寝ても覚めてものレビュー・感想・評価
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今作は東出と唐田の熱愛を知らない状態で観たかった。 麦と朝子のキス...
今作は東出と唐田の熱愛を知らない状態で観たかった。
麦と朝子のキスシーンなんか演技じゃない生々しさを感じてしまった笑
元カレへの未練たらたらで逃げるかのように地元を離れたのにも関わらず、元カレと見た目がそっくりな男と出会ってしまう。避けようとしても惹かれてしまう。
しかし、性格は真反対。絶対今彼の方が誠実で朝子思いでいい。中盤までこんなハッピー展開いいの?と思いながら見ていたらだんだんと不穏な感じに。
朝子の心理はぶっ飛びすぎで終盤にかけての行動には度肝を抜かれる。が、麦と出会ってしまったのが運の尽き。麦の勝手に離れては悪びれもなく戻ってくる天性の人たらしさ。これに抗うことはできなかったのだろう。
ラストのシーン。川の氾濫を2人とも真っ直ぐ見ている。
2人の今後の波乱を描いているのかなと思うが、紆余曲折経て前のような関係には戻れないが、2人で生きていく決意にも感じ取れた。
東出はもう亮平のような人の良い好青年を演じることはないだろう。自然な感じで良かったが、やはり東出は麦の方が合っている。あの長身から発せられるつかみどころのない感じと棒読み感が不信感を煽る。があの感じが自分本位で寧ろ純粋に感じてそこが魅力なのかなぁ。
清々しく、ドロドロしたあまのがわ
前情報もなんの期待もなく見始めましたが、とても面白かったです。そう感じるのは主に次の二点からだと思います。
①物語が淡々と進んでいく…と思ったらラストで大きく変化していく物語。「ピンクとグレー」を観たときのような衝撃があったこと
②描写が細かいというか…さらっとした会話が後々とても重要な意味を持つことが何度もありました。どのシーンもムダがなくて、どの役者さんにも感情移入しまくりです。
バクを好きになってしまう…、あると思う。朝子なりの恋愛のツボにハマったの。理由はわかわからないけど、夢中になる感じ。
東出さんと瀬戸さんが外階段でタバコを吸うシーン。これもさりげなくあとに繋がります。
亮平が、バクと似ていると言われて、朝子のことを察していたことをさらっと表現したことも、本当にさらっとすぎて絶妙でした。
伊藤さんが、バクに住所を教えたということ。
伊藤さんなら、こうなると思っていた…とまさにその通りで、人の運命を狂わすことをしちゃって!!なんだけど。外ロケで偶然見かけた時にちゃんと話をできなかった朝子を思って、病気を患っている伊藤さん(役名忘れた)は、朝子に後悔のない人生を送ってほしかったのかも。運命が変わったとしても、それは本人の選択だしね。
ほんとにいろんなことがあちこちさりげなく、あとからつながってくる。
亮平は、朝子のことを信じてたし大切に思ってる心の広い人だった。お好み焼きパーティーをするときの串橋のトラブルでうまく場を収めた亮平の人柄は本当に素敵な男性。そんな亮平を…(T_T)
そんな亮平でも朝子を信じられなくなる、追い払いたくなる、よっぽどだよね(T_T)
寝ても覚めても、というタイトルと、朝子という名前がとてもマッチしてる。バク、というからにはバクが夢の方の話なのかな。どちらも現実だけど、バクを好きになること、翻弄されることは本当に夢みたい。
ところで、私は関西出身じゃないけど、東出さんと唐田えりかさんの関西弁は無理があるように聞こえました。
東日本大震災や、難病の友人が出てくることで、物語が現実のどこかで起こっているんじゃないかと思えました。
