「フィリピンもグローバリズムの犠牲者」ローサは密告された 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
フィリピンもグローバリズムの犠牲者
麻薬に汚染されたフィリピンの現状をドキュメンタリー的な手法を用いて描いた映画である。
まず何よりフィリピンのスラム街の小さな雑貨屋であまりにも簡単に覚醒剤などの麻薬が手に入ることに驚く。
また、それを売る側にも買う側にも全く罪悪感のようなものが感じられない、いたって日常なことにさらに驚く。
もはやこの手のマグマのような力強さを放つ映画は日本では作り得ないことを感じさせる。
発展していない社会は自分たちの目を背けたくなるような暗部を暴こうと果敢に挑戦できる。
日本にも厳然として暗部はあり、それをテーマにした作品は制作されているのだが、独居老人の問題であったり、ニートであったり、ある一定の世代間でしか共有できない問題をテーマにした場合が多く、社会全体として共有しうる大きなうねりに発展するものは少ない。
北朝鮮問題がタイムリーな話題であるので安全保障などは本来は日本国民全体に関わる大きな問題だが、実際に核爆弾でも落とされない限りどこか遠いことのように感じている国民は多いだろうし、そもそも日々の生活に直結しない。
表面的には日本は発展して安定した社会になったということの現れなのだろうが、現在の日本映画からこの手のパワーを感じることはまずない。
この映画のコンセプトはドゥテルテ大統領が当選する前に作られたようだが、なるほどドゥテルテが密売人は殺して構わないと発言して麻薬撲滅戦争に突き進んでいったのはこういう社会だったからかと妙に納得させられた。
それぐらい庶民の日常に麻薬があふれている。
作品中、セブンイレブンの前で小学生ぐらいのこどもが2人、地べたに座り込んでふくらんだビニール袋から何かを吸い込んでいるシーンが登場する。
シンナーを吸い込んでいるように見えるが、警察署で雑用係のようなことをしているこどもはそれを見かけても全く気に留めない。
また一方で取り締まる側の警察が麻薬関係者に保釈金をふっかけてそれを横領するという問題も描かれている。
この映画を観るとドゥテルテが厳しく取り締まってもフィリピンの麻薬問題は解決できないのではないかと危惧してしまう。
逮捕されたローサと夫のネストールは自分たちが釈放してもらうために麻薬の売人をさらに密告していく。
だがそこにも後悔の色は全く感じられない。あっさり警察に売ってしまうのだ。
どんなに普段仲良くしていても家族以外は全く信用しない社会が描かれているのだ。
この映画はタガログ語の会話が90%以上を占めて、英語の会話はほとんど登場しない。
両親の保釈金を工面するために次男がカフェで人を待つシーンがあるが、次男の横には漢民族系だろうか上流階級と思しき若者たちがPCについての会話をしている。
彼らの会話がまさに英語なのである。次男はそんな彼らをうらやましそうに眺める。
本作の監督はインタビューの中で「20%の裕福な階級はこの国を代表しない」と言っているがまさに言語の断絶も意識して描かれているのである。
また、筆者はこの映画を観て現在の日本に住んでいる幸運を感じたが、「先進国でも不正はあり、もっと上層部で行われるため、人の眼に触れることがないだけ」という監督の言葉を知ってそんな思いも吹き飛ばされてしまった。
ドキュメンタリー的な手持ちカメラの長回しは作品の性質上絶大な効果をあげている。
フィリピンの気候を反映してか土砂降りになり、道路などが水溜りになり場合によってはぬかるむシーンがあるが、撮影陣は大変だったろうことが推察される。
またローサ役のジャクリン・ホセは本作の演技が高く評価されてカンヌ映画祭で主演女優賞を受賞したようだが、その他の出演者も真に迫っていて素晴らしい。
監督は出演者たちに脚本も与えず台詞はある程度自由にさせたようだ。
そのせいか出演者の演技に全くもって不自然さがなく見事だ。
発展途上国においても裕福な20%とそれ以外の80%の貧困家庭、世界はどこも似たような状況であることをあらためて認識させられた。