寝ても覚めてものレビュー・感想・評価
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すごく奇妙で引き込まれる
かなり無理のある設定ながら不思議と引き込まれていく作品。
あからさまなハッピーエンドではないが、そこがまた良い。「同じ顔の男」というファンタジーの中に、「一度壊した関係は修復されない」といった生々しさが両立する奇妙な物語。
それ故に印象に残った、のかな?
亮平の普通さがただ愛しい
ずっと観たかった作品、日本に住んでいないので映画館に行く事が叶わずDVDをようやく手に入れての鑑賞。
そこまでハードル上げての鑑賞にも関わらず、文句無しの5つ星。別に映画館にこだわる類の作品では無いけど、映画館で是非観たかった。
初見ではバクのキャラクターに惹かれていたが、時間が経つごと亮平の本当にどこにでもいそうな普通さがじわじわ愛おしい。
自分はお人好しじゃない、許さないと言いながらもやや糸も簡単に家にあげてしまう(正直女からしたらチョロい男)というどこまでも普通の感覚の持ち主。
バクの居ない時を喫茶店で消化戦のごとく過ごしてきた朝子。
バクにずっと振り回されっぱなしで結局はこういう普通の男が1番だと気づいたのだろうと朝子の突然の心変わりには共感してしまった。(あんなに待っていたわりには心変わりまでの時間がやや早過ぎでは?と思わずにはいられませんが…)
東出さんの演技は色々言われているけど、作品次第なのでは…。
不安定さ
麦みたいな男性に惹かれるけど、現実的には亮平の方が幸せになれるという恋愛の矛盾や不安定さを描いているのかなあと思いました。後半の麦の登場シーンは恋する気持ちを求める朝子の妄想かと思っていたのですが、、違ったのか。
ネタバレサイトを考える
かなり変わった風合いの作品であり、元々は鑑賞する予定もなかった。その理由は東出昌大の印象である。偏見は良くないのだが、体格として異様な程の長身と童顔、そして優等生の風味と、ヲタク気質を体よくアナウンスしているあざとさ。全方向、老若男女に愛されるキャラクターの俳優に胡散臭さをどうしても感じてしまうのだ。その優等生っぷりは、『桐島』での出演からかもしれない。
そんな作品なので観る事もないがあらすじだけは知っておこうと調べたのだが、またこのネタバレサイトも考えモノであるということが、今回鑑賞して相当思い知らされた。というのも、その某サイトでの解説が大変興味深く思わせる秀逸な文章力なのである。付合っていた男が急に目の前から消え、そして幾年かにまるでドッペルゲンガーのように顔かたちが同じの男が眼の前に現われそして付合う、しかし以前の男が急に現われ、元の鞘に戻ってしまう。と、ここまでは普通にあるラブストーリーなのだが、そこから又逃避行中に、やはり元彼から別れ、今彼に戻ろうと又考えが180度変容する、奇っ怪な構成なのである。
これは確かに面白いと思い、自分なりのイマジネーションを確かめるべく、高崎映画祭にて鑑賞した次第である。
そしてそのギャップの打ち拉がれた一番のポイントは、元彼と逃避行途中に休んだ宮城の海岸線沿いの防波堤の二人の印象である。主人公の女性は、東北大震災に対する思いが強く、ボランティア迄する程の入れ込み。片や元彼は、その間海外にいた性で日本の事情は知らないからその防波堤の思い入れもない。そのギャップに主人公は改めて一緒に手伝ってくれた今彼を思い出して本当に好きだった男は誰だったのかを理解するというシーンなのだが、これが件のネタバレサイトだともっとドラマティックに解説しているように思えて、主人公の気づきに共感性が持てる話になっていたが、しかし実際はかなり薄味のシーンなのである。ということは、自分の注目したポイントと、実際の映画のポイントが丸っきり違ってしまっている典型的な“ミスリード”を勝手に起こしてしまっていたのである。本作でのクライマックスは、戻った主人公と、裏切られた今の彼との、修復できない程の傷を果たして埋めるのかどうなのかの余韻を観客に投げかける作りなのである。そういう意味では後半というか、ストーリーの3/4を過ぎてのセンテンスの為の長い長いフリをどう感じるのかに好き嫌いがハッキリ分かれる作品なのだろう。