長くなるのでやめます…とても丁寧に描かれた作品だと思います。
東出さんがよかった
リバイバル上映で観た『ドライブ・マイ・カー』で初めて濱口竜介監督を知って、非常に興味深い作品を創り出す監督さんだと今更ながら過去作品に臨んでみました。うん、やっぱり凄い監督、脚本家さんだと改めて思いました。
初監督作品なんですね。封切り当時、結構話題になってたみたいですが何故かスルーしていました。「実はこの頃から注目していた、これから目が離せない監督なんだよ!」なんてかっこつけて語りたいところですが、全くノーマークでした。
串橋(瀬戸康史さん)とマヤ(山下リオさん)の最初の演劇論での衝突から仲が深まる流れは想定できましたが、ヒロイン朝子(唐田えりさん)の行動にはどうしても納得がいかないし、感情移入できませんでした。主役に感情移入できない作品はあまり良い評価できないんですがこの作品は少し違ってました。
東出昌大さん演じる亮平と麦の二役がそれぞれ葛藤する(のは亮平だけかも)姿を見事に演じ分けられてました。(ただの『ボクちゃん』じゃなかったんだ!?)同じ川の流れを見ながら全く反対の感じ方をする2人の言葉がとても象徴的ですね。またしても渡辺大知さんと伊藤沙莉という素晴らしい役者さんたちに脇をガッチリ固めとてもいい味出されてました。
『ドライブ・マイ・カー』を観てからの遡っての鑑賞なので先入観なしとは言えませんが(再びいいますが)凄い監督さんが出てきたものです。
まだまだ若い濱口監督作品のこれからの活躍が楽しみでなりません。
アカデミー賞おめでとうございます!(願望での妄想発言です。お許しください。)
同じものをこれからずっと視ていく大人の愛をイメージさせる斬新なカッコいいラスト
原作は読んでおらず、あくまで映画だけを見た上でのレビュー。
今まで見たことが無い新鮮で、苦味も伴う、恋心を通じて二人が大人となる素敵な恋愛映画で、珠玉のとても愛しい映画という思いが残った。
そして、夢の様な恋に憧れ溺れた朝子(唐田えりか)が、現実的な愛に目覚め能動的に行動出来る女性に成長する物語。イプセン「野鴨」の辛い現実を知る悲劇をベースに、社会性も織り込み、愛する人間の過ちを何とかそんまま包容し克服し、前に進もうとする亮平(東出昌大)の物語でもある。
ドライブ・マイ・カーの滝口竜介監督による2018年公開の日仏制作映画。原作は芥川賞受賞作家の柴崎友香、脚本は2007年城戸賞の田中幸子と滝口監督、撮影は佐々木靖之、編集は山崎梓、音楽はtofubeats。配給がビターズエンドとエレファントハウス。
出演は、東出昌大、唐田えりか、瀬戸康史、山下リオ、伊藤沙莉、渡辺大知、仲本工事、田中美佐子ら。
まず、俳優が真っ直ぐにこちらを見るカメラワークが印象的であった。映画の中で2回登場の視線が刺さる様な牛腸茂雄の人物写真の構図と同じだ。ごくごく普通のヒトに見える最初の方の朝子と、亮平への愛を自覚してから津波のあった東北の海に向かう朝子、唐田えりかの凛とした美しさの対比が絶妙であった。据えられたカメラは、朝子のみならず、映画での演技を通して唐田自身の成長をも映し出している様にも思え、その二重性に惹きつけられてしまった。
麦と朝子の友人の岡崎(渡辺大知)がALSになってしまう設定は、視ることによるコミュニケーションの力、即ち映画を通しての作り手と観客の間の以心伝心の力への信頼を強調する意味あいからということか。実際に、岡崎は視線の動きだけで急な雨を朝子に伝え、朝子はそれを分かり行動した。
