ベロニカとの記憶のレビュー・感想・評価
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気持ちを新たに前に進む…で良いのか?
過去を都合良く書き換えて記憶するのは誰にでもあることだろう。
最後、過去と向き合って新たなスタート、みたいな終わり方だったのが何だか違う気がする。トニーに贖罪があるとも思わないけれど、観ている方には、それで終われない微妙な後味の悪さが残る結末だったから。
多分、ベロニカに起こったことがあまりにも壮絶だったからそう感じたのだと思う。
恋人を取られて激情にかられ、思いのまま手紙を書いただけならそれで良かったかも。いや、当初の想像通り子供がエイドリアンとベロニカの子でもまだ納得できたかも。
どうしてエイドリアンはベロニカの母を妊娠させてしまったのか。学生時代の彼の言うようにそれは永遠に誰にも分からない。それでもなぜそうなってしまったのか、理由を知りたくなってしまうのだ。
そしてどうしてベロニカの母は彼にエイドリアンの日記を遺したのだろうか。何故ベロニカは渡すのを拒むのか、本当にベロニカはそれを燃やしたのか。何も語られないからこそいろいろと気になった。
London🇬🇧
こんな風に格好良く歳を重ねられる、ジム・ブロードベント(ブリジット・ジョーンズのパパ役と言った方が早いか?)主演の珠玉の映画。いたる処に、
Londonの名所(Tate Modern/ Foyles 等)、公園のベンチ、パブ、地下鉄が映し出されるのが嬉しい。だって、美しいんだもん
英人俳優ファンなら、もう涙ものの、次から次へと登場する豪華英人俳優陣💓
エイドリアンの歴史への定義。ヘンリー8世。旧友達。
元妻との関係(特に、グリッシーニをつまむ彼女に、そんなもの、食べるな!と言っているシーンが好き)
家族への愛、娘への愛、ライカ。
郵便配達員への心配りにも変化が現れ
トニーの心が素直になってゆく様が観ていて、心地よい。
唯一残念なのは、若き日のトニーとベロニカの俳優が、全く
ジムとシャーロットに似ていない事。💦
鈍感。
人は普通に生きていると思っているけど。少しだけ関わっている人でも大きく関わっている事がある。自分が知らなかっただけで。
知なきゃ知らないで終わる。が。それを知った事で人生を見返してみると自分のいい様に記憶する。
記憶を修正することで。自分のダメなところ。悪いところ。鈍いところがみえてくる。
とても考えさせられました。主人公を通して自分も、もしかしたらと。
記憶とはいい加減
人の昔の記憶なんて曖昧で勝手なもので、
自分の都合の良いように記憶を塗り替えて、
真実とは異なることが多い。
遺言で自分に送られた、昔の遺品。
それがきっかけで忘れていた記憶を
だんだんと思い出していく。
そして自分が送った手紙が引き金となって、友人が自殺してしまったのではと考えるが、実はさらに知らなかった真実が見え始め、、、。
母親は何で、遺言でトニーにエイドリアンの日記を渡そうとしたのだろう。
エイドリアンの日記に何が書いてあったのか。
作中の、話にも出てきた
歴史の真実は誰にも分からないという言葉がリンクする。
タイトルなし
人は人生を語るとき─────
過去を装飾し都合よく編集する
長生きすれば
異を唱える証人も減る
それは事実というより物語
自分を納得させるために書かれた物語
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2011年🇬🇧ブッカー賞(Booker Rrize) 受賞
ジュリアン・バーンズ の小説を
🎥めぐり逢わせのお弁当(←好き) の監督
リテーシュ・バトラ が映画化
.
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自分の人生に起きた出来事
その幅の狭さ
失うことも得ることもせず
傷つくのを避ける
それを自己防衛と呼ぶ
.
学生時代の友人たち
初恋の相手
秘かな恋
人生に起きた出来事
何かに気づいたときに
またあらたなスタートが始まる
.
