婚約者の友人のレビュー・感想・評価
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オゾンっぽさを求めすぎたよくない観客です。
オゾンだからきっといつもの意地悪な感じのお話なのでは、という期待が強すぎて、あれれすごくスタンダード…と鑑賞後に感じてしまってちょっと肩透かしでした。なので、☆3。
オゾンでなければ、先入観なく見られてもうちょっとよかったかもしれません。意地悪でアクの強いオゾンが好きなのでこうなっちゃいました。
でも、よくよく考えると十分いい映画なんですよね…
オゾン作品を全部見たわけでもないので、少ない例をとって勝手に期待するといけません。
殆どモノクロ、だけど恐らく主人公アンナがときめいたり印象深かったりする場面が、突如フルカラーになります。
例えばアドリアンとお散歩していて、天然のトンネルを抜けると鮮やかな春(ですよね?)の景色が現れたり、
マネの「自殺」を前に、生きる力が沸くと語るアンナのラストショットだったり。
あとは、戦場の回想ですね。突如現れるカラー映像が確かに効果的に印象に残っています。
戦死した婚約者の墓に花を手向ける美男子がいて、どうやら死んだ婚約者の両親に会いにきたっぽい。
婚約者はパリに留学していたしきっと旧友だ!ということで、息子を殺したフランス人を憎む父を懐柔してアドリアンを迎え入れ、
息子の話を聞かせてもらい、両親もアンナも悲しみが少しだけ解れる。
アンナは何ならアドリアンに恋慕を抱きつつある雰囲気さえある。
だけど、本当は、アドリアンは婚約者を戦場で殺したフランス兵だったのです。
致し方なく殺してしまったドイツ兵の家族に許されたくって、アドリアンはアウェイの地、ドイツに来た。
事実を知ったアンナは、当然ながらアドリアンを拒絶しますが、フランツの両親には言えず、アドリアンの母急病のため急に帰国したと告げる。
色々あってアンナはアドリアンが泳いだあの湖(川?)で入水自殺を計ります。が、助けられる。
その後、アドリアンより手紙が届きます。フランツの両親への謝罪がつづられた手紙です。
アンナはそれをもやし、フランツの友人としてのアドリアンからの手紙を朗読したりして、両親をいたわります。
そんな折、前から求婚されていた男よりまた求婚されるも、アドリアンが好きなんでしょ的な後押しを両親にされ、
アドリアンを探しに今度はアンナがフランス・パリへ。
旅券を見せては、ドイツ人!?と差別され、アドリアンの気持ちがちょっとわかったりするアンナ。
どっかの食堂では軍人を見て国家を歌い出す客たちに、ぽつねん、なアンナ。この辺はオゾンらしい皮肉と受け取りました。
色々探して田舎に引っ込んだアドリアンを探し出すと婚約者がいるし、なんか家族に迷惑がられ、恋は終わる。
でも見聞を広げたアンナは強く生きて行けそうだ、みたいなお話でした。
うーんやっぱふつうにいい映画なんですよね。
でもオゾンにはもっともっとニッチで意地悪なアイロニーを欲してしまったが故に。すみません。
この世界観大好きです
男が弱々しい。
思い遣りの嘘
古典文学のような様式美香る秀作
フランソワ・オゾンもついにここまで来たか!という感じだ。宛ら古典文学のような様式美が漂う本作は、大袈裟でも何でもなくまるで「アンナ・カレーニナ」や「ジェイン・エア」などを読むかのようなクラシカルな趣で溢れ、なんだか高貴ですらある。それほどに美しい映画だった。
主人公の男アドリアンと女アンナは、まるで鏡写しのような存在だ(物語自体も、前半と後半とでまるで鏡写しのような構成で紡がれている)。終戦直後のドイツとフランスを舞台に、それぞれ異国の地へとある人を訪ねて旅に出る。そしてドイツでアドリアンはアンナにある嘘を吐く。アンナの婚約者フランツにまつわる嘘をつく。そして嘘を積み重ね、その嘘が崩れ去った後、今度は女が嘘を重ね始める。フランツの両親を思うが故の嘘か、少しでもフランツの想い出を延命させたいが故の嘘か、あるいはアドリアンへの新たなる想い故か?そしてアンナはフランスでアドリアンと会う。そしてそこで女が積み重ねた嘘の先に見えてくる真実と現実・・・。あぁなんて美しいストーリー。この物語を書いたのはトルストイだと言われても、私ならきっと信じてしまう。
