「伝統のシリーズの新たな伝統を築いた完全決着編」007 ノー・タイム・トゥ・ダイ kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
伝統のシリーズの新たな伝統を築いた完全決着編
『カジノ・ロワイヤル』で新装開店したダニエル・クレイグ版「ジェームズ・ボンド」シリーズの完結編。
ユニバーサルが初めて配給する本作。同社のトレードマーク映像の地球の円形が、007のトレードマーク映像の銃口に遷移するというオープニングが心憎い。
キャリー・ジョージ・フクナガ監督の作品は初観賞だが、前2作のサム・メンデス監督による映画美を凌ぐ、007の映画全25作を通して最も芸術性の高い作品ではないかと思う。
細菌研究施設に何者かが侵入する場面では、ビルのガラス壁の反射を利用したシンメトリーや、廊下やエレべーターホールのパースペクティブを用いた絶妙の構図。
ブルー基調の画面に赤や黄色の光が時おり強く映り込む美しい色使い。
孤島の敵基地では一転してモノトーンで寒々しさを強調したりもしている。
終盤のボンドが単身敵基地で戦うシークェンスで、階段での戦闘場面が秀逸だ。投げ込まれた手榴弾を拾って投げ返すと、今度は何個もの手榴弾が一斉に投げ込まれて来るユーモアの後、狭い階段を横や上から襲ってくる敵を迎撃しながら上っていくボンドを見せる長回し。階上から迫る敵を影だけで見せるところもスタイリッシュだ。
本作は前作『スペクター』から直結する続編だが、細菌兵器(ウィルステロ)となると思い出されるのは『女王陛下の007』だ。スペクターの幹部の娘とボンドが恋に落ちるところ、Mの指令に反して単独行動をとるところなど『スペクター』で既に『女王陛下…』を意識していたとも思える。
となると、『カジノ・ロワイヤル』からダニエル=ボンドが始まったことにも意味が見えてくる。
『カジノ…』は、ボンドが結婚した(しようとした)女の死という悲劇で物語が終わる点で『女王陛下…』と共通している。『カジノ…』の原作を尊重した映画化を実現したことで、今度は原作と大きくは乖離していない映画版『女王陛下…』を別バージョンに焼き直すことに挑戦したのだ。
ニール・パーヴィスとロバート・ウェイドを中心とした脚本家チームは、最初からこのシリーズが5部作と決まっていたワケではないのだから、回を重ねることでこれに辿り着いたのだと思うと感心する。
本作がダニエル=ボンドの最終作だと決まっていたから、青い目の少女マチルド(リサ=ドラ・ソネット)を登場させるという禁じ手を遂に投入した。
『慰めの報酬』でボンドに愛した女のことを引きずらせたがために、ボンドと彼が愛した女との関係を物語の横軸に織り込むことが宿命づけられた。そして、『カジノ…』でも『女王陛下…』でも愛した女の命を救えなかったボンドに、その存在を賭けて救うことを成し遂げさせる、究極の掟破りに帰着したのだ。
この結末を許した製作陣も天晴れだ。
007映画をスクラップ&ビルドする目的の一つにボンドの女性観があった。時に女性蔑視と揶揄されたボンドの行動については、ピアース・ブロスナンが時代錯誤にあえて徹する姿勢を見せて闘った。
対して、ダニエル=ボンドがフェミニストになったというワケでは決してない。女性を見ると下半身がうずき、むしろ初代ショーン・コネリーよりも女にドライだと思う。ただ、歴代どのボンドよりも惚れた女に卑屈なのがダニエル=ボンドだ。
タイトル明けのシークェンスで、敵の言葉に踊らされてマドレーヌ(レア・セドゥ)に疑いを持ったボンドが、集中砲火を浴びるアストンマーティンの車中で見せる冷徹な表情。
駅のホームでマドレーヌに別れを告げる場面でも、イジケて彼女の言い分など聴きもしない。
5年後にMI6に戻った時、未だにマドレーヌのことをひどい女だと言っていて、自分は女に傷つけられたと言わんばかりの卑屈さなのだ。
ブロフェルドを拘束している施設でマドレーヌと再会したボンドは、彼女の目線に萎縮したような情けなさを見せる。
そんなボンドも、結局彼女の家を訪ねると我慢しきれずラブシーンに至るのだから、やれやれだ。
マドレーヌがボンドの急接近に抗えなかったのは、彼を恨みつつも一途に想い続けていたからだろう。
さて、女性登場人物…
マドレーヌは前作から引き続きの登板だが、ボンドガールというよりヒロインというべき存在で、これは007シリーズでは革命的だ。
レア・セドゥを美人だとは思わない。だが、か弱そうでもないのに憂いがあって助けてやらねばと思わせる、その佇まいが魅力的だ。
ボンドに別れを告げられ一人で列車に乗せられた時、動き出した列車の中からホームのボンドの姿を追うレア・セドゥの切ない表情が胸に刺さる。(ボンドか捨てるなら俺が面倒みたいと心底思った)
キューバのCIA現地工作員パロマを演じたアナ・デ・アルマスは、本作最大の収穫だ。初めてのミッションに緊張と興奮を隠せない新人エージェントをキュートに演じている。
マドレーヌに悲愴感があるだけに、パロマが明るい面を引き受けていて、出番が短いのが残念だ。
とにかく、バーのカウンターでボンドを待っている登場シーンから目が奪われる。あのドレスが、ヤバイ!
