女は二度決断するのレビュー・感想・評価
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秀逸な邦題
ネオナチに家族を殺された白人女性の物語。司法でさばけない変わりに彼女がくだす決断が賛否を呼ぶ作品だろうし、監督もそれを狙っているのだろう。しかし、ただの復讐ものかというとそうではない。
シンプルな復讐劇なら、「二度」の決断は必要ない。推定無罪の原則の限界を感じる主人公がただネオナチを殺せばよかった。反対に葛藤の末、赦す展開だったらどうだろうか。行儀の良い話にはなるだろう。しかし現実は赦しに満ちていない。この映画は、二度の決断があるから非凡なものになった。一度目と二度目の決断の間の「逡巡」には、単純な怒りだけでも、寛容な赦しとも言えない大変に複雑な感情が宿っている。
一度目の決断を翻す瞬間のカットは、脚本段階にはなく、撮影中の偶然を利用したそうだ。その後台詞のない主人公の逡巡が続く。この逡巡の後の二度目の決断は一度目とは変化している。
その変化になにを見るか。新聞記事や論説のように割り切れない感情がこの映画には溢れている。その感情を無視しては、世界の問題の何も解決できないだろう。
ドイツの名匠とダイアン・クルーガーが生み出した究極のヒロイン像に圧倒される
今やドイツを代表する映画監督にまで昇りつめた存在、ファティ・アキン。トルコ系の彼の作品は、いつも単一の国家や人種にとどまらず、その境界線を果敢に突き崩すパンクな精神を覗かせる。かつてと同様、「愛する者の死」といったテーマに真っ向から挑み、それをこれまでのようなミニマリズムではなく、大きな川の流れのように骨太に描き出したのが本作だ。題材は数十年も前にドイツ国内で多発したという爆破テロ事件。異なるものを暴力的な手段で排斥しようとする風潮は現代世界と似ている。まさかこれほどつながってくるとはアキン監督自身が驚いたのではないか。そこに生まれた残骸と亡骸の間を、涙も枯れたヒロインがいく。彼女には絶望から這い上がり、法廷に挑み、悪を見極め、さらにその先にある決着へと自らを向かわせる孤独な戦いがある。その魂はパンキッシュで、ハードボイルド。この役を逞しく生き抜いたダイアン・クルーガーに心底圧倒された。
怒り、悲しみ、憤り、やり場のない思いは復讐へ向かう
爆破テロで夫と幼い息子を失ったカティヤ(ダイアン・クルーガー)は、
裁判を通して犯人たちに行き場のない怒りを覚える。
映画は3章に分かれています。
①家族(爆破テロの起こり)
②正義(ほぼ裁判シーンです)
③海(犯人カップルが海辺に停めているキャンピングカー)
特に②の裁判シーンは腑が煮え返りました。
犯人たちは、カティヤの欠点を執拗に追求します。
事件後の悲しみのあまり、ドラッグに手を出したこと。
(犯人の女を目撃した証言に信憑性がないと責め立てるのです)
そして夫のヌーリが大麻の取引で刑務所に4年間服役した事実を
突いて来て、ヌーリに責任があるかのように貶めます。
何より酷いのは偽証と証拠のでっち上げ。
犯人たちは犯行当日、ギリシャのホテルに宿泊していた。
だからアリバイがある・・・ギリシャのネオナチの党首が偽証
するのです。
裁判とは酷いものです。
被害者の傷口に手を入れて引っ掻き回すようなもの。
そして無罪判決がおります。
カティヤは一人でギリシャのホテルを訪ねます。
ネオナチの男が車で追いかけて来ます。
物陰に隠れて、車を追うと、犯人カップルは海辺のキャンピングカーで
のんびりと寛いでいました。
控訴を奨める弁護士のダニーロ。
しかしカティヤの下した二度の決断とは?
犯人を爆破して殺すこと。
そして自分もその爆破で死ぬこと。
でしょうか?
