デトロイトのレビュー・感想・評価
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ビバリーヒルズ・コップの17年前
一応、事実的なことを最初に記しておくと、この事件は裁判では無罪となっていて、真相がハッキリしたわけではない。ただ、状況証拠と証言からして限りなく黒に近いだろうということだけしか言えない。ビグロー監督は、事件の詳細な記録を調査し、空白の時間を想像力で補って映像化している。
しかしながら、当時のデトロイトの白人警官の横暴は事実であり、こうした凄惨な事件が起きてしまうバックグラウンドは十分にあった。事件の詳細云々よりも、もっと根の深いアメリカの差別の病巣それ自体を描いた作品として非常に意義のある作品だろう。
ケン・ローチ作品の撮影監督として有名なバリー・エイクロイドの臨場感あふれるカメラワークは、観客にその場に居合わせたかのような恐怖を与える。『ハートロッカー』以来ビグロー作品のカメラを手がけているが、彼の能力なくてはビグロー作品のリアリティはないだろう。
デトロイトの警官と言えば、エディ・マーフィの『ビバリーヒルズ・コップ』を思いだす。この事件の17年後の映画だ。
他人ごとと思うのは早計。
人間は偏見と状況とが合わさるとどれだけ酷いことができるのか。その一点を、現実に起きた事件を元に克明に表現している。もちろん楽しくないし辛い。
ただ、誰の心にもヘイトの芽が眠っていることが顕在化してきた現代にあって、この映画は決して他国の昔話や他人ごとではないのではないか。それはウィル・ポールター演じる最大の憎まれ役である白人警官が、性質として邪悪に寄っているかも知れないが、決して心が強い者として描かれていないことからもわかる。弱く怯えているからこそ彼と仲間たちは暴走するのである。
実際のアルジェモーテル事件では、二人の少女は「黒人といちゃつきやがって」と警官たちに裸にされたという。そこをぼやかした意図はちょっとわからない。これ以上陰惨になると伝えたいテーマが伝わらないと判断されたのだろうか。いずれにせよ、自分がいかに弱き者であるかと向き合うためにも、誰もが観て損はない力作だと思う。
手を伸ばすと火傷を負いそうなほどの臨場感
ビグローとボールが放つ実録ドラマはここにきてさらに密度を高め、67年を単なる歴史の通過点でなく、手を伸ばせば火傷を負うほどの臨場感で提示する。前半部はそのスケールの大きな全体像を、事件の着火点から時系列的に描き、後半は舞台を一点にクローズアップしてどんな異様な状態に見舞われていたのかを克明に記していく。全くもって異なる限界状況だが、いずれも精神の制御盤が吹っ飛び、暴走し、歯止めが効かなくなってしまった状態であることは共通している。
感心させられるのは、本作が規定の結論へ観客を誘導するのではなく、あくまで自分らの集めた証言をもとに再構築を図ろうとする作法だ。特定の人物を悪と断罪するわけでなく、むしろ被害者と加害者にどのような心理が働いたのか、各々がどんな性格の持ち主だったのかの描写も手を抜かない。それがさらなる臨場感を生む。緊張感も凄まじいが、その筆致に、今回も心底驚愕させられるのである。
どういうメッセージを込めた映画なのか
『ゼロ・ダーク・サーティ』『ハート・ロッカー』のキャスリン・ビグロー監督の作品ということで鑑賞。1960年代当時の黒人差別の実態を、リアリティある描写で表現できていた点はよかった。しかし、ストーリーは冗長であまり面白くない。
白人の黒人に対する罪が軽視されるという題材は、次世代に差別を残さないというメッセージを感じさせた『ゴースト・オブ・ミシシッピー』や、差別主義者の醜悪さを浮き彫りにすることで人間の性質について考えさせられた『ミシシッピー・バーニング』などを連想させた。しかし、今作はそれらの作品のようなメッセージは感じられず、ただ事実を再現しただけという感じで、後味が悪いだけの映画という印象を受けた。
権力による犯罪
2024年9月5日
映画 #デトロイト (2017年)鑑賞
1967年のデトロイト暴動時に、黒人宿泊客で賑わうモーテルで、いたずらの発砲がきっかけで警察官に拘束された黒人宿泊客への理不尽な尋問
3人殺され全員暴行を受けたのに無罪とはアメリカの人種差別は凄まじいな
陪審制の欠点でもあるしな
双方にほこりのように薄っすら積み重なっていき、取るに足らないきっかけで、ブワッーと巻き散る
1967年のアメリカ・デトロイト、黒人差別の暴動から起きた悲劇「アルジェ・モーテル事件」を、「ハート・ロッカー」や「ゼロ・ダーク・サーティ」を手がけた女性監督・キャスリン・ビグローが描いた。
終始、硝煙や火薬の消えない臭いがこびりつくような、汗臭い、ざらついた緊張感がつきまとう。