映画の原題は”Franz”。戦死した婚約者の名前だ。そしてモノクロの世界の中に、まるでフランツの魂が降り立ったような時、シーンは一瞬カラーになる。夢の中でフランツを蘇らせたとき、またアドリアンの中にフランツが宿ったような時、そしてフランツが美しい思い出として気化されたとき、世界はモノクロからカラーになる。あぁなんて粋。
ラブストーリーが、ただ恋や愛の物語ではなく、戦争の狭間では運命と生命の物語だったということをこの映画に思い出させられたようでもあったし、ただただ単純に、映像の美しさ、物語の美しさ、演出の粋、古典文学のような気品に完全に魅了されていた。
フランソワ・オゾンを好きで良かったと、改めて思った。
良くこんな話を思い付くな
「好きになるってどういうこと?」は一つテーマなんだよね。婚約者を殺した人だろうが、敵国の人間だろうが、好きになるときは、好きになる。
じゃあ、それを貫けるかっていうと、社会規範が邪魔をして貫けなかったりすんの。
「敵は悪人に見えるが同じ人間」ってのもテーマだね。ドイツから見たらフランスが憎いし、フランスから見たらドイツが憎い。二つの国を行き来する主人公たちだけが、それが解んのね。相互理解しとけよってことだと思ったよ。
そして「真実を知ることに意味があるのか?」老夫婦に対して、真実を知らせてどうなんのさという。
こういうことをストーリーに載せて語ることができるフランソワ・オゾンは凄えと思ったよ。
隣国を遠く隔てる戦争の影
最後の最後に屹立するのは女性讃歌
1919年、第一次世界大戦終結後のドイツの地方都市。
婚約者のフランツを大戦で亡くしたアンナ(パウラ・ベーア)が、彼の墓参りに行くと、先に墓参した者があったらしく花が手向けられていた。
花を手向けたのはフランス人の青年アドリアン(ピエール・ニネ)。
彼の話によると、フランツとは戦前にパリで知り合ったという。
アンナは、彼をフランツの両親のもとへ案内する・・・
といったところから始まる物語で、戦争悲話の趣のあるクラシカルなストーリー。
チラシなどを読むと、エルンスト・ルビッチが1932年の監督した『私の殺した男』にフランソワ・オゾン監督は着想を得たそうだから、クラシカルな雰囲気は当然。
終盤巨大ネズミが暴れまわる初長編『ホームドラマ』や時間を遡行する辛辣なラヴストーリー『ふたりの5つの分かれ路』など斬新な映画も多く撮っているオゾン監督だけれども、オーソドックスでクラシックな映画指向も高く、時代に翻弄される女性を描いた『エンジェル』などはその代表。
そんな斬新な作品でも古典的な作品でも、オゾン作品に必ず描かれるのは、女性の強さ・したたかさ。
この映画でも、最後の最後の着地点は、そこに落ち着く。
モノクロとカラーを行きつ戻りつする語り口は流麗華麗でありながらも、安易なハッピーエンドに帰結しない物語は辛辣で底意地が悪い。
フランツとアドリアンの関係は映画半ばで明かされ、秘密と苦悩は主人公のアンナが抱え込み、少しばかり見えた希望も瞬く間に潰えてしまう。
しかし、泥の中でも咲く蓮の花のごとく、屍累々・重ね重ねた嘘の中でも女性は生きることの何かを見つけ出す。
モノクロ画面が陰鬱な生としたら、カラー画面は歓び(といっていいのかどうかわからないが)溢れる生。
カラーで写されるラストショットは、まさにオゾン監督らしい。
なお、女性に対する観方がばかりでなく、戦争の対する観方もオゾン監督は辛辣。
敗戦後、ビールジョッキを持った年老いた仲間たち(誰もがみな、息子たちを戦争で喪っている)の前で、フランツの父親が言う台詞が印象的。
「今日は何人もフランス兵を殺したといって儂たちはビールで乾杯し、今日は何人ものドイツ兵を殺したといってフランス人たちはワインで乾杯する。儂たち父親は、息子たちの死を肴にして酒を飲んでいるのだ」
あ、戦争に対する観方ではなく、男に対する観方が辛辣なのかも・・・
“ 毒 ”の抜けたオゾン。
終戦後のドイツ、フランスを背景に双方の立場で戦争の虚しさを絡めた恋愛作品。
前半のドイツではノスタルジックなモノクロの映像が、古き良きフランス映画の風合いをオゾンならではのフィルターでかもし出し美しくはあるのですが… いたって普通。