この映画は実話に基づき、移民たちがネオナチの爆破テロで
9人亡くなった事件。
ドイツ警察の戦後最大の失態と言われる
ネオナチによる連続テロ事件。
初動操作の遅れから10年以上も逮捕が遅れ、その間に、
犯人は殺人やテロ、強盗を繰り返した。
監督のファティ・アキン自身もトルコにルーツを持つ人。
監督の強い思いが込められている。
タトゥーの結婚指輪
この映画をやっと見ることができた。映画館で見るチャンスが今後あったら逃さないようにしたい。
クルーガーがドイツ映画、それもファティ・アキン監督の映画でカンヌ主演女優賞を受賞したのはとても嬉しかったろう!私も嬉しい。それに値する映画だと思った。
監督らしい世界で雰囲気で音楽で笑えるところもあったし。でも辛かった。推定無罪はカティヤ(クルーガー)に酷だ。でも証拠不十分で不自然で捏造しまくりによる冤罪よりずっといい。それを受け入れるカティヤはドイツ人だと思った。
彼女のお気に入りのタトゥー、サムライは三船敏郎だろう。それに赤の色を入れた。事件後、生理が止まっていた分の血を入れたみたいだ。ソーシャル・メディアを阿呆のように使う元・被告人カップル。おめでたい。家族と過ごした海辺のバカンス風景の動画をスマホで何度も見るカティヤ。「ママも来て!」と夫と息子に呼ばれている。撮影している彼女は紫外線防止クリームを塗ったばかりだから行けないよー、と答えている。その愛する二人のところに行くよ!生理も来て体も戻ったしね!
AfDがどんどん支持されているドイツ、特に旧東ドイツの状況を思う。ドイツばかりでなくフランスもイタリアもどこでも同様だ。だからこの映画は「政治的でなさすぎる」とも批評されたようだ。ドイツらしい。けれども学校(ギムナジウム以上だろう)の倫理なり宗教なりの科目でこの映画は教材として使われてもいるらしい。若い時から考え続けること、問題意識を持つこと、そのための材料を整えることは教育や研究や芸術の分野の仕事で16各州に委ねられている。その文化主権(高権)は州にあり国家は首を突っ込むことができないようになっている。
海をバックにした最後のシーン、配信で見てたから声をあげて泣くことができた。これが家で映画を見るメリットのひとつかな。
クルーガーの一人芝居を観ているかのよう
ドイツ映画というのは、そんなに観たわけではないけど、独特の暗い雰囲気がある重厚さが特徴だよね。リアリティ重視というのかな。そういうテーマの作品ばかり観ているというのもあるだろうけどね。
そんな雰囲気の中で、喜び、悲しみ、絶望、そして決断と、様々な感情の変化を演じきったダイアン・クルーガーの演技は圧巻だよね。
彼女はイングロリアスバスターズの辺りではそこそこ名前も売れてたしハリウッドでブレイクするかなと思っていたけど、そうはならなくて、少し残念に思うと同時に忘れかけていて久しぶりに見たのだけれど、元々持っていた陰りのある雰囲気が、本作の雰囲気と絶妙にマッチしていて、相乗効果が凄いよね。昆布と鰹節のダシみたいな。
そのクルーガーが演じた主人公について、彼女のマイナス面が感情移入の妨げになるというレビューを読んだ。気持ちはわかるけど、この映画が真に巧妙なところは、被害者家族が100パーセント善良ではないところにあると思うんだ。
映画の最後にも出るけれど、本作のモチーフになった事件のこととか、その根底にある移民問題とか、そこまで詳しいわけではないのであまり大きいことは言えないけれど、ここ数年でドイツが抱えている社会問題を絶妙なバランスで描き出してることにあると思うのね。
極端な話をすれば、主人公が絶対的に善良で可哀想だとせずに、場合によっては加害者側の気持ちも分かるよねという余裕を持たせている。今回はヒトラー崇拝者だから、彼らに肩入れする要素はないのだけれど、ドイツの国内問題に照らし合わせると深い闇が浮かび上がるんだな。