白人であり暴走した正義の象徴である警官を演じたウィル・ポールターと、黒人であり常に理知的で善意の第三者である警備員を演じたジョン・ボイエガの見事な対照が、酸欠になりそうな現場を再現する。
アメリカの黒人差別問題は非常に複雑で根深く、それ故に単純な勧善懲悪といかない側面がある。ほんの些細な、あそこであんなことしなきゃ、言わなきゃ良かったな、という場面が双方にほこりのように薄っすら積み重なっていき、取るに足らないきっかけで、ブワッーと巻き散る、そんな遣る瀬無さを感じる。
ドラえもんに出てくる「どっちも自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ」ということばを、鑑賞後の後味の悪さを感じながら思い出した。
テーマに対する考えの違い
このテーマに触れるとTRAIN-TRAINが頭に流れる私と作り手との共通する部分は皆無。内容はもちろんのこと、迫力や緊迫感、課題提起等々、ドキュメント映画としても良い部分を全く見出せなかった。
ウィル・ポールターはマーク・ウォールバーグのほうがよかった
はじめはつまらない映画だと思ってたんですが、1時間を超えたあたりから黒人を差別してる白人との人種差別問題の映画だとわかった。主演の警官はマーク・ウォールバーグにしてほしかった。ウィル・ポールターも役柄に合ってたとは思うけど。
製作費3400万ドルに対して、興行収入2411万ドル。白人が黒人に暴行するという胸糞悪い映画なので見る人は少ないのだろうか。
権力が暴力を使う不条理
うっぷん晴らしのように暴力を振るわれたら、差別されるものにとってはたまったものではない。
市警と州警は何故こうも違うのか、人種差別の当事者である市警は白人優位だけで暴力を振るい人権から目を逸らそうとする。
日本でも逮捕状が出ていながら逮捕を免れた事件が未だに尾を引いているが、権力と検察が組んだらどうなるが痛いほど思い知らされる事件でもある。
デトロイト市警が何をしたか。人権と冷静さをわきまえているだろう州警でも彼らの暴走を止める勇気がないのが現実で、市警の横暴を見て見ないフリをして面倒を避けたがる。権力が暴力を使う不条理を丁寧に描いた力作だ。
永遠に終わらない差別問題
黒人差別の問題って、アメリカ合衆国が建国してから、永遠に終わらない問題だけど、これっていつ終わりの日が来るの?ある一部のアメリカ白人が持つ黒人に対しての異常なまでの理解し難い嫌悪感。どうしてこんな感情を持ってしまうのか? これはアメリカの歴史における昔からの根強くある恥すべき社会問題であり、いつかは完全に解決しなければいけないテーマだと思います。
黒人差別に関係した映画は数限りなくあると思うけど、何人の白人至上主義の人達が、それらを観て、自分の理不尽な考えに気付く人がいるのだろう?この「デトロイト」も差別主義者の白人警官による無実な6人の黒人へのエスカレートした拷問を強烈に表現されていて、異様な緊迫感に満ちた臨場感あふれる映画でしたけど。映画として大変に良かったけど。何人の人達がこの映画で、改心したのか?この映画が黒人差別を排除する一つの材料であることを願います。
この監督にはエンタメを。
差別は駄目だよりテンパっても冷静公正にがテーマ。
社会問題に斬り込みつつ楽しますシドニー・ルメット に及ばぬ。
意識したろう「狼たちの午後」「セルピコ」を改めて評す。
この監督には社会問題よりハートブルーなエンタメを。
アメリカに根付く問題とは
昨今のBLMで再び人種問題にスポットがあたっているが、今に始まった事ではなく有史以来のアメリカの抱える闇である
この暴動は実話であるが実際はもっと酷い事があったと思う
日本はそこまで格差社会ではないが、未だに海外での人種差別と格差差別は多く存在している
こんな時だからこそこのような映画が問題提起の材料になればと切に願う
人間に上も下も無い
こういうことがありまして、酷いですよねー、というお話。
感想は、この↑表題に尽きるわけですが……。
記憶に新しいロサンゼルス暴動にしても、最近のアメリカで相次ぐ暴動にしても、そして、この映画の1967年のデトロイト暴動にしても、まったく同じ構図です。
実際にあった事件をもとに再構成しましたというドラマなのですが、斬新でユニークな視点なり切り口なりが一つでもあれば、観に行って良かったと思えるのでしょうけど、それが一つもなし。
よくある典型的な白人警官によるアフロ系への人種差別事件。
そして白人だけの陪審が警官無罪の評決を下すという、アメリカ人にとっては、耳タコならぬ目にタコ状態のお話だと思います。
被害に遭われた人たちは、かわいそうなのですが、だから何。って感じでした。
一つだけ評価できる点を上げるとすると、このような歴史の積み重ねを経て、人種差別を取り除くための努力が1960年代に行われたこと。