後半のフランスでも若干ドロドロして来てオゾンらしいオチを期待していたら、肩透かしな感じで終わってしまい、決してミステリーでもありませんでした。
劇場からは、(シネスイッチ銀座ということもあり)おばさま方のすすり泣く声が聞こえて、おそらく古き良きフランス映画として、オゾンを知らない方々には楽しめたのではないでしょうか。
オゾンもまるくなったというか… “ 毒 ”が抜けた感じの作品でした。
大きく深い傷
婚約者を失う、たった1人の息子を失う、大きな償いようのない罪を犯す…
戦争はそういう傷ついた人達を作りだす。
残された者も一度死んで再生していく、そんなお話なのかな。
音楽が良かった。
オゾン監督作品の中でベストかも
La Marseillaise
予告編のようなミステリーでは無い
本作のミステリー要素は導入部くらいなので、その方面を期待して見ると拍子抜けすると思います。予告動画を見ると「謎が謎を呼ぶ」とか言ってて、ちょっとミスリード予告かなと。
この映画はエルンスト・ルビッチ監督の「私の殺した男」(1932年/アメリカ)と原案を同一にする作品です。従って、「戦争の残した傷痕」「国民間の感情的なわだかまり」「戦死者に対し、誰が責を問われるべきか、その償いとは」といった主題は原作において、更には「私の殺した男」という優れた映画において充分に語られています。なので今更そういう視座でこの映画を評価してもなーという感じで、私自身は専ら映像表現と改変部分について期待して見ました。まあ結論から言うと、いまいちピンと来なかったですね。
モノクロとカラーの使い分けについても、例えば、一方を希望、一方を絶望にするとか、回想と現在、虚構と現実、戦中と戦後で分けるなど意図があるのかと思いつつ見ていましたが、特にそういった使い分けもなく、その演出意図が判然としません。もちろん綺麗は綺麗なのですが、単なるファッションでやっているなら、拍子抜けです。ストーリーの改変部分についても、どうしてこうなった・・という感じ。冷静に考えたら身勝手な男だなーって。でもまあピエール・ニネが美しいから、その辺を中心に見て、興味が湧いたなら「私の殺した男」と見比べてみるのもいいかも知れませんね。
そうそう、ピエール・ニネがヴァイオリンを弾くシーンは巧かったです。弦を押さえる左指の動かし方、ヴィブラートのかけ方がそれっぽかった。お芝居でヴァイオリンを弾くと弦を押さえる左指や、弓を持つ右手の動かし方が全然なってなくて嘘くさい感じになりがちですが、本作では割と様になってました。
敢えて、自主自立自衛
大変難しい映画だった。沢山の課題を突きつけ、見事に加害者被害者、勝者敗者、嘘真実、男女などの両面両極を描き切っている。
映像も同じように仏独、白黒カラー、自然と破壊が意図的に織り成されている。
最後は婚約者が好きだと言っていたルーブル美術館に掛かるマネの絵画を観に行く。
そして婚約者はこの絵か好きだと言う。
その瞬間に鑑賞者はこの映画の全ての場面が走馬灯のように回想し彼女の真意とその言葉を発した時のその表情を察してこの映画の評価を決める。
それが、自主自立自衛、3.5だ。
私にしては高い方だ。多くの人の4.5ではないだろうか。
何故なら、ルーブル美術館を疾走する場面が出てくる。
それは今では考えられない展示方法に名画を模写する人達、広々として延々に続く絵画の回路。
酒場で声高らかに勝者が歓喜して歌うラ マルセイーズのスタンディング。
まだまだフランスが強くて美しい時代だった。
婚約者の友人の正体
フランスで戦時中に婚約者が戦死し、ドイツの彼の実家で暮らす主人公が、亡骸の無いお墓の前で彼の友人と名乗るフランス人青年を見るところから話は始まる。
敢えて、三分に分けるなら、1部はフランス人青年と彼の父、そして婚約者との関係性の変化、
2部は、正体を知った婚約者の葛藤
3部は、婚約者がフランスに行ってフランス人青年を探し出し、その後といったところ。
1部、2部で徐々にストーリーにアクセルがついたぶん、3部が拍子抜けな展開だったかもしれない。フランス映画的ではあったが。。
ただ、全体的に、モノクロとカラーの映像を自然に切り替え、婚約者の感情を表していて、そこが新鮮に思えた。
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