とは言っても三部構成からなる本作の第二部がドイツの社会問題パートで、最終の第三部では、もっと主人公カティヤと家族に焦点を絞ったヒューマンサスペンスに様変わりする。
様変わりといってもストーリーは続いているので表面的に変化はなくテーマだけがヌルリと変わる。般若の面みたいな。
第三部のタイトルが「海」で、何で海?と思ったけれど、監督で脚本のファティ・アキンは、ここでも上手いこと仕掛けてきたよね。もちろん全体的にも巧妙に仕組まれているのだけれど、ラストシーンで全てが収束していく感じが特に素晴らしいよね。物語は終わったが問題は逆に拡散する的な小憎らしさもあるしね。
まとめとしては、社会派ドラマの要素を内包したヒューマンサスペンスで、見応え十分な秀作だと思う。ちょっと作品の背景を調べたりして「帰って来たヒトラー」あたりの作品と一緒に観たらより面白いかもしれない。
何が言いたいのかよく分からん
移民問題とかテロの話は日本人には全く無縁だ。少なくとも私には無縁だ。だからこの監督が何を言いたいのか全くピンとこない。普段から移民やテロに対して何らかの強い感情を持っていない人にはわからない映画だと思う。そしてよその国の人々にそれが伝わるような描きかたはされていなかったし、できていなかったと思う。この作品に高得点を付けている日本人がいるとしたら、分からないことをわかったつもりになるのはやめた方が良いと言っておきたい。たぶんここで言いたいことは映画での形として語るよりもドキュメンタリーにしたほうがよく伝わると思う。
従って私の付ける点数としては純粋に映画作品としての評価として0.5点。 ドイツ人がテロに対してどういう感情を抱いているか・・それはおそらく深くて強くて複雑なものなのだろう・・私には全く分からなかった。社会問題を作っているように見せかけて実はエンターテイメントがやりたかったけれども、どちらとしても失敗している・・そういう作品になってしまっている。
公正で力強い司法の大切さ
カティヤ・シェケルジ(ダイアン・クルーガー)が、結局そういう結末を選択したのは、裁判所の態度があいまいだったからではないのだろうか。公正な司法・力強い司法が、社会生活にいかに重要であるかを物語る。Cinema de 刑事訴訟法としても好個の一本。
切なく、重い作品。決断の末にあるものは?
どんよりとした内容の作品。
まあそれは見る前からわかってはいたのですが、昔に見た「ブレイブ・ワン」って映画はジョディ・フォスターが暴れてたなーw
とか思い出しながらみてましたがw
ダイアン・クルーガーの演技が半端ないです。
人を失った時の喪失感等は失った人しかわからないだろうが、スクリーンからそれがひしひしと伝わってくる。
確かにネオナチのニュースは一昔前に結構やってた気がするが、排他的な思想は到底理解できない。
またカティアの痛みは非常に理解できるし、自分の家族に置き換えてみるとまるで身を削られているようでしんどかった。
自分の中で自殺は選択肢としてないので(その時になればかわるのか、、?)そこは共感できなかったが、法で裁けない時は一体どうしたらいいのか?
現代の日本にもつながるこのテーマも合わせて考えてしまった。
「復讐には意味がない」や「死んだ遺族は望んでいない」と言った意見が多くあり、一定の理解ができるのだがはたして当事者になったときに同じ思想でいることができるのだろうか?
自分はどうしてもできないし、同じことを相手にしてしまえばいいとも思ってしまう。恐ろしい思想かもしれないが、家族が死んでしまっているのにのうのうと砂浜をランニングしているのを見ていることはできないだろう。
ウクライナが侵略され、日本も緊張感が高まっているが、平和な世界にはならないのだろうか?