そのお蔭で、私たち現代を生きる日本人がアメリカに旅行に行っても、もう激烈で明白な差別に悩まされることも少なくなったこと。
これは、差別され反発してきたアフリカ系アメリカ人たちの血の努力のお蔭であるわけです。
その点だけは、心に留めておいても良いと再確認できたという点ぐらいでしょうか。
しかし、その努力は、先人が行ってきたものであり、この映画のお蔭では、ありません。
この手の映画に悪い評価を付けると、あらぬレッテルを貼られ兼ねないのですが、どう考えても大甘で星3点が限度かな、という感じでした。
黒人たちの生き辛さったらない
アメリカでジョージ・フロイド氏の死亡事件をきっかけに暴動が起こっている今、まさに観るべき作品。
これは1967年の話だけど、人権を与えられてないに等しい扱いを、現在も受けている人々が「自由の国」を標榜するアメリカにはまだまだいるのだということに昨今のニュースで愕然とし、本作でその扱いの酷さと根深さをまじまじと見せつけられた。
かといって暴動や略奪を正当化すべきというつもりはないけれど、それではアメリカンアフリカンたちの受難や、その理不尽さ、やるせなさの行き場はどこなんだろう。諦め、拗ね、耐え続ける彼らをヒリヒリしながらただ観た。
元軍人の男の、けして服従しない態度がめちゃくちゃカッコよかった。
ラリーのゴスペルには心が震えた。それは聖書の一節をなぞるだけの歌ではなく、まさに彼らが受けている受難であり、魂の叫びなのだということをしみじみと感じさせられた。
ウィルポーターはミッドサマーしかり、やな奴やらせたらホント一級品だなと感心した。彼なしにはこの作品は成り立たない。ナルニアの時も印象に残ってるけど、ホントいい役者になった。名演でした。
警察がテロリストか?
キャスリンビグロー監督の奏でる臨場感は相変わらずです。142分が長く感じない映像体験を得ました。
1960年代のデトロイトは暴動は日常茶飯事。黒人差別なんて当たり前の世界。当時はスマホなんかないから白人の証言のみが事実として認定されてしまうのでしょうね。
終わりなき差別との闘い
アメリカの経済史において、デトロイトは重要な場所。フォードが世界に先駆け工場をオートメーション化し、乗用車を一般人でも買える価格に押し下げた。そして新しい仕事を求めて南部から黒人の大移動が起きた歴史の説明から、この映画は始まる。
中心となる警官はステレオタイプの人種差別主義者で(ITやメイズランナーでいじめっ子が板に付いたウィル・ポールターが適役)、発砲の証拠探や、ホテル客の身分証明書を確認するという当たり前の初動捜査をせず、はなから「黒人は敵」と決めつける。
ジョン・ボイエガが演じるディスミュークスは日々を安穏とすごすための戦術として、軍人や警察と良好な関係にあろうとするが、ホテルでの惨状よりも裁判での権力の構造に絶望したように思える。
このような歴史が色濃く残っている限り、銃社会というアメリカの構造は変わることはないのだろう。
権力を持つ人間の暴走を止めるために、誰しもが銃を持つ自由な権利があると言われれば、そこに属していない人間としては何も言うことができない。
今コビット19で新たな人種差別が起きようとしている。終息してからも、いや、もしかしたら感染が終息してから、一部欧米人たちが日本人と中国人もいっしょくたに、アジア人差別を繰り広げるかもしれない。
コビット19では政府の自粛要請に従わなかった飲食店や興行は「ずるい」と批判される。
デトロイトでも、同胞の黒人の店だろうと構わずに破壊行動は行われた。怒りのはけ口に任せて行動すると、結局、仲間同士の足の引っ張り合いになる。
しかし暴走した権力に対抗するにはどうしたら?
一時的な暴動なら、鎮圧されて終わりだ。それ相応の武力をもって暴力に訴えたとしたら、長い内乱になるかもしれない。自分たちが勝利者になったとしても、次は立場が反転した相手から、反乱が起きるかもしれない。いわゆる泥沼だ。
結局、私たち観客がこの映画を目にしたように、勇気を持っていつか誰かの心に届くまで、起きたことを世に訴え続けなければならないのだろう。
またはディスミュークスのように権力側とうまくつきあい、権力構造の中に自分たちが入り込んでいくしかないのかもしれない。
しかしそれには長い時間がかかるし、屈辱に耐え続けなければいけない。権力に取り込まれたと、同胞から非難を浴びるかもしれない。自分の世代では成し得ないかもしれない。未来ではその努力がおじゃんになるかもしれない。でもそれを信じて進まないと変化は訪れない。
「デトロイト」で起きたことは持つもの、持たざる者の闘争という人類史の縮図といえる。しかし結局、それは人間の根に他人への恐怖というものがあるからだ。自分がその恐怖で目がくらむ側になってはいけないと、思う。
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