それから、瀬戸康史と山下リオの揉めごとを上手に捌く等、平凡ながらも頼りにはなるビジネスマンの亮平、乙女の夢を喰って生きてる様な実在感が乏しい俳優でモデルの麦、その二役を演じ分けた東出の演技と、二人の違いを上手く描出した脚本が、素晴らしい。
そして、長時間運転で疲れた亮平の足裏や背中を揉みながら「亮平のことめちゃ好き。どうしたらいいかわからんくらい」と吐露し、更に元カレの存在を好意的に考えると言う康平に真っ直ぐにハグする唐田。その姿は、少なくとも演技しているとは思えない迫真さを見せ、とてもとても可愛いかった。
劇場での地震の後、倒れてしまった「野鴨」の看板を横向きに立てかける亮平。これから野鴨をモチーフにした新しいドラマを見せていくという監督の意志宣言か。知的にさりげなく主張する監督に感心させられる。
震災後5年も同居していたのに朝子は、亮平の制止も聞かず、突然現れた元カレの麦(東出昌大の二役)と共に、夢見る様に北海道へ向かう。しかし、震災後に亮平と二人で通った思い出の仙台の手前、津波対策の防波堤が見える海のそばで目が覚める。
「ねえこの向こう本当に海なの?」「知らなかった?」「うん」。彼女は悟る、かけがえの無い場所と時間を共にした本当に大切なヒトの存在を。ここからリズムが変わって、亮平のもとにしっかりと自分自身の力で帰る朝子の映像の流れが、とても素敵で好きだ。大阪へ向かう夜行バスで見せる愛を再発見した彼女が見せる息を飲むような美しさが、とても素晴らしかった。
最後、「俺はきっと一生お前のこと信じへんのや」と言い、朝子と一生これから付き合っていく決意を告げる亮平。冷たい言葉の裏に、深い大きな愛があるセリフで痺れてしまった。
二人で一緒に水量を増した川を見て、「きったない川やで」言う亮平、「でも綺麗」と言う朝子、感じ方はそれぞれだが同じものをこれからずっと視ていく大人の愛をイメージさせる斬新なカッコいい終わり方であった。続くtofubeatsによる色々あるが二人の愛の途切れない強い流れを歌い上げた歌詞と相まって、大きな感動を覚えた。
個人的に主人公嫌い
最後の方、ものすごくもやっとする。主人公が不思議ちゃんで、何考えてるのか分かりにくいし、共感できないからしんどいのか。
りょーへいは、誠実で優しいし、共感もできるキャラクターだから、ラストずっとりょーへいに共感してイライラモヤモヤ。
ふざけんな!ってなるよそりゃ。
はーしんどい。
って思いながら観終わったけど、皆さんのレビュー見てたら絶賛されている方もいたり、かたや私のように思う方もいたり、賛否が割れるその理由を考えたりコメント読み比べるのは面白いです。笑
幼稚なひと
そっくりな顔の人を好きになる。二人の彼とのきっかけも彼女の方から。唐突に聞くから変な人と思われる。興味を持つと逃げる。逃げると追いかけたくなる心理的には。それとももて遊んでいるの(意識的にやっていないとしたら怖い)
何故。
今の彼のいる前で元カレに付いていくのか。今の彼を捨てて行ってしまう彼女のきもちが理解出来ない。そして付いて行ったのに途中で今の彼のところに帰る。理解できない。(戻るなら行かなきゃいいのに)と思った
唐田えりかの話し方が文章を読んでいるかの様で幼い印象を受けた。(演出なのかも知れないが)今の彼に出会って成長したと言っていたけど 本当に ?
彼にいつまでもお前のことは信用できない。と言われて。わかってるって言ってたけど本当にわかってるの。わかっていたら戻って来れないと思う。そこが……
ちょっと腹が立った
猫か、人か。映画にしたら面白いのはどっちだ?