外野や第三者はどう見たって元の鞘には戻らない関係性を、当事者同士が乗り越える意思を貫くのかそれとも力尽きるのか、そんな人間の浅ましさを表現している部分では理解は出来るのだが、淡々とした作りに没入感が得られにくいのが残念ではある。
そもそも、自分がミスリードしていての鑑賞なのだから悪いのは鑑賞者である自分ということがダメなのだが・・・
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
過去に囚われている時点で何も変われないし、何も成長しない。目の前にある本当に大切なもの、それを大事にしないといけないのに、過去に縛られるがあまり、気付いた時には本当に大切なものを失っている。しかし、人は変われるのであり、過去と決別し、今、そして未来へと目を向けることでゆく河の流れのごとく、絶えず自分自身を成長させていくことができるのである。
話は静かに流れているが内容はとても力強い
朝子は、麦という男性を好きになる。しかし、麦は突然いなくなってしまった。
数年後、朝子麦と同じ容姿である亮介と出会い、お互い大切な存在となる。
しかし、2人の前に麦が現れ、朝子は麦に付いて行くが、最終的には、亮介の元に戻ったという内容だった。
東出あんの演技がすごかったです。麦の時は、冷たい人のように演じて、亮介の時は、温かさを感じる人のように感じました。
朝子は、すごい女性だなと思いました。麦を離さなかったら、昔の人たちとは会えなくても、いい人生があったと思うのに、それをやめてでも、亮介の元に戻るということは一番大変な道だと思います。
相当な覚悟がなかったらできないなっと思います。
許されなくても信じられなくても
上映時間5時間超えのインディーズ作品『ハッピーアワー』が高い評価を受けた濱口竜介監督の商業映画デビュー作。
『ハッピーアワー』はまだ未見でこれが初濱口作品となるが、その手腕には唸らずにはいられない。
繊細で、胸に突き刺さるほど痛々しくも、引き込まれる大人の恋愛ドラマ。
大阪で暮らす朝子は、不思議な佇まいの麦(ばく)と出会い、運命的な激しい恋に落ちる。が、ある日突然、朝子の前から麦は姿を消す…。
2年後、東京で働く朝子は、ある男性と出会う。その男性・亮介は、麦と瓜二つで…。
朝子は動揺する。
まあ、無理もない。
昔愛した人とそっくりの人。
でも、あの人じゃない。
当初は距離を置く。
が、ある事をきっかけに急接近する。
震災。
誰もが不安で、心細く、誰かの心配を気遣いながらさ迷う中、二人はお互いの無事を喜ぶかのように抱き合う。
確かに亮介は麦ではない。
でも今は、亮介に心惹かれている。
麦ではない亮介の事を。
付き合って5年。同棲もしている。
麦と付き合っていた時期より長く、深く。
そんな時朝子は、麦が世間で人気のモデルとして活躍している事を知る。
亮介に打ち明ける。きっかけを。
実は亮介は事情を知っていた。
朝子も朝子で複雑な心境だったろうが、それは亮介も。
朝子は自分ではなく、自分の外見に昔の恋人を求めたからなのではないか…?
自分が朝子の昔の恋人と瓜二つだから。
暫くは半信半疑であったろう。
が、今こうして朝子と付き合っていられるのは、そうだったから。
寧ろ、ラッキーな事ではないのか。
この時の亮介の大らかさ!
