なマリーナが、傷つきながらも愛する人のために何を為すべきかを見つめ行動する姿が痛々しくも美しい。オスカーの外国語映画賞ほか数多の賞レースを制したのも当然の、実に力強く美しい作品でした。マリーナが車の中で聴いているアレサ・フランクリンの曲タイトルがこの邦題の由来ですが、歌詞がさりげなくマリーナの心情を代弁する見事な選曲。そこからタイトルをつける計らいもまた美しいです。
57歳
LGBT映画のブエノスアイレスの登場人物ももイグアスの滝を目指していた。この主人公もLGBTに対する偏見などを圧倒的な力で無きものにする滝に憧れたのだろうか。そして、その具象化である白い封筒を探していたのだろうか。 自分の55歳の誕生日の翌日に見に行った。主人公の相手は57歳の設定。キチンと人間ドック受けようっと。
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