写真展で見かけた男についていき、いきなりキスされたらされるまま。で、恋に落ちて、落ちたかと思えば男はふらっといなくなり、かと思えば、容姿がそっくりというだけの男をまた好きになり。
確かに、一目惚れっていうのはあるけれど、本当に愛するというのは相手の内面と通じ合うものが感じられてこそ。朝子には、内面が見えてこない。心が通い合う気配が感じられない。人という生き物は、心でつながるものではないのか、などとツラツラ考えるうち、ふと合点がいった。
この監督さん、猫を描きたかったのではないのか。朝子も、麦も、猫。内面があるかないかわからない存在。気ままに突然いなくなったり、無表情でつかみどころがないか、とおもいきやデレデレする生き物。
亮平が飼っている猫が繰り返しアップになるのは、意味あることのようにも思えてくる。最後、亮平が猫を捨てていなかったのは、朝子を捨てていないことのメタファーか。
という解釈もできないわけではない濱口竜介監督、カンヌで賞をもらったので見させてもらったけど、猫の映画にはどうも興味が持てなかった、という次第です。
美しく深い映画。唐田には不思議な魅力がある。
久しぶりに、映画を見て感動した。同じように感動した人が多いのだろうと思って、レビューを読んだら愕然。同じ映画を見て、ここまで受け止め方が違うとは・・・。
朝子を、「ホラー」だとか「怖い」、「性悪女」と評価する人は、この映画を誤解していると思う。朝子ほど、純粋な子はいない。麦と出会って、いきなり唇を奪われる。おそらく、朝子のファーストキスだったはず。一瞬にして恋に落ちて、そして麦は去っていく。「必ず帰ってくるよ」という無責任な言葉を残して・・・。朝子は純粋だからこそ、その後、何年も麦を待ち続けることになる。
亮平との関係がぎこちないのも、朝子が麦の言葉に縛られていたからだ。亮平が麦とは別人であることを意識する度に、亮平を避けようとする。「夢の世界の麦」と「現実の世界の亮平」は、見た目はそっくりでも、朝子にとっては別人なのである。それでも、被災地支援をする過程で、朝子は徐々に亮平の内面に惹かれていく。しかし、亮平の内面の美しさは、皮肉にも、「夢の世界の麦」を美化することにもつながる。
朝子が、亮平ではなく、麦を選んだのは、朝子が「性悪女」だからではない。「純粋」だからこその必然であった。しかし、東北の海岸で、ようやく夢から覚めることになる。防波堤の向こう側の海の存在を知らなかった麦に「軽薄さ」を感じる。同時に、亮平というかけがえのない人を失ったことに気付いた瞬間でもあった。
川辺沿いに、亮平を追いかける朝子に、日が差していく場面が美しい。二人の将来を暗示している。「一生、お前を信じることができない」という亮平の言葉は、「それでもよいのなら、もう一度、やり直そう」という朝子へのメッセージでもあった。亮平の怒っている姿は、目の前の濁流とシンクロする。そして、朝子は、濁流を見て「美しい」とつぶやく。川の流れが途絶えることがないように、二人の愛は続いていく。
想像と違った
もっとぼやっとした夢物語かと思いきや、案に相違して現実の話だった。
麦がいなくなった原因の説明がなかったので ああ死んだのだな と思っていたら世界を放浪していたという。二人乗りバイク事故の場面が前半にあったのでそれが兆しと受け取っていた。
死に別れなら主人公朝子が麦の面影を求めてしまう気持ちは理解できるが、自分に断りもなく失踪した男だったとしたら、怒りしかないのでは?と共感できなかった。
自由奔放な麦をずっと追っていたのか。
5年間付き合ってきた恋人の亮平や友人の目の前で麦の手を取り走り去った朝子。今までの展開が淡々としていたので、すごい事になったなと気分が盛り上がった。
しかし冷静に考えれば突然いなくなった麦がこれからも朝子の傍にいるとは思えず、朝子が麦と再び別れたのは納得できた。
宮城の仮設住宅の、朝子に旅費を貸したおじさんが「許してもらえないよ」の言葉には深く同意。
恋人であったが亮平の方が朝子を思う気持ちが強かったように見え、気持ちのバランスが違い過ぎると残酷だ。
亮平とこれからどういった生活が始まるのだろう?