そう、亮介は優しいのだ。
麦は不思議でミステリアスだったが、亮介は一緒に居ると幸せを感じるほど優しいのだ。
亮介は、朝子が麦以上に自分の湖とを好きで居てくれていると信じている。
それは朝子とて同じ。
今は亮介が好き。堪らなく。
友達も居て、大阪時代の旧友も上京して来て、全てが充実している。
近くで麦が撮影をしている事を知った朝子は、直接会いは出来なかったが、麦への想いを断ち切った。
…筈だった。
戦慄に等しいくらいの突然か運命の残酷か、麦が朝子の前に現れる。
待っていた。一緒に行こう。麦は手を差し伸ばす。
朝子が取った行動は…。
瓜二つの男の間で揺れ動く女性の心を、不安定ながらもきめ細かく、先にも述べたが引き込ませる濱口監督の手腕は素晴らしい。
好青年とミステリアス、一人二役の東出昌大。時に演技力を叩かれる彼だが、いい作品と役に巡り会うと本当に化ける。
何処かふわふわしていて頼り無さげで、それでいて真っ直ぐ一本。唐田えりかも見事。
二人の周囲の人たちもいい味を出す。密かにご贔屓・山下リオは相変わらず魅力的だし、世話好きおばちゃん風の伊藤沙莉は辛口でシリアスな作品の中にユーモラスを加味。地方の知人のおじさん役の仲本工事などあまりに溶け込んでいて、気付かなかったほど。
これが言われる“濱口メソッド”というものか…!
麦と再会した朝子が取った行動は、あまりにも酷い。
これまで育んできた愛や友情や信頼の全てを裏切ったも同然だ。
見てるこちらさえ理解に苦しむ。
何故、あちらを選ぶ…?
やはり人は、穏やかな愛より、運命的で劇的で激しい愛の方が忘れられないものなのか…?
しかし、再会して、逃避行に等しい旅の中で、考えが変わる。
朝子自身もずっと分からないままだったのではないか。
でも、再会して、はっきりと分かった。
麦じゃないと。
朝子は戻る。
が、幾ら優しい亮介とは言え、怒りが治まる筈は無い。
辛辣な言葉を浴びせる。
それは当然だろう。それほどの裏切りをしたのだから。
その果てに、今ははっきりと言える。
私は亮介が好きだ、と。
ラストシーンは、大阪に戻る事になった亮介が、大阪で朝子と暮らす筈だった家。そこから見える川。
下見の際、澄んで見えていた川が今は淀んで見える。
でも、綺麗。
許されなくても信じられなくても。
今は。いつかは…。
恋は盲目?
主人公の考えと行動に共感ができず、不完全な気持ちで終わってしまいました。
麦の元に行ってしまってからまた婚約者のところへ戻る過程と、その行動を許す亮平の行動にもあまり納得できませんでした。
ただ半ば過ぎてからの話の進みが、すごく終わりが気になるようになっていてとても引き込まれました。
ちゃぶ台返しにも流儀はあるし、覆水は盆に返らない
ぃっ・・・?と固まって動けなかった。いや待て、このまま終われば「後味の悪い映画」として歴史に残る。と思ったら、またまたちゃぶ台返し。「許して貰えないから謝らない」は理解不能論理の番長級インパクト。映画としては丁寧な作りで感嘆するが、この脚本は頂けないです、人として。共感得た直後の裏切りが、作者の計算通りって所も透けて見えるのは、あまりにも悪質だよ。と、思いました。
脇を固める山下リオと伊藤沙莉が良くてほっとしたが、伊藤沙莉が泉ピンコ化しつつあって気分複雑。
自分が何をしているのかが分からない女。それが物語になると思った作者。定まった人格の無い主役達。連続感の欠如したお話。場面最適演出の連続。これ、脚本、途中で変えてないか?