それだけで無駄な不安や心配が一つ減るのに、、、。
映画としても非常に考えさせられる作品でした。
ゆけゆけ二度目の妻
仮に父親が生き残っていたら、「こんな茶番、蹴散らかすわ」。『イン・ザ・ベッドルーム』のトムウィルキンソンのように、子供を奪われた呪いは老若関係なく壮絶。
クルド人家庭に生まれたトルコ出身の夫が、テロで極右のネオナチの犠牲となる。なぜ彼は殺されないといけなかったか、麻薬のトラブルだけではない移民問題が作中通底している。てか標的にされたのかたまたま犠牲になったのか、見終わったあとあれ?とどちらか分からなくなった。
二度目の決断の表情がよかった。この邦題はみなさんがいうほど悪くはなかったと思います。
物語の世界に入ったかの様に女を見守る感覚
個人評価:4.3
切なく身体が痛くなる。心理描写がとても丁寧で、ひとつひとつのシーンに力がある。ファティ・アキンという監督の描く物語と登場人物に引き込まれていく。後半はまるで物語の世界に入ったかの様に女の行動を近くで見守る感覚になる。
魂を揺さぶる名作だと思う。
タイトルなし
レビューを見て、一度目の決断から二度目の決断に至るまでのダイアン・クルーガーの逡巡になるほどと思わないわけではないが、やはり裁判をやらず、自らも犯人と自爆するラストの迎え方は嫌だった日
ハリウッドに対するアンチテーゼ、ですね。
人間、たとえ最愛の夫と息子を惨殺されても、アメリカ映画のように簡単には「復讐に燃える」、なんてことはできないものです。
物理的にも、また心理的にも、たった一人だけ、この世に取り残された彼女の心の揺れ動くさまを追体験するのがこの映画の目的だと思いますが、それが狙いなら100%成功していると言えるでしょう。
ストーリーは「あらすじ」に記されている通りです。
もっとも、最後の揺れ動く心の振幅の大きさは、これぞ「生身の人間」と感じるものでした。
そういうわけで、結局のところ、女性の中にある「男性には分からない部分」に関する映画なのかも知れません。
それを追体験できたのは映画の力なのでしょうけどね。
この決断しかなかったのか。
とても面白かった。
獄中結婚から始まり、
数年が経ち子どもを旦那に預け友達とリフレッシュ、
何気ない日常もネオナチによるテロ後に伏線となって
効いて来て、
最初から最後まで目が離せなかった。
前半は家族を亡くした悲しみがこれでもかと言うくらい
見せ、
中盤は裁判もの。どっちに転ぶ分からない展開で
これも面白かった。
後半は二度目の決断になるのだけど、
決断と躊躇の間の主人公も苦しいけどずっと見てられる。
ネオナチで家族を失った女性の所謂鬱映画だけど、
ダイアンクルーガーの演技が素晴らしいので、ただ暗くなるだけじゃなくて、応援する気持ちにもなれる。
しかし、友だちも居て、親身になってくれる弁護士もいて
立ち直れそうな雰囲気もあるけど…のラスト。
これで良かったのかもしれないと思わせるのが
テロの恐ろしいところだと感じました。
テロは何も生まない。
ドイツの映画、っていう質感
あらすじだけで言い表せばシンプルな話になるが、感情の起伏や登場人物の輪郭を描写を丁寧に描写するとこんな作品になるのかと改めて映像の力を思った。
ドイツ映画という偏見からかもしれないけど、全編を通じて質感が無機質な印象。それは良くないということでなくて、この映画の個性として感じられた。
妙に現実的で悲観的な作品
突然にして夫と息子を失い、さらに不条理な現実が覆い被さる… そんな悲劇に見舞われた一人の女性の行き末を描いた作品です。
終始寂しげで哀しみなトーンで規律されており、孤独な女性をもの静かに色濃く映し出していました。カティヤの人物像も割とはっきりしていて、自分の感情を貫き通すような強さが印象的でした。でもその気の強さは決して精神的な強さではなく、酷く荒んで傷ついた心をストレートに映し出しています。だからこそ、最終的には苦難を乗り越えて希望を見出していく、などというありがちな展開ではなく、悲観的な結末に行き着いたのだと思えます。私個人としてあまり納得できませんでしたが、これもこれでリアルに深い哀しみを映した物語として味わうことができるのではないでしょうか、、、 邦題にあるように、ラストで二度決断したのも、妙に現実的な描写です。
失望の末の復讐劇
ダイアンクルーガーのかっこいいポスターとキャッチーな邦題でつい観賞。
まず坊主憎けりゃ袈裟まで憎いじゃないけど、ナチス憎い人はネオナチも憎いんでしょう。現代に置き換えてネオナチに対する復讐劇です。
もう一つ過去に犯罪を犯したり犯罪者が身内でいたりしたり、社会的に差別を受けてる移民だったりすると勝てる裁判も勝てなかったりする。主人公カティアの夫はトルコ系移民子宝にも恵まれ幸せな日々を送っていた。ある日爆破テロで愛する夫と子供を失う。ネオナチの犯行であったが裁判ではトルコ系移民であるがために不利をうけネオナチの容疑者は無罪となる。カティアは失望の果てに最後の復讐に走る。各国様々だが移民は裁判で不利をうけるケースは散見される。よくできた作品だがそこまではまらなかったかな。
まぁ二度決断してたけど、、、、
「女と言う意味じゃねーよな〜これじゃ💦」とツッコミを入れたくなる作品。
トルコ出身の旦那と息子を爆弾テロにて殺された奥さんの話。犯人が見つかり裁判するわ、その後の後半もありはするのだが、期待する割には前半から盛り上がらない。
それは、序盤からテロ爆破現場&瞬間も映像で語らず、「はい!事件終わりました〜‼️」的な低予算的展開だから。
ドイツ映画だって事途中から思い出したわ💦
その後はテンション下がったまま鑑賞。
中盤も「口達者な犯人弁護人が1人いるな」ぐらい。
脚本的に被害者的心理(身体の不調など含めて)など面白味があるものの、低予算が足引っ張っている感あり。
「最後はシュールなコントか?」
最後にお金使ったとしても、あまり私には響かなかった。
響いたのは主人公の演技力だけかな💧
そういやヒュンダイの車久しぶりに観ました。
砂浜近くを走ってたので、意外にも馬力あるんだなと。
(昔のトップギア、韓国車紹介編を観ていた人間にはそう感じます)
女は二度決断する。そして私は、
自分の家族の命を奪われた!