最初の引き込まれる感じはいい
が、最後はどうして
戻ったのかよく理解できなかったが、
レビューをよんでいると
なんとなく理解できた
感情のままに呪われたように動いたが
冷静になって戻ってきたというところだろうか
はじめはテンポもよく惹きつけられる
見せ方や音響も初めての感覚
ぎこちない関西弁もなんとか聞いていれる
恋愛って一瞬の呪いだなと感じた
誰かに勧めるほどではないが
面白かった
んーー。
不倫確定後に見てしまったため、定期的にそれがチラついて仕方なかったですが、作品的に見ても、なんだか、んーなんだかでした。
私には合わない作品でしたので、見る人により考えさせられる作品なのかと思いました。
結局中身っていうより顔ですか?の瞬間よくありました。
中身が違う人間だけど、顔が同じで好きになる。
面影から好きになった人ですが、なんか、定期的にん?みたいな気持ちになるし、なんか不思議な映画でした。
東出さんの演技はいつも同じに見えてしまいます。
なんだか偏ったクセ強めな映画な気持ちでした。
前半よかった!
5年後、となる前。亮平と付き合うまでの
時間が少しのドキドキを与えてくれました!
後半、バクの去り際があまりにもあっさりしてて
なんというか、、、がっくし、となりました(笑)
映像や主演2人の周り、特にオカダとハルノ最高の演技でした.+:。ヾ
不倫騒動は関係なく・・・面白くなかった
確かに映像だけは面白いし、仰天展開に唖然とさせるテクニックは凄い。ただ、ストーリーで、その降りる場所を宮城県にしたことだけが納得いかない。これは明らかに朝子の作戦。ちょっとだけ元カレとだなんて、ケンカを売ってるようなものだし、ボランティアで行ってた場所で、やっぱり帰る~となれば、単に懐かしさの一時的な浮気を堂々とやっちまっただけ。
実際、1年付き合っただけの男と後の5年間付き合った男で比重がどうだろう?って、やっぱり最近の男、しかも顔が一緒の長期間の方を選ぶと思いたい。下手すると、モデル・俳優になっちまった元カレを独占できる虚栄心が原因とも取られかねない。許せないわけじゃないけど、それなら今カレの元に戻る心理状態が理解できなかった・・・
演技の点でいえば、東出の二役は見事だったと思うけど、唐田の棒読みはダメだなぁ。一番盛り上がったのはマヤとクッシーを交えた演劇論罵倒合戦だった。また、劇場での暗闇地震は、電気が点くまでは演出だと思ってた。
んー。ビミョーん
これどんな層に受けたのかなあ。
この後亮平は今までの徹底した優しさは失い穏やかな人柄の下でちくちくちくちく女に当たるようになるとしか思えない。
そして10年後に女がヒステリックに叫ぶセリフ「そんなにあたしが許せない?そんなにあたしか憎い?」
亮平の言葉をそのまんま贈ります。「あー今見えてもうたわ。そんな未来嫌やろ?」
そんなわけで、1日で気が変わって戻ったとはいえ、異質で気持ち悪い過去に半年ちょっと付き合ってた今は芸能人の変人男に5年以上同棲してたイケメンリーマン捨ててついてくアホ女もまあそりゃいるだろうけどだから?何がしたい映画なのかな。
猫のジンたんとその扱われ方が可愛すぎて最後まで見たから星2つ。マヤと亮平が必要なときに的確な言葉で必要なことが言える素晴らしい友達想いな人たちでそれらのシーンが爽快だったからあと半個。その分ますますヒロインの鬱陶しさが際立ったが。映画でははっきり言わないがこの女5年間無職プー太郎で同棲相手に養ってもらってたんだよね?扶養手当もないのに気の毒に。
何故かどうしても映画じゃなくて登場人物のレビューのようになっちゃって申し訳ないがまとめると再び、で、何がしたい映画なんだ?ってことです。
信濃八田郎さんの言ってたカンヌでフランス人記者がしたという「日本の男は本当にこの程度のことでそんなに怒るの?」という質問が一番面白かった。
朝子は「追いかけたい人」だったんだと思う。
亮平と朝子が並んでベランダに立って、その先にある河を眺めている。
亮平は「汚い河だな」と言い、
朝子は「でも、綺麗。」とつぶやく。