カントクさーん。やっぱ映画にするの、無理あったと思う。
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2019/1 追記 星修正
主演女優の演技力は論外として。一つの人格に見えないってのは、もう致命的としか。
惜しかったのは「麦」の人格表現。生死感さえ希薄な、まるで向こうが透き通って見えるくらいの透明な存在。みたいなイメージなんですが、「あいつは危ない」と言う初期設定の女子が好きそうな安易な視点が×なのと、切れてスマホを投げ捨てるところが×。亮平を捨ててまでも「みんなの非難から守るための逃避行」に朝子が走る理由を、脚本が否定してるってのが惜しすぎる。このつながりの不整合なトコが、単なる腐女子の衝動的行動に見えてしまうのが惜しすぎる。
「同じ場所から違うものを見る」ラスト。「風景」を眺めて美しいと言った女。風景の一部の「川」をみて汚いと言った男。亮平と言う人間を見ている朝子と、朝子の一つの行動にとらわれてしまった亮平。と言う対比を象徴するラストとか、かなり行けてただけに、凄く残念でした。
夢と現実
獏(バク)は、夢を食う幻獣なので
誰にも捕まえることは出来ない
麦(バク)に一目で恋をした朝子は
二人の時が永くは続かないことを
どこかで感じている
バクという夢に囚われている朝子に
亮平の思いを受け入れることはできず
遠ざかろうとするが
3月11日震災の日
二人は身を寄せ合ってしまう
亮平と朝子が新しい生活を始めようとした
その時
悪夢のように
バクが朝子に手を差し伸べる
夢から覚めるために
朝子は一度
夢の中に飛び込まなくてはならなかった
北海道行きの途中
バクが車を止めた場所は
亮平と朝子がボランティアで
足を運んでいた海辺だった
海を見たかった筈のバクは
震災後の巨大な防波堤を登ることはなく
朝子は目覚め悟った
夢に別れを告げるために
ここへ来たことを
夢と現実
バクと亮平の間で
苦しみ戸惑い見失っていた自分が
何を望み誰と向き合うべきなのか
やっと気づくことが出来たのだろう
防波堤の向こうには
時には荒れ狂い
時には穏やかに凪ぐ海が広がっている
許されようと許されまいと
これから何が待ち受けていようと
亮平と共に生きることを朝子は選んだ
分かり合えることなど有り得ない
男と女の眼前には
美しいものも汚いものも飲み込んだ川が
猛るように波打っている。
~~~ ~~~ ~~~
じわじわと面白さが湧き上がってきた
上手い監督だ
また濱口監督の創り出す世界に
遊びに行きたい
あの猫、ただ者(猫?)とは思えぬ怪演
観てよかった、期待以上だった。
東出君の関西弁は朝ドラ以来。レビューにある関西弁批判は彼が戦前の関西弁を覚えたせいだろうか。
杏ちゃんファンとしては、唐田えりかとのいちゃつきにちょっと不安。
漫画原作が増えているなか、小説の映画化とあって、心理描写が面白い。写真展が終わった後、山下リオとのやりとり「場を取り繕うだけのために東出君と話していたわけではない」と。ちょっと山下リオともなんかあるのかな?と思ったのが、その後円満に瀬戸康史と。この二人のけんかの件、要らない。
韓流的記憶喪失もの?と思ったのは浅はかだった。
東出君は背が高くて唐田えりかとの身長差が画面上どうなるか。二階堂和美と長谷川博己との映画も抱き合うたびに猫背になって絵にならなかった。ここは階段を使ってクリア、と思いつつ、よく考えるとなんで非常階段から降りる?いくら出入りの業者とはいえ、普通はビル内のエレベーターを使うはず。まあ、美しいからいいけれど。
麦が再登場してからはほとんどサイコホラー。写真展で話しかけたとき顔をさわられて「(俺から逃げ回っているけれど、)よっぽど恐いわ」というセリフが思い出された。
一緒に観ていた友達は「あなたのことはそれほど」をみていたので、涼太を思い出して笑いをこらえていた。私はドラマの評判は聞いていたがみていなかったので幸い感情移入できた。
7年前に消えた前の男とのことをわざわざ「話す」とか、ほったらかしにしていた麦を選ぶとか、この女性作家は私が信じていた女性心理の常識をひっくり返した。もしかしたら原作にはもっと麦とのエピソードがあったのかもしれないけれど。小説の映画化の宿命か。
麦が唐田えりかの手を引いて駐車場を歩いているとき「俺の代わりはいくらでもいる」といって携帯を投げ壊す。亮平は麦の代わりだったのか。
仙台で海を仰いで終わるのかな?と思ったのだけれど、続きがあった。まさか仲本工事とは。無理矢理感のあった震災エピソードはこのためか。海産物のお土産は都会暮らしには多すぎて迷惑。田舎にありがち。
人工呼吸器を見たときはてっきりオートバイ事故で四肢麻痺になったのかと思ったら、なんとALS。
田中美佐子のエピソード。それが違う男だったことは秘密。それが普通だろう、と少し安心。
亮平が唐田えりかを許さないはもちろん、家に入れることすら納得がいかない。ありえない。仲本工事が正しい。
山下リオが早産だったのはあそこで転んだせい?
