劇場公開日 2017年11月10日

  • 予告編を見る

「自由すぎると不自由になる」ザ・サークル REXさんの映画レビュー(感想・評価)

2.5自由すぎると不自由になる

2019年3月2日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

怖い

乱暴な言葉を使うと、どんなにバカでも分かるように、SNS社会の暴走と行く末を描いた映画。

司法を通さず人が裁かれる魔女狩りの恐ろしさ。総監視社会の始まり、総私刑社会とでもいおうか。
刑法に反してなくても、些末なことで社会的制裁を行われることの多いこと。人は失敗を学んで成長していくものだし、多くを学び過去の自分とは違う考えを持つことも大いにあるけれど、現代のネット社会ではそれが許されない。

日本では実名でSNSを行う人は世界で少ないと聞く。匿名だから大きな気になって人のことをあれこれ書けるのであって、この映画のトゥルー・ユーのように全て実名であればもっと発言に責任を持つのかもしれない(このシステムには反対だけど)。

話は脱線したが、劇中のサークル社は明らかにグーグルを意識。個人からの情報収集方法が不完全だとしてフランスのデータ保護機関「情報処理・自由全国委員会」(CNIL)が制裁金を課したことは記憶に新しい。

メイがCE0の人柄や話術にほだされたかなんだか知らないが、「自分の経験をシェアしないことは他人の知る権利を奪う」などと言いだした時は、いくらなんでも考えが飛躍しすぎじゃないかと驚いた。

それなのに、友人アニーも会社への猜疑心ではなく嫉妬心でメイから離れていっただけだし、肝心の「トゥルー・ユー」開発者のタイもたいした活躍もしなかったし、メイの友人マーサーの死によって「反サークル運動」が起きたわけでもないし、誰も権力の暴走に歯止めをかけようとしないことに物足りなさを感じた。
(鹿殺しで脅迫されるなら、メイの自宅にだって「人殺し!」のプラカードを持った人垣ができていてもおかしくない)

だがサークル社とメイ&タイ及び反勢力が全面対決するという英雄的展開にしなかったのは、いくらグーグルに制裁金が課されたされたところで、Googleに依存し続ける現実世界を反映しているとも受け取れる。

原作のラストは知らないが、この映画のラストは「透明化するかしないか、あなたはどう選択する?」という現代人への問いかけなのだろう。

人間は建前と本音がある生き物だが、それが本音であれ嘘であれ直に接しているときに発した言葉や態度が相手に伝えたいことなのだから、それでいいじゃないか。
透明化したところで、他人の目が怖くてどんどん嘘つきになる。
そして他人の人生を確認するだけの人生に、何の意味があるの?

REX