ラストシーンのセリフはこんなカンジ。
同じ「河」に対しての2人の見方は違うのか。そもそも映画的にはこの「河」って何なのか?主題歌のタイトルが『RIVER』ともいうだけに、この物語に対して河は大きな意味を持つようだ。
じゃあ、この「河」を目的地として、まずは本作『寝ても覚めても』というタイトルから考えてみようかな。
言わずもがな、「寝ても東出昌大、覚めても東出昌大」という意味だと思う。寝たり覚めたりするのは朝子なので、この映画は朝子の物語だ。「寝ても覚めても」を「夢と現実」、もしくは「理想と現実」と言い換えてみると、「理想の東出昌大と現実の東出昌大」の話となって、二役に当てはめてみれば「朝子にとって理想の鳥居麦と、現実の丸子亮平」の話ということになるんじゃないかなと思う。
「朝子が何を考えているのか、その行動原理がわからない」というようなコメントを目にしたけど、そもそも恋愛において、ちゃんとした行動原理で行動できることのほうが少ないものだと思う。それが苦しくもあり楽しくもあるのが恋というものなんだろう。当事者にだってわからないものを、相手方や第三者がわかろうとするのは難しい。だからそういうわからないところもひっくるめて相手を受け入れていくっていうのが、恋から愛へのステップだということも、よく語られることだ。
でも僕は、本作の朝子については、わりと理解しやすいというか、一貫した心の流れがあったように思えた。もちろんそれはただ僕が、わかったような気になりたいだけなのかもしれないけれど。
朝子はたぶん、「追いかけられて追いつかれるのではく、追いかけて追いつきたいスタイルの人」なんじゃないかなと思うんだ。これは僕がラジオ版で話したところの、「自分 “が” 100%で好きな相手と、自分 “を” 100%で好きになってくれる相手と、どっちを選択するか?」という問いに基づく考えになるのかな。僕はもう恋愛について考える際に、「マウントを取る/取られる」というモノサシで測るクセをいいかげん卒業しなきゃと思ってはいるんだけど、本作の朝子についてはそのモノサシを使うと理解できるような気がしてる。
朝子にとっては、
「ふんわりと逃げてしまいそうな鳥居麦を追いかける恋が理想」であることに対して、
「しっかりと追いかけてくる丸子亮平を受け入れる恋の現実」が苦しかったんじゃないかなと思う。
無条件に人を愛することって、なかなかスゴいことのように思えるけど、実は迷う必要がない分、楽しくて甘美だとも思う。
逆に無条件に人に愛されるのって、かなり嬉しいことのように思えるけど、ホントは自分の悪いところや醜いところを無視されているようで、けっこうしんどいんだと思う。
自分を無条件に愛してくれる人を愛し返したはいいけど、自分の悪いところや醜いところに相手が気づいたとき、自分が嫌われてしまいそうで怖いって、朝子はずっと迷ってたんじゃないかな。
丸子亮平はホントいいヤツ。朝子のことを本当に愛している、ように見える。でも「朝子が鳥居麦を好きだという負い目を踏まえて愛してくれてる」わけではない。だって朝子は話してないからね。で、話してみたら「自分が鳥居麦に似てたから朝子と付き合えたと考えれば、それはラッキーだ」と言う。大したモンだと思う、なかなかそんなふうには言えないよ。でもね、やっぱ負い目だと思ってる朝子にしてみれば、それは丸子亮平のやせ我慢で、朝子の負い目から目を背けてるだけかもって、考えちゃったんじゃないかな。朝子としては、自分の負い目に正面からぶつかって、爆発させて、消化して、その上で許されるところから、朝子と亮平の関係は初めて始まるって思ってたんだと思う。
鳥居麦がどういう人間か。それは実は朝子にとっても観客にとっても、どうでもよかったんだと思う。あれは恋に対する夢とか理想に、手足が生えて服を着てるだけの存在だったような気がする。鳥居麦が幻想的な人物だったのではなくて、鳥居麦に幻想を重ねていただけで充分だったというか、幻想を担わせる人物としてちょうどいいタイプだったというか。そういう、「人間」というよりは「概念」みたいな存在だったんじゃないかな。余談だけど、僕にとっても初恋の人は、もはや「人間」じゃなくて「概念」になってる笑。だから何年離れていても、ずっと好きなの、人間じゃなくて、概念だから。