人生哲学
よい映画でした
結局は関わらなかった人生
トニーが呪いの手紙を激情に任せて送った後、ベロニカやエイドリアン、ベロニカの母がどんな人生を送ったのか、詳細は明らかにならない。
わかるのは、まずはベロニカとエイドリアンが恋仲になり、その後エイドリアンはベロニカの母と通じたこと。
ベロニカの母とエイドリアンの間には子ができ、その子が呪いが成就したかのように障害を持ち、その子は父と同じ名をもらった事。
父親のエイドリアンはそれらのどこかの時点で若くして自殺し、ベロニカの母はつい最近までの長寿を保ったこと、ベロニカは弟のエイドリアンをよく面倒見ていること。
トニーがベロニカに「君が苦労したのがわかる」と言ったのに対し、ベロニカは「いや、あなたにはわからないわ」と言ったこと。
エイドリアンはなぜ死んだのか。
ベロニカを裏切ってその母と通じた良心の呵責からか、母が妊娠したことが露見したからか、母が産んだ子が障害を持っていたからか、母の家庭が壊れていくのがいたたまれなかったか、ベロニカの嘆きと絶望を目の当たりにしたからか。
映画では全てわからぬまま。
で、そういうことなのだと思います。
トニーにとって、それらは彼が関わることがないうちに進行して、終わったこと。
結局は交わらなかった人生で、それらは歴史と同じ。
自殺の理由も、当のエイドリアンの言うごとく、本人に語らせない限りはわからない。
呪いの手紙は奇妙にその後の二人の人生と符合したが、それはトニーの呪いが直接起こしたことではない。呪われた人の心に変化をもたらしたとしても。
結局トニーの関係のないところで事態は進み、彼は罪悪感と後悔は抱くものの、それらが父エイドリアンや、ベロニカらの人生に関わることはない、そしてトニーが「なぜ」の答えを知ることもなく、彼は彼の平凡で幸福な人生に逃げ込んでいける存在ということなんでしょう。
自分を納得させるために書き換えた物語
映画「ベロニカとの記憶」(リテーシュ・バトラ監督)から。
「ミステリードラマ」と紹介されていたけれど、
この作品は、何を伝えたいのかを考えた時には、
ミステリー作品ではなく、人生を考えさせられる作品となる。
「歴史上の出来事の犯人探しは、無意味に思います。
歴史家は戦争の責任が誰にあるかを突き止めようとする。
でもそれを知るのは不可能です」という
高校時代の授業風景を回想しながら、
作品の最後には、こんな台詞でまとめられている。
「人は人生を語る時、去を装飾し、都合よく編集する。
長生きすれば異を唱える証人も減る、
それは事実というより『物語』だ。
自分を納得させるために書き換えた物語」
まさしく、自分史などはその典型といえるかもれない。
人生の中で数少ない「善行」は、装飾し「善人」を気取り、
幾多もあったはずの「悪行」は、都合よく削除され、
自分の人生は、誰に見せても恥ずかしくないほど編集される。
ただ、それを否定しているわけではない。
そうありたかった・・と願う「願望」に近いストーリーで
自分の生き様に納得するしかないのが、自分史である。
歴史はそうやって作られていくものなんだよなぁ。
原作未読。信用
できない語り手、しかも無意識というたちの悪いやつか。邦訳時にミステリ界隈で評価されていたようだったが…叙述の仕方/騙られ方を堪能するために小説を先に読むべきだった。
主人公の言動(現在パート)が、いちいち自分を正当化するための上っ面のもので、しかも家族にはそれが容易に透けて見えるのでイラつくのがよくわかる。そのうちその心持ちというか基本姿勢というか傾向があれこれ私?? と思えてきて余計なダメージを受けた。ブロードベントがうまいのが悪いので、ワタシワルクナイデス。
人間いかに自分の都合のいいことしか覚えてい(たく)ないか、暗喩的なセリフを散りばめていたのかが最後まで見るとわかる。ベロニカのお母さん結構かわいいなあ、とか呑気に思っていた私には、真相という鉄鎚が振り下ろされ成敗されたのであった。
このエンディングが「正解」かはわからないが、変わろうとする気持ちには嘘はない…と思いたい。
主人公トニーキャラは好きになれないけれど、その心情は手に取るように理解出来る秀作
これ程、映画観賞中に、自然とため息が数多く出てしまう映画も珍しかったと思う。
何故なら、中年期の私には本作の主人公トニーの気持ちがとても良く理解出来るからである。
この作品の主人公は中古カメラの販売店を営む、初老のバツイチ男、トニーのお話だ。
本作では、このカメラと言う存在がまた、過去を語る上で都合の良い存在へと変化する。カメラとは人生の有る瞬間をそのままもぎ取り記録するものだ。
しかし、現実には人は自己の過去を振り返る時、過去の状況をそのまま正確に思い出す事は少ないのだと思う。
結構その時々の人の心情の有り様や、感情の変化で、実際に起きていた過去の真実の出来事とは違う形へと変幻自在に過去の出来事も変化させえてしまうものだ。
決して過去は、変えられないものではないと言うのが、本作の面白い点だ。
つまる処、人は自分が観たい世界感の中で生きている生き者なのだろうか?