ボンドの方はまんざらでもないのに、ラブシーンはない。パロマの側にボンドを男として見ている余裕がないのだ。
銃撃アクションに突入すると、ドレスの裾を翻して目覚ましい活躍を見せる。戦いの最中に酒で乾杯するシャレた演出が活きている。
「私はここまでよ」と別れ際もアッサリしていて、新しいタイプのボンドガールだ。
新007に就いたノーミ(ラシャーナ・リンチ)もボンドとのラブシーンがない。ボンドの方は、やはりヤル気満々だったのだが。
黒人女性のダブルオーという存在自体が意表を突いていて、ボンドと対等な戦闘能力を見せる。
キューバの戦いでは、ボンドがCIA側だったため相棒のポジションをパロマに譲った孤独な立ち位置で、『カリオストロの城』の峰不二子のようだった。
ボンドに対抗心を持ったコミカルな役回りでもある。
孤島の敵基地に侵入した時は、晴れてボンドの相棒となって頼りになる働きを見せる。ボンドを独り島に残しても、マドレーヌとマチルドを助け出す責任を負い、海岸の岩場でボンドの無事を願うマドレーヌの横にいて言葉は発しないが、ボンドの決死の覚悟を誰よりも理解する存在だった。
本作のヴィランは…
スペクターの首領ブロフェルド(クリストフ・ヴァルツ)は前作でボンドによって逮捕されている。
ボンドとマドレーヌのイタリアでのハネムーンのシークェンスで、獄中にいてもボンドを脅かす存在感を示し、キューバのシークェンスで更なる恐ろしさを発揮するのかと思いきや、ここでは本作のキーアイテムである細菌兵器を強調する当て馬にされてしまった。
ボンドの究極の敵はスペクターとブロフェルドであって欲しかったが…。
本作の真のヴィランはラミ・マレック演じるサフィンだが、これが単純な悪党ではない。
スペクターの犠牲者であることから、偏執的に世界転覆を目論むに至っている。
MR.ホワイトとその背後のスペクターを憎む点でサフィンとボンドは一致していて、マドレーヌの命を救った男という共通点がある。ボンドはマドレーヌを愛していて、サフィンは殺人鬼に親を殺された者同士の共感を抱いているという違いはあるが、ボンドとサフィンは合わせ鏡の関係と言えるのだ。
サフィンのマドレーヌへの共感が、マチルドへの接し方に表れているような気がした。
サフィンは決してマチルドを脅したりせず、優しく抱きかかえる。だが、哀しいかなマチルドはそれを受け入れないし、サフィンははその拒絶をも受け入れる。
ダニエル=ボンドシリーズ5作を総括すると、シリーズを重ねて過去作との因果を埋め込んでいく「マニア囲い込み」的な商売を007でやって欲しくはなかったのが正直なとことろ。
007映画は「一見様お断り」ではなく、1話完結であるべきだと思う。そこに、様式美を織り込んで他のポップコーンムービーと一線を画すことができるのが、伝統のシリーズの強みだったのだが…。
とは言え、伝統を無視しているわけではない。過去作へのリスペクトを示しつつ、新たな伝統へ昇華させたのだ。
製作側の果敢な挑戦には敬意を表するし、5本のシリーズとして完全決着させた作劇力にも敬服する。
007と言えるかどうかは、紛れもなく“今の”007なのだ。
さて、来年7代目ボンドのオーディションが行われるらしい。シリーズ60周年記念の年だが、新作の公開はない。
今後はボンド役の俳優ごとにリボーンとファイナルを繰り返すことになるのだろう。
コメントありがとうございます!
私も1話完結の方が好みです。
あのラストから生き返るとはさすがに私も思いません(笑)爆死エンドなんてこれまでなかったけど、お約束のテロップが出てくるしシリーズは当然のように続く…みたいな主旨のつもりでしたが、拙い日本語でお手数を取らせてすみませんでした。
アナのキャラは今回限りにしておくのは勿体ないですが、ボンド交代となるともう出てこなさそうで残念です。
コメントありがとうございます。
ちょっと記憶が薄れてきちゃいましたが、最終的にはそう推測するとすんなり受け入れられます。MI6がやろうとしたことも考慮して・・・
それにしても映画館ではまだまだ客が入ってますね~
コロナも落ち着いて、みんな映画館に行き始めたのでしょうか。