ボブという名の猫 幸せのハイタッチのレビュー・感想・評価
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単なるネコ映画じゃなく、良質な音楽映画でもある
イギリスで大ブームを巻き起こした、野良猫"ボブ"とホームレスのミュージシャンの奇跡の物語。原作はジェームズ・ボーエン本人が著した「ボブという名のストリート・キャット」と、その続編「ボブがくれた世界 ぼくらの小さな冒険」。
ノンフィクション書籍になったとたん、本国イギリスで100万部、世界30カ国ではシリーズ2冊が計1,000万部を越えた世界的ベストセラ―となった。日本でもフジテレビの「奇跡体験! アンビリバボー」で2013年に再現ドラマ化されている。
ロンドンでプロミュージシャンを目指していたジェームズは、夢を実現できないばかりか、ホームレス状態で薬物依存の生活を送っていた。そんな彼のもとに迷い込んできた野良猫。足をケガしていた猫を、ジェームズは動物病院に連れていき、なけなしの金をはたいて看病する。
"ボブ"ど名付けた猫と行動するうちに愛着がわき、それと同時に、"茶毛の猫を連れたストリート・ミュージシャン"という形で注目を集めるようになる。しかしそこから起きるトラブルの連続。苦難に遭っても二人の絆はますます強くなっていき、ついにジェームズは"ボブ"のため薬物依存からも脱却しようと奮起する。
本の大ヒットのおかげで、ホームレスを卒業し億万長者になったジェームズは、日本でいうなら「ホームレス中学生」(2008)みたいなミラクルな話だ。お笑い芸人の(ほとんど)フィクションだったハナシと違うのは、ジェームズと"ボブ"の当時の活動は、多くのファンによる目撃談やSNS動画などで記録されており、リアルなノンフィクションである。
この映画がひと味違うのは、主人公がストリート・ミュージシャンであることを利用して、主人公の境遇とシンクロする歌詞のオリジナル楽曲を全編で用意していること。
ここはジェームズ本人の曲を使うわけではなく(だって売れないミュージシャンだったわけだし)、UKのフォークバンド"ノア・アンド・ザ・ホエール(Noah And The Whale)" のチャーリー・フィンクのオリジナル楽曲を、主演のルーク・トレッダウェイが弾き語りで唄う。「Don’t Give Up」、「Satellite Moments」、「You Need This in Your Life」、「Somewhere on the Avenue」など、シンプルだけれど、力強いメッセージ性があって心に訴えかけてくる。さらに歌曲以外の映画音楽も、オーストラリアの作曲家デヴィッド・ハーシュフェルダーが担当している。
原作をなぞった単なるサクセスストーリーではなく、ちょっとした音楽映画に昇華させているのだ。鑑賞後、サウンドトラック・アルバムを聴きたくなる。
もちろん猫好きには、ストレートにグッとくる映画になっている。なんといってもヤバいのは、本人というかボブ(猫)自らが出演していること。
邦題にも使われている、ジェームズと"ハイタッチ"する様子や、愛らしい仕草がたくさん見られる。エンドクレジットを見ると5~6匹の猫が使われているようだが、猫好きが観れば、どのシーンがボブ本人かわかるのだろうか?
(2017/8/27 /新宿ピカデリー/シネスコ/字幕:横井和子)
ボブが素晴らしい!