でも、そんな鳥居麦が、人間という実体をもって、自分の前に現れちゃった。そりゃあとりあえずはテンション上がっちゃうでしょうよ。
あのレストランで鳥居麦の手を取って飛び出したのは、出来事としてはショッキングだけど、あんなの、出会い頭の交通事故で、事故の瞬間に運転手がハンドルを右に切ったか左に切ったかの違いに過ぎないと僕は思う(暴論?)。僕はあのレストランで暴かれたのは、「朝子の刹那的な愚かさ」なんじゃなくて「亮平、やっぱ朝子のこと受け入れ切れてなかったじゃん」ということなんだと思う。「ああ、そりゃあ丸子亮平だって、ああいう目するよね。」っていう。
そんなこんながあって、鳥居麦の運転する車は仙台に停まり、朝子はそこで鳥居麦と別れることにする。ここも「いったいなんやねん!」とか「コロコロ気が変わるやっちゃな!!」とか、朝子嫌われポイントになってる意見も目にするけど、ここで変わったのは朝子の気持ちじゃなくて、「鳥居麦が朝子を追いかける側」に変わってたってこと。そして「朝子が丸子亮平を追いかけるべき立場」に変わってたってことなんじゃないかなと僕は思ってる。
おそらく丸子亮平はその時、朝子の負い目に初めて正面から向き合って(向き合わされて)、爆発してる。鳥居麦は過去から自分を追いかけてきたけど、自分が未来に向かって丸子亮平を追いかけていける立場になった。そしてそんな丸子亮平に追いついて許してもらえたなら、その時にはもう鳥居麦への理想も丸子亮平への愛情に昇華されているはず。そこには友人たちの理解や応援や手助けはない。ようやく朝子は丸子亮平に対して、全力で無条件に愛せるようになったんだということ。
川沿いの道を走って逃げる亮平と、追いかける朝子。二人を照らす日差しが奇跡的な俯瞰のショットは邦画史に残る名場面だと思うけど、ようやく朝子は丸子亮平に追いかけられるんじゃなくて、亮平を追いかけられるようになった。そういう象徴的な場面としても素晴らしかった。
かくして朝子は亮平に追いついて、ベランダに並んで立つ。向き合う段階を過ぎて、同じ方向を見つめるというスタンスで並んで立つ。二人の目に映っているのは、これからの人生を暗喩する意味での「河」なのだろう。それはかつて亮平にとっては、自分を脅かすことのない、景色としての河だった。でも何かの拍子に増水すれば、自分が巻き込まれることもある、理不尽や矛盾や不信が渦巻く濁流になり得る河である。「汚い河だな」というセリフには、そういう想いが込められているのだろう。
朝子にとっては、その濁流が、理不尽や矛盾や不信を抱えて流れつつも、河が流れ続ける限り、それが日々の河の営みだと思えるのだろうし、いつかは濁りも流れ去ってまた穏やかな河になる未来が見えているのかもしれない。それを指して「でも、綺麗。」とつぶやいたのだと僕は思いたい。
朝子が「理想」にケリをつけて、「現実」を掴み取ろうとした話。結論としてはそんなシンプルな話なのかなとも言えると思う。
鳥居麦か、丸子亮平か。どちらが恋の正解なのかと問われれば、「両方と別れて新しい恋を探す」のが、僕は正解だと思う。でも、そのどちらであっても、自分が選んだことを正解にしていくこと、それが愛なんだと僕は思う。
ていうかね、男と女が共に生きていく河なんて、そもそも濁流なんだと思うよ。
感情没入不可
脚本の暴走がすごい、書き込みひとつひとつが足りてないように感じる。風景描写などは秀逸だが、中身が追いつかず設定も曖昧なまま全てのシーンを無理やり撮っている感じが強い。
特に、後半仙台に向かう瞬間の心情からの急転直下を説明しろとは言わないが、心の葛藤や変化を描写して欲しかった。世界観に入り込んでない中では女優がただ淡々と我儘な存在の不快な存在にしかならない。
凄い、凄い、凄い!!!