マナー違反
映画界はちょっと安易に煙草を使いすぎる。原作がそうなのか。無害な煙草なのかもしれないけれど、東出君が心配。
高速道路で携帯を窓から放り投げるのはひどすぎる。自分たちの命を守るためにシートベルトをしているのが釣り合いがとれない。
ビニール傘、川辺に放り投げたまま。
ポスターにもなっているセピア色の画面が印象的でした。
寝たら覚めたら
是枝監督でもなく、しかもファンでもない人気俳優が出るような邦画は普段観ないが、海外で好評みたいなのとたまたま時間が合ったので観た。
始めから4分の3くらいまでは、震災は混ざっているものの、冬ソナみたいな普通の恋愛映画。起承転結の転からが独特。田中美佐子の告白が面白い。
方言で描いたものは、標準語アクセントが混じったそれが気になってしまう。関西弁は特にそうで、「〜しといてんかー」とか日常会話で言わへんし、とか。特にヒロインの、関西弁アクセントを外さないように慎重に話すあまり棒読み、みたいなセリフ回しはどうなんだろう。なぜ関西出身の俳優を使わないのかな。関西弁の割にテンポも悪いのであまり関西弁に聞こえなかったりする。
カンヌで評価される邦画は、海外から見た日本の原風景的なショットが多いと思っていて、これもそう。あと震災ね。賢い。
なかなか
よかった。
好きな映画ライターさんが絶賛してて気になって鑑賞。
朝子の魅力にどっぷり浸かってしまいました。
私も良平だったら好きになってるな。
朝子と良平の出会いからくっつくまでの時間がホントにドキドキして久々にキュンキュンした。
どんだけぶりだろう…
あの非常階段のキスシーンはずるい
恋愛するって頭では解ってても行動が伴わない事ってあるよなーっておもった
まぁ実際は妄想で終わる人生なんだが。
あと、一番心に残った言葉はオカザキの母の
「大切なんだったら、大切にしな。それしか出来ないんだから。」的な言葉。
ずっしりきた。
最後の2人の表情ね、良平がちょっと笑みを浮かべたような気がしたが気のせいか?