同名のタイトル原作本が世界28国で翻訳紹介されてベストセラーを記録している。日本でも愛読されているそうだが、全然知らなかった。ボブと名付けた野良猫に出会ったジェームス ボーエンというストリートミュージシャンが、猫と暮らすうちヘロイン中毒から立ち直ることができたという実話を、映画化したもの。
ストーリーは
ジェームスはオーストラリア生まれだが、父の再婚を機会にロンドンに移って来た。プロのミュージシャンを目指していたが、うまくいかず、父の再婚相手とも良い関係を築けない。家にいたたまれず家出、学校も放校となる。ドロップアウトの終着駅、ヘロイン中毒者となり、住むところも失い、コペントガーデンでギターを弾いて、その日暮らしをしていた。お金がたまるとつい薬を打つ。何度目かの過剰投与で死にかかって病院に送られたあと、ソーシャルワーカーの計らいで、古いアパートを提供され、メサドンプログラムを始める。
アパート生活が始まって、ある日、大きな傷をうけた茶色の猫を保護する。彼は有り金を全部はたいて、猫の治療をしてもらい、猫と一緒に生活を始める。動物病院の看護婦とも仲良くなって友達になる。ボブと名付けた猫は、すっかりジェームスに慣れて、ジェームスがバスで、1時間もかけてコペントガーデンにバスキングに稼ぎに行くときも、一緒についてくる。そのうちボブは、バスキングでギターを弾くジェームスの肩の上に載ったり、歌うジェームスのギターの上に座り込んだりするようになって、道行く人々が、珍しがって足を止めるようになった。猫と一緒のバスキングが人気を呼んで、稼ぎも良くなると、他のストリートミュージシャンの嫉妬、ねたみうらみを買う。遂に喧嘩になって、ジェームスはコペントガーデン出入り中止の命令を言い渡される。バスキングできなくなると生活費を稼げない。
被雇用者が雑誌を売るとその何割かのお金を受け取ることができる「イシュー」を、街角で売ることになった。ここでもボブを肩に乗せたジェームスは、たちまち人気者になって他の「イシュー」の売り子たちの顰蹙をかう。それで「イシュー」を売ることも禁止されてしまった。クリスマスにジェームスは、なけなしの金で買ったシャンパンをもって父の家に訪ねていくが、再婚した母は冷たく、その子供達は面白がってボブを追いまわし、散々な目に遭ってジェームスとボブは、家から追い出される。せっかく友達になった動物病院の看護婦とも仲たがいしてしまった。おまけに殴り合いのけんかで警察で留置されているあいだに、ボブを失ってしまった。
最低だ。ボブはもういない。バスキングが出来なければ稼げない。仕事も友達も失い、もう何の希望もない。そんな情けない、どん底のジェームスのところに、ひょっこりボブが帰って来る。ジェームスは、もう2度とボブに辛い目に遭わせないように、心を決めてヘロインもメサドンも絶つ。地獄のような数週間、そして数か月、、、。ボブがいつも見守っている。遂にジェームスは完全に薬から抜け出すことができた。ボブのおかげだ。
というお話。
依存症は性格のひとつで、もって生まれてくる。だからひとつのことに依存する人は、年を取ったり、家庭環境が変わっても依存する対象が変わるだけで、依存そのものは無くならないことが多い。タバコ依存症の人は、コーヒー依存症にも、睡眠薬依存症にも、アルコール中毒症にも、薬物依存症にもなる可能性がある。依存を絶ち、立ち直るには、どうしてそれがなければ居られなくなったのか冷静に自己分析して、ならばどうやって無くても居られるか解決方法を導き出し、よそからの援助を仰がなければならない。ドクターや医療関係者や施設やソーシャルワーカーや福祉施設の利用は必須だ。
自分の力だけで抜け出せる人は少ない。まして施設に入らないで自力で薬を断つのは容易ではない。ジェームスが、ばかをやってどん底まで落ちた時、それでもジェームスのところに戻ってきてくれたボブのために自己再生することができた男の実話は、同じような状況にある人達に勇気を与えることができるだろう。
この映画の良さは、1にも2にも猫のボブにある。映画化された実話をボブ本人が映画特別出演している。ジェームスは役者のジェームスだが、本物のジェームスの肩に乗るようにして役者のジェームスが歌っている間、彼の肩やギターの上に座って、ちゃんとじっとしている。これはすごい。天才的な立派な役者ではないか。それが、丸々とした可愛い猫なのだ。ジェームスのお話が本になり、ベストセラーを記録し、それから映画が撮影されるまで何年も経っているのにボブは、かっぷく良く丸々として年齢を感じさせず、美しい毛並みを誇って平然としている。立って姿よく、座って気高く美しく、歩く姿は堂々として華麗そのもの。すばらしい。
映画が公開され、英国映画ベストフイルム賞を受賞し、キャサリン ミドルトンからも頭をなでられた。フェイスブックにアカウントを持ち、そのフォロワーは20万人だそうだ。うーん!
ボブが自分のところに帰ってきてくれたから、ジェームスはドラッグから抜け出せることができた。しかし、実のところは、猫は飼い主を救おうとして帰って来たわけではない。はなから猫には、飼い主などというものは居ない自由な存在ではなかろうか。猫は単に居心地の良い場所に戻って来ただけ。
気がむいたから帰って来たのさ。
猫は、そうやって猫である、というだけで人々を救う。
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