「100%の正義なんてない。だから・・・。」検察側の罪人 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
100%の正義なんてない。だから・・・。
しかしまあ濃い映画だ。原田監督ならではの厚みがある。キャスティングも監督の好みが出ていて、とくに丹野を演じる平岳大の存在感が抜群で、彼のエピソードがあるおかげで映画の筋に悪を憎む正義感の太い柱が立っている。そのせいでぎゅうぎゅうに詰め込みすぎの感も否めないのだが、丹野がいるといないとでは、最上(木村拓哉)があれほど執拗に松倉に粘着する理由も説得力が薄れてしまうのだから致し方ないところだろう。
その最上。個人的には、その行動を容認できない。なぜならば、人を裁くのは人ではなく法であるからだ。最上自身が研修生に説いていたように、強すぎる正義感はその形をゆがめるのだ。そして危険なことに本人がそのことに気づかない。「正義のために」の信念が、犯罪へと変貌することに躊躇がなくなるから怖い。だから、法があるのだ。
じゃあ、最上が行った行為はいっさい許されないのか?それとも、どこまでかは許されるのか?諏訪部(松重豊)との接触までか?別件逮捕までか?過去の事件の代わりに犯人に仕立て上げることはどうか?まさか、最後の制裁でさえ許されるべきというのか?改めていうが、人を裁くのは法であり、人はそれを運用するに過ぎない。たとえその悪人が犯した罪が明るみになったところで、それを法に照らしたうえで罪に問えないのであれば、無罪放免となるのが実状であり、それが「正義」となる。白川(山崎努)の捨て台詞は、まさにそれを憎む態度なのだろう。そして沖野も、それをわかったうえでジレンマに苦悶するからこそ、最上との別れ際にやるせない雄叫びを上げたのだ。
さてあのあと、沖野はどうするのか。最上は何を企んでいるのか。余韻はどしんと重い錨のように心に落ちてくる。僕は、めちゃくちゃブルージーな曲がバックに流れるエンドロールを見送りながら、大きくゆっくりと息を吐いていた。