許したのか、それともしてやったりだったのか、それとも。。。
理解できない
口コミが良かったので鑑賞。
自分の理解力が足りないのだろうが、
あまり良いと思わなかった。
主人公の、本能のまま動いてしまう感じは
隠れた女性の憧れを表しているとおもう
昔好きだった男に迎えにきてほしいという願望は、言わないだけでみんなある。
緊張感あふれるシーンで、伊藤さりのあるセリフに映画館がクスクスなった。伊藤さりおそるべし。
死神に魅入られた女性の話
大阪で暮らす大学生の朝子(唐田えりか)。
ある写真展で、風変わりな青年・麦(ばく・東出昌大)と出逢い、突然の恋におちる。
数か月交際したある日、麦は「靴を買いに行く」と言ったきり、朝子の前から姿を消してしまう。
失意の朝子は東京に引っ越し、2年経ったある日、麦そっくりの会社員・亮平(東出昌大・二役)と出逢う・・・
というところから始まる物語は、同じ姿かたちをした男性ふたりの間で揺れ動く女性の心を繊細に描く映画・・・と想像したけれども、はじまってすぐにそんな普通の恋愛映画じゃないな、という予感が走る。
とにかく、麦の行動の様子が尋常でない。
この世の者とは思えない。
ひとめ惚れで恋におちた朝子もヘンな感じがする(台詞が棒読みなので、ただの下手っぴいにしか見えないかもしれないが)。
で、ふたりで出かけたオートバイ旅行で、事故に遭って・・・
と、この事故のシーンのカット割りと、その後、事故では何でもなかったと続くあたりで、ははんと気づいた。
これは、「恋」という名の死神に魅入られた女性の話なのだ、と。
姿を消す前に麦は、「必ず朝ちゃんのもとへ帰ってくるから」と言い遺すのは、「死神」が「どこそこの街で必ず待っている」と告げる外国の古い話にソックリ。
死神は去って、生きている男性・亮平と出逢った朝子は、彼と距離を置こうとする。
またもや死神かもしれないから。
しかし、そこへ訪れる大震災。
それは、生と死のはざまであり、朝子は「生」の側に傾き、幸せな生活を送るが、やがて、約束どおり「死神」は帰って来、朝子は死の国へ連れていかれそうになる・・・
震災を、その被災地を生と死のはざまとして描き、両側を堤防が経つ賽の河原で、朝子は生の世界に戻ってくるが、一度(比喩的に)死んだ身の朝子と、生き続けていた亮平との間は、この後うまくいくかどうかはわからない・・・
そんな内容の映画。
そう感じて、総毛立ちました。
終盤、驟雨の中での朝子と亮平の追いかけあいのシーン。
横移動で駆けるふたりをそれぞれとらえたあと、ふたりが点景になるまでロングで引いたシーン、追いかけるふたりの周囲は黒雲の下で陰になっており、手前は明るく陽が差している・・・
このロングショット!
こんなショット、狙ってもなかなか撮れない、奇跡のようなシーンです。
恋愛映画のジャンルを超えた、別のジャンルの映画を観たように感じました。
現代の民話
本作は、まるで民話のような手触りの作品でした。妖怪が出てきてリアリティラインは低めですが、内容は結構リアルで、モヤった終わり方も民話っぽいです。
物の怪に魅入られて自らも物の怪になった娘と、その物の怪娘を愛してしまった男の悲劇、といったところでしょうか。
今回は感想文というより、民話っぽくアレンジしたあらすじを記してみました。
【ガチの完全ネタバレです】
3人いる主人公のうち、麦は完全に異界の住人、物の怪です。人間ではない。恋の象徴的存在にも見えます。また、「魔がさす」「逢魔が時」の『魔』の象徴とも言えそうです。現実を狂わせ、陶酔させる強烈なパワーを持った存在。
そして恋の物の怪・麦に魅入られるのがぼんやり娘・朝子です。朝子は若く、まだこの世に自分を位置づけることができていない様子であります。フワフワと根付けずに生きる朝子は、簡単に異界のパワーに巻き込まれます。
物の怪と結ばれた朝子は異界の者となりますが、もともと人間だし、物の怪・麦も突如いなくなるので、半人半怪の状態で現世に舞い戻り、以前のようにこの世を彷徨います。