それだからこそ、その時々に連想される物事は何時でも同じとは限らない。
そんな人間の身勝手な感情の本質と言うか、想いの中心を隠さずに描き出している点に思わず深い共感を覚える作品だった。
主人公のトニーがかつて好きだったベロニカと親友へ送った手紙がとんでもない結果を引き起こしていた事も知らずに、トニーは生きていた。
人は、過去を振り返る時には、過去は過去のきれいな思い出として記憶の隅しまって置くべきだろう。下手に過去の出来事を掘り起こすと知らずに済ませていた方が良い事が有ると言う、ちょっと心が痛むストーリー展開だった。
本作は若い頃のトニーが、ベロニカと親友に対する嫉妬が招いた悲劇を描いた作品であると同時に人間の本質って、実は中々変化しない事も示唆しているように思う。
そして、人はご都合主義にも陥る可能性が大と言う、人の心理の本質に迫る作品で面白かった!
出演しているキャストの芝居の素晴らしさと相まって思わぬ拾い物をしたと実感出来る秀作だったと私は思う!
人は都合よく過去の思い出を作ってしまう。
青春の思い出とサスペンス的な要素がある作品。とても面白かった。40年前トニーとベロニカは付き合っていた。しかし、トニーは周りの友人たちから「トニーの親友のエイドリアンがベロニカと熱愛中」と聞かされる。嫉妬からトニーはエイドリアンに嫌味のこもった呪いの手紙を送る。その後、エイドリアンは自殺してしまったため、二人の中の記憶を封印してしまう。40年後に知った事実はエイドリアンの恋の相手はベロニカの母親・セーラだった。40年後にトニーとベロニカが面倒を見ている知的障がい者の「エイドリアン」の息子だと思い込むが、またも勘違いで彼はセーラの息子だった。エイドリアンの残した日記を書くベロニカは大切に持っていたがこれが周りを不幸にすると思い燃やしてしまったのだ。エイドリアンに出会ったトニーは、彼をベロニカの息子だと思い込んで40年前の過ちを繰り返そうとしていたのである。人は間違いを犯すものであり、ベロニカに過去の過ちをベロニカに手紙で謝罪する。そしてトニーは今の家族が自分を必要とされている事に安堵を覚えるのだった。
身の振り方について
単館上映で、時間を間違えて入ってしまいました。
たまにこういうバカをしますが、そのまま受け入れて楽しみました。
ライカや車、音楽など、なかなか好みのものが出て来てよかったですが、本質的には少し説教くさく感じるところもあります。
逆に、説教臭さをうまく消しているともいえますね。
評価が低めなのは、本質をコーティングしているような作風のためです。
若かりし頃の回想と、老いた現在を交互に繰り返しますが、面白かったのは、鑑賞する自分がその中間的な位置にいることでした。
まさに身の振り方がよくわからなくなってきていると感じていたこの頃だったので、なるほどと思う部分もあり、説教くさく感じてしまった部分もあったのかもしれません。
何か教訓を得たとか、そういったことはないのですが、身の振り方や生きる態度について、もうちょっと慎重になろうという気分になりました。
それにしても、シャーロット・ランプリングでバシッと絵が締まる感じは、観ていて気持ちよかったです。
老後の人生の正当化のような映画でした
ベロニカとの記憶というタイトルにしては、ベロニカに対する特別な気持ちの表現がありません。
たとえば、記憶であっても現在の生活の中で、ベロニカとだったら今の生活は違うのではないか、とかの思い入れのようなものです。
映画としての表現が間違っているのかと思い、原作「終わりの感覚」ジュリアン・バーンズの本を読んでみましたが、原作も情緒的な心理描写は希薄で、自分の人生のコンプレックスを正当化させているような、もてない男の妄想のような作品でした。
サスペンス映画を観るような気持ちになれば、組み立ては面白いのですが、人間描写がやはりもの足りません。
主人公の言動
にどうしても共感できない。
最後まで。
離婚した奥さんのところに連絡なしでやってくるなんて…
