「現代に通じるところがなくもない古典映画」女の一生 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
現代に通じるところがなくもない古典映画
19世紀フランス。
男爵家の一人娘ジャンヌ(ジュディット・シュムラ)は修道院で教育を受け、17歳になったある日、結婚相手として没落子爵家の息子ジュリアン(スワン・アルロー)と結婚するが、ジュリアンのジャンヌに対する愛はすぐに醒めてしまう。
ジュリアンは男爵家のメイド・ロザリ(ニナ・ミュリス)と関係を持ち、ロザリは妊娠してしまう。
が、両親や神父の説得もあり、ロザリが男爵家を出ることで、ジャンヌはジュリアンのことを許すが、それも束の間、ジュリアンは男爵家が懇意にしているフールヴィル伯爵夫人と関係を持ってしまう。
ふたりの逢瀬を目撃したジャンヌは、このことを秘密にしようかどうかと悩み、神父に告白するが、神父からは黙っていることは罪であると諭され、ふたりの仲のことを書いた手紙をフールヴィル伯爵に出し、ふたりの仲に激怒した伯爵はふたりの命を奪ってしまう・・・
というような物語で、その後、未亡人となったジャンヌは、一人息子の溺愛し、世間知らずの息子はアメリカで事業を起こすもののと次々と失敗し、その都度、ジャンヌに金を無心し、男爵家は20近くあった農場のほとんどを手放し、遂には家屋敷も失ったしまう、と展開する。
原作はフランスの文豪モーパッサンの古典的名作だが、読んだことはない。
あらすじを調べてみると、ほぼ同じだったので、原作に忠実に映画化しているのだろう。
ストーリー的にみると、これまで何度もお目にかかったような古典的な女の話なので、現代に通じるところなどなさそうなのだが、そうとも言い切れない。
主体性のない女が、いわゆるダメンズ(ダメ男)に振り回されて、どんどん不幸になる。
そういうことは、現代でもないことはないだろう。
映画に登場するダメンズといえば、ジャンヌの夫のジュリアンに、息子のポール・・・なのだが、ジャンヌの根本をつくったのは父親の男爵(ジャン=ピエール・ダルッサン)である、とみるとかなり面白い。
旧弊な貴族社会で、父や夫に服従するのが良い女性であるいわんばかりに、ジャンヌを教育していた。
当時の時代背景から考えれば当然といえば当然なのかもしれないが、理想=服従する女性。
冒頭、父男爵とともに畑仕事をするジャンヌの姿は微笑ましいが、その根っこにあるのが服従する女性であり、それが男爵夫人(ヨランド・モロー)の死の際に明らかになる。
肥って、決して美しいとは言えない男爵夫人が、かつて夫に隠れて愛人と密愛していた・・・
まぁ、深読み斜め読みなのだろうが、ここいらあたりの女性の図太さは興味深い。
そして、もうひとり図太い女性はメイドのロザリ。
男爵家を追い出された後も、しっかりと男爵から支援を受け、私生児である子どもを育てあげ、零落して孤独なジャンヌを助けるために戻ってくる。
ジャンヌから「夫を奪った、屋敷を奪った」と罵られながらも、最後には、アメリカからジャンヌの息子ポールの娘を連れ帰り、「人生って、なんだか、いいものですね」とも言う。
原題は「UNE VIE」。
女性名詞の不定冠詞が付いた「人生」。
ジャンヌの人生を指しての「あるひとりの女の人生」という意味だろうが、その陰にはロザリと男爵夫人と、生まれたばかりの孫娘の人生が隠れている。
そういう風に観ると、陰鬱一辺倒でもない映画かもしれません。
監督は『母の身終い』『ティエリー・トグルドーの憂鬱』ステファヌ・ブリゼ。
前2作は個人的には感心しなかったのだが、今回は満足。
スタンダードサイズの画面に、陰鬱といってもいいほどのジャンヌの現在の描写と、時折アクセントのように挿入される歓びに満ちた回想シーン。
ジャンヌの人生の喜びは、現在にはなく、過去にしかない、といっているようでもある。
そういう風に感じている女性は、現代でも少なくないのではなかろうか。