ここで、普通の人間・亮平が登場。亮平はたまたま麦に似ていたのが運のつきであり、半分物の怪の朝子に麦の代理として魅入られてしまいます。亮平も単身上京して慣れない仕事に苦戦している状態でしたので、運悪く物の怪にひっかかってしまいました。
とはいえ、朝子は人間との関係に違和感を覚えたのか、亮平との関係を終わらせようとします。しかし、ここで震災に遭遇。日常が非日常と化し、磁場が崩れたのか、亮平と朝子は人間と物の怪の壁を越えて結ばれてしまいました。このシーンは、実に不気味でした。ちょっと背中に冷たいものが走りましたね。
その後、6年くらい2人はともに過ごします。朝子ももともと人間なので、ボランティアで自分探しするなど、ここで人間に戻ろうとしている様子が窺えます。朝子はこの世に自分を位置づけることができれば、つまり「何者か」になれれば、この世に根ざすことができ、人間に戻れるのです。そして人間として亮平と結ばれることができるのです。大阪に行ったときに「こっちに戻ってきたら仕事しようかな」とのつぶやきは、あと一歩で人間に戻れそうなことを示しているように感じました。
しかし!ここで物の怪・麦が再登場。麦のパワーは凄まじく、一瞬で朝子を亮平のもとから連れ去ります。亮平は一生モノのトラウマを背負ってしまいました。
とはいえ、朝子も半分人間ですし、やはりこの世で築きあげた亮平との6年間の関係は大きく、「私は人間として生きる!」と宣言して(そんなセリフないけど)、麦と決別して亮平のもとへ向かう朝子。
亮平は当然朝子を許さないながらも、家に入れ、ともに川を眺めます。「汚い」と吐き捨てる亮平と、「きれい」と言う朝子でした…
まぁ本作は、朝子というアイデンティティーの定まらない人間にとっての恋と愛の物語だったと思います。
不安定が故に、恋に溺れて抜け出せず、愛を築いても土台がグラグラしていてすぐに壊れる。
亮平との相性もよくなかった。大人と子どものカップルで、最初から違和感がありました。本来ならば結ばれない2人だったと思います。麦と再会するまでの5〜6年で、彼女が何者にもなれなかった理由は、麦との断絶のトラウマが彼女の成長を阻んだのかもしれません。確かなものなどない、そんな諦めや虚しさが、彼女の根底にあったのかもしれません。トラウマを受けたものが今度はトラウマを与える側になるのは、大いなる皮肉に感じました。
朝子はこの大事故を経て、本当の意味で痛みを知れたのではないでしょうか。正直、取り返しはつかないでしょうが、これを機に夢から覚めて、何者かになっていってほしいと切に願います。
作中において朝子は成長できませんでしたが、成長を示唆する終わり方だったと思います。
亮平はただただ運が悪かったという印象。しかし、亮平は初めから違和感を覚えていたとのこと。この違和感って大事だな、と感じました。我々も生活において違和感に鋭敏になっておくことで、不要なトラブルを避けられるかもしれません。
演出と脚本の妙
2度鑑賞。
冒頭の麦と出会うシーンは原作のイメージ通りだけど、双子の絵画を見た後に爆竹… 少し…
比喩でしょうか? 棒読みを徹底して抑制を聞かせているので、そこも見応えある演出になっていた。
それ以外は、監督がドキュメンタリーも撮られれている被災地に車で行く下りは、異常に地元のおじさんたちがリアリティあるので、役者陣との対比が凄かった。
被災地は今回の映画では…とも思いました。少しマッチしていない気がしました。マッチというか、やりきれていない分、こちら側もどう受け止めていいのか?が。
それ以外は、見事な演出と編集とで見応えを感じました。
ありがとうございました
心ゆさぶられる
唐田えりかさん!
演じる清楚でおとなしめ、芯が通っている役柄に魅了されました。
麦と付き合いだしたのも、亮平と付き合いだしたのも、東北ボランティア始めたのも、あれもこれも、実行するきっかけが作られてしまい、心のままにやりたいことをやっただけなんだろうなー。
防波堤により引き返す、というのもいい演出。
伊藤沙莉の最後のLINEも良かった。
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