初恋の彼女ベロニカ、ベロニカの母の残した日記、親友の自殺、最初は繋がらない出来事がどんどん繋がってくる。
もう少しスッキリしたものを求めていたのだと気づいた。しかし、ある種の人生の出来事はただ起こるだけだ。思いを超えて。
人間って
人間って、残酷な事しちゃうんだよなー。
感情にふりまわされると。。。
それが、若さでもあるけど、自分の都合よく記憶に留めてしまう。人生で関わった人のその後を無性に知りたくなる年頃もあるけれど、たいがいは振り返らない方がいいと思う。今、自分の周りの人を大切にすることが自分を大切にすることじゃないかな。
年を取るってこういうこと
70歳前後の主人公が、別れた前妻など周囲の人達への説明という形で若い日の記憶をたどり、徐々に真実が明かされる。初恋の相手ベロニカに対して、今更けっこう執念深いなと思ったが、だからこそ知らなかった事実にたどり着く。
読んだレビューがあまり良くなかったので期待していなかったが、観て良かった。年寄り向けなのかも。
また、シングルマザーとして出産する36歳の娘、旧友たち、愛想のいい郵便配達員など登場人物の設定がリアルで良い。Foylesなどロンドンの街もたっぷり描かれていて、再訪したくなった。
相変わらず
自分勝手に見えないこともない。
ベロニカやエイドリアンの過去も教えてほしかった。
ベロニカさんはどんな気持ちで弟を愛してきたのか、エイドリアンの日記とか。
あの手紙をずっと大事に持っていたのは何故か?
知りたい
追憶の美しさ
記憶はフィルター越しに美化される。
歴史は勝者によって編まれるストーリー。
当事者によってしか真実は語られ得ない、というテーマが漠然と中心に据えられつつ、ひとりの年老いた男性が、初恋の「行き着く先」を追いかける…
回想と現実とが入り組んで交錯しながらストーリーが進行していく。
その曖昧で断片的な構成が、不確かに揺らぐ記憶の性質を象徴しているようにも思える。
それとは対照的に、現在のシーンでは「目覚める→朝食→郵便物の受け取り」といった平凡な日常のサイクルを何度も描写している。この繰り返しは、見る人に「老後の平穏な日々」「かわりばえのしない毎日」といった印象を与え、激情に生きた若かりし頃との対比を感じさせる。
複雑な物語である故に、途中は「どうなっているの!?」と混乱するところも多かったが、最後には、娘への告白という形で真実をかなりわかりやすく説明してくれたので、後味はスッキリ。
内容の面でも、愛と未来を連想させる前向きなラストシーンだった。
若い頃の激情、というのは厄介なもので、長い時を経ても一生心を揺すぶり続ける。
…とはいえ、トニーの行き過ぎた言動は正直 見るに堪えない。
最後まで彼を愛せない鑑賞者もいるようだが、ジム・ブロードベントの「かわいらしいおじいさん」のような風貌が何より魅力的で、それだけでも肩を持ってしまいそうになる。
もともとポエマー気質のあるトニーは、
娘が出産という人生のターニングポイントを迎える最中にいるにも関わらず、現実から逃避して過去の記憶を彷徨う傾向がある。その上 恐ろしく鈍感で、元妻の気持ちも娘の気持ちもベロニカの気持ちも察することができずに失言ばかりしてしまう。
対して女性陣は、それぞれがとても魅力的で寛大な愛ある存在として印象づけられる。女優さんの表情も、凛として美しい。
トニーが自分を見つめ直して、マーガレットからの赦し・娘からの赦し・ベロニカからの赦しを得ていくシーンは涙を誘う。
トニーがベロニカと親友エンドリアンに送った忌まわしい手紙、タイプライターで1文字ずつ刻まれるシーンが忘れられない。
誰しもが取り返しのつかない罪を犯すだろう、彼の罪はdeleteできないのだ。
音楽も、作品特有の懐かしさ・せつなさ・浮遊感を醸し出していて素晴らしかった。
まるで音から香りがするようだった。
追憶に下手なメロディーはいらない、あのなんとも言えぬ奇妙な感覚に似た響きだけで充分だと身にしみてわかる。
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