「イヴリンは私のもうひとつの未来かも。」gifted ギフテッド だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
イヴリンは私のもうひとつの未来かも。
姉の自殺後、残された姪と2人暮すフランクと、姪メアリーと、猫フレッドとのお話です。
フレッドは話の筋に重要ではあるのですが、いかんせんお姿があんまりうつらなーい。もっとフレッドうつしてほしかったーー!
という猫ずきの意見は無視してください・・・ひとつ目の茶トラさん、かわいかったです。
叔父と小さな姪、とか、赤の他人同士の大人とこども、のような、血縁が薄い(ない)同居人の話が、元々好きなんです。
あとはポスタービジュアルのかわいい感じと、「500」日のサマー押しのパブに引き寄せられて観てきました。
もっと軽やかでおしゃれなものを想像していましたが、背景が広いというか、描かれないイヴリンの来し方にも想像が及び、切なさが増すという、まさに人間ドラマでした。泣けたことで映画の評価は高まりませんが(私にとって)、涙をこらえることは難しい類の映画でした。
病院の待合室のシーンが特に。あのシーンはいい。あとは、修理するボートでメアリーと別れたことを淡々と話そうとするけど、メアリー恋しさに怒りをつのらせるフランクのシーンですかね。
まあ、病院の待合室以降は涙が乾かずでしたが。万人受けするとおもいます。私はというと、どストライクな映画でした。
祖母対叔父による法廷劇でもあり、その部分も私は好きです。あと、フランクの弁護士が私にはとても真摯に思えました。
取引の事をフランクに諭す時ですね。あの判事は最後には金のある方に味方するという言葉。その言葉を言わざるを得ない辛酸を舐めさせられて来た、黒人の弁護士。その背景も色々想像しました。
まあ、その弁護士の勧めにしたがってメアリーを里親に預ける決断は、結果として(恐らく)イヴリンの罠であり、メアリーを傷つけることになりましたが、彼に罪はないので。里親がフランクをだました片棒を担いでいたのであれば、私は本当に許せませんね。そこのところがはっきりしなかったのがちょっと不満です。フレッドを動物病院に届けた人は男だったというところから、里親夫婦の夫のほうを憎んでおりますが、果たして。
フランクの事、メアリーの事(まつげふっさふさの歯抜けさんがかわいい)、ボニーの事、ロバータの事、姉の事。
色々思ったことはありますが、全てを語ると長すぎるし、きっと他の方が語るでしょう。語りたい点はたくさんありますので。
私は、メアリーの祖母であり、フランクの母であるイヴリンについて、語っておきたいと思います。
イヴリンは2017年の日本社会に照らすと、どえらい毒親といえます。
元々、子供のすることを勝手に決めて強制する親(大人)が私は大嫌いですから、当然イヴリンの言う事する事全てに反発しました。
しかしながら、彼女がなぜこうなったのか、こうならざるを得なかったのか、そのことに想いが及んで悲しくなりました。
ケンブリッジ大学へ通って数学を研究していたイヴリンだけど、その道は結婚によって閉ざされたようです。
「結婚・子育て」しか求められなかった才能ある女性の悲しみ、それが遠景にあります。
イヴリンは悔しかったのでしょう。夫になる人を愛したでしょうが、自分の人生の望みを棄てなければ愛してもらえず、妻・母親以外の生き方を封じられた。そのことにこっそりずっと傷ついてきた若いイヴリンが見えた気がしました。
産んだ娘は、恐らく自分より才能がある。その気付きがイヴリンを慰め、彼女の生きがいは娘を世界的な数学者にする事へと変わった。
特別な才能には特別な教育を。娘から子供らしさを全て奪い、数学のためだけに生きさせようとした。それが愛情だと思っていた。
実際にはイヴリンの与えたものは、娘を殺した毒であって、娘の望みではないんですね。
だから、娘は自殺を選んだ。弟にメアリーを託した。完全証明した数学の問題を隠した。
イヴリンは孤独です。子供たちの父親である夫は早世し、再婚相手とも別居中。息子にも嫌われ、娘にも裏切られた。
自分自身を夫や男性基準の社会に引き裂かれて人間性を殺されてしまっており、とても傷ついている。
でも傷ついていることを認められないので、その手当てが出来ずにいる。
そうして自認できない悲しみが詰まった感情と体で生きているから、その悲しみを自覚せずに娘や息子に対して発散してきた。
そんな風に受け止めました。
再婚相手とは単純な別居なのか、夫婦関係が破綻しているのかはうかがい知ることができませんでしたが、恐らく結婚生活に幸せを見出してはいないでしょう。だから、何かを求めてメアリーに固執します。
メアリーへの固執は言い換えると「自分の代わりに数学者の夢をかなえられそうな子供」という事であって、決して対象への愛情ではない。
歪んでしまった悲しい自己愛です。それを自覚できず、娘(の人間性)を殺してしまったことにも気付かず、同じ事を繰り返そうとする。
愚かで悲しいイヴリンを、そうなる可能性のあった自分の未来として観ました。
私にはどうしてもかなえたい夢なんてなかったから、道を閉ざされたという悲しみはありませんが、
妻とか母親、あるいは男が望む女といった男性基準の社会から求められる役割以外は歩めないという世界に、
囚われずに済んでいることで、どうにか自尊心を失わずに済んでいるようにも思っています。
でも、大いに私はイヴリンになった可能性があった。
私が子供の頃に目にしていた大人の女性は、濃淡はあれどもみんなイヴリンでした。
そうして今、目にしている女性の多くもまたイヴリンです。そのことをまた悲しく切なく思いました。