「本当にこの着地でいいのか?しかし考える余地がある作品でもある」デイアンドナイト ryoさんの映画レビュー(感想・評価)
本当にこの着地でいいのか?しかし考える余地がある作品でもある
デイアンドナイトというタイトルが示す通り、人間の二面性、善悪が単純でないことが明らかになっていく映画。
しかし、随所に違和感がある映画だった。
まず、内部告発というが、父は自動車整備工場を経営しており(系列とはいえ)自動車メーカーからすれば外部の人間のはず。内部告発というものを作り手側がよくわかっておらず雰囲気で作っている印象を受ける。ハブベアリングとか言ってるのも、某トラックメーカーの事件のフォロー感がある。
一介の整備士が部品の強度偽装を見抜く、会社を揺るがす大問題の割に部長レベルまでしか出てこない、その部長が警察以上の捜査能力をもっている、自動車メーカーの不正なのに小さな町の中でしか話が進行しないなど、ディテールに不備も多い。
しかし、それらを譲ったとしても、根幹のテーマ部分に強烈な違和感がある。
主人公や父親の「不正は告発するべき」という正義に対し、部長は「事故が起きる可能性などほとんどないのに告発してリコールになれば大勢が迷惑する」というカウンターの正義を唱える。この映画は正義と正義のぶつかり合いなのだ。
そして、残念ながら現実世界では後者の「正義」を唱える人が多い。少なくとも力においては勝っている。だからミートホープよろしく内部告発は大抵ひどい目に合わされるわけだ。
だが、それをそのままなぞって「現実はこんなものだ」と飲み込ませるだけのエンディングにしてしまって良いのだろうか?
ハッピーエンドにしろとは言わないが、せめて映画くらい別の着地を見せてくれてもいいじゃない。
「あなたにとっての正義って何?」
「身近な人を守ることだ」
「あなたは守れたの?」
これでは「仮に事故が起きても死ぬのは赤の他人、でもリコールでボーナスカットになれば家族に掃除機を買ってやれなくなる」という部長的な考え方そのものだ。
内部告発した父も主人公も身近な人を守れず、命を落としあるいは刑務所行きになった。
でも部長は鼻に絆創膏を貼っただけで娘の卒業式に平然と出席している。
身近な人を守れた部長が正しいと思う人がいるのはわかる。でも主人公がそれを認めてしまって良いのだろうか。
ただ部長の言うことを飲み込み、「私が間違ってました、大人になります」で終わってしまうエンディングはあまりにも不快だ。
もちろん、部長を殺して終わらせるような安っぽい復讐劇にしたくなかったというのはわかるんだが。
一方で、良かった点もある。主人公が犯罪に手を染めていくシーンはかっこよかったし、昼の動きと夜の動きがカットを切り替えながらシンクロするシーンは面白い。
いろいろ書いたが、観て考えて意見したくなる時点で観る価値がある映画だった。