ナチュラルウーマン : 映画評論・批評
2018年2月13日更新
2018年2月24日よりシネスイッチ銀座、新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほかにてロードショー
心情を映し出す「鏡」と「音楽」。亡き恋人を想い歌う姿が神々しいまでに美しい
ドラマの始まりは誕生日。恋人のオルランドに食事とダンスで祝ってもらい、マリーナ(ダニエラ・ベガ)は幸せの絶頂にいる。しかし、その夜、オルランドの急死によって彼女は不幸のどん底に突き落とされる。マリーナに愛する人の死を悲しむ贅沢は許されない。オルランドを運び込んだ病院の医師から挙動を怪しまれ、刑事に性犯罪を疑われ、オルランドの前妻から怪物と呼ばれ、オルランドの息子に暴力をふるわれる。それは、マリーナがオルランドの離婚の原因になった愛人だったことに加え、トランスジェンダーであることが影響している。その誕生日は、ひとりで生きる人生の始まりの日になる。
マリーナがオルランドと暮らしていた部屋に押し入って来たオルランドの息子が、マリーナに向かって「お前は何だ?」と詰問する場面が印象的だ。「人間よ」と即答した後で「私はマリーナ」と念押しするマリーナは、疑いや憎しみ、蔑みや嫌悪をぶつけてくる人々に、自分が何者であるかを知らしめるという困難な挑戦に立ち向かわなくてはならない。
その試練に毅然として挑むマリーナの心中を、セバスティアン・レリオ監督は「鏡」と「音楽」の二刀流で表現した。劇中、喪の仕事の様々な段階にあるマリーナがみつめる鏡は、その時々の彼女の心情をダイレクトに映し出す。一方、アレサ・フランクリンの「ナチュラル・ウーマン」やクラブで演じられる幻想的なミュージカル・シーンは、マリーナがそうありたいと願う自分を物語っている。そして、終盤にはこの2つが一体になる。守護天使として死後もマリーナを導いてきたオルランドへの感謝を込め、カストラートのために作られたヘンデルの歌曲を歌うマリーナは、神々しいまでに美しい。この映画を見ずにアカデミー賞ノミネートの投票をしたアカデミー会員たちは、ダニエラ・ベガを主演女優賞候補にしなかったことを悔やむだろう。
(矢崎由紀子)