犯人が憎い!!
でも現代の法治社会では、罪人を裁くのは司法の役目。だからちゃんと法に訴えた。
でもその裁判で犯人が無罪になっちゃった!
さあ、主人公はどんな決断をする???
ざっくりそういう映画。
現実ならツラすぎるけど、映画の話としてはありがちっちゃあ、ありがち。
でもガッツリ見応えある映画になってるのは、主演のダイアン・クルーガーという女優さんが、すっごく深みのある演技をしてるのが良いんだと思います。
ダイアン・クルーガーの演じる「悲しい」が、うるさくなく、汚くなく、高い純度で「悲しい」のです。僕にはそう感じられました。
でも、ダイアン・クルーガーの演技から「怒り」を感じ取る人もいるでしょう。
「怒りの話」として観るか、「悲しみの話」として観るかで、作品の後味もだいぶ人によって違うんでしょうね。
主人公はどんな決断をしたのか?
どんな決断をしても失われた命は元に戻らないので、その決断というのは100%「自分がどう折り合いをつけるか」という問題です。言い方を変えると、「どうしたら自分の気が済むのか」ということですね。
「復讐したって、死んだ夫は帰ってこないんだぞ!」とか、
「天国にいる君の子どもは、復讐なんて望んでいないよ!」とか、
んなこたどーでもいいのです。夫や子どもを失った“私の心は”どうすればいいの?ってことだと思うんです。主語が違う。「べき論」も「正論」も届かない。
この映画は、「主人公はどんな決断をしたのか?」が論点になる映画だと思います。
「ボクは仕方がないと思うなぁ」とか、
「ワタシは共感できないわ」とか、
そういう話ができる映画ですし、そういう話が僕も誰かとしてみたい。
でもたぶん、主語が違う。
主人公は、そういう決断をしたんだな。と、その「悲しい」もしくは「怒り」を思いやることくらいなんだろうなと思いましたね。
ある母の復讐劇
テロリストに家族を殺され復讐する映画と言ってしまっては身も蓋もなかろう。
監督の友人家族が実際にNSUのテロで殺されており社会問題として描きたかったと思われる、従ってリベンジ・アクション・エンターテインメントと期待して観ると裏切られる。
主人公はタトーだらけで薬もやるし夫婦そろっていわくつきに描くから同情の度合いにバイアスがかかる。テロリストも狂信的思想に染まっているとはいえ普通の若夫婦にしか見えない描き方、これはある意味NSUのリアルな側面なのだろう。
悲しみに暮れる主人公や家族の描写を延々見せられるのは辛い上に有利と見せてひっくり返す理不尽な裁判結果、とことん焦らすプロットには失望を禁じ得ない。残酷さを訴えたいのだろうが息子の死体検分調書を事細かに読み上げるシーン、ここまでやる必然性が分からなかったがラストまで来て悲しい結末への誘いと理解した。これはある種ドキュメンタリーとしてみないといけないのだろうが、であれば敬遠していたかもしれない。
共感はできない
まずは主人公の演技力が圧巻。
たぶん初めて見た女優さんだけど、他の出演作もチェックせねば。
物語は3部構成になっていて、その最終章のモチーフが海。
人類が共有する“資源”を象徴するような、ボーダーの曖昧さを象徴するような。
人には勧めないだろうけど、良い映画だった。
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