「空虚な人物」ナチス第三の男 REXさんの映画レビュー(感想・評価)
空虚な人物
前半のトントン拍子に進むハイドリヒの出世物語に、彼の残虐性や周囲に認められた有能さが描かれず物足りなさも感じたが、もしかしたらそれこそがこの男の恐ろしさなのかもしれない。
彼からはヒトラーやゲッペルスら稀代の戦争犯罪者たちにみられる、(それが人間性を著しく欠くとしても)信念というものが感じられなかった。
妻になるリナに出会うまではナチス党やヒトラーにまるで関心が無かったし、思慮もなく上司の娘と関係を持ちそれが元で失脚する。自分の居場所を求めてはいるが、どこで己の野心を発現すればいいのかわからずに、刹那的に生きているようにも見えた。
ハイドリヒの残虐性がどこで発露したのかは描かれないが、それはこの男に生来備わっていたものがリナによって見いだされたにすぎず、そこに「解」を求めてもしようがないのかもしれない。
どういった感情であれ、何か熱情的なものが欠落しているようにみえ、相手をいたぶることに特別な快感を覚えている様子もない。冷徹に仕事を進めることで、みずからの虚無感を埋めるかのよう。
どんな悪人にも、その残虐性に秘められた強烈な劣等感や純粋なサディスティックさ、妬みやそねみ、誤った選民思想、殺したくなるほど憎らしいと思わせる一種の人間らしさが感じられるのだが、彼には全くそれがなかった。
冒頭のセックスシーンは不要かとも思われたが、レジスタンスの若者たちと対比して、ハイドリヒの性格を表しているのかもしれない。
しかしナチスを描いていながら、ヒトラーもユダヤ人も登場しない久しぶりのナチス映画だった。どんな組織であれ、強力な権力掌握は内部粛清から始まるのだなと、恐ろしく思う。
そしてもう一つ、自分の信念で人命が脅かされても、それを全うできるかということも考えさせられた。他人の死を必要な犠牲と片づけられない問題がそこにはあり、難しい。