シリアにてのレビュー・感想・評価
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相関関係が分からない。
何故狙撃した後確かめに来ないか?
何故逃げないか?
何故部屋に押し入ったか?
何故助かったか?
何故あのタイミングで真実を話したか?
兎に角、これからどうするのか?
兎に角、評価に困る。
しかし。
青年のLaptopにダビデの星のシールが張ってあった。まさか、ユダヤ系の人達ではないか?シリアにもユダヤ系の人達は残っている。のでは。
他人の男性が居て、ヒジャブをまとわないのは、イスラム教ではないと見たが。
まさか。
襲う男達もこんなにガラが悪いのか?
プロパガンダ映画には見えるが、誇張していても現実はもっと酷いのだろうから、出鱈目な話として評価したくない。
レバノンも合作しているので、ユダヤ系でなければ、キリスト教でしょうね。
シリア開放機構?
さぁ、どうなんでしょう。
「アサドさんがロシアへ逃げる」って、僕はもう二度とロシアへ行けないね。2024年12/10
ほんのちょっとの希望しかない
シリア内戦を描いた映画の公開が続いている。
「ラッカは静かに虐殺されている」「娘は戦場で生まれた」を観たが、これらはドキュメンタリーで、リアルゆえの凄みがあった。
一方、本作はフィクションである。
舞台はシリア内戦下の、あるアパートメントの一室。
そこにはオームと彼女の3人の子どもと義父、住み込みの家政婦が住んでいる。オームの夫は不在だ。
そこに、同じアパートメントの住民で、爆撃によって自分の部屋には住めなくなったハリマと彼女の夫、そして赤ちゃんが身を寄せている。
そして家に帰れなくなったオームの娘のボーイフレンドもそこに。
朝、物語の冒頭、ハリマの夫が、出掛けてすぐにスナイパーに狙撃されてしまう。
そう、窓ガラスの向こうは戦場。近くで響く爆発音。しかし家には女性と子どもと老人しかいない状態だ。
カメラはほとんど家から出ない。登場人物たちが、家から出られないからだ。
つまり、息詰まる密室劇。
そしてカメラは家の中を動き回る。玄関、ベランダ、浴室、キッチン、リビング、ハリマの居室など。すべての部屋が、重要なエピソードの舞台となり、無駄なく意味を持つ。まったく隙のない脚本には感嘆するしかない。
そして、この隙のなさが全編を通じて緊迫感を高めている。
内戦ゆえ、誰が味方か分からない恐怖さえも、来客の恐怖という形で、家の中だけで描く。この脚本の密度に唸る。
本作が描くのは、そのアパートメントの朝から夜までで、ずっと極度の緊張状態が続いていく。
カメラはほとんどの画面で人物の表情を捉える。登場人物たちは常に死の恐怖にさらされていて、怯え、苛立ち、パニックになり、泣き叫ぶ。つまり、エンドレスのサスペンス。クローズアップに耐える役者たちの演技も見事だ。
地獄だ、と思った。
たった1日がこれほど過酷なら、ここで暮らす人々の生活は、命は、精神はどうなってるのか。
戦争映画が描く過酷さの舞台の多くは戦場だ。
しかし、内戦は、市民の暮らす町が戦場となる。こうした悲惨さを、本作は容赦なく描き出す。
ラスト近く、オームに夫の携帯から着信が入るのだが、すぐに切れてしまう。掛けてきたのが夫かどうかすら分からない。
着信があったこと自体は救いだが、話すことも、無事を確認することすら叶わない。
希望は、ほんの少ししかない。
アパートメントの前に倒れていたハリマの夫は息があり、助け出すことが出来た。だが、このとき、スナイパーはハリマを撃たなかった。昼間に、この家を襲った男たちがスナイパーなのだとしたら、彼らは、また家に来る、ということだ。
そしてハリマの夫が助かるかどうかも分からない。
ここでも、希望はごく僅かだ。
たった、これしかない希望。ほとんど救いがない。
そう、内戦に巻き込まれた市民たちの状況は過酷で悲惨であり、そこには、ほんのちょっとの希望しかないのだ。
これが内戦下のシリアなのだ。
そこは遠い国かもしれない。しかし、ガスキッチンで料理を作り、リビングに大画面テレビを置き、ネットで情報を調べ、スマホを使う。
そこで営まれている暮らしは、僕たちとほとんど変わらない。
映画は夜のシーンで終わるが、その夜が明ければ、また過酷な1日が始まるのだ。
本作はフィクションだが、それゆえ作り込まれた脚本、演出、そして演技は見事で、高密度かつキレのある作品に仕上がっている。
ゆえに本作のメッセージは鮮烈で重い。
家族を守り抜く
『スナイパーだ』で始まり、野菜か何かを手押し車で売る男性や客が逃げるシーンから始まる。シリアのダマスカスのMESSEHメザという地区で義理の父と子供三人と近所の家族などを夫が帰ってくるまで守り抜く力強い女性OUM(Hiam Abbath)の話。
Oum は生まれた時、家がなかったと。この住まいに対する愛着がとてもつよく、伴侶が帰ってくるまで家族と共に守り抜こうとしている。家政婦にも子供にも知り合い(?)の息子にも内戦のなかで的確な指示を与え、皆を守っている。しかし、一箇所これでいいのかと思ったシーンがあったが、一階上に住んでいた女性ハリマ(ハリマは夫と共にベイルートに逃げる計画があった。)がレイプされるシーンがあるが、Oumは子供達、家政婦、義理の父などを台所に入れて守り、ハリマを助けに行かなかった。でも、残酷な言い方だが、ハリマの一人を犠牲にすることにより、家族を含めて他の人々を助けることができると考えていたと思う。
この映画で私にとっての圧巻は主人公Oumの二番目の娘である少女が、レイプをされた女性ハリマに謝るシーン。『許してください。怖くて助けに行けなかったんですと。』誰も助けてくれなかったが、レイプをされた女性ハリマはこの言葉によって救われたと思う。
Oumの判断力、自分も家族を守るのが大変なだよと言って泣き言を言わず、一人の時だけ、悲しさを見せるたくましい人で、またハリマに対する慈しみもみせている。でも、家政婦の気持ちを汲んであげていなかったのが残念だが、私はシリアの文化社会構造については詳しくない。どこかに家政婦の気持ちも大切にしているシーンがあったのかも。
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