立ち去った女 : 映画評論・批評
2017年10月3日更新
2017年10月14日よりシアター・イメージフォーラムほかにてロードショー
尋常ならざる時間感覚とイメージの魔力に圧倒される破格の復讐劇
冤罪によって30年間もの刑務所暮らしを強いられた初老の女性が、人生のすべてを破壊した元恋人への復讐を決意する。殺伐としたクライム・スリラーか、はたまた女の情念を主題にしたメロドラマを連想させるプロットだが、本編が3時間48分となると単純な復讐劇のはずもなく、まるで中身の予想がつかなくなる。それほど破格の時間を費やして、いったい何をどのように描いた映画なのか。5~6時間の長さは当たり前という超長尺の作家ゆえに、これまで東京国際映画祭などで紹介されるにとどまっていたフィリピンの鬼才ラヴ・ディアス、初の劇場公開作だ。
同国で誘拐事件が多発した1997年を起点とする本作は、無実が証明されて出所した元教師の主人公ホラシアが、かつての自宅に立ち寄ったのち、憎き元恋人ロドリゴが住む街へとたどり着くまでを、厳密な固定カメラの長回しショットを連ねて映し出す。そこでホラシアはロドリゴの情報を収集し、彼の行動パターンを探るのだが、ここから映画は復讐劇の定型を緩やかかつ大胆に、驚くべきスケールで逸脱していく。
アヒルの卵を売る男、ホームレスの女、男娼。これら貧困や孤独にあえぐ見知らぬ人々と出会ったホラシアは、大富豪であるロドリゴへの殺しの機会をうかがいながら、社会的弱者に無償の救いの手を差し伸べるという相反する行動を取り始める。複数の偽名を使い分け、昼と夜では別人のような姿でスクリーンを徘徊する彼女は、自分でも気づかぬうちに不条理な矛盾に満ちたこの世の迷宮にさまよい込み、聖と俗のふたつに分裂していくかのようだ。やがてホラシアが街を“立ち去る”までの長い軌跡を凝視し続ける映像世界には、復讐か赦しかという二者択一のテーマを超越した不可解さ、怪しさが渦巻くとともに、慈悲や魂の救済といった深遠な主題が浮かび上がってくる。
クローズアップや説明的な描写を排除し、フォーカスもコントラストも鮮明なモノクロのヴィジュアルは、とりわけ夜間シーンに絶大な魔力的効果を発揮する。闇夜をさまよう幽霊のごとく忽然と路上に出現した男娼が狂ったように舞い踊り、その場にぐにゃりと崩れゆく奇怪な光景を、観る者に“目撃”させるショットの強烈さ! 時間感覚もイメージも尋常ではないこの映画は、ひょっとすると全編が神の視線で撮られたのではないか。そんな途方もない畏怖の念すら抱かされる衝撃作である。
(高橋諭治)