恋愛映画は得意ジャンルでない俺でもわかる。これは、傑作だよ。
中盤のあるシーンでの亮平と朝子の会話。「窓から天の川が見えますよ。淀川の支流です」「亮平、私、ここ好き。もっと好きになりそう」
(「きれいな川だね」「ほんと」という会話をしてたと思い込んでたけど
朝子は、『間違いではないことをしたい』という思いから、震災被害の東北を毎月ボランティア訪問してきた。つまり、彼女の心の奥では、そっくりな亮平と付き合っていることは、正しくないことに位置付けられていた。
亮平は、麦の存在を知って以降は、朝子にいつかは去られるかも知れないと感じながら、つきあっていた。
ふたりは、あんなに幸せそうに付き合っていたのに…
そして朝子は麦に会う。一度は避けた朝子だが、再度の出会いでは自分の心に気づき、亮平の目の前から去る。それは、観ている我々にもそれこそ衝撃の展開。そして…
終盤でのあるシーン。再び亮平と朝子の会話。
「(雨で)水嵩が増してる。汚い川だな」「でも、きれい」
この(序盤のシーンとの)対比の見事さ!
お互いに麦の存在に気づきながら、二人ともそのことを心にしまっていた当時(序盤)。心のままに従ったとは言いながら、手ひどい裏切りとも言える行為を行った朝子と、受けた亮平。とくに亮平のもとを一旦は去った朝子は、自らをきれいな流れには例えない。(終盤)しかし、今の方が心から亮平を好きだと言える。汚く見える流れだが、きれいな流れだ。いや、汚く見える流れだからこそ、いろんな気持ちを織り交ぜて流れている川だからこそ、きれいな流れだと今は思える…
ううむ。終わってみれば、ラストに向かって一貫したストーリー。しかし実際に観ている間は、特に後半は、予断を許さない展開が次々と続き、あっという間にエンディングになだれ込む。
それはもう見事な映画でした。
おまけ1
タイトルは「寝ても覚めても」(誰々を愛する) ではなく、「寝たら覚めたら」(その度に心は移ろう)だよね。それが前提だからこそ、今この時の気持ちは尊い。みんなも是非、堪能して!
おまけ2
「万引き家族」がカンヌを取らなかったら、これが日本アカデミー賞だったのだろうなあ。
おまけ3
ネタバレなしでレビューできなかったことはとても残念
-------2020/1/26追記
主演二人の不倫が発覚して、意外なところでまたクローズアップされそう。ただ、この映画が「あの、不倫に繋がった映画ね」という評価だけになってしまうのは、あまりにも惜しいです。
-------2023/4/20追記
Amazonで再び観た。
そうか。高速で、東北での麦との会話で、「あれ、亮平と違う」と感じた朝子。そこで自分が好きなのは「麦に似ている亮平」ではなく「麦ではない亮平」だと気づいたんだな。2回観て初めて気づいた。
初回は、レストランから去って「驚き」、東北で引き返して、さらに「驚き^2」と、正直、驚いてるだけで精一杯だったからなあ。
引き込まれた
私ならあの場面で麦の手は取らない。
でも「あの時あの人について行ってたら…」と考え続けそう。
表面上だけ仲のいい夫婦でいられれば亮平はそれで幸せだったのかな。
朝子はどうなんだろう。
二人はあのあとどう暮らしていったのかな。
分かってしまう
麦のような男を何人か見たことある。フワフワしてて掴み所が無くて自由人。すごーくモテるけど、好きになる女のコはだいたい不幸そう。
亮平と付き合って、彼のことが好きなのは本当だけど、亮平が好きなのか麦の面影を追ってるだけなのか分からなくて、そんな時ひょっこり帰ってきた麦について行ってしまうのもダメだけど分かっちゃう。
東出くんカッコいいので、それだけでも見た甲斐あったけど、なんだか友だちの恋愛話を聞いてるような映画でした。
嫌悪感抱く人と、楽しめる人、分かれる映画かも。
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