「「私こそ生けるクローディーヌ」が響かない内容だった」コレット 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
「私こそ生けるクローディーヌ」が響かない内容だった
コレットという人物は本当に語るべきことの多い人物なのだろうと思う。夫の名義で著作を出版する葛藤。それぞれに愛人を抱えた結婚生活の在り方。性に奔放で女性とのロマンスをも謳歌する生き様。賛否を受けながらも舞台上で挑発的なパフォーマンスを見せる姿。そしてついに自らの名前で物語を紡ぐ歓び。映画の中で描かれた内容だけでもこれだけのエピソードが盛り込まれている(コレット自身の人生を紐解けばまだまだたくさんの逸話が出てきそうだ)。そんな伝説に豊かな人物を取り上げていつつも、私のこの映画に対する印象は極めて淡白。語るべき要素が多すぎて、いずれも語り切れず、その時々のコレットの思いも考察しきらないまま次々にエピソードだけが語られてしまったように感じられたからだ。
一番のひっかかりは、自身の体験を基に執筆をしているにも拘わらず、コレット自身と著作とが重なり合っていく様子を実感できなかったことではと思う。映画で最も重要なセリフであろう「私こそが生けるクローディーヌよ」を終盤でコレット自身がついに口にした時、すべてが腑に落ちた・・・という風には行かず、「あぁそういうことが言いたい映画だったんだ」と妙に冷静になってしまったのは、コレットが実体験をクロディーヌに模写しているのが分かっても、舞台上のクローディーヌと同じ髪型にして女学生のような装いを纏っても、それが表面的な「対」にしかならず、コレットと著作が同一化されていく実感に乏しかったからだと思う。コレットにとって著作は自分自身だったかもしれないし(だからこそクライマックスの激昂につながるはず)、著作の中でこそ彼女は最も正直で剥き出しの感情をさらけ出していたかもしれないし、実生活だけでなく著作の中でも彼女は人生を生きていたとも考えられるのに、その描写が決定的に弱かった。だから一番重要なあのセリフが響かなかった。
私はエピソードを一点に絞り、多少の脚色も加えつつも伝記映画のフォーマットを壊した方が面白かったのでは?と思う(「女王陛下のお気に入り」などはそれをやっていた)。「天才作家の妻」のような夫婦の愛憎のスリラーでもいいし、破綻して見える結婚生活が「著作」と「クローディーヌ」を介して不思議に成立するラブストーリーでもいい。作家と著作とがリンクして境界線を失っていくミステリーでもいいかもしれないし、コレットの性の解放と社会への挑発をテーマにした官能ドラマでもいい。どこか一点に要点を絞ってそこを潤沢に表現したほうが(伝記映画としては不誠実かもしれないが)映画としては面白そうだったと思う。
フランスの物語なのに英語で表現された違和感はさておいて、キーラ・ナイトレイの演技はとても良かった。ただここはやはりフランスの女優でコレットを見てみたかったという思いは消えなかった。またフランスという土壌でコレットの伝記映画が作られたら、本作とまた違う視点になりそうでそれも面白そうだと思た。