いつも心はジャイアント : 映画評論・批評
2017年8月8日更新
2017年8月19日より新宿シネマカリテほかにてロードショー
シビアな現実と闘う不自由さを抱えた肉体に、限りなく自由な魂が宿る
頭蓋骨が変形する難病を患って生まれたリカルド(クリスティアン・アンドレン)は、スウェーデンのグループホームで暮らしている。彼の出産後に精神のバランスを崩した母親は、別の施設で引きこもり生活を送っている。リカルドの望みは母と一緒に暮らすことだが、実現は不可能だ。どんなに願っても、頑張っても、変えようのないシビアな現実。それを、リカルドがいかにして突破していくかが、この映画の核心だ。
ペタンク(2015年版「HERO」に登場した頭脳派球技)の名手であるリカルドは、30歳の誕生日に、大会で得たトロフィーと自分で描いた絵を持って母親に会いに行く。自転車をぶっ飛ばし、施設の職員をぶっちぎって母の部屋の前にたどり着くリカルドの凛々しさ! そして、続く郵便受けごしの面会の切なさ。母の部屋には、これまでリカルドが持って来たと思しきトロフィーと絵がたくさん飾ってある。母もリカルドを愛しているのだ。それなのに一緒にいられない2人。現実のどうしようもなさが身に染みる名場面だ。
現実的に母といられないリカルドは、空想の力を借りて母に近づく。ガリバーのような巨人になり、野を越え、山を越え、街を越えて進む。巨人は無敵のシンボル。そして、母に寄せる思いの強さの象徴でもあるのだろう。この巨人が登場するファンタジー場面の牧歌的な夕景を通して、ヨハネス・ニホルム監督は、不自由さを抱えたリカルドの肉体に、限りなく自由な魂が宿っていることを強く印象づける。
難病のせいで言葉を上手に発音できないリカルドは、ペタンクの相棒から「誕生日に何が欲しい?」と聞かれたとき、懸命に「スッギ」と繰り返す。劇中、「スッギ」の意味は明らかにされないが、リカルドが切望しているものであることは伝わってくる。それはいったい何なのか? リカルドの豊かなイマジネーションに対抗できるだけの想像力を見る側が持ち合わせているか、試される映画だ。
(矢崎由紀子)