「愛の脆さ、愛の奥深さ」ナチュラルウーマン とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
愛の脆さ、愛の奥深さ
愛する人が死んだ。
だが、公表できる関係ではなかった。
愛する人の世間体を想い、これから起こるであろうわずらわしさから逃げるために、その場から黙って立ち去ろうとした。
後は、愛する人の思い出ー物・匂いに囲まれて、愛する人が愛したペットとともに、愛する人を悼みながら、静かに慟哭して暮らしてゆくはずだった…。
けれど、”愛人”という立場では、それは許されなかった。
何もかも取り上げられて…。
住んでいる場所も、想いを分かち合うペットも。
それどころか、愛する人との聖なる場所に、無神経に踏み込んでくる。
そして、愛する人との最期の別れすら…。
そりゃ、オルランドの家族からしてみれば、マリーナは父を奪った極悪人だが。
だから、奪われたものを奪い返しに来ただけなんだろうが。
どんなに愛し合っていても、お互いを唯一無二と大切に思いやっていても、”法”的根拠がなければ、愛する人に対して何の権限もない。
愛する人との思い出の場を守ることどころか、
どのような最期にするのかーどこで葬式をして、誰を呼んで、どこで眠るか…。
この映画では、あっさりと逝ってしまったが、もし意識の戻らぬまま延命治療となった場合、看病できるのか。”脳死”となることが多い昨今、誰が、その”死”を決めるのか。
どんなに愛を捧げても、”法”の裏付けがない立場は、なんともろいことよ。
そんなもどかしい思いに胸を引き裂かれながら、映画を観ていた。
でも、まてよ。
『元妻』を強調している。ということは、離婚しているのか。離婚しているのなら、オルランドとマリーナはなぜ結婚していない?
マリーナが、まだ、戸籍を女性にしていないから。同性婚はまだ認められていないからなんだろう。
もし、婚姻が成立していれば、喪主はマリーナだ。
皆から、愛する人を亡くした立場を尊重され、ともに悲しみに暮れることができたはずだ。
オルランドの元妻や息子・娘が、参列するかどうかは、かれらが決めることだ。
病院から立ち去らなくてもよい。
警察から事情聴取は受けるだろうが、死因ははっきりしている。怪我の状況もちゃんと聞いてもらえ、事件にはなりえない。
息子が不法侵入しても、ペットを勝手に連れ去っても、警察に通報すればいいだけのことだ。
”法”的に結婚しているか、していないかだけで、こんなに差が出るなんて。
愛する人を亡くした悲しさは変わらないのに。
ただ静かに悼みたいだけなのに。
(ドラマ『きのう何食べた?』でも、このテーマを扱った回があったっけ)
加えて、浴びせられる、ここには書きたくないような言葉の数々。
向けられる視線。
その度に、マリーナは自分を鏡に映し自分を確かめる。
そして、オルランドの幻影が現れる。
誰がなんと言おうと、確かにあったオルランドとの日々。
オルランドがマリーナに向けるまなざし。
火葬の場面で、マリーナが飛び込むんじゃないかとハラハラしてしまった。
それほどの絶望と…。
でも…。
これだけの展開の後で聞く、
ラストの歌声が、天から降ってくる、もしくは天に昇っていくようで圧巻。
いつまでも浸っていたかった。
☆ ☆ ☆
原題『ファンタスティックな女性』(非常に素晴らしい女性)
邦題『ナチュラルウーマン』
どっちも、味わい深い。
アレサ・フランクリンさんの『ナチュラルウーマン』のある訳詞にはナチュラルウーマンを「自分らしく素直な自分」と訳している和訳もある(『あらしのよるの巡礼』というブログ)。「あるがままの」という訳もある(『洋楽譯解』というブログ)。
オルランドといる時のマリーナ。でも、この一件でアイデンティティが踏みにじられ、揺れる。
粗筋は説明してしまえば、一行で終わるかもしれない。
だが、マリーナがどうなっていくのか(これほどひどい事をされて堕ちていくのか)、
ディアブラはどうなるのか、
見知らぬ鍵。
先が読めない展開。からの、ラストの開放感。
見事な脚本。
そして、主役のベガさんが圧巻。彼女なしではありえない映画。
その時その時の表情に引き付けられる。
魂の底からの叫びが噴出さんばかりの眼。
少し卑屈になっている立ち振る舞い。
かと思うと、誰よりもパワフルで、己のなすべきことを成す姿。
何にも屈しず、何も傷をつけることさえできなさそうなプライド。
オルランドといるときの、くつろいだ表情。
繊細さ。
目が離せなくなる。
映像も見事。
元妻、元妻の知り合い、マリーナが乗るエレベーター。そんな何気ないシーンも印象深い。
加えて、チリと日本の違い。
救急車は呼ばないのか。呼んでいたら、怪我はしなくて、余計な疑いかけられなかったのに。
チリの火葬はあのようにするのか…。
☆ ☆ ☆
マリーナの生き方がヒリヒリと痛い。ただ、マリーナ自身をそのまま受け入れ愛してくれた人と生きたいだけなのに。
その分、オルランドのまなざしが心地よい。
(足立レインボー映画祭にて鑑賞)
とみいじょんさん、
レビューを読んでいて、そのシーンの数々をたくさん思い出すことが出来ました!
男と女の異性間同居ならば、それが法律婚でなくても「社会的には認知されている みなし法律婚」扱いなのに、
やはりまだ同性間のパートナーでは苦しい状況。
共有財産の遺産相続は出来ないし、アパートの入居も難関。相方の危篤でも病室にも入れてもらえない。
でも、渋谷区のように「パートナーシップ認定」を出す自治体も、少しずつではあるけれど出てきたのが明るい材料ですね。裁判所もいい判決を出し始めています。
政府自民党は、同性婚には徹底的に抵抗するでしょう。これまで《絶対》であった戸籍制度と家制度が、それで《相対化》されてしまうんですもの。
歴代総理大臣のほとんどすべてが「天皇家の縁戚である家系図」を獲得している現状を見れば、
為政者がそのお墨付き・後ろ楯を失うことになる戸籍制度の激震=同性婚の認定は、是が非でも彼らは阻止したいものなんでしょうね。
愛子さんの即位問題も含めて、男社会とか、万世一系とか、家系図なんてどうでもいいと思っている世代が増えているから、世の中、ゆっくり変わって行きそうです。
いいことです。
長文失礼しました
きりん