「私達は正解の無い世界に生きている」僕の帰る場所 bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
私達は正解の無い世界に生きている
純粋に映画の話を先にすると。
とても不思議な空気で満ちている映画。「ドキュメンタリーなのか」、「脚本に基づく演技なのか」が判然しないまま、数分が経過。弁護士役とホテル厨房の場面で、演技なんだと判る。でもミャンマー人家族は本当の家族ですよね?もし違うのならば、二人の子役は天才を超えてます。
ミャンマー人の不法滞在者夫婦と二人の子供の物語。難民申請が認められない夫と、夫の逮捕の恐怖から鬱を患った妻。耐えきれない妻は、ミャンマー語を話せない子供たちを連れて帰国。日本と父親が恋しい長男は一人空港を目指して家出し、たどり着けず、帰ってくる。そんだけの物語。
「少年の日」として見れば、テクニカルな部分も含めて、すごく良く出来ているんじゃないかと思う。政治の話も社会性がどーのこーのも無ければ。実際、映画そのものは、「世の中」を責めてない。この映画の語り口の自然な感じ、「まるでどこにもカメラなんて存在しないかのように話し、生活する人々」って言う空気感が好きです。
んでもって政治とか社会性の話。
私達は、たった一つだけの正解なんてものが無い世界に生きている。数年後、数十年後、あれは正しかっただの、間違いだっただのと「後付けの答え合わせ」はされるけど。日本の移民政策の硬直が「国連方面」から指摘されてから数年。メディアは騒ぎました。朝鮮戦争時の失敗(ゆる過ぎた)を指摘された事もあったと記憶してるが、そちらは日本メディア完全沈黙。やっぱ歪んでる。
一つの植民地支配にあたり、別の少数民族を選び連れてきて支配層に据える。欧州が考えた下衆を極める植民地支配の戦術。ルワンダのツチも、ミャンマーのロヒンギャも、植民地支配のために「白人に据え置かれた支配層」。植民地支配が終われば悲劇しか起きないよ、そりゃ。
ロヒンギャ虐殺はスーチー体制下で起きた。スーチー以前の軍事政権からの逃避について、難民申請に冷静に対処していた日本は、むしろしっかりしてたんじゃないかと思うが、当時スーチー推しの日本主要メディアからは、避難轟々だった。
日本は一度失敗した(現在進行中)。だから法整備が先。これだけは絶対に曲げてはならない。
日本は冷静に慎重に移民政策を進めるべき、って言うのが個人的な考えです。東京入管はマシンガン持ってない(と思う)だけ人道的。グローバルな人の動きはブラウン運動。密閉された容器中に異なる数種のガスを注入しても、最後には、容器中の空気は一様に混じり合う。人類だって同じこと。千年かかるか万年かかるかは謎だけど。この問題の正解を示してくれる先例は無いと思う。欧州も北米も先生じゃない。失敗すれば回復が難しい、ってことだけは教えてくれたけど。私ら、焦らなくても良いでしょ。
p.s. ロヒンギャじゃないミャンマー人。つまりは仏教徒のミャンマー人は、